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 よるの うみは とても きれい。
 しずかな ほうせきが たくさん ちりばめられている。けど わたしの きらいな いろ じゃない。うるさい おばさんの てに ある ものや でぱーとに ならんでいるのとは ちがう。
 しぜんの ゆるやかな ひかり。
 こうやって べっとの たおるけっとを からだに まきつけて よなかの うみを みているのが すき。
 せんせいも みんなも この じかんは おきてこない。わたしだけの せかい。
 わたしだけで いて ひとりが ずっと ひろがっていって へやじゅうを いえじゅうを わたしが みている きや うみや そらまでも わたしが ひろがって いく。
 たおるけっとを かぶっている あたまや おさえている ての かんかくは ゆっくりと なくなっていって わたしは かたちの ない わたしに なる。


――そう、私になる。

 私は、小さい私を見ている。
 海浜の別荘に行くと、丑三つ時にいつもしていた儀式。
 ただ、白づくめの身体になって、静かな波打ち際を見つめる。
 この、雑多な街にやって来る前の、神聖な儀式。
今思えば私は、その行為を続けることで、一日自分が負ってきた負荷の消化をし、なんとか折り合いをつけていたのではないだろうか。
 そう、あの晩までは。

 ゆっくりと宙を蹴って、私は小さな私の側から離れていった。

 ここの空は白い。
 いえ、空なのかもよくわからない。なぜなら、それは地面と同じ色をしていたし、地面と同質に見えた。球体なのかも知れない。キューブなのかもしれない。
 それに触れて確かめることはなかった。この中で、私はいつでも飛んでいた。
 時折、ベージュに近い白の中で、目立って茶色いところを見つけて、私は飛ぶのを止める。
 そこにしばらく浮かんでいると、さっきのような記憶や記憶じゃないものが、現れては再生される。それはいつも私を楽しませるわけではなくて、時に怖がらせもしたけれど、大抵はとても興味深い映像だった。
 怖いもののときは、誰かが《それは、見ちゃダメよ》と言ってくれる。それでも見てしまうのは、時折、また他の誰かが《いや、今は見るときなんだ》と強い低い声で言って、最初の女声をうち負かしてしまうから。
 そうすると、私の目はもうその映像に釘付けになって、心臓を高鳴らせながら最後まで見届けることになる。
 でも、わかってる。
 この中でどんなに苦しくても、私の“本体”は痛まない。それはそういう仕組みなのだ。

 ある時、まだこの世界に慣れていなかったとき、私は大きな鋼鉄のカマキリに出会ってしまい、それを追いかけていた。けれど、いつの間にか、私は追いかけられる側になっていて、私は死にものぐるいで走っていた。そうすると、目の前に緑色の扉が半開きになっていたので、私は矢も立てもなくそこに飛び込んだ。けれど、その時左腕を一瞬隠し遅れて、その上を鎌は悠然と過ぎていった。

 音はしなかった。

 ただ、見開いた私の腕に、白い地面に落ちる私の腕が見えた。
 白い白いと、父や周囲の人達は言ってくれていたけれど、こうしてあっさりと地面に落ちてみると、地面の白さの方が数百倍綺麗で、私の腕は汚く見えた。

――こんなもんなんだ……

 少し哀しくなった。泣きそうになった。が、まだ鋼鉄のカマキリが居るかも知れなかったから、私はその腕をさっと取り上げて、扉の向こうに逃げた。
 扉を閉め切って振り向いた瞬間、

 私は天井を見つけた。
 自分の部屋の、自分で貼った壁紙の天井だった。
 眼だけが爛々と開かれていた。
 そして思った。

――ああ、この壁紙は私の腕よりも汚い。

 その壁紙は、淡いグリーンとサーモンピンクで書かれたカントリー模様で、何年か前に父がイギリス土産に持って帰ってきたのを、嬉々として自分で貼ったのだった。
 しかし、その時の幸せは、今の感想に叩きのめされてしまった。
 気付いたら、私はベッドの上で幾度となく飛び上がって、天井の壁紙を引き剥がしていた。あっちの世界では簡単に飛べるのに、今の私の身体は滑稽なくらい重かった。
 こんな醜いパターンが、起きてすぐの自分の目に飛び込むことに耐えられなかった。
 そのうち、ベッドの軋む音を聞きつけて、お手伝いさんが部屋にまろび込んで来た。私の腰にすがりついて、「お嬢様、おやめください。御願いですから……」と泣きながら言う。
 なぜだかわからなかった。
 この人は私がこんなに醜いものに囲まれていることに耐えられるのだろうか。無視するのだろうか。
 ならば私はこの人に愛されていない。
 私にとって何がいいのか、見つけてくれない。


「あ……」
 私の中の憎悪が膨れ上がりきろうとした時、私は私が白い世界に浮かんでいるのを見つけた。
 つまり、いまのも再生画像だったのだ。
 いつでも、あっちの世界とこっちの世界の区切りは曖昧で、私はよくだまされてしまう。
 だまされないように頑張っているのだけれど、頑張れば頑張るほど、「それは違う」「それはしちゃだめ」という声が降ってくる。
 白い世界に居るときだけ、確かにこっちに居るときだけ、私はゆっくりと空を飛べる。
 けど、今は、あの憎悪の欠片がまだ私の心に残っていた。
 それは飛ぶうちに、誰かから私を呼んで欲しい、という想いに変わった。

――誰か私の名前を呼んで。
  私は誰なの? 私はどこにいるの?
  私はなんなの? なんで在るの?
  誰か、名前を、名前を呼んで……!

 強く念じてみた。大抵は答えがない。
 なぜなら、ここは私の世界だからだ。私が拡張し拡散し充満した、私独りが覆い尽くした世界なのだ。
 でも、この音はなに?
 ほら、あそこの辺りからなにかが……

「あや……」

誰?
私はこの声の主を知ってる?

 自問自答しながら、私はその声の方に近づいていく。
 行く先には、海色の地点があった。
 珍しい色。

「あや……さん……」

 声は、いまや確かにその地点から響いて来ていた。

ああ、そうだ、この海みたいな声。
私……知ってる。

 この色と、この音色。
 私は、あの人が、こんなところまで来られる人だなんて知らなかった。
 だからとても嬉しくなってきた。
 嬉しくて、赤子のように微笑ってしまう。
 手足をばたばたさせて、触れたものにしがみついてしまう。

――ああ……広くて温かい

 しがみついたところから、さざ波が伝わる。
 これは波? 震え?
 いいえ……鼓動。
そして私は、精一杯の声で、あの人の名前を呼んでみた。正確に、愛しさを込めて。

「た、か……さ……ん」




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