第2話・静かなる情熱

  「彼」は元々アメリカ人ではない。両親ともにジャマイカ生まれ、父はアメリカンドリームを夢見て一足先にアメリカへ旅立ち、母と「彼」を含む兄弟たちもしばらくしてアメリカへ渡った。小学校に転校したとき、先生にバスケットボールを教えてもらった。彼は身長がとても高く、運動神経もよかったのでみるみるうちに上達していった。母は看護婦として家族のために懸命に働き、「彼」も一生懸命勉学に励んだ。真面目で誠実な性格で、優しい心を持つ好青年だった。成績もよく、やがて彼はバスケットボールで近所でも評判のプレイヤーになった。高校に入ってからも「彼」の成長は止まらず、ついに身長は213cmにもなりインサイドで脅威的な支配力を発揮し始めた。相手をブロックし、リバウンドをもぎ取る。オフェンスでは味方のシュートミスをフォローしダンクシュートやティップインで得点にからんだ。とにかく高かった、「彼」は全米でも特別なプレイヤーになりつつあった。

  他の高校の生徒たちは面白いはずがない。自校のエースがブロックされ倒れこみ、チームも向こうに「彼」がいるだけでどうしようもなかった。いつしか心ない生徒たちは彼を罵りはじめた。妬みや嫉妬からくるものだった。「お前は英語がしゃべれない」、「ルールがわかるかい?」などといった中傷的なボードが試合中見られるようになった。タイムアウトの最中、コートにバナナの皮が投げ入れられることもあった。コーチは気にするなと言ったものの、「彼」はとても感受性の強い純粋な少年だった。そういったプラカードをコートで見るたび傷つき、一人で泣いたこともあった。しかしそんな厳しい状況を支えてくれたのは他ならぬ家族だった。母は「そんなことで負けちゃいけない、プレーあるのみよ」と励まし、そんな家族やチームメイトたちの暖かい言葉で彼は再びコートに立った。もう以前のようなことはなかった、「彼」はチームを州優勝へと導き文句なしに全米でも屈指のセンターに成長した。

大学時代はさらに素晴らしい活躍だった。もはやインサイドで「彼」を抑えこめるセンターは誰も存在せず、「彼」が率いるジョージタウン大は破竹の快進撃で全米カレッジの頂点へと上り詰めた。そして自身のキャリアも頂点に上り詰めようとしたそのとき、最愛の母が過労で倒れ亡くなった。今までで最もショックな出来事だったと後年「彼」は語る。バスケット自体をやめようかとさえ思った。しかし「学位を取ってバスケットを続けるよう」という母の遺言を無視することはできなかった。「彼」は再び立ちあがり在学4年間でチームを3度ファイナルへ導くという前人未到の記録を打ち立てたのである。しかも大学課程もしっかりと修了し、念願の学位を手に入れた。「母さん見てるかい?」卒業式の際、天を仰ぎ2mを越す大男の目から思わず涙がこぼれた。そしてその後NBAの各チームはこぞってこの全米最高のセンターを獲得しようと熾烈な争奪戦を繰り広げた。その結果ドラフト自体のルールが変更されるという異常事態にまで発展したのだ。

1985年、ついに「彼」は世界最高峰リーグNBAに挑むこととなる。NYニックスという古豪をどれだけ復活させられるかが「彼の」双肩にかかっていた。しかしプロ入り後数年は首脳陣の度重なる辞任解任によりなかなかチームが1つに結束せず、下位を低迷することとなる。ファンはチームの核である「彼」を叩き、マスコミもこぞってバッシングを浴びせた。しかし「彼」は文句1つ言わず、常に黙々とプレイすることを心がけた。それはおそらく高校、大学時代から培った精神力からくるものであろう、そして転機は8年後に訪れた。

1992年、ニックスはヘッドコーチにLAを常勝軍団に仕立て上げた名将パット・ライリーを招聘。そしてチーム改造を大幅に行った。それまでのオフェンス中心だったチームカラーを一新、超ディフェンシブなチームに方向転換させそれがすぐに実を結んだ。「彼」を中心とするディフェンス陣は正に鉄壁と化し、その年のプレーオフでは当時無敵を誇っていたあのマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズをあと1歩のところまで追い詰めたほどである。ようやく優勝できるほどの戦力を有し「彼」も年齢的にピークを迎えていた時期でもあった。しかし勝利の女神はなかなかこの寡黙な巨人に微笑んではくれなかった。

