「ライト」5月3日→7日・GW

 

 

 

ゴールデンウィーク→5/5→子供の日=結婚記念日。

ってことで、結婚記念日でした。生まれてはじめての結婚記念日。

正直「よく持ったな」感は否めませんし、思い起せば別離の危機は月1のペースでありましたし

みんなが思うほど安寧な1年じゃなく、むしろ過酷なイバラ道でした。

なぜにそうなったのか? あまりにも家庭の事情過ぎてここじゃ言えませんが、理由は明確です。

で、今回、結婚記念日にを迎えるにあたり、このくさくさした感じを払拭しようではないか

どんな植物も根っこが腐ってたら丈夫に成長しない、いずれ死ぬ、人も然り

根底に張り巡られたこの憎悪の根を、根こそぎ殲滅して、綺麗さっぱり新鮮な気持ちで2年目を迎えましょう。ってなことをアキコに謂れたが

昨今の自分は頓にネガティブ沸々怠惰な人間だから、この提案を「ど面倒くさくてイヤイヤン」と拒否しても俺に拒否権はなく

5歳児を叱るように、諭すように、たしなめるように説得された後、

まぁそれで、それをするってか義父に頭を下げることで、まぁ、丸く納まる?んなら?まぁいいかな・・・でもやだなぁ、

俺に罪の意識が少ししかないのにも関わらず謝るのは癪だなぁ・・・けど、今後の人間関係が潤滑にいくのなら。となくなく了承。

そして陳謝完了、ちょっとドキドキした。

 

 

でも、まぁ結果的に良かった。

びっくりするほど自分の心は晴れ晴れした。アキコも晴れ晴れした。

アキコも前より優しいし、自分もゆとりができた

ようやく本当の結婚生活がはじまった気がする。

 

お祝と御苦労様の意を込めて、アキコからニンテンドーDS-Lite(激品薄)をプレゼントされた

俺がここで「(写真を撮らなくなったのは)アキコのことを好きじゃなくなったかもしれない」と書く以前から

この日の為にDSの予約をしていてくれた。悪いことをしてしまった。

お礼として右脳を鍛えるゲームソフトをプレゼント

余ったポイントで[MOTHER3]を購入

 

夢のMOTHER3をこんなに早くプレイできるとわっ、久々に生きてて良かった感を味わえた。

 

 

 

 

明確には

 

 

 

 

 

 

 

「ガリガル」5月1日

 

