奈良葛城・北九州紀行


 2001年秋の旅行を今更になって纏めたものです。データの欠損等で状況に不明瞭な部分がございますが、お察しください。※部分は現在思い返して見ての感想です。


2001/9/30

  東京→名古屋:モハ373−10 快速ムーンライトながら「大垣」 2号車9A 指定席喫煙車

 全席指定なので、指定券持っていないお客様は、8番線の小田原行きで小田原まで行って、小田原から自由席にご乗車ください。ってしきりにアナウンスしている。東京駅発車時の乗車率は6割くらいか?

※ この時、初めて「ながら」に乗ったようだ。それ以前に167系の救済臨に乗ったことはあったが・・・。小田原駅までの案内も、指定席区間が変わってしまった現在では出来ない芸当だね
 寝たのか、寝てないのか・・・豊橋あたりから起きていたような気もするが、メモでは次はいきなり名古屋に飛んでいる


10/1

  近鉄名古屋→名張:12141 特急「難波」 3号車49番 喫煙車

 スナックカーだ。天気は悪い
<米野>
 ユーロライナー見る。近鉄車庫には21000、22000と主力の特急車郡。DE10がキハ85と40を引いていた
<近鉄冨田>
 三岐のフライアッシュ輸送列車を見る。デキ重連
<伊賀神戸>
 860系「忍者電車」を見る。ピンク色。ど凄いwww
<名張>

 暗いなぁ・・・上本町行き急行

○ 名張→室生口大野:1323 区間快速「上本町」

 そんなに距離はないので一番前に立つことに
<室生口大野>

 室生寺に行くバスまで時間が少しあるので駅のそばにある大野寺へ。雨が・・・
 大野寺は古くから室生寺の末寺として「室生寺の西門」と呼ばれてきた。そもそもは慈尊院「弥勒寺」と呼ばれていたが、いつしかその地名から「大野寺」と呼ばれるようになったそうだ。

○ 室生口大野駅→室生寺前:奈良交通「室生寺前」

 わずかな乗客を乗せて、バスは山峡を進む。15分ほどで終点に到着。バス停は宿坊や旅館のある室生集落の中心にある。室生寺までは徒歩数分であった

 まだ午前中。天気も良くないし、参拝客はまばら

 室生寺は「女人高野山」として有名。女性の入山が禁止されていた高野山に対して、こちらは女性に門戸を開放したことからその名がついた。
 国宝である五重塔なんかを見てから下山。雨が心配なので、もう少し散策したいところだがバスで駅へと戻る

<室生口大野>
 
 驟雨を突いて列車が行き交う

  室生口大野→大和八木:2414 急行「上本町」
  大和八木→橿原神宮前:1099 急行「橿原神宮前」

<橿原神宮前>

 橿原神宮前にはすでに引退を目前に、登場時の姿に塗りなおされた900系951Fがいた。本日は8000系の2連と組んで運用に就いているようだ

× 橿原神宮前→尺土:6034 準急「あべの橋」
  尺土→近鉄御所:6429 普通「御所」

 御所まで来たが、相変わらず天気は悪く、雨がぱらつく。自転車でも借りて旧跡を回ろうと思っていたのだが、これではいささか具合が悪い

  尺土→忍海:6429 普通「尺土」

 乗ってきた電車で、一駅戻る。
 忍海の駅前にはレンタカーの営業所があった。さっきちらりと見たとき、軽自動車が6時間2500円だかと書いてあったのを思い出したからだ。
 2500円ならそれほど懐も痛まない。葛城は車で回ることにした。ディンゴを借り受け走り出す


 まずは高鴨神社へ。
 ここは京都の上賀茂神社、下鴨神社の本社にあたる由緒正しき神社。全国の「かも」が付く神社の総本社でもある。延喜式神名帳では「高鴨阿治須岐詫彦根命(たかかもあじすきたかひこねのみこと)神社」とされる。
 阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)を主祭神とし、下照比売命・天稚彦命を配祀する。

