2・就職について
さて前回の続きになるような話だが触れておこう、就職である。私を含む全国の大学生は様々な動機から入学し、そして3年生に入ると就職活動と呼ばれる多忙期間に突入する。何十社という膨大な資料をかき集め、職務内要、待遇などを吟味しながらあらゆる企業試験を片っ端から受けていく。そして人それぞれ悲喜交々いろんな思いを馳せ社会に出ていくのである。
しかし、去年の周りの就職活動を見ているとどうも納得がいかない。いったい何のために職を得るのかがかなりあやふやなまま就職先を決めている学生がやたらと多い。果たしてはっきりとしたコンセプトをもって就職しようとしているのだろうか?どうも生きるため、金を稼ぐためとしか就職をとらえていないような気がしてならない。バングラディシュ、エチオピアといった最貧国の人々は生きるため、ただそれだけのために職を得ようと必死である。世界中にホームレスやそれ以下の生活水準の人々など何千万といるし、大人にならぬ前に餓死してしまう子さえいる。我々日本人は先人の努力、地理的条件、そして多少の運など複雑な要素が絡み合い現在世界屈指の生活水準をもつ国となった。我々の場合「生きる」ことを前提にして就職を考えることができるのであり、これは考えてみればものすごく贅沢なことではないだろうか。果たして食べるため、生きるためだけのために就職を考えていいものだろうか。
私は自分が就職する際、生活していくという動機の他に何かプラスアルファの意味合いを就職に持たせたいと思うのだ。つまりそれは自己実現もしくは社会貢献という意味合いである。自己実現というのは自分が何をしたいかという根源的な問題である。言い換えれば「好きなことやって飯食っていけたらいいな」という発想である。別に私はその発想を非難しているのではない。自分の望んだ職に就けるというのは極めて幸運なことである。世の中自分がしたい職に就いてる人などほとんどいないといってもいいだろう。プロ野球選手などはスタートは必ず自己実現という欲求からである。そして「子供たちに夢を与えたい」と考えるようなプレイヤーの境地に達したとき、社会貢献という意味合いもそこから出てくるのだ。アーティストにも同様なことが言えるかもしれない
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社会貢献というのはその名の通りこの社会、日本中、もしくは世界中のために自己犠牲を払う観点である。身近な例を挙げるとすれば看護婦、警察官などである。彼らは病人のため、地域社会のため日夜身を削って働いている素晴らしい職業だと私は思う。しかし余りにも社会貢献に方に近づき、自分の中で「自己実現0%、社会貢献100%」なんてことになってしまうとそれはボランティアや単なるお人よしになってしまう恐れありである。あくまでも就職するからには最低限自分の生活を支えるくらいの収入がないとお話にならない。また自己実現100%、社会貢献度0%(本来こんな職業など存在しないが)なんてのになるとそれも虚しいものがある。なにより自分という人間を育んでくれた社会に申し訳ない。私という人間がここまで生きてこれたのは無論両親の愛情の賜物でもあるが、それと同時に日本という社会のおかげでもある。周りの人々の助力なくしては今日の私は存在し得ないであろう。その社会に対して就職を通して何か還元できることはないか、恩返しはできないだろうかと考えるのが社会貢献であると考える。
自分はこれから何のために生き、何をして過ごしていくのか。一度ゆっくりと考えてみてもいいのではないだろうか。