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「取れたて」創刊10周年記念

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いろいろと思うことなど

平成3年卒 たんちゃん


1.はじめに

 はじめまして。私は「とれたての定理です」第1巻の作成に少し携わっていた者です。もう10年も前のお話です。高校卒業後、大学の理学部に入り、化学系の大学院の修士課程まで進んだ後、現在は会社員。研究開発職ではないので、今や数学を使うことがほとんど無くなってしまいました。(算数は結構使うのですけれども。)そうそう、「素数」だとか「二次方程式」という代物にもお目にかからなくなりましたね…。

 しかし、数学に代表されるような論理的な思考力というものは常に要求されています。さらに今、強く感じるのは「言葉の重要さ」です。日本語をしっかり使う事の難しさを日々感じています。いろいろ起こる混乱やすれ違いは言葉の定義のあいまいさに由来することが多く、言葉の定義をはっきりさせるだけでもずいぶんすっきりするようです。そういう意味では数学というのは「美しい言葉」なのかもしれません。

 現在、私は会社では知的財産関係、特許関係の仕事をしています。これは、技術者の人が考えたアイデアを特許というかたちで保護するための色々な手続きをするという仕事です。良い特許をとるために、特許庁や、特許事務所とのやり取りをしています。

 皆さんの普段の生活ではあまり「特許」というものは関わってこないと思いますが、最近は新聞などのメディアにも取り上げられています。しばらく前は「ビジネスモデル特許」などというものも脚光を浴びて、世の中を騒がせていました。今回、特許のおはなしや、思うことなどを、エッセイのような形で「とれたての定理です」に投稿致しました。第1巻発行から10年、はたして自分はどこに居るのか…

2.特許のお話

 「特許」に代表される知的財産権(特許の他には、例えば意匠、商標といったものがあります)とは、一言で言えば「私が考えたことを勝手に真似ることは許しませんよ」という権利である、ことになるでしょう。

 日本の特許法では、発明を、
 「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」
と定義して、この発明が所定の条件を満たせば、その発明に対して特許権というものを与えることになっています。このような特許権を得た人は、特許権の続く期間内において、独占的に発明を実施することができます。この「独占的」というのがミソで、これによって他の人が勝手に使うことができなくなるわけです。

 このような制度を設けることで国は発明の促進や産業の発達を図ろうとしています。
 「それって逆じゃないの?」という意見が聞こえてきそうですね。

 確かに他の人が自由に使えなくなる、というのは発明の促進とは逆方向のようにも見えます。でも、人が知恵を絞って考え出した発明のようなものに対して何も見返りがなければ、人は発明をしようという気になるでしょうか?

 特に、後から他の人が勝手に真似することが許されるような場合、苦労して研究開発するよりも、誰かの発明を真似する(「パクる」なんて言葉もありますね。)方が楽だと考える人が出てきても仕方がありません。結局は産業が発達しなくなってしまうおそれがあります。

 そして特許のもう一つの大切な側面として、「独占的な権利をもらいたいという人は、きちんとその発明を公開すること」ということがあります。日本の特許庁において、審査がなされ、特許として認められた場合、特許公報というものが発行されて公にされます。他の人はそれを見て、「これは良い発明だ」と思ったら、その特許権を持つ人に、「お金(使用料)を払いますので使わせて下さい」と申し出て、使わせてもらうわけです。

 特許制度が無ければ、発明をした人は、他の人に真似されないように、せっかくの発明を隠してしまうおそれもあります。世の中に発明が公開されず、更なる技術進歩も望めなくなってしまいます。

 特許制度があるために、発明の促進が図られる、さらには、それが産業の発達につながる、ということはお分かりいただけたでしょうか?

 アメリカにおいては、特許(英語では "Patent" 「パテント」)というもののあり方を見なおし、より特許権というものを大切にする方向で進んできたため、技術開発のスピードも上がり、しばらく前の好景気につながったのだ、という説もあります(今はその好景気もコケてしまいそうですけれど。)。

 ちなみに、特許権を重視する方向を「プロパテント」と言います。逆は「アンチパテント」。そういえば、「アンチ巨人」なんて言いますね。

 「とれたての定理です」からずいぶんと離れたところへ来てしまったようですが、意外と特許の世界は身近に迫っているかもしれません。理系にすすむ皆さんの中には、将来研究者やエンジニアになる方もいらっしゃることでしょう。そこで考えたこと・仕事の成果が特許として扱われることになるとすれば、そんなに遠い未来の話でもないでしょう?

