M先生: 昨日は「偶然的な事象」に対して回数を大きく取っていくと、ある事柄が起こる比率がある一定の値に近づいていき、その近づいていく値を「確率」と考えること、その値は実際にはわからないかもしれないが、理想的な状況を考えると「数学的確率」を定義することを考えました。
M先生: 数学的に確率を考えるときには、起こりうる全ての場合をリストアップすることが大切です。そのとき、一つ一つは同様に確からしくなるように考えなければなりません。ところが、たとえば、画鋲をなげてどっちを向くかを考えるときには、同様に確からしい全事象のリストアップなんてのはできませんよね。
M先生: 例えばねえ、商店街の歳末福引なんて見てみると、昔はね、抽選機があってガラガラと一回転すると口からポトリと小球がでてきて、その色ではずれのティッシュだったり、5等の醤油がもらえたり・・・という感じでしたが、最近は違うんですよね。・・・なるほどという生徒、ちょっと困った顔をする生徒、いろいろ・・・
生徒1: でも、1等賞の数が決められた数しかでないようにプログラムしてるかもしれない・・・
M先生: ああ、それは考えられるよね。私が福引実施委員だったら、そういうプログラムにしてもらうだろうね。だって、賞品を用意するのに、数が決まってないと困ってしまうからね。
M先生:
別の例でいうとね、例えばサイコロを投げるときのことを考えようね。1の目が出る確率は1/6、2の目が出る確率は1/6・・・。これは、全事象を考えると、目の数が、1,2,3,4,5,6の6通りであって、どの目がでるのも同様に確からしいと考えられるから、1/6となるわけですが、これは普通のサイコロのときの話。
もしもサイコロが直方体だったら、どうだろう? どの目がでるのも同様に確からしいといえるだろうか?
生徒2: いえない。
M先生: 同様に確からしくないだろうね。きっと。何年か前には、こういうサイコロを使って実験してみました。ドタッて倒れるから、さいころじゃなくて「サイドタ」と名前をつけてね。確かに各目の出現比率は等しくなかったよ。こういう時には、全事象のリストアップなんてしてもしょうがないのかなあ・・・
M先生: というわけで、話を簡単にするために、ちょっと単純な二つの場合を考えよう。生徒3: どっちも同じ確率になるのに、どこが違うの?
・・・同感であるという顔つきM先生: だってさあ、素直に考えれば、起こりうる場合としては{ ○,× }だけなんでしょ。そして、これでは同様に確からしくない!
・・・これにも同感であるという顔つきM先生: みんなが同じというなら、2の場合にも「全事象のリストアップ」は、{○1,○2,○3,×1,×2,×3,×4,×5,×6,×7}としてよいというのでしょうか?
・・・当然だという表情の生徒、
M先生:
「サイドタ」を転がしたときにね、こんな感じの出現比率になったんです。
| サイドタの目 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
| 出現率 | 0.10 | 0.18 | 0.22 | 0.22 | 0.18 | 0.10 |
生徒4: 全事象はそれでいいと思うけど、同様に確からしくないし、確率が1/6っていうように計算できない。
・・・みんな同意見のようす・・・
M先生:
このサイドタの「全事象リストアップ」として、
1と書いたカード 5枚を一枚一枚区別したもの
2と書いたカード 9枚を一枚一枚区別したもの
3と書いたカード 11枚を一枚一枚区別したもの
4と書いたカード 11枚を一枚一枚区別したもの
5と書いたカード 9枚を一枚一枚区別したもの
6と書いたカード 5枚を一枚一枚区別したもの
の全部で50枚のカードだと思うっていうのはどうだい?
生徒5: 全然違うじゃん!
生徒3: 確率は同じになる
M先生: みんなどう思う?
多くの生徒はよく分からない様子
M先生:
数学的な確率を定義したんだけど、試行の結果を素直に表せばそのまま同様に確からしい全事象のリストアップができる場合は、問題ない。でも、今日考えているのは、そうでない場合です。
こういう場合でも、実際に起こっていることにあわせて、同じ確率になるように全事象のリストアップを作り上げることをします。このようにすることによって、これから勉強する確率の計算が適用できるからです。
サイドタの全事象がカードになってしまう・・・カードでなくてもいいのだけど・・・ところ、モノはちがっても、でてくる確率は同じになるのだからいいじゃないかという感じ。ここのところは、納得できない人は、大学行ってちゃんとした確率論を勉強しましょう。一応、こういうふうに理解しておいて大丈夫だと思いますよ。
M先生:
昨日は「数学的な確率」について、現実の現象をシミュレーションする「理想的な数学的なモデル」と考えるといいと言いましたが、今日の例は、現実と数学的なモデルの違いがはっきりとするものだったのではないでしょうか。
これから、こういうところから出発して教科書の問題を考えていきます。