翌年またもシカゴ・ブルズと対戦するもジョーダンの神がかったプレーの連続の前に屈し昨年に続き苦杯を舐めることとなった。その次のシーズン、「彼」は入団10年目にしてついに念願のNBAファイナルの舞台へ立った。しかしここでもオラジュワン率いるヒューストン・ロケッツに3勝4敗で破れ悲願のチャンピオンリングは目前で幻と化した。そのシーズンのオフにヘッドコーチのパット・ライリーは辞任。と同時に「強くたくましいニックス」も崩壊を迎えることとなる。しかし「彼」はここニューヨークに残り、ここニックスでプレイしてチャンピオンになりたかった。それがファンへの恩返しでもあり自分の望みでもあった。
 
その後は毎年のようにプレーオフに進出するもファイナル進出直前で敗れるシーズンが続いた。力強くゴール下に立ちはだかり、相手シュートをことごとくブロックしリバウンドを奪取していた「彼」の支配力はすでに過去のものとなり、キャリアも終焉を迎えつつあった。持病である膝の怪我ももはや歩行に支障をきたすほどにまで悪化しており、毎試合ベンチでアイシングするようになった。しかし「彼」はやめられなかった。今まで支えてくれた友人、恩師ジョン・トンプソン、家族、そして最愛の母のためにも「彼」は頂点に上り詰めるまでやめることなどできなかった。あらゆる非難やバッシングにも「彼」は言い訳ひとつせずただ黙々とプレイに打ちこんだ、それが自分の答えだと。しかし「悲運の将軍」の異名は最後まで「彼」にまとわりつくこととなった。

 1999年、ニックスは久しぶりにファイナルへと再び駒を進めた。シーズン中、そしてプレーオフでの「彼」の活躍があったのは言うまでもない。しかしコート上のどこを見渡しても最後の戦場に彼の姿はなかった。ふとコートサイドを覗くと「彼」は観客席からスーツ姿でチームメイトに声援を送り、激を飛ばしていた。準決勝の第2戦、怪我をひきずってプレイしていた彼の足に試合終了後激痛が走った。診断結果はアキレス腱部分断裂。なんという不運。自分の今までの努力はいったい何だったのだろうか。念願のファイナルへ再び辿りついたというのに自分はプレーできない。ただ観客席からチームの勝利を祈るしかないのだ。チームのインサイドリーダー、そして精神的支柱を失ったニックスはスパーズに一蹴され、おそらく最後となるであろうチャンピオンリングへの挑戦はこうして幕を閉じた。ファンのいらだちも限界にきていた。優勝できないのは「彼」のせいだといわんばかりだった。「彼」への非難中傷が殺到し、首脳陣もこの年老いたセンターに見切りをつけはじめた。

その年のオフ、「彼」は15年在籍した愛するチームからトレードを打診され承諾した。これ以上ここでプレーするには余りにも周囲の雑音が大きくなりすぎていた。昔のようなパワーもなければスピードもすっかりなくなり、往年のプレーぶりはもはや思い出となってしまった。しかしまだ優勝、チャンピオンリングをあきらめたわけではない。「プレーできる限り現役でいたいんだ」と練習後、痛めた膝をいたわりながら「彼」は力強く語った。いつか悲願を達成できる日をじっと待ちながら傷だらけのエースは今日もプレイし続ける。


「彼」の名はパトリック・ユーイング。数年後、心優しい「摩天楼の巨人」の指に輝くのはチャンピオンリングだろうか、それとも天国で見守る母の涙だろうか。

過払い金の回収ならこちら 専門学校情報が満載♪ あなたの悩み解決します
[PR] | ヒーリング会社案内 作成se 転職川口栃木荻窪池袋中国SEO対策消費者金融車 買取テンプレート沖縄旅行免許合宿二輪引越しプレゼントゴルフ会員権留学レーシックマッサージFXアフィリエイトFXホームページ制作デイトレードハワイ旅行タイバンコクハワイ レンタカーベスト ハワイ ホテル レーツバリ島Hawaii hotelsHawaii Activitiesbhhrハワイホテルテキスト広告
【運営会社「パラダイムシフト」サービス】 ハワイ現地オプショナルツアーリラックマ) - ビジネスクラス航空券 - 格安航空券(1) - 格安航空券(2) - 海外ホテル - 韓国旅行 - タイムシェア - ホテル 予約
無料ホームページ - 携帯ホームページ - 無料ホームページ作成 - レンタルサーバー - ブログ - ヴィラ - ハワイ コンドミニアム - バリ島 ホテル - プーケット ホテル - 旅行 口コミ - 旅行情報 - 国際電話 - ホノルルマラソン - 掲示板監視 - 風評被害 - ホテル比較 - ノースウェスト航空 - ファイナルチェッカー