 そんな高鴨神社もごらんのとおり、参拝客は皆無

 続いて、比較的近所にある高天彦(たかまひこ)神社へ
 雰囲気の良い田舎道。葛城古道をのんびり辿り、丘陵地に広がる田んぼを眺めながら車を走らせていたら・・・途中で、みょんなあぜ道に入り込んじゃって、延々バックで戻ったりしたけど、なんとか到着。写真が全然ない・・・orz
 車を停めて、濡れそぼった杉並木の参道を進むと小ぶりな社が見えてくる。
 
※当時は知らなかったいろいろ。
 高天彦神社は葛城の地主神である高皇産霊尊を祀っている。この高皇産霊尊は大和朝廷よりも先行する葛城王朝の祖神である。神話では天照大神の御子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に、高天彦神社祀神の娘、栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)が嫁がれ、その間に生まれたニニギノミコトが高天原からこの国土に降臨される。
 その天孫降臨の際に、国つ神の征伐に赴く武士の派遣から、天孫の降臨命令まで、すべて高天彦神社の祭神 がお世話したという。
 このことから、「高天原」はこの葛城の「高天」の地だともされている。う〜ん・・・東方ネタに使えるかもな。再訪再訪

 雨は上がったが相変わらずどんより・・・雰囲気は悪くはないが、やはり天気は良いほうがいい。少し離れた一言主神社へ
 
 一言主神社は、願いを一言だけ聞いてくれる「いちごんさん」として地元の人から親しまれている。その名のとおり、「一言主大神」を祀っている。こちらも高天彦神社と同様に、葛城王朝の氏神を祀った社である。つうか、写真ないから解説とか書き辛いなぁ・・・
 いずれにせよ、葛城界隈はまた訪れてみたいと思っているので何れ〜

 車を返却して、忍海駅へ

○ 忍海→尺土:6528 普通「尺土」

<尺土>
 
 近鉄最古参となった16000系の特急がやってきた。さくらライナーを除くと、南大阪線の特急は殆どが2両編成だ

○ 尺土→橿原神宮前:6069 準急「橿原神宮前」
  橿原神宮前→畝傍:8904 急行「京都」

<畝傍>
 ちょっと撮影でもと思ったが、暗いし雨だし・・・

 京都行き特急を撮ってみたが・・・サニーカーだね・・・暗いね。ドアンダーだねwww

  畝傍→大和八木:951 普通「大和西大寺」

 最初で最後の900系乗車・・・・・・もしかしたら、気付いてないだけで昔乗っているかもしれないけど

  大和八木→大和高田:2517 急行「上本町」

 宿に一度チェックインしてから、再度外出

× 大和高田→大和八木:2517 急行「上本町」
  大和八木→田原本:5602 急行「京都」
  西田原本→新王寺:8414 普通「新王寺」
  王寺→高田:モハ117−341 普通「五条」


10/2

 天気は持ち直してきたようだ

  大和高田→大和八木:1247 準急「榛原」
  大和八木→橿原神宮前8902 急行「橿原神宮前」
○ 橿原神宮前→古市:6143 急行「あべの橋」
○ 古市→あべの橋:6147 準急「あべの橋」
× 天王寺駅前→住吉公園:710 「住吉公園」

 インバータ制御・・・かな?
 松虫からは専用軌道に。北畠から専用軌道に。ただし道幅はとても狭い。上町線の方が路面区間多いみたい?帝塚山4丁目から再び専用軌道になり、神ノ木で南海高野線をオーバークロス
 住吉界隈でちょっと撮影