夏並みに気温が高かったので、午は職場付近の公園のベンチの上でコンビニのおにぎりを食べた

「高菜」「梅」「シーチキン」の順で食う

当初は「高菜」「シーチキン」「梅」の順で食おうとしたが、

「梅」のスッキリした味わいでフィニッシュを迎えるのは、常識過ぎてつまらない、合理的すぎて面白みにかける

俺は竹を割ったようなさくさくした気質の「粋」よりも

放置し過ぎて液化した納豆のような気質の「固執した野暮」の方が人間味があって好きなので

あえて、あえて「梅」をセカンドおにぎりに配置して、フィニッシュシーチキンを志す。

というのも、シーチキン特有のもったり感を最後にもってくることにより

食後のデザートとして用意したガリガリ君のよりガリガリさや、シャリシャリ感を一層引き立てられると加味した上での配慮

この一連のおにぎり並べも、言わばより美味しくガリガリしたいための布石/伏線であり

せっかく暑いのだし、屋外だし、ここで食うアイスは格別だろうな、うっほい愉しみ

さてさてつっておにぎりを剥き、食べ、食べ終わり

コンビニの袋からガリガリ君(ソーダ味)を取り出し、封をあけ、棒を持ち上げた途端、崩壊そして落下。

長くおにぎり食べ順を考え、かつ、コンビニから公園まで結構時間がかかったせいで、

太陽光を浴びたガリガリ君はコンビニの袋の中でくずくずになってしまい、

俺の目の前でもろく崩れ落ちてしまった、矢吹丈のように膝から崩れ落ちてしまった

水色の物体がコンクリートの上でじわじわ溶けている。

虚脱した顔で、かろうじてアイスの棒に引っ掛かった生きてるガリガリ君っつーか半分溶けてシャリシャリになったシャリシャリちゃんを口の中に放り込み

口の中でシャリシャリちゃんをシャクシャクしながら、目は足下の死んだガリガリ君を見つめ

当初の計画通り、シーチキンのもったり感はガリガリ君によって払拭されてはいたものの

なんか虚しさばかりが俺を包み込み、こんなはずじゃなかった、もっとハッピーになるはずだった・・とうわ言をいったあと

おもむろにコンビニ袋に手を突っ込み

袋からガリガリ君・THE・セカンド(ソーダ味)を取り出して、今度は落とさないようにして上手に食べた。

美味♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「脈」4月30日

【 葉脈 】

 

 

 

 

気がつけば植物ばかり撮っている、むしろ植物しか撮っていない

街路樹、雑草、植え込みの花、路肩の花、幹、葉、葉脈

これらを被写体として捕らえると、心が落ち着いて安堵感をえる

空や雲やビルや人気のない空き地、以前よりも撮る量が増えた

それと反比例して人物を撮らなくなった。アキコを撮らなくなった。

結婚して一緒にいる時間が増えてアキコと会うことが特別じゃなくなったからか?

空気のような存在になって俺の目に映らなくなったからか?

それともアキコのことを好きではなくなっからなのか?

理由はわからないが、特に意識せず、自然自然とアキコを撮らなくなったのは事実

アキコのみならず、ほとんど人物を撮らなくなった、撮れなくなった

ファインダーに人物を収め、シャッターを押す瞬間に不快感を覚える

色々誤魔化してやってきたけど不快感や、何か違う感、違和感を拭えない。

煩わしいんだ人間が、いや、人間関係が煩わしい、んだと思う

今はそっとしておいて欲しい、放っておいて欲しい、のだ、のか? のだ。

半分は本音で、半分の半分が我がままで、残りの半分の半分は嘘

自分は逃げてるという指摘から逃げて物言わぬ植物を撮る

人の気配を感じない風景を切り取って、その画像の中に自分を放したい。

もう限界かもしれないっすね、いろいろと。

つっても、まぁ、だだらに日々を重ねていくんだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「咳」4月29日

【 病床タクティクス 】

 

 

 

嫁の実家へいって結婚式に備えての親類巡りをする予定だったけど

とてつもいなく行きたくないな、ってのがホンネ。

風の噂では、会ったこともない親戚から嫌われているって聞くし

身に覚えの有ったり無かったりする悪評が流布していて行きづらい、生きづらい。

自分はそれなりに一生懸命やってるつもりだけどな、やだな。行きたくないわ。

んでも、そーともいってらんないのよね、ちゃんと挨拶することで潤滑に成る人間関係ならそれはそれでいいじゃん

とはわかってても心では悪意に満ちた言葉を羅列している自分

親類回りをするのは義務であり、礼儀である。いち社会人として当然の勤め也。と思えば思うほど

懇々と咳が止まず、次第エスカレートしていき

ここ1週間、体内に滞在していた咳咳コンコンウイルスが、増殖の一途を辿り

静岡市内にいるはずの予定時刻に自分は、自宅のお蒲団の上で喘いでいた。

 

 

「あーあ、やっちゃったな」

昼過ぎに目を覚まし起き抜けに反省

「またアキコに怒られるんだろうな」

窓の外は曇天で、居間にも雨が降りそうだ、あっ降ってる

何時間寝たかわからないけど、久々に眠った、寝っちぎった

そのせいで頭の奥ががんがんと痛む、口の中がからからだ

台所で水を飲もうと立ち上がるとふらふらする、節々が痛い、

ゴホゴホゴホ、ゴホゴホゴホ、

やばいタイプの咳、明らかにそれとわかる咳、咳が止まんよゴホゴホゴホ

熱は38.5℃、けっこうあるね。

「なんだ、俺、大丈夫じゃん」

これだけ風邪ってたら静岡に行けないとしてもしようがない気がしてきて、軽く心救われ

ズボンだけ履き替えて、小雨降る中、近所の薬局へ行き風邪薬を購入し

スーパーで飯と、ビタミンCを摂るため紙パックに入った1リットルのオレンジジュースを買って帰路

帰り道は雨が止んでいた。

 

