M先生: 昨日は「偶然的な事象」と「必然的な事象」の違いを考えて、これから学習する「確率」によって考察する対象となるのは「偶然的な事象」についてであること、偶然に左右されるようなことに対しても、回数を大きく取っていくと、ある事柄が起こる比率がある一定の値に近づいていくこと、その近づいていく値を「確率」と考えること、「確率」を使って予想することが実際に起こっていることなどを見てきました。
M先生: 昨日の話の中で、10本中3本の当たりが入っているくじの話がちょっとでましたが、このくじを引いたとき、起こりうるのは、「あたり」か「はずれ」の2つしかないので、あたる確率は 1/2 であろう・・・ということを、私が言ったら、誰かが、それは違う、3/10 が正しい、ということを言ってましたね。これはどういうことでしょうね?
・・・生徒、ちょっと困った顔をする・・・
生徒1: 確率は、場合の数を全体の数でわったものだって、中学校で習った
M先生: そうだろうか? だって、昨日は、「確率」というのは、偶然に左右されることにも現われるある種の規則性で、回数を多くすると起こる比率が近づく一定の値を「確率」というと確認したことと、どういう関係になるのだろうか?生徒2: 同じものになる!
M先生: 割り算して得られる数値といっぱいやったときに近づく値とじゃ、言葉だけとってもちがうもののような気がするけどなあ・・・
生徒2: じゃあ、違うもの!
M先生: 「じゃあ」じゃなあ・・・
M先生: 3/10だろうか、1/2 だろうか? どっちだか聞いてみようかな。
M先生: じゃあ、どうして 1/2 はだめなんだろう?
生徒1: 10本のなかに3本しか当たりがないのに、半々っていうのは変だ!
M先生: じゃあ、どうして 3/10 なんだろう?
生徒2: だって、10本中3本だから・・・
M先生: 10本中3本だと、どうして 3/10 となるのだろうね?
生徒3: だってそうならった・・・
M先生: そうかあ、じゃあ、授業で死ねといわれたら、理由もわからず死ぬんだな君は・・・
生徒3: そんなことはないけど・・・
M先生:
じゃあ、場面を変えて、10円玉のときはどうだろう?
10円玉を投げるとき、表か裏かの2通りで、表が出る確率は 1/2 だし、
くじのときには、「あたり」か「はずれ」の2通りで、「あたり」がでる確率は 1/2
となりますね。どちらも、同じような状況になっていて、同じ理由で 1/2 と言っているわけですが、君たちは、上はOKだけれども、下はダメなんだね。どこが違うの?
生徒4: くじのほうは、10本中あたりが3本しかないから、当たりは出にくいけど、10円玉の方は、どちらも出やすいとも出にくいともいえない。同様に確からしい。
M先生: 今、「同様に確からしい」という言葉が出たけど、この言葉、中学校で聞いたことがある人何人ぐらいいます?
・・・聞いたことある 23人M先生: おお! 去年はねえ、聞いたことがある人がクラスに2人しかいなかったよ。今年の1年生は優秀なのかもしれないなあ・・・
M先生:
さて、10円玉を投げるときに、表が出るのと裏がでるのと2つの場合が考えられるが、この2つの場合は、「同様に確からしい」のでしょうか。?
10本中3本のあたりの入っているくじの場合、あたりがでるのとはずれがでるのと2つの場合が考えられる。この2つの場合は「同様に確からしい」のでしょうか?
M先生: 全員が同じ意見のようですねえ。どうして10円玉を投げるときには同様に確からしくて、くじのときにはそうではないのでしょうかねえ。
生徒1: くじは10本中3本があたりだから3/10で、半々ではないから。
M先生: 3/10という数は、いったい何なのでしょう?
生徒1: 確率です。
M先生: 偶然に左右されるようなことに対しても回数を大きく取っていくと、ある事柄が起こる比率がある一定の値に近づいていき、その近づいていく値を「確率」と考える・・・というのが「確率」だったわけですが、どうして、3/10が確率なのでしょう?
生徒3: 先生! あたりとはずれは同様に確からしくないけれど、10本のなかの一つ一つについてみると、どの一つをとっても、みんな同様に確からしいと思う。
M先生: みんなどう思う?