 浜寺駅前へ行く603
 
 先ほど天王寺駅前で見た電車だ。351型355号。天王寺方面から阪堺線へ乗り入れる

 さっき乗ってきた710が天王寺駅前へ引き返していった

  住吉→南霞町:351 「恵美須町」

 釣り掛けだ〜♪351は昭和37年帝國車両製
 
 南霞町から新今宮駅は至近。南海線やJR大阪環状線に乗換えが可能。

○ 新今宮→芦原橋:クハ103−245 「大阪環状線」

<芦原橋>
 
 乗ってきた103系と、進入する221系を撮影して下車

 直接の連絡駅ではないのだが、ここから南海高野線にアクセスが出来る。環状線の高架に沿って西へ進む。高速を目印に、途中左へ折れると、芦原町の駅に到達
 南海の二大幹線、高野線の駅とはいえ、岸里玉出〜汐見橋間は完全に分断され支線化されている。2両連結のワンマン電車が30分間隔で走る、大都会の中のローカル線だ
<芦原町>
 対向式の短いホーム。構内踏み切り。当然無人駅という、大阪の都心部間近にある駅とは思えないほどの寂れっぷりである。隣は高野線のそもそも起点、汐見橋で起点の隣の駅とも思えない。高野線分断により近代化からまったく取り残された形である。ほんの数年前まで釣り掛け電車が走っていたし

○ 芦原町→岸里玉出:2253 普通「岸里玉出」

 天王寺支線なき後、南海の旧型車に乗れるのはここか、和歌山港、貴志川線のみだった。京都に旅行に来た際に少し無理をして乗りに来たのがこの通称「汐見橋」線であった。電車は1521系が行ったり来たりするだけの路線は現在と殆ど変わらない。変わったのは車両だけである。
 2200系は、高野線の山岳区間直通用に増備された22000系「通勤ズームカー」の支線区用更新車である。1521系運行当時と同様に、和歌山地区のローカルや貴志川線、多奈川線や高師浜支線でも使用されている。

 岸里玉出に到着した2253以下2連。前回乗りに来たときはまだ旧高野線上にあった汐見橋支線ホームだが、車両の更新と前後して南海線に接続する形に切り替えられた

 通過する、なんば行き急行を後追いで

○ 岸里玉出→堺:7903 普通「和歌山市」

<住之江>

 検車区がある。関西では見かける機会も多いが、高架線上にある検車区ってのは関東の人間には珍しく映る

○ 堺→泉佐野:1510 急行「和歌山市」

 1000系は初乗り。正面貫通路のガラスが縦に大きめに配されており、見通しは良好
<泉佐野>

 乗り換えの際にキャッチした、なんば行きラピート。泉佐野は高架工事もたけなわで、まもなく地上線は姿を消す

○ 泉佐野→関西空港:7964 空港急行「関西空港」

<関空>
 搭乗予定の飛行機は19時過ぎなのに、昼過ぎにはすでに関空に来ているというwww

 一発目にJALのDC−10。JA8542、センターギアの付いているDC−10は久々に見た。午後の東京・羽田便。
 
 エアチャイナのB747−400、ANAのA320
 
 大韓航空のA300−600R、キャセイパシフィックのA330−300

 何の変哲もない、エアーニッポンのB737−500
 
 先ほどのJA8542プッシュバック。そしてテイクオフロール
 
 チャイナイースタン、A320。初物
 
 もひとつチャイナイースタンMD−11F、となりは珍しくもないwノースのB747−400

 しつこいくらいにDC−10。規模的にマッチングしていたのか、成田よりも圧倒的に3発機が多かった

 エイシアのB6−300。この塗装も過去帳入りしている

 夕刻になると北米からの到着便がちらほらと。西日にベアメタルを輝かせながらアメリカンのB777−200が降りてきた

 太平洋路線に双発機が台頭を始めた時期だった。アメリカンも早々にMD−11からB777に使用機材をリプレイスしている
 
 エアージャパンロゴ入りのB767−300ER、今はなきA321

 SGのB777−200

 JLのB747フレイター。SUPER LOGISTICS

 NZのB767−300。ニューカラーの機体を撮ったのはこの時が初めてか?南半球のエアラインは時刻設定上撮影が難しい

 本日最後の獲物となったカナディアンのB747−400。すでにエアカナダに吸収合併されていた時期か?