 

居間の丸ちゃぶ台の上で飯を食い、薬を飲んで、横になるとまた眠った。

なんだか嫌な夢をみた気だけがする

目を覚ますと時刻は21時を回っていたが、居間は6時間前となんにも変わっていない

飲みかけのオレンジジュース、弁当の空き箱、半分食べたポップコーン、本棚の本・・・

それらをすべて電燈のオレンジ色が包んでいた。

いつまでも引きちぎれないのは孤独感

 

 

 

薬が効いて咳の数は減った。

死にたくないから風邪を治すのか、明日の仕事のために風邪を治すのか

 

 

 

 

 

 

 

 

「微熱」4月27日

 

 

 

 

今日1日で1番嬉しかったことを思い返したけど、何も嬉しいことはなかったよ。

さして取りあげるほど嫌なこともなかったし、悲しいこともありませんでした。

 

今日も平和だ、平和か?平和だよな。 

 

強いてあげるなら、吉田拓郎の「高円寺」という唄が格好良かった。

久々にブルーハーツのチェインギャングを風呂場で熱唱したらスカッとした。

それは嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「抱負」4月24日25日

【 24-26 】

 

 

 

この2、3日のうちに、アキコは24才になり、自分は26才になった。

この2、3日のうちに、はじめまして、タクロウです。でこれがアキコで、この子が葉ぐみです。つって

バータンの娘とお会いした。ちっさくてふにゃふにゃだった。懐かしく思う。それにしても良く寝る子だ。

そしてひさびさに高円寺の友達達と合う

みなそれぞれご陽気に酒をのみ、ケラケラ笑いあっていたけど、

心の片隅に悲しみがあるように感じた。瞳の奥に各々が抱え込む諸事情を見た。

みんな悩んで迷って生きてらぁ、大人だな。俺もだけど。

 

翌日は銀座にいってアキコに高級鞄を買う。誕生日プレゼント。

博品館(銀座の有名玩具屋)でデュエルマスターズ18弾ブースターパックを自分に2つ買う。誕生日プレゼント。

近所の本屋で「ハチミツとクローバー」現状全8巻を自分に買う。誕生日プレゼント。

これらをスライド式の本棚(誕生日プレゼント)に並べてしまう。おほほほほ。よい気分。ゆめ気分。

 

月曜日は残り2個しかない貴重な有給を1個使って休む

そうして、かねがね行ってみたいと切望していた『三鷹の森ジブリ博物館』に行く

ジブリ最高、博物最高

子供の頃に感じたワクワクかん、カムバック。博品館で感じたワクワクかん、カムバック。

屋上の空中庭園にはロボット兵がいるんだぜ!

はぐはめいに似ているね。

 

 

そんなこんなで自分は26才になった。

ふと「四捨五入したら30じゃん!」と思ったけど

よくよく考えると25才も四捨五入したら30才だ。丸1年気付かなかった。

 

今年はどんな1年になるのか。初夏には結婚式があるし、葉ぐのはじめての誕生日もある。

それに「はじめまして、タクロウです。でこれがアキコで、この子が葉ぐみです」つって

亀ちゃんトコの娘さんとお会いするだろうし

来年の春には個展もしたい。

結局は自分次第。自分が自分であるために。

 

 

尾崎豊が死んだ年齢「26才」、彼の命日に自分は26才になった。

 

 

自分が自分であることは簡単だ。ただ生きていればよい。

だけど、理想の自分に近付くには努力しなくてはならない。

この2年来、俺は俺が思う俺に近付けただろうか?

