2001年12月10日(月)

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第五回 算数・数学むかし物語の旅 高木貞治ツアー2

高木貞治博士記念室

 糸貫町福祉センターという建物の中に「高木貞治博士記念室」がある。小さな部屋に高木貞治関係の資料が展示してある。貞治の両親の写真や子どもの頃の習字、大学時代のノート、東大での講義ノート、貞治の書籍などが展示してある。




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高木貞治の自筆の・・・


 左の写真は、高木貞治10歳4ヶ月のときの書であるそうだ。10歳とは思えない達筆で驚いてしまう。貞治の筆の素晴らしさもそうだが、こういうものがちゃんとこうやって保存されているというところに、貞治を育てた野上先生や家庭の環境というものがしのばれる。

 左下の写真は、「ウイルソンの立体幾何学」を翻訳したものらしい。和紙に筆で書いてある。空間の中の平面には細い平行線でまるでスクリーントーンを使ったみたいに平面が書かれている。よく見ると筆でフリーハンドで書いてある図なのである。

 右下の写真は生物のノートであろうか。植物の茎の内部構造がきれいな色つきの図画描かれている。これも貞治が自分でかいたものだ。

 こういうのを見ると、高木貞治はかなり几帳面な人らしい。大学時代に見た数学の先生たちは、こういうふうに几帳面な人とかなりずぼらな人と2種類いた。それでもこと数学に関してはおおむね几帳面であったなあ。あたりまえかもしれないが。






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貞治の時代

 中学時代の貞治が中学時代に学んだ代数学の教科書は「藤沢利喜太郎」によるものであった。東大時代の写真があって、その中心にどんと座る偉そうな黒髭のお方が「菊池大麓」で、その隣のもっと偉そうな髭の外国人の隣に「藤沢利喜太郎」が座っていた。若くていかにも切れそうな先生である。

 日本の数学教育の基礎を築いた2人であるが、数教協の量の理論からすると、打破すべき基礎であったのだ。しかし日本に西洋数学あるいは数学教育の基礎を築いた功績は大きいのだろう。本でよく見るこの2人の顔を始めてみることが出来たと同時に、こういう人たちに数学を教わったのだなあと、なんとなく感慨深い。






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