月刊バド部


2004年11月14日 戦いの後☆
2003年7月某日 旅館「橘」の恐怖の部屋
2003年3月27〜31日 近畿東海大会を終えて
2002年12月21〜22日 追い出しコンパ
2002年3月19〜24日 近畿東海戦にて(M氏の記録)
2001年11月14日 沖縄から来たせっかちサンタ?
2001年5月26・27日 とうとう迎えた新歓コンパ  
2001年4月24日 練習後の惨劇 犯された聖域
2001年3月某日 暴れんボール
2001年3月9日 突撃・カリスマ店員!
2001年1月28日 新人戦男子ダブルス、向井・森組涙の準優勝!
2000年12月某日   永田・森組王将の餃子に敗れる!


戦いの後で☆

 今年もリーグ戦の激しい戦いの中、男子は惜しくも負けてしまい、
入れ替え戦に行くことになってしまった。が、しかしさすが(!?)
市大!!奈良医を倒して無事に1部残留した。

 で、その後。祝勝会とあって1次会はリッチにロイホで昼食!その時
Yきちが愛のセレナーデを奏でんばかりの詩を披露!!
(↑ぜひ一度聞くべし!!)

 で、その後。2次会は梅田のJカラにてカラオケ♪♪
401号室→N西、S野、T使川原、MUNEO!!、S々木、O崎、H岡、H位、Y川
413号室→Mり、S田、Cん、N田、I柳、H田(敬称略) 的なわりふり。

401 最初、N西さんとS野で「ココロオドル」を熱唱。MUNEO!!とS々木が
「月光」をデュエット(??)そしてT使川原の「瞳をとじて」でみんなとても
いいムード。その後、Mりさんの乱入で「古い××」「Zさんのあくび」の熱唱に
より、大爆笑の渦に飲み込まれた!!

413 ここでは、やはりC君が175R、Bumpの曲など1人 on Stageで頭を振って
突っ走っており、もはや止められない状況だった。

 で、その後。Mりさんを先頭に、ヒルトンに入りにおいをかぎながらそのまま
スルーして出てきて、「毎週シューマイ」というお店に行っておいしい料理を食
べて3次会終了ー!!みんな色んな意味でおなかいっぱいにして帰りました♪♪

P.S MUNEO!!は次の日が魔の生理学テスト前だと言うのに3次会まで
    出席。ほんとおつかれさん!!
旅館「橘」の恐怖の部屋

 2003年夏だったであろうか・・・この部屋ができたのは。

 もう今では、「キ・ク・ノ・マ」との言葉を聞いただけで発熱、
頭痛、吐き気、ひどいものに至ってはけいれん、意識障害
の症状を訴えるものが続出する始末だ。
 
 そんな中、この症状(トラウマ)を一番引きずっているのは
O川淳平(21)であろう。勘違いをしているヒトがいるかもし
れないので述べておくが、彼は戸籍上では「淳平」である。
 
 そう、伝説のあだ名を皮切りに全ては始まったのだ。その
一部始終をここに記す。

 2003年夏合宿3日目の晩、菊の間にて。15名ぐらいいた
中で、当時1回生ということもありO川をいじりはじめた。(敬称略)
N田「O川、女の子のどんなとこ好きなん??3つ挙げてみ!」
O川「・・・・やさしくて、・・・・。」
N田「そんなん聞いてないねん!!ほら、もっと具体的にやって。」
O川「・・・・・・・・・・」
K本「どこの部分が好きとか・・そういうことやって!!」
O川「・・・・・・・・・・」

そしてこの話は少し流れて、15分ぐらい後。

N田「O川、考えれたかー??」

まさかのもう一回話題戻し!!しかし菊の間ではこんなのは
お約束だ。ほっとする間などあろうか、いやありはしない!!