近付いてはいない、むしろ後退している

雑務を立てにとり妥協していていた、手を抜いていた、誤魔化していた

それどころか俺が思う俺の難易度を下げて、到達したと錯覚して満足していた。

「これでいい」とか本気でちょっぴり思ってた自分がいた。恥い。ごめんなさい。

アキコから「明るく幸せに」を半ば強引に26才の抱負として掲げさせられたけど

25日内は変更可能なはずなので急遽抱負変更、

『自分は自分の思う自分に成る』をかかげ26才を歩む。歩みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「角っこ対策」4月17日

【 丸ちゃぶ 】

 

 

 

生後9ヵ月となり、突然、娘はぐみがコンスタントに掴まり立ちをはじめ、活発に部屋中を動き回るので

フィギュアや小物、触られたらまずいもの、「小児の手の届かぬところに保管してください」と注意書きのあるものなどを

いちいち全て高いところに置いて、事なきをえようとしたが

元来、ってか引っ越して1年なんすけど、まぁどっちでもいいや、ともかく、ともかくね元来

拙宅では収納ボックス、本棚、テレビ台などの収納箇所には全て中身が見えぬように布で覆い

ちょいと小洒落た感を醸し出していたのですが、今ではこの布も危険

件のハグハグヨチヨチ探検記に突入した為

誤って引っ張って、布の上に置いていたものが雪崩のようになって落っこちてきたら大事

こらぁ根本から部屋の模様替えをせないけんな、つって、部屋の模様替えを執り行う。

 

思いきって箪笥を寝室へ、そして先日購入した大量の本を収納できるよう工夫されたスライド式の本棚を寝室から居間へチェンジ

居間と台所の境界線には、トイザらスで購入した小扉を設置して葉ぐの侵入をシャットアウト

そして収納箇所は従来の布式を取り止めて、丸見えても綺麗に見えるように努力する

幸運を呼ぶ風水の陣を崩さぬように模様替えを終えて残るは、テーブル、問題はテーブル

そう、これ、悲しいけど、これ四角いのよね。

今まではこれで充分だったし、冬は炬燵として活躍したけど

位置といい、高さといい、角度といい、完璧に計算し尽くされた葉ぐの頭打ちポイントが計7箇所以上あると想定されるので

四角テーブルは冬用ということで1つ納得して、思いきって飲み込んで

角のない丸ちゃぶ台、夢の丸ちゃぶ台を購入しに街へ出たところ

近所の骨董屋でさっそく発見、掘り出し物、3500円。

 

 

 

意気揚々と持ち帰り、四畳半の居間の中央に置く

とても素敵、丸い、丸い、角がない

畳と丸ちゃぶ台の調和、リバイバル昭和

これこそ和であり、お茶の間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しみ込む」4月13日

【 葉桜 】

 

 

 

 

 

自分に素直に生きると、おおかた崩壊するんだろうな。

それでも素直に生きるべきか、それとも抑えて生きるべきか

人生としては素直に生きた方が面白いだろうけど、「面白さ」と同量の苦しさも伴なってくる

逆に抑えて生きると、安定、平穏は続くが、心が苦しくなってゆくゆくは破裂し、往々にして崩壊すると思うので

じゃったらば素直に生きた方がいいじゃん、って思う

 

 

桜散って、葉が茂って、葉の蒸散作用で空気中の水分濃度が上がり、その水分がアスファルトにしみ込む匂いがする

夏の匂いがする

 

 

 

 

 

 

 

「傍ら」4月12日

 

 

 

