最果てみちのく紀行

2001年12/28

半ば諦めていた寝台券がキャンセル待ちで入手できたのはほんの数日前だったと思う。その日、上野駅に立てたのはまったくの偶然であったに違いない。最も狭い中段寝台であったが、年末の繁忙期に臨時列車とはいえ入手できたこと自体奇跡的なのだから譲歩せざるを得ない。
 私は、間違いなくその日の臨時寝台特急はくつる81号の寝台券を入手できたのだ……
 上野駅14番線。隣には先行する同じく青森行き寝台特急「あけぼの」の姿がある。あちらは上越〜羽越〜奥羽本線を経由し同じ目的地に到着するのはこちらよりも3時間も遅い10時過ぎ。当方が乗る列車は最短経路の東北本線をひた走り明朝7時には青森に着いてしまう。この日は定期の客車はくつるも満席。この臨時はくつるも満席。あけぼのは伺い知れないが、少なくとも東北本線周りの夜行は他に選択肢がないほどの盛況だった。
 入線前からホームにはかなりの乗客が散見できた。カメラを持っている人が多いのも、この列車の特殊性をあらわしている。はくつる81号は最後に残った国鉄特急色をまとった583系寝台電車が充当されるのだ。だから、私自身もまずこのはくつる81号を狙った。第二候補は客車はくつるである。前述の通り、いずれも満席で一時は旅行自体の計画変更も余儀なくされたが、なんとか第一候補のはくつる81号の指定がとれて当初の予定で旅行を開始することが出来た。
 まもなく、ホームのスピーカーが列車の入線を告げる。東大宮から9両編成の583系が回送されてくると、ホームにはカメラの放列がフラッシュを放つ。乗る人も、そうでない人も、583系独特の重厚なフォルムに酔いしれるかのごとく視線を巡らす。
 ヨンサントウ改正以来青森電車区をねぐらにし、数え切れないほど上野、青森間を行ったり来たりしたであろう583系電車は今なおその風格に衰えを感じさせない。いささか厚化粧の感は拭えないが、大切に整備されて使用されているようだ。両端のクハネには「JNR」マークを塗りつぶした跡があり、先日リバイバル列車として使用された車輌だということが伺い知れる。
 本日の編成は上野より1号車、青森より9号車の9両編成。全盛期の電車はくつるは制限一杯の12両で走っていたので若干の減車となっているが、みちのくの夜の王者の風格は衰えを知らず、実に威厳に満ちた表情だ。
 編成は、上野よりから@クハネ583−20+Aモハネ582−12+Bモハネ583−12+Cモハネ582−79+Dモハネ583−79+Eサロ581−33+Fモハネ582−6+Gモハネ583−6+Hクハネ583−5である。全盛期にはこれにサハシ1両とモハネの1ユニット2両が追加されて12両になっていた。
 後ろから前まで一通り編成を眺めてから、車内に入る。私の寝台は中ほどの5号車14番の中段である。進行方向左手に位置する。車内は適度な修繕と改造がなされているが昔ながらのスタイルを受け継いでおり、JR西日本が所有するきたぐに用の583系よりはオリジナルに近い形である。蚕だなと呼ばれた三段寝台が通路を挟んで並ぶ。まさに電車寝台の姿である。懐かしく、ある意味新鮮にも映るが、やはり時代遅れと言わざるを得ない形態である。
 寝台にもぐりこむ。まさしく「もぐりこむ」という表現の通り。梯子を伝って頭から体を滑り込ませる。特に中段寝台は狭さが顕著に現れている。上段寝台の張り出しのせいでほとんど体の自由は利かない。眠ってしまえば問題はないが、寝台の中での飲食はほぼ絶望的である。はくつる程度であると深夜発早朝着の時間帯なので問題は少なかろうが、もうすこし乗車時間が長い場合、たとえば「あけぼの」のスジに充当した場合は朝には寝台を解体してもらわないと不自由で仕方がないだろう。今回、初めて中段寝台を利用したが、狭さは噂以上で上野を発車するまでにすでに2回頭をぶつけた……
 上野を発車するとすぐにアナウンスがあり、深夜帯のためこれで放送打ち切り、翌日は八戸到着前からとのこと。大宮を出てしまえば八戸まで停まらないのだから、現実的な処置であろう。ちなみに、夜行列車でよく聞かれる「ハイケンスのセレナーデ」は流れなかった。
 中ほどの寝台で騒音も余り聞こえず、眠るには良い環境だったのだが、久々の寝台で興奮していたのか、なかなか寝付けず、眠ってからもちょこちょこ目が覚める。槻木のカーブから、以前住んでいた仙台近郊の夜の光景を眺めていたのは覚えている。次に駅に停車する衝撃で目を覚まし、外をみると一ノ関だった。もちろん旅客扱い駅ではないので運転停車であろう。ここからは盛岡支社の管轄なので運転士が交代したのだと思うが……
 6時少し過ぎ、まだ真っ暗闇の三沢で下車する。八戸の次の停車駅だが、かなりの下車客がある。発車するはくつるを見送り下車客と共に改札を出る。思えば、これが最初で最後の「はくつる」乗車となってしまった。翌年の冬には八戸まで新幹線が延長開業し、新幹線延長区間の在来線は第三セクターに転換。同区間を走っていた昼行特急はつかりは全廃、寝台特急も北海道連絡の北斗星、カシオペアを除き廃止となった。つまり、東北初の寝台特急として登場したはくつるは、昭和39年以来38年の歴史に終止符を打ったのだった。同時に、青森運転所の583系も26年に及ぶ昼夜兼用運用から撤退、秋田と仙台に再配置され、ますます活躍の場を奪われてしまった。
 十和田観光電鉄の三沢駅は、橋上のJR改札とは離れた地上に独自の駅舎を持っている。JR駅を出て西側ロータリーにでればすぐに所在がわかる。同じ建物の中、暖簾を下げたままの蕎麦屋の前を通り更に奥に十和田市行き電車乗り場はある。昨今では地方私鉄もJRとの接続駅を主にモダンな駅舎に改築しているところが多いが、この鉄道だけは駅施設も車輌も昔ながらの、昭和の匂いを色濃く残している。昭和の寝台電車から乗り継ぐには格好の題材といえよう。
 始発電車までやや時間があるため改札はまだ閉まったまま。待合所は閑散としている。引き戸で閉ざされた改札からホームを除くとすでに電車は据え付けられており、車内には電灯もついている。まもなく改札があき乗客もちらほらと現れ始めた。
 ホームにいるのは東急電鉄から来た3603+3802の2連。塗装こそ十和田観光のオリジナル塗装になっているが車内に手を加えられた様子はない。運輸省規格型の何の変哲もない電車だが、車内は小奇麗に保たれており古さの割には車齢を感じさせない。後ろよりの電動車、3603の一番後ろに席をとる。
 6時44分。重々しい釣り掛け音を奏でて三沢駅を発車する。外も大分白み始めてようやく周りの風景がつかめるようになった。30分ほど走って終点の十和田市に到着。十和田市駅はかつての駅から数百メートル三沢よりに移され、バスターミナルと直結した形に改装された。片面のホームの先に旧駅までの線路が続いている。時間の都合で改札を出たらすぐに回れ右。7時20分発の同じ電車で途中の七百まで折り返す。
 七百は丁度、三沢と十和田市の中間に