何人かうなずく生徒
M先生:
ちょっと補足しながら○○君の意見を説明しましょうか・・・。
あたりが3本、はずれが7本の全部で10本のくじからでたらめに1本引くときに、どの1本を引くのも同様に確からしいだろう。つまり、10本のなかから1本ひくということを繰り返したときに、どの1本も同じ比率で出るであろう。つまり、その比率は全体1を10本で平等にわけているから 1/10 になるでろう。
ということだろうと思うのですが、そうですか?
生徒3: そう!
よく分からない様子の生徒もうなずく・・・M先生: 10本のうち、当たりは3本あるから、1/10 の3倍になって、当たる確率は 3/10 になるであろう・・・、つまり、何回も何回もくじをひいていくと、当たりがでる比率は 3/10 に近づくに違いない・・・ということになりますかね。
M先生: コインのときと同じ状況になりますよねえ。コインの時には、裏が出るか表が出るか、どちらかで、どちらも同様に確からしいだろうから、全体1を2つで平等に分けているから 1/2 となる。
M先生:
まとめましょうかね。
偶然に左右されるような現象を考えることが大前提
繰り返し行ったときに、いろいろなことが起こるわけですが、起こりうるすべての場合を考えることにしましょう。
もしも、起こりうるすべての場合について、どの場合もどれかがどれかよりも起こりやすいとか、起こりずらいということがないのならば、
みんな同じ比率で出るであろう。
そういうときには、全体1をすべての場合で平等に分配されるから、どの場合も 1/(全ての場合の数) という比率に近づいていくだろう・・・
M先生:
というわけで、確率を考えていくときに大事なことは、
1 どういう試行をしているかを確認すること
2 その試行の結果起こりうるすべての場合をリストアップすること
そのひとつひとつがどれも「同様に確からしく」なるようなリストアップの仕方をすること
3 求めたい事象の確率を求める。
ということになります。
M先生:
もう一度、コインを投げることをかんがえてみましょう。
ここに10円玉がありますが、これを投げて表が出る確率というのは、
何回も何回も投げ続けていったときに、表が出る比率がある一定の値に近づいていくであろう、その値
ということになるわけですが、この値というのは、いっぱい実験してみないとどのぐらいの値になるかわからないし、そういう実験をしているうちに、人間は死んでしまうでしょうし、実現不可能なこと、知ることが不可能な値のようなきがしませんか?
M先生:
そうすると、10円玉を投げたときに表が出る「本当の」確率なんてわからないわけです。
だけれども、10円玉をじっとみているとね、(笑い・・・)、表が出やすいとか、裏が出やすいという合理的な理由が見当たらないので、きっと、表が出るのも裏が出るのも「同様に確からしい」と「思われます」。そういうように考えると、全体1の比率が、表と裏に平等に分配して、どちらも 1/2 の比率ででるようになる・・・と考えることが、もっともらしい・・・ということになります。
M先生:
そういうように考えると、
多数回10円玉を投げたときに、表が出る比率が安定するであろう値
という「確率」と、
(場合の数)/(起こりうる全ての場合の数)
という「確率」は、本当は「別物」であるという感じがしませんか?
M先生:
偶然に左右される現象を考えるときに、
「本当の」確率は知ることは出来ないのであるが、
同様に確からしい全ての場合の一つ一つは等しい比率で起こるであろう
と考えることによって、実際の現象をシミュレーションしているのです。
このシミュレーションが実際の現象と合致していることは、みなさんの賭けの結果を見てみても分かることだろうと思います。
・・・というわけで、
偶然に左右されるような現象を考えるときに
起こりうる全ての場合を考えます。
その一つ一つは「同様に確からしい」ものであるように考えて、
リストアップしたものが「全事象」であり、
その中のひとつひとつが「根源事象」であるわけです。
ひとつひとつが「同様に確からしい」と合理的に判断される場合には、
全体1の比率が、それぞれに平等に分配されていると考えて、
今考えている事象の分だけの比率になるであろう
と考えて、
(場合の数)/(全事象の数)
を、「数学的確率」と定義することになります。
現実の現象をシミュレーションする、「理想的な数学的なモデル」と考えるといいと思います。