O川「・・・・・・・・・・・」ケータイを見つめている・・・。
??「なんかあるやろ?」
O川「・・・・・・・・・・・」ほぼ無視している・・・。
??「おーい!!」
O川「・・・・・・・・・・・」かなりねむたそう・・・。

と、さすがの菊の間の誰もがあきらめたその時・・・・・
信じられない光景が!!



O川「・・・むね。」



 一同爆笑!!「むね」のイントネーションも変であり、どこか
の方言みたいだった。なによりこれほどタメがすごい!!他に
もこのように後輩がいじられ倒すというこの部屋。2004年も、
全く同じ課程でめでたく(!?)ももちゃんが生まれた。キャプか
らの部屋割り発表の時、菊の間に入っただけで笑いが起こると
いう残念な部屋、この惨劇は2005で終結に向かうのであろうか・・。

P・S 菊の間の「菊」は、いじられておお「きく」育っていって欲しい
    という、Mりさんの願いが含まれているそうです。
近畿東海戦を終えて

 今年の近畿東海戦は・・・一際熱かった!!
 上回生の先輩方が素晴らしい成績を残し、思い出深い大会となりました。

 初めて最終日まで勝ち残り、そして現6回生の先輩方が賞状を手にした時、
 その後部員みんな輪になって先輩方のお話に耳を傾けた時。
 私たちの中で言葉には出来ない熱い想いが込み上げたものです・・・。

 そしてどうやらそれは表彰された先輩方も同じだったようで・・・
 以下は男子シングルスで見事準優勝!!を果たされた長谷川先輩が、
 「あの時伝えられなかった」と後から再度したためて下さった文章です。

 →ココ

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追い出しコンパ

2002年最後のクラブイベントととなる追い出しコンパ。
今年の主役は・・・我らが藤田先輩と町田先輩!!
21日土曜日から翌日の22日にかけて、旧体でのOB戦を皮切りに、1次会はまつむらにて、2次会はブリタニアにて行われました。

その模様は・・・後ほどどなたかがしたためてくれる事を願って(・・・(^^;;;)、今回はMさんの熱い思いがこもった祝辞を、ここにてご披露したいと思います。

皆様こんばんは Mです。
すき焼きは、野菜も残さず、きれいにたいらげましたでしょうか?
もし残った場合は、牛肉の食べれないヨッシャーに分けてあげてください。

限られた時間の中で、わざわざこれを読む時間を取っていただいたことを感謝します。

藤田さん、マッチーさん、7年間お疲れ様でした。
今回、この場にいることができず、こんな形でのあいさつになってしまったことをお許し下さい。
中西君に何とか追いコンの日程を変更できないかと、わがままを言ったのですが、去年に引きつづき、水泳部の追いコンと重なってしまいました。昨年も同様の言いわけをしたのですが、両方参加するには、こうすることしかできませんでした。
玉ちゃん先輩は「去年、モリも追いコンいてない方が、何かよかったわー」とおっしゃっていたのにはかなりショックですが、手紙にてあいさつさせていただきたいと思います。

思えば、4年前、僕が入学した時、藤田さんはキャプテン、マッチーさんは、主務をやっておられました。
あの時は、今に比べて部員も少なく、僕はかなりわがままいいながらも、入部させていただいた記憶があります。当時、幹部学年は藤田さん、マッチーさん二人だけで、入ってきた一回生が個性的な人間が多く、さぞ大変だったことでしょう。

 一回生の記憶はなぜか鮮明なものが多いです。
マッチーさんに無理矢理頼んで、車でラーメンくいにつれていってもらった挙句、帰りに車がこわれてしまい、JAFにけん引されていく姿にひたすら謝ったりしました。
 また、思いつきだけで、徹夜でボーリングもしたりもしました。藤田さんにはよくはやしにもつれていってもらいました。
バドを熱心に教えてもらったことはもちろん、ホント色々遊びにつれていってもらった記憶があります。