 さてさて、見慣れない飛行機ウォッチングを展開しつつ、自分の搭乗便はいささか厄介なことになりつつある。時間は前後するが、関空到着時に早々とチェックイン(それこそ5〜6時間前だよ)に向かったカウンターでは1時間のディレイが確定していた
 早期購入割引の為に便変更は本来出来ないのだが、最終便でなおかつ1時間送れということもあり、便宜を図って一便前に変更できるとの回答をいただいた。何にも考えない旅行ならそれで結構、いっこ前にしてください。で、簡潔なのだが、そもそも私がこの便を選んだのにはわけがある。この便に乗りたいから、選んだんだ。変えてしまっては元も子もない。そもそも、九州行くのに関空経由を選んだのはこの便が「飛ぶ」からなのだ・・・
 つまりこちらの回答としては
「MD−11で飛びますよね?」
 で、ある。
「じゃぁ、そのままで良いです」
 千円の食事クーポンをいただいて、チェックインだけして、早々と出発ロビーへとはせ参じたわけである。

 18:30。折り返し福岡行き327便がアライバル。予定では20時15分の出発。ターンアラウンドに1時間45分もかかるのか?とか思うが、通常の折り返しではなく、内際変更、通関の関係もあるのだろう。
 就航後すぐに運航を停止してしまったエンジェルエアのA300−600Rを眺めつつ、ボーディング開始を待つ。

 KIX→FUK:JL327 JA8581 MD−11「ヤイロチョウ」

 残念ながら写真はない。まだデジカメとか持ってなかったし、夜なので撮れる環境ではなかった。国際線機であるがゆえに搭乗機会は無く。これが最初で最後のJAL・MD−11搭乗となった。すでに時代は双発機主流。3発機自体が淘汰されるご時世にあってMD−11という飛行機そのものに乗れる機会は殆どなくなってしまった。
 闇夜に浮かぶ、ストロボライトに照らし出されるウイングレット。福岡までの1時間はまさしくあっと言う間であった。

 せっかくなのでJALのMD−11について少し・・・
 DC−10の後継、B747−400よりも旅客規模の少ない中、長距離路線向けに1993年から97年まで、総数10機が導入された。だが、すでに世界は双発機の時代に突入しており、ETOPSルールを適用しての長距離洋上飛行が成功している中、3発機は経済性では太刀打ちは出来ない。多くの航空会社が3発機を放出する中、JALにおいてもこの期を逃すかとばかりに急速に退役が進んだ。
 初号機導入が1993年11月、最終号機導入が1997年3月であるから、一番長い機体で10年弱。短い機体は6年程度でJALでの活躍を終えている。
 全機が鶴丸カラーで導入され、途中実施されたCIによる途色変更はラストフライトを行ったJA8582機にのみ施された。またB777や、B737−400と同時期に導入されたMD−11にも総称を「J−Bird」として、更に各機に個別の愛称がつけられていた。一号機のJA8580「エトピリカ」、8581「ヤイロチョウ」、8582「タンチョウ」、8583「イヌワシ」、8584「ヤンバルクイナ」、8585「クマタカ」、8586「コウノトリ」、8587「ノグチゲラ」、8588「オジロワシ」、8589「ライチョウ」。日本の代表的な野鳥であり、かつ希少種ばかりの名を冠したMD−11だが、皮肉にもMD−11自身が短命に終わると言う結果になってしまった。
 2002年の7月に、私が唯一搭乗したJA8582号機を皮切りに退役がスタート。新塗装に移行するまもなく完全退役かと思われたが、奇跡的に一機だけがコロナマークの新塗装をまとい国際線で細々と活躍を続けた。だが、それも長くは続かず、2004年10月12日、香港発東京行きJL760便でのフライトをもって、日本での短すぎる活躍に終止符を打ったのだった。
 とこで、国内国際線の第一線で長らく活躍した姉妹機であるDC−10はMD−11の完全退役後も活躍を続け、その最後の一機が退役したのは2005年の12月になってからであった。また、これをもって国内の3発ワイドボディ旅客機はすべて姿を消したことになる。

