《海に住まう者は海に帰る・・・それが運命(さだめ)》
《陸に上がった2人を目覚めさせよ・・!》
《還るのだ・・・・我らに・・・》
波がさざめく。海に住まう者たちの密やかなささやき。淡いそれは、波を駆け登り、風に乗り、都会に住む男の耳へと伝わっていく・・・。
「・・・・?」
足を止める。が、またすぐに歩き出した。
(何かが・・・・聞こえた・・・)
男は海辺を歩いていた。愛する者に憎しみの目を向けられ、いたたまれなくなって始めた旅だった。戻るところはない。歩き続けていた。ただ何故か、いつも彼は海辺にいた。 今いるこの町は、小さな国のようだった。互いに寄り添い、よそ者に厳しい。彼は苦笑しながらもこの町を離れられないでいた。
彼の風貌も又、目を引くものだった。夏だというのに、黒い帽子、黒いコート、黒いズボン、黒い靴。手にはくたびれた鞄が1つだけ。その顔は帽子に隠れ、見えることがない。
「当たり前だな・・・・」
男はつぶやいた。嫌われることなどなれていた。いや、最愛の者に見捨てられた今、もう何も悲しいとは感じなくなっていた・・・・。
《・・・・聞こえたか・・?》
《聞こえているはずだ・・・。あいつはすでに目覚めている・・・》
《直に引き合う・・・・従妹とな》
夏の車道は暑かった。日の光が跳ね返り、彼の体を揺らしていく。1メートルのブロックごしに見える海。彼は鞄を足下に置くと、堤防の上に腕を載せた。
波が押し寄せては返っていく。どことなく懐かしく、そして憎い音。彼の目の色が妖しく光った。海と自分の何かを感じた時、海は彼から彼女を奪っていった。泣くよりもむしろ、自分が消えてしまえば・・・・そんな感情が彼を取り囲んだ。
「こ、こんにちは」
(・・・・!)
何かを・・・感じた。あの空耳と思った感覚に近い何か。それがなんだか解らないまま、彼は体の向きを道路の方へと変えていた。
声の主を捜す。道路越しには小さな文房具屋が建っている。終業式帰りだろうか、昼だというのに嬉々とした顔をした少女達が、自動ドアをくぐり抜けるところだった。騒がしい集団から少し遅れて、1人の少女が出てきていた。声を掛けてくれたのはこの少女らしい。
こっちを見て立ちすくんでいる。今にも体の向きを変えて帰ってしまいそうな緊張感がこちらにも伝わってくる。
(返事を・・・返さなければ)
強い指令が頭の中にこだまする。近づけばいいものの、彼の体は彼の意志の届かないところにあるようだった。
まだ見つめている。このまま2人とも動かないのかと思われた。まるで永遠のように、時がゆっくりと過ぎ去っていく。誰も通らず、何も起きない。
彼はごくりと喉をしめらせると、やっとの事で声を絞り出した。
「やあ・・・」
顔が自然に微笑んでいた。と同時に体を縛っていた呪縛から急に解放された。
「こんにちは、暑いね」
もう、なんの抵抗もなかった。彼はゆっくりと少女に歩み寄っていった。
少女は困惑の表情を浮かべていた。無理もない。彼は所詮よそ者なのだから。何故自分に声を掛けたのかさえ、この少女は解っていないのだろう。少しうつむくと、彼女はか細い声を彼に聞かせてくれた。
「ええ・・・・」
(彼女を目覚めさせなければならない・・・)
いまや、彼は彼の使命をはっきりと理解していた。歩み寄る足にもうなんの躊躇いもない。目の前の少女と自分をつなげる何かを、彼は感じ取っていた。
「海に住まう者は海に還る・・・・。それが・・・掟」