さらさらさら……
こぼれ落ちる砂の音が、耳元で聞こえる。
うっすらと開けた目に飛び込んでくる光は、見慣れた朝のそれだった。
軽く伸びをする。腰までの黒髪を少しなでつけると、少女は座り直した。
「今日も…このままなのかな…」
少女は、砂時計の中にいた。1日に1回ひっくり返されて1日が過ぎる。少女は決まって最後の粒と一緒に管を一往復していた。
今、砂は3分の1ほど下に落ちていた。少女は砂をじっと見つめるとため息をついた。
(一体いつからここにいたんだっけ…?)
少女はそれさえも解らなかった。永い間ここにいるということ。自分は何かが起きるとここから出られるということ。その2つだけが彼女に与えられていた。しかし後者の希望は、もう足下にある砂粒ほどに小さくなっていた。
1日中、ガラスの外を眺めている。少女は何も纏っておらず、いつも胎児のように丸まっていた。
ガラスの外もまた、砂だった。砂漠、というものである。けれど、少女がそんなことを知る由もなかった。ただ砂だということを認識していた。広大な砂のまっただ中に、彼女と砂時計はあった。誰も訪れては来ない。人はおろか、鳥もなにかの種子も、少女は見たことがなかった。
何かが起こるという予感さえ、ここにはない。
「何かって…何なんだろう」
少女は何とはなしに呟いてみた。その言葉に反応して、頭が働き出す。
自分は誰なのか。どうしてここにいるのか。いつ出られるのか…。考えることは山のようにあった。その全てをもう何度も繰り返し考えていた。その度に答えはまちまちであり、納得のいく答えが出たとしても少女の状況は何ら変わることがなかった。
ここは暑くもなく寒くもない。外では太陽がぎらぎらと照りつけているのに、彼女はなんともなかった。それどころか飢餓感も感じない。紙も爪も伸びないし、年も取ったように思えなかった。少女は変わらなかったのだ。何も。
ある時、少女はまどろんでいた。もうすぐ明け方に近いかと思われる時刻であった。世界は目覚めるためにゆっくりと身を起こし始めていた。
「ぎゃぁぁぁぁっぁぁ!!」
突然、大地を切り裂くような悲鳴が聞こえ、彼女は飛び起きた。
(何っ!?)
一体何が起こったというのか。少女の体はガラスと共にびりびりと震え、それがいっそう恐怖心を煽った。
(今のは確かに誰かの声…)
漠然とそう感じたが、少女は他人と話したことさえないので確信が持てなかった。そもそも、ここに声が届く距離に人が居るなどとは思えなかった。身近なガラスに手を当てて声の主を捜す。しかし、視界に入るものはただただ砂のみだった。
ピキピキピキ……
聞き覚えのない音が、少女の足下から聞こえてきた。周りを見回すと、透明で傷1つ無かったガラスに白い線が走り始めていた。
「出られる…の…?」
少女は不安げに呟いた。憧れていた外の世界。しかし、出られる今となっては、そこは未知の領域でしかなかった。
少女が不安に襲われている間にも、亀裂は広がっていった。軽い音がそこら中から聞かれるようになった。周りを見回すと、砂の落ちる速さがどんどん増してきている。落ちているのではない、束縛から解かれた砂が急速に下界へと流れ出ているのである。それはまるで渦のようで、少女は巻き込まれないよう必死に手近な砂にしがみついた。
とうとう、少女は砂と一緒に1つの割れ目から、外に出た。
外はまだ昏く、寒かった。少女は身を震わせ、白い腕で自分の躰をかき抱いた。
ふるえは止まらず、涙ばかりが浮かんできた。砂時計の中の安らかだった時が思い出される。少女の肌はいっそう白くなり、唇は青ざめていた。
少したち、太陽が砂の山の向こうから、やっとその顔を出し始めた。それと共に温かさがやってきた。細く途切れがちになり始めていた少女の意識は、体が温まるとに取り戻されていった。しかし、どうしたことか動けない。体が鉛の様に重かった。
少女の体は急にこの世界に適応しだし、空腹感に襲われていたのだった。しかし何も解らない少女は、ただその辛さが早く去るように、うずくまっているしかなかった。
日が高くなった。彼女の白い肌はちりちりと痛み、頭は暑さのあまり朦朧とした。喉は焼け付くように痛かったが、彼女はそれを潤すすべを持たなかった。
(暑い…痛い……もう、だめ……)
流す涙さえない少女は、心の中で叫んでいた。もう、動けない。もう、助からない。あれほど望んだ外の世界は、自分の死にゆく場所であった。
(もう…いや…)
(いやいやいやいやいやいや……)
「いやぁぁぁぁぁー!!!」
麻美は飛び起きた。心臓が早鐘のようになっている。両手は布団の端を握りしめ、指先は白くなりかけていた。
途端、今まであった記憶は乳白色の彼方に消えていった。彼女は汗をかいた自分の躰を見つめると、ほっとため息をもらした。
「…何だ…夢か……」
何の夢だったのか、もう忘れていた。ただ、とても怖かった。その為に彼女は悲鳴を上げ、その声で起きてしまったのである。
窓を見つめると、もう日が射し込んでいた。カーテンの向こうにいるのだろうか、小鳥の声が高らかに聞こえる。麻美はゆっくりとベットを降りると、学校に行く支度を始めた。
パジャマを脱ぎ、セーラー服に着替えていく。手慣れた作業だった。
「えっと…古文の教科書は…。あ、机の上か」
机の上の教科書を取ろうとして、ふと目が脇にいった。お気に入りの砂時計が割れている。それは魔女が砂時計を抱えているもので、麻美のお気に入りだった。それが前のめりに倒れている。注意深く起こしてみると、砂時計には穴が開き、魔女の鼻もかけてしまっていた。
「あ?あ…。これ、気に入ってたのに。いつ、倒れたんだろ?」
考えてみても分からなかったので、雅美は軽く首を振って諦めることにした。手に持った分を手早くゴミ箱に放り込むと、残りの破片をハンドクリーナーで吸い取る。机の上は瞬く間に綺麗になった。欠片が残ってないことを目で確認すると、麻美は急いで部屋を出た。学校に遅刻しそうなことに気付いたからだ。
学校へ向かう道を走りながら、麻美は今日見た夢を少しだけ思い出していた。
(砂時計の世界かぁ。あんなの最悪だよ…)
そう思うと、麻美は見えてきた校門に向かって走り出した…。
彼女はまだ気付いていない。この世界もまた砂時計だということに。太陽の動きも何もかも、全ては1日1回ひっくり返される砂時計の中ゆえだということに。
多くの人は何も気付かない。人間は臆病であり、いつでも中程の砂にしがみついているからだ。いつ割れるかも解らない砂時計の中で、今日も人々はせわしなく日々を過ごしている…。