 瀬戸内海上空を通過し、玄界灘上空にオーバーシュート。博多湾上を援降下して漆黒の福岡空港には21時15分に到着。まさかこれが最後になるとは思ってもいなかったし、時間が時間なので、そそくさと地下鉄駅へ。

  福岡空港→博多:モハ302−1 普通「西唐津」

 JR九州の最新鋭通勤電車303系。意図せずに乗車できてラッキー。だが、103系の方が乗りたかったのはここだけの話
 九州には何度か来た事があっても、博多駅を利用するのは初めてで、なおかつ地下鉄からなんて正気の沙汰じゃないけれども、日頃の経験と訓練のお陰で問題なく篠栗線ホームに立つ
 時間的に列車を選ぶ余裕なぞ無く、停まっていた列車に乗り込む

  博多→新飯塚:キハ200−1002 21:53発 快速「折尾」

 篠栗線初乗りだが、当然のように外は真っ暗である・・・新飯塚まで乗車して、駅側のホテルに・・・


10/3

  新飯塚→飯塚:キハ200−105 5:54発 普通「博多」

<飯塚>
 一駅博多よりに戻る。乗るべき列車の始発駅だからという理由
 天気は良さそうだが、早朝の光線状態は極端に悪い。中線に始発の若松行き停客が停まっている。DD51を先頭にした50系+12系の混在編成だ。
 前方より牽引機のDD51 848 + @オハフ50 1282 +Aオハフ50 1285 +Bオハフ50 1288

                    +Cオハフ50 1279 +Dオハフ50 1287 +Eスハフ12 112

 小さい頃から時刻表を眺めていて、客車列車縮小を毎年のように感じていたが、それでもなお筑豊本線には多くの客車列車が設定されていることにある種の羨望を持っていた。それもいつのまにか目に見えるほどに減り、最晩年は朝夕の2往復。新飯塚〜若松間と、直方〜門司港間の運行だけになった。それも筑豊本線電化により消えると言う・・・
 いてもたってもいられなくなり、筑豊最後の客レの旅に飛び出してきたと言うわけだ

 6:00、DD51に火が入り、続いて最後尾のスハフ12もエンジンを始動した。編成に電気が点灯。朝のラッシュ時間にかかり始め、博多方面、直方方面へとディーゼルカーが頻発するなか、6:20ごろゆっくりと中線を出ていったん若松方へ
 5分程かけて、スハフ12を頭に推進で入線、ホームにすえつけられる。5両目、オハフ50 1287の16Dに席を取る。

 まだまだ薄暗い九州の朝。若松行6532レは静かに発車を待つ

 牽引機、DD51 848をアップで。DD51牽引の旅客列車に乗るのはとても久しぶり

  新飯塚→若松:オハフ50 1287/スハフ12 112 6:44発 6532レ 普通「若松」

 わずかな乗客を乗せて6532レは新飯塚を発車した。ハイケンスのセレナーデが流れ、車内アナウンスが始まる。まもなく朝日が顔を出してきた。前から5両目にもなると、機関車からの動力の音は聞こえない。車輪が刻むジョイント音だけが静かな車内に響き渡る
 7時を目前に遠賀川を渡る。鉄橋の傍らにはファンがカメラを構えていた。余裕があれば、こちらも走行写真を撮りたいものだったが・・・
<折尾>
 折尾からは最後尾のスハフ12 112へ。空いているんだし、別段ハコを変える必要はなかったのだが、せっかくだし別の車両にも乗ってみたい
 考えてみたら、12系は乗ったことが無いし。車内は転換クロスシートが並ぶ。なるほど、50系よりも人気が高いわけだ。客車時代の日南・かいもんに使用されていた車両のようだ
<若松>