 実際、すでにアメリカでは、大学の研究者と、企業とが手を組んで、研究を進める例や、大学の研究者が自分の研究成果を特許権として権利化し、それを企業に対してライセンスすることで、利益を上げている例があります。

 日本でも、大学の研究成果を特許化して、企業に対して技術移転を進めようという動きが始まっています。

3.それで今、考えていること

○特許制度は今のままで良いのだろうか?

 特許制度というものはその起源が700年以上前のヨーロッパにまで遡る、とされています。今までのところは、とりあえずはうまく機能してきた、と言えそうです。

 見方を変えれば、特許制度は全体の技術的な進歩のために、特許料を支払うことができる経済的な強者、あるいは特許を保有する強者に20年間の優位を与えるという制度、とも言えます。経済的な強者等に時限的な優位を認めないと全体の停滞を招く、という考え方です。しかし、グローバル化や技術の進歩が著しい現代において、経済的な強者等に20年間の優位を与えることが適当なのかどうか、考えるべきであると思われます。

 ちなみに、このようなところにも南北問題は現れています。一般的に先進国は特許など知的財産権の保護に熱心です。また発展途上国は先進国が知的財産を独占することで、経済的な格差を助長している、という意見を持っているようです。

○自由なサイエンスと特許との共存はできるのだろうか?

 大学と企業の協力関係が進んでいるということは先ほども述べました。  今や自由な科学者たちの楽園は消えつつある、と言えそうです。自由でオープンな情報のやり取りや議論による科学の進歩の代わりに、閉鎖的なスピード競争と独占による科学の進歩が21世紀を引っ張ることになるのかもしれません。

 そして、「役に立たない」研究は行われなくなる可能性が高い。特許の世界では、「役に立たない」ものには価値が無いのです。(ヨーロッパ由来の制度ということで、その裏に一神教的な価値観が有りそう。)

 特許による独占や競争という経済的なインセンティブによる研究開発が進められる一方で、コンピュータソフトウェアの世界では「Linux」に代表されるようなオープンソースソフトウェアや、フリーソフトウェアについて、世界のプログラマーがボランティアで貢献している例もあります。これをビジネスとして成立させるための模索が現在も続いている状況ですが、ビジネスとは別に、そこには通常の経済的な競争原理とは異なる動機付けなどが働いているようです。

 この辺に、何らかの突破口がありそうな気がするのですが…

○科学者は何をすべきか? 科学者に何をすべきか?

 「役に立つかどうか」という視点から独立して、サイエンスには「喜び」があるはず。サイエンスには「おもしろい」と思う興奮があるはずです。今までのアカデミズムはその側面からの成果を社会へ還元する努力を怠っていたように思われます。これから科学者・数学者になろうとする方は是非、その興奮や面白さを私達にも分けて下さい。

 ちょうどこのような「とれたての定理です」といった場もあることですし!  またその一方で、数学を含む科学の世界において、発明や発見、貢献をした人に対して、私達や社会はどのように報いるべきなのでしょう?また、逆に発明・発見をした人は何を求めてしかるべきなのでしょうか?
 それは「名誉」でしょうか?
 「経済的な報酬」でしょうか?
 「特許による独占」でしょうか?
 それとも、それ以外の「何か」なのでしょうか?

将来、あなたが定理を発見したらどうしますか?

4.おわりに

 前節はまだ答のない問いで終わってしまいました。分かりにくいお話になってしまったかもしれませんが、それは私の筆力の無さによるものです。また、粗い説明になったので、詳しい検討や、自分の意見をしっかり述べることも出来ませんでした。

 実は、特許という枠組を超えた、次のような過激な疑問も持っています。これも難問になりそうです。

○知的財産を「私の」「財産」と言うことができる根拠は何なのだろう?
○あなたがある定理を発見したとして、それは「あなたのもの」になるのだろうか?
 純粋な科学・数学のお話ではなく、学問と社会の関わりあう領域のお話になりました。こういう世界もあるのか、悩んでいるのね、と思っていただければ幸いです。

 それでは皆さん、良い高校生活を!




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