アキコが実家に帰ってウエディングドレスを決め、案内状を拵えている傍ら

俺は肉と麺とパンばかりを食べて、ひどく栄養が偏り、

野菜が全然足りていないせいでお通じも滞る、傍ら

毎夜毎夜イラストレイタを立ち上げて「てぬぐい」のデザインに四苦八苦し

昨晩、デザイン完成度が100%に達し、わっしょいと喜んだ後、

まじまじとそれを見て、つくづくよい出来だ、と己の仕事を誉める俺の心の傍らで

んでも結婚式と縁も所縁もないデザインになったな、全くもって結婚式関係ないわ

ものを作るに至ると、我が我がなるのは俺の悪いくせだけど、結婚式関係ないを差し引いてもよい出来だ

他人はどういうかわからんけど、酷く荒れた昨年の暮れから徐々に穏やかになっていく現在の俺模様がありあり出てるっちゃぁ出てる

フォトショップを使うと荒んだ部分が出て、イラストレイタだと穏やかな部分がでるなぁなんて思い

じゃぁつって、意識的に完成度100%を90%に落とし、左上部と左下部の甘い部分をもう一度煮詰め

薄暗い部屋でかちゃかちゃPCを操る、家でも職場でもPCばかりだな、これも因果か?

傍らには俺の枕が転がっていて、その傍らには毛髪と、ティシュー団子が転がっている

トランクス、シャツ、漫画、商品券、ビールの空き缶が部屋のところどころに散らばっていて

これらを全て線で結ぶと不愉快な幾何学模様になるのではないだろうか?どうなの?しらん。

栄養が足りないらしく、アロエは力を振り絞って花を咲かせ

栄養が足りない自分は、身体の恥ずかしい部意が赤く腫れ上がる。

 

 

 

 

 

 

「昼休み」4月10日

 

 

 

生きとし生けるものはいずれ死ぬ

人も死ぬ、猫も死ぬ、犬も、猿も、雉も、海も、空も死ぬけど、俺も死ぬ

小学校低学年の頃に「自分はいずれ死ぬ」と聞かされてから現在に至るまで、

半年に一度は不意に「自分はいずれ死ぬ」ということを思いだす

始めて知った時は恐くて眠れなかった、今は恐くない、といったら嘘で、継続して恐い

はたして何が恐いのかはわからん、漠然と恐い、死が漠然としているから恐い

死んだら自分の存在が消える、恐い

死んだら今まで築いてきた人との繋がりが全て断ち消えてしまう、恐い

 

昨晩もそんなことを考え、布団の中でふるふるしていると「死」に対して新たな考えが芽吹いた

取り合えず確実に訪れる「死」を受け入れる方向で物事を考え

むしろ不死はいやだな、未来永劫生き続けるのは一見良さそうだけど、

自分以外皆死ぬのを見届けなければならない、そらしんどい、というムードを充満させ

不死はない、「死」あってこそ人は一生懸命生きれるのだ

造花より命ある生花の方が綺麗、儚いからね。と思い込み、ようやく「死」ありきを受け入れる

「自分はいずれ死ぬ」ということを飲み込むと、不可思議なことに気がつく。

例えば、

明日世界が滅亡する、確実に滅亡する、そうさね、具体的に言うと、空から巨大な隕石が、って、ベリー安易な発想だけど

別になんだってよい、地球爆破、太陽激突、大陸を飲み込むアクアラグナ、なんだっていい、巨神兵が復活して火の七日間が明朝から起こるでもよい

とにかく確実に人類が滅亡するとわかったら、多分、ほとんどの人間は無茶苦茶やると思う

げっつ快活に生きこますと思う、中には犯罪を犯す人もいるだろうけど、

どうせ明日になったら巨神兵がくるし、王蟲もくるしで皆死ぬのだから、構わんよって、めちゃくちゃすんだろうな、ってのは容易に想像つく。

このどこが不可思議なん? 別に普通じゃん、B級映画にいかにもありそう、ってかそんなことよりも毎日日記更新しろボケあるいわアホ

と、おっしゃりたい気持ちは重々承知ですが、俺はこの滅亡前日の人間の有り様が少し不思議に思う

人の平均寿命が80年だとして、今は25才、単純計算で残りの人生おおよそ55年

仮に隕石も、巨神兵も来なくて、世界が滅亡しなかったとしても、どちらにせよいずれ自分は死ぬ

まぁ明日死ぬ、それも人類全員死ぬ、っつわれたら変なテンションになって無茶苦茶したい気持ちはわからんでもないけど

じゃぁなんで俺は、55年後には死ぬ、おそらく死ぬ、って思っても無茶苦茶しないんだろうか?ってのが本題。

55年という年月をリアルに考えられないからか?