 終点、若松に到着した6532レ。最後尾のスハフ12 112を

 斜め気味からもういっちょ

 途中の折尾まで乗ったオハフ50 1287。サボを絡めて撮ってみた

 降車もひと段落。朝陽を浴びて若松駅に佇むレッドトレイン。ほんの10年前までは日本各地で当たり前のように見られた光景も。いつのまにかここだけの光景になってしまった。全盛期なら機回しをして折り返しの準備・・・となるところだろうが、折り返しの列車は夕方。日中は留置、お昼寝となる

  若松→折尾:キハ66 13 8:17発 普通「折尾」


 これも初乗りキハ66。筑豊線群に特化した車両として登場したキハ66、67も現在では長崎地区にすべて転属してしまった。非電化で残った折尾〜若松間は現在キハ40系列や大分から転属したキハ31で運行されている

  折尾→小倉:クモハ885−10 9:00発 特急・白いソニック7号「大分」 

 最初立ち席。黒崎から小倉は1Aに。しかし速いねぇ〜
<スペースワールド>
 さくら・はやぶさとすれ違う
<小倉>

 小倉に到着したソニック7号クモハ885−10。方向転換のため既に尾灯が点灯している

  小倉→門司港:クハ810−17 快速「門司港」

<門司>
 広島色のキハ58+23の編成を見る。下関との関門連絡列車だろう
<門司港>

 なかなかくることが出来なかった九州の鉄道の起点。このシックでなおかつモダンな駅舎が良いね

 折角なので港と関門海峡を。関門橋、その向こうに火の山を望む。

向(むかい)の岸は馬関にて 海上わずか二十町 瀬戸内海(うちうみ)の咽首を しめてあつむる船の数

 関門海峡は海とは思えないほどの狭さ。河みたいなもんだな〜

 再び門司港駅へ。留置線を見てみると、50系客車が停まっていた。朝、直方からやってきた車両たちであろう

 かつては多数の優等列車が発着していた門司港駅。長く、広いホームが九州の表玄関としての佇まいを見せる

 大牟田行快速のクモハ813−204.これに乗って門司港を後に・・・

  門司港→小倉:クモハ813−204 10:00発 快速「門司港」

<小倉>
 再びの小倉〜

 国鉄特急色のクロハ485がいた。にちりん自体の小倉乗り入れがなくなってしまった現在では非常に懐かしい

  小倉→西小倉:キハ140 2041 普通「日田」

<西小倉>
 少し定点観測をしようかと

 さっそくやってきたのはDE10牽引のコンテナ車。足回りなんか綺麗な所をみると、小倉工場からの出場車のようだ

 ん〜・・・逆光だ。さっき小倉で見たにちりんがやってきた

 後追いでも一枚

 小倉へ向かう白いソニック

 鹿児島本線を小倉に向かうつばめの787系

 さっきのソニックが向きを変えて戻ってきた

 日田彦山線からの直通列車キハ47(147?)の2連

 883系ソニック後追いで

 さっきのつばめ、折り返しだろうか?今は亡きサハシの姿も編成中に見える

  西小倉→小倉:813系 

<小倉>

 こんどはレッドエクスプレス仕様の485系。これもにちりんに充当されている車両だろう

  小倉→下曽根:クハ411−109 11:27発 普通「宇佐」

 下曽根から歩いて北九州空港へ

 タッチダウンする東京からのMD87。

 並行誘導路が無いため、滑走路端のターニングパッドを使って滑走路上を戻ってくる

 滑走路から出ると、すぐにランプ。北九州市に最も近い空港ながら、とってもローカル。数年後には沖合いに造成して出来た立派な海上空港に移転。便数も3倍以上になり利便性は格段に向上した
 結局、旧北九州空港はこれが最初で最後の利用

 北九州→羽田:JD344 JA8371 MD87 5E

 MD87は初めて。リアジェット自体が初めて〜

 そんな感じに、単独行としては初めての九州であった。今更ながら、結構貴重な経験しているんだなぁ


2008年8月28日 執筆完了、公開

Ads by TOK2