お二人には失礼かもしれませんが、留年していただいて、本当によかったと思います。
藤田さん、マッチーさんが、7年間バド部にいてなかったら、今のバド部は絶対ありえなかったと思います。多分皆同感ではないでしょうか。
 できれば、もう一年いてほしいくらいです。
先輩方が、卒業されるのは本当にさびしいです。卒業されても、たまには、来ていただけると信じていますが、お二人がいなくなのは、冗談抜きでさびしいです。そして、何よりこの場にいて、言葉を直に伝えられないのが一番悲しいです。

藤田さん、マッチーさんが築かれた、市大バド部、みんなでより強く、より楽しいクラブにしていけるよう頑張りますので、たまには、みに来て下さるようお願いします。
 個人的にも、バドはもちろん、後輩の面倒見のよさ、トークやリアクションにおいて、少しでも近づけるよう頑張ります。

本当に7年間おつかれさまでした。


※これは、Mさんが自宅に置いてきたもので、実際に藤田さん・町田さんが読んだものとは語尾、繋ぎ等若干異なります。(内容はほぼ同一)

・・本来ならば1次会にて読み上げるのが適当(!!)な所を、こちらの不備でこのような形での披露になってしまったことを深くお詫びします・・・M先輩,ごめんなさい!(>_<)


近畿東海戦にて(M氏の記録)

 2002年近畿東海医学生バドミントン大会が静岡県浜松市浜松アリーナで3/20〜24にかけて行われました。

 大会といえど市大バド部は遊びに手を抜くことなく、着いたその日に夕日を追いかけ日本3大砂丘の1つ、中野島砂丘へ。波打ち際で往復ダッシュをしたり夕日に向かってさけんだり砂丘に「市大」とでかでかと刻んだり、皆思い思いの時をすごしました。浜松といえば浜名湖。浜名湖といえばうなぎ。人々は大会前日からがんがんうなぎをむさぼり食いスタミナ補充に余念がありません。普段お菓子しか食わないT岡さんも大盛りをたのんでおられました。

 大会初日、主に男子女子の団体戦が行われました。女子はU松さんとT岡さんの頑張りにより、決勝T進出!男子は京大との激闘の末、おしくも決勝T進出を逃しました(詳細は試合結果参照)。
 同じく初日、1回生は個人戦が始まり、O田・M上組が笑顔の公式戦初勝利。ダブルスではH井・O川組(不戦勝)、シングルスではAんよん、N波さんが2回戦へとコマを進めました。

大会2日目、女子団体決勝T準々決勝で京都府立医科大学と対戦。ダブルスは取ったもののシングルスで惜しくも敗れてしまい、残念ながら準決勝進出はなりませんでした。個人戦では、1回生は健闘したもののこの日で姿を消しすことに。しかし1年間の成長がはっきりわかり拍手!2回生以上の多くは3回戦へと進みました。

 大会3日目。男子レギュラー勢以外にとっては厳しくなってくる頃。健闘空しく、勝ち残っている人が少なくなっていきました。しかしそれは一人に対しより多くの応援がつくということ。男子レギュラー勢は応援を力に勝ち残っていきました。

 大会4日目、いよいよシード同士がぶつかります。応援にも力が入り、雄叫びや歓声が浜松アリーナにこだまします。ここまでくると勝負は紙一重。

市大バド部で最後まで勝ち残ったK鬼・M井組、相手は浜松の杤久保さん・余語さん組。ファーストは前者、セカンドは後者が取りファイナルへ。息詰まるラリーが続く中、先に流れをつかんだのは市大ペア。一気に13までポイントを取りこのまま押し切るかと思われました。

 そして次のプレー、市大ペアのライン際に落ちた羽根は観衆の多くがアウトと思いました。しかし運悪く主審の前を人が通り、主審は判定をしばし躊躇・・・・・・・・・・

 結局、判定はインになりこれを境に流れは逆転、一気に追い付かれ、つかみかけていた勝利を逃してしまいました。この勝負を分けたターンニングポイント、近々ビデオで検証する予定です。

 この大会を通じていえることは、うなぎを食いまくったこと。ほぼ毎日、これでもかというぐらい食らいました。うなぎが絶滅したとしたらそれはバド部のせいかもしれません。


沖縄から来たせっかちサンタ?