それとも「55年もある」って余裕ぶっこいているからか? 

その俺の心が上手いこと掴めない

仮に「明日死ぬ」って思うと、先にも述べたように無茶苦茶するし、滅茶滅茶いろいろ後悔の中で死ぬと思う

「来週死ぬ」でも「来月死ぬ」でも「来春死ぬ」でも同じだろう

じゃぁ3年後は・・・・微妙、じゃぁ30年後は?

55年後と言って安心している自分は、果たして何年後だったら焦るんだろうか

悔やむんだだろうか

いつ、あの時ああしときゃぁ良かったって思うんだろうか

その時思う「あの時」はいつなんだ? 今なのか?

 

 

「明日死ぬ」ことも「50年後死ぬ」ことも、結論は同じ、いずれ死ぬ

ただ死ぬまでの尺度が違うだけ、気付いた時はいつも手後れ。

小さなことに気を揉んで、心をすり減らしている自分が馬鹿らしく思えてくる

ほんと、つまんないことばかり気にして生きている

正しいのか?これは。

いつかの自分は今の自分をどう思うんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

といったことを昼休み、会社の同僚に言ったら、中学生を見るような目で見られた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忙」4月7日

【 ナルコ 】

 

 

 

「仕事が忙しい」とかよく言うけど、これはほんとに使える言葉だってのを最近身に染みてわかる。

「仕事が忙しい」「忙し仕事」「忙しい・・忙しい・・仕事が忙しいでおま。」

とりあえずそう言ってら、大体の面倒ごとは回避できるし、

「仕事が忙しい」→「結構働いている」→「銭を収集している」→「身を粉にして核家族の生活を支えている」と相手は勝手に思ってくれて

俺の社会的地位も自然に上昇、お株も上がる

だから、相手はそんな頑張りの権化俺に対して、執拗に面倒ごとを押し付けなくなるし

また、そんなに忙しいのにも関わらず俺は俺の偽善と策略を盛り込んで、その面倒ごとを引き受けると

相手はただ単に「引き受けてくれた」という恩赦の心にプラスして

「仕事が忙しいにもかかわらず」が頭にくるわけだから、倍以上感謝する、またしても俺の株が上がってしまう。

けつけつけつ、つかえるな、使えるよ、って「仕事が忙しい」

 

 

 

でも、まぁ、現実の所、正直仕事は忙しいし、働けば働くほど銭が集まるけど

固定給じゃないから、働かなかったら全然銭が集まらない。

それにさ、結婚式もあるからいつも以上に銭収集せにゃならんし

かといって毎日毎日遅くまで働き、己の時間は欠落、家に帰っても明日に備えて即寝る生活が続くと

「俺の時間がない。俺は何の為に生きているんだ。自由ってなんだ、幸せってなんだ」と心が病む。

すぐに中2病、思春期カムバックになるから、あるていど自分の時間を確保しつつ

結婚式の準備、および「てぬぐい」デザインに時間は消費され鬱鬱する。

不意に閃く「あっ そうだ! 何もかも殴り捨てて関西地方に逃亡すればいいんじゃね?」という毒アイデアを

理性と社会性をフル動員して鎮圧させる。

 

ともかく「仕事が忙しい」のは事実で、まぁ身の丈に合った生活だけど、

3歩退いて全体を眺めると、なんだか小さく纏まっているように思えて情けなく思う

無性に情けなく思う。

小器用には生きれんな。

 

 

 

新しい日記旧い日記