第15回
いやいや御無沙汰でありました。しばらく家にいなかったり、その後PCの修理待ちであったりでなんも出来ませんでした。頓首再拝であります。
さてでは今回はなにを書き綴りましょうかな。ちょっと遅くなったけど教科書問題についてでも。では、ちょっと前に発表された新しい教科書。ちょっと静かになってきましたが、まだ記事として見る事もあるのであります。韓国、中国があれこれ言ってきておるのであります。で日本国政府は「これ以上手を加えるつもりは無い」との答えを出しました。いやいや、当たり前の答えであります。なにを変えねばならんのでしょう。韓国、中国両国が変更を求める部分の多くは大東亜戦争に関する記述であります。私少々手にとってみましたがそれほど気になるような記述がどこにあるのでしょうか?私の目は節穴且つ若輩者ながらも人並み以上に節操はもっておるつもりであります。その私に言わせていただきますと「いやーげにまっこと真っ当な教科書じゃき」と土佐弁丸出しでしゃべってしまうところであります。といって別に土佐人ではありません。
どちらにしてもなにを国を上げてほたえちょるか!と言ってやりたくなるのであります。特に理解不可なのが日本大使館前で抗議している方々。あなたがたはあの教科書を精読なさり、批判が論点まとめられ述べる事が出来るのかね?と一人一人訊ねてあげたい気持ちでいっぱいであります。皆様御一同は日本語お読めになるので?とまず訊きますがね。少なくとも私の目にはそれほど問題のある教科書ではありませんでしたからね。しかしそれを理由に青森での相撲大会に参加拒否をしたことも事実であります。先日のNewsweekでも日本は未だに戦前の教育から抜けきれていない等ということを国際的雑誌で平気で書いてあるのであります。日本には沈黙は金なりという言葉もありますし、耐え忍ぶことが美しいとも感じる文化があります。確かになにかに耐え忍ぶ姿というのは心打つ場合もあります。しかし、そういう理論を持っていない相手には黙っている=認めるということになる場合もあるというのは周知のことであります。あのように影響力のある雑誌であのような事を書かれ手は甚だ迷惑、名誉毀損、事実歪曲もいいとこであります。
戦後の教育というのはまさにGHQの方針に定められた教育により、大和魂をぬいてしまえやといったところ。終戦後まだ56年目を迎える年に腑抜けるには早すぎるぞ!!と思うのであります。これに対処しうるはまこと学問をすべき事であると私心得ております。学問と言うのは学問の為にするのではなく、己の為になされ、それを実用化するところに本当の意味がある訳であります。人々よ共に学びましょう。