 11月14日練習を終えて、飯会に行かなかった我々数名は楽しく電車の中で談笑しながら帰っておりました。阪和線では一回のY川さんが周りをかえりみずうちわで素振りなどをしていました。
 思えばこれが事件の前兆だったかもしれません。電車内の熱血バド講義にもかかわらず、何事も無く天王寺に着き、それぞれ別れを惜しみつつ電車を乗り換えました。そして環状線内回り組(F田 Mり S山 Y川 敬称略)はあまりの寒さにスキーの話などを車内で始めました。
 会話もクライマックスに近づいた調度その時、事件はおこりました。
 以下はその様子でごさいます。

変なおっさん(以下 お)「にいちゃん、にいちゃん」
の肩をなれなれしく叩く。
 「これで何かうまいもんでも喰うてや」
に無理矢理千円札を押し付ける。
は意味がわからんまま、つい受け取ってしまう。
 「は?いや、何で?」
 「まぁ、少ないけどとっといて」

一同顔を見合わせる。

 「俺酔ってるねん、気分ええからあげるわ。何か喰ってや」
 「いや、いらないっすよ。ええですわ」
 「ええから、とっといて。酔ってるから今のうちやで」

何とか返そうとするが断られる。
やむなくうけとってしまい4人で小さなこえで相談。
すると、

 「何?千円じゃしょぼいって?ならもう一枚あげるわ」
は、さらに千円札を取り出しMにおしつける。
は必死に拒否するが、無理矢理手の中に握りこまされてしまう。
 「いや、僕近大いってんねん。沖縄からでてきてんけどな、
  大阪寒いな〜。僕な、近大の法学〜研究所におるねん。
  覚えといて。あ、もうおりなあかんわ」
 「いや、お金もらわなくても名前覚えたから。ほんまお金は
  ええですよ。故郷のおかあさんに何か買ってあげて下さい。」
 「いいって、いいって」
は鶴橋で降りていってしまった。
そして、4人の手元には2千円が残った。


 この意味不明な事件皆さんどう思いますか?
 ご意見ご感想おまちしております。あと2千円の使い方考えてください。

とうとう迎えた新歓コンパ

  21世紀最初の勧誘は例年にも増して力が入り、我が大阪市立大学医学部バドミントン部は総勢15名(医:12名、看短:3名)の新入部員を迎えた。
 そんな中迎えた新歓コンパは、5月も末頃、質素ながらも盛大にとり行われた。まずは杉本体育館にて(ビールをおいしく飲む為かはいざ知らず)OB戦。歴代の名先生達がその技を競い合い、OB戦はまさにオールスターの競演といわんばかりのありさまで、白熱してガットを粉砕する方も多々見られた。
 体力を出し切る(←と、いいつつ夜の分は温存して)までウォーミングアップした所で、天王寺のM村にて一次会の始まり。N村先生の愛の力の偉大さにまつわる挨拶と、M崎先生の恒例乾杯挨拶(←なにやら最近お仕事の方が忙しいらしく長さは程々)を皮切りにすきやきの堪能が始まる。中には肉の奪い合いに白熱するところも見られ、そうして宴もたけなわとなった所でようやく恒例、1回生(気のせいか1人2回生も混じっていたような)による出し物スタート。

 今年は日頃お世話になる先輩方に感謝の気持ちをと食べ物・飲み物を出す事に。一風変わった味付けに、中にはただならぬ面持の方も多々見受けられた。

  (写真は3回戦、タバスコ入りトマトジュースを召し上がったみなさんの直後の映像)



  各選手の微妙な表情をよりくっきりと鑑賞したい方はこちら

 2次会は同じ天王寺のHいきや。今年は女子部員が多く元気な飲みっぷりを見せる部員は少なく感じられたが、それでも自ら勢いよくいく女子が2名ほどいたり、別のクラブの新歓と連荘(「レンチャン」と読む)したりする部員もいて、それなりの盛り上がりを見せた。
 そうしてエタノールで代謝の上がった集団は汗だくになりながら100人くらいでプリクラをとり、ゲーセンに閉じ込められたりしながらも、無事3次会であるカラオケへとなだれ込む。

 しかしそこは我が偉大なるキャプテン・H谷川氏のライブハウスであった。3部屋同時中継ライブを(同じ曲を使いまわしながら)難なくこなすH谷川氏が、初めて目にする新入部員を例なく驚かせたことはいうまでもない。
 5時までフルボルテージで歌い切った後は、さらに疲れた体をおし4次会(麻雀、朝ご飯等)に行く者、睡眠を欲し帰路につく者と、それぞれ思い思いに別れ、これにて今年度新歓コンパは解散となったのであった。

練習後の惨劇 犯された聖域

 この日、大阪阿倍野区の某スポーツセンターの4F男子トイレに若い女性が乱入するという事件が起こった。

 調べによると、男子トイレに乱入したのは大阪市立大学バドミントン部(以下バド部と省略)所属のS(19、♀)。その日バド部は新入生の試打会を兼ね、スポーツセンターで練習していた。練習後、着替えを終えた部員達がトイレのそばのベンチで談笑していた所、突如Sが男子トイレに乱入、場内は一時騒然となった。幸い、けが人はいなかった。

 目撃者の証言によると、Sはためらいなく男子トイレに入り、出てきた模様。目撃者の1人H松さん(19、♂)は「彼女はめちゃ堂々としていました。こっちも一瞬何が起こったのか分からなかったが、大変驚きました。」と驚きを隠せない様子。またMさん(21、♂)は「楽しいクラブの後にまさかこんな事が起きるなんて・・・」と泣き崩れた。

 現在では部員たちには笑顔が戻り、この事件も風化しつつあるように思えるが、最近になって「安心して用が足せない」「あの時を思い出して落ち着いて出来ない」と後遺症を訴える男子部員が報告されている。心理カウンセラー等、アフターケアの充実が望まれる。

暴れんボール

近畿東海戦も2日目に入り、男子ばかりの会場に嘔吐(←男子記者曰く)しそうになっていた頃、この事件は起こった。

いつも通りだがいつまでたっても耐え切れないむさくるしい(←男子記者曰く)男子only会場で、無難にその日の試合をこなした我々○阪市立大医学部バド部男子組は足早に会場を後にしようとしていた。その日の会場はグリーンアリーナ神戸、オリックスの本拠地グリーンスタジアム神戸から中途半端に離れた所。時刻は17時を回った頃だっただろうか。駅に向かう我々の目に飛び込んできたのはムッチリ太もものショートパンツのお姉さん・・・

案内役(ファンサービスと思われる)のスピードガンコンテストだった。我々は試合の疲れも吹っ飛び、そのイベントに参加する事に。

先発は右腕Mり。大きく振りかぶって第1球はボール(約95km/時)。第2球は渾身のストレートだったが、バックネットのはるか上をいく暴投で球速は測定不能だった。

二番手はK鬼。さすがテクニシャンなだけあって、2球ともストライクの平均100km/時。

そして最後に登板したのがストッパーH谷川。明らかにリキみまり、2球続けてバックネットのはるか上を越える危険球だった。あまりの危険っぷりに、3塁側で見ていたブーマをひと回り小さくした外人が激ギレしてきたのであった。何と彼はカタコトの日本語で

「カエレ!オマエラカエレ!カエレ!」

煤i ̄□ ̄|||)

こちらもカタコト日本語で「ファッキュー、ガッデーム」と言い返し・・・

たいところであったが、素直に退散し、「速球を低めに進める松坂ってすごい」という結論に至ったのであった。

突撃・カリスマ店員!

 この日一日暇だった森・永田・澤田(敬称略)は、朝10時半に待ち合わせる。お初なこの組み合わせ、向かった先は大和路線・加美駅。
 その日は大変寒く、降りたホームにはうっすら雪が積もっていた。
「こんな日のコンビニなんて、お客さん少ないよなー」
「きっと暇やろうなー店員って。」
 そんな会話をしながら着いた先はファミリーマート加美駅前店。
 しかし、目的の人物はおらず3人は無念ながらも本人を呼び出し、そこで買ったおみやげの1個100円の缶詰3個、豆乳、黒酢ダイエットを手渡す。
 それを笑顔で受け取りながら本人が一言。

「僕のバイト先そこじゃないですよ〜〜平野駅前です。」

( ̄□ ̄;)!!
 3人完敗を認め、すごすごと退散。重田氏と待ち合わせの難波へと向かったのであった。
 (注:こちらが遊びのメインである。)

(途中、タイ料理・カラオケ・toto・STARBUCKS・松屋などに寄り道。個人的にゲーセンでの太鼓は最高だった事を記しておく。)

 時刻ももう8時半を回り、3人は再び王寺行きの電車に乗り込む。そうしてようやく着いたファミマ平野駅前店には、店員服を着てレジ前に立つ彼の姿が・・・・
 その名は・・・平松慎介。(敬称略)

 まず1回目、3人は変装(森は澤田の、澤田は森のカバンを背負い、永田は森のダウンを着用)して入店。一生懸命笑いをこらえつつお店全体をさらっと回って出る。その時入り口のドアガラスに映って見えた平松の不敵な笑みは、今も忘れられない。

 その後、3人は挨拶とともに再び入店。平松も笑顔で迎える。しかし値切り攻撃が始まると、平松の不機嫌度ボルテージはぐんぐん上昇、そしてカメラを取り出し撮影しようとしたところでついに爆発。
 平松、従業員室に閉じこもる。

 それから約15分、澤田、永田の携帯に着信が。
 とった永田に平松ひとこと。

「とっとと帰れ!!!!!(怒)」

 それを受けて3人は、店前で永田の記念撮影を済ませようやく帰路についたのであった。この日から2日間、平松からメールは来なかった。
 
(つけたしの後日談)
翌日、クラブに平松が欠席したため、永田・澤田かなりへこむ。
(森はその日クラブ欠席)
本当は休んだ理由、違ったみたいだけれど。

新人戦男子ダブルス、向井・森組涙の準優勝!

 第1シード向井・森組は大方の予想通り苦戦の連続でした。準々決勝からは3試合続けて京大のペアとの対戦、準々こそストレートで下したもののそこからはすべてファイナルにもつれこむ接戦!! 

 準決勝は1セットを取られ2セットもリードされる苦しい展開、以降は実際に交わされた会話である。

森「もう精神的にだめです、向井君にも迷惑かけるし」

九鬼「何言ってんねん、ここからやんけ」

 この言葉が効いたのか森基はここからミラクルレシーブを連発!!2セットを取り返したのである。この後ファイナルセットも押し切りついに決勝へとこまを進めた。

 決勝戦の相手はシングルスとの2冠を目指す小林・中川ペア。1セットを奪われ2セットを奪いかえすものの最後は力尽きた。

永田・森組王将の餃子に敗れる!

 12月某土曜日の1時頃(推定)、バド部随一の大食い自慢、永田友貴と森基は王将の<餃子10人前30分以内に食べたらタダ>に果敢にも挑戦し、案の定砕け散った!!

記録:43個(7人前ちょい)、45個(7.5人前)

 二人の敗戦の弁...
永田「傭兵多くを語らず。」
森「30分とゆー時間は意外に厳しい。あと20分あったら・・戦いの後のガムが激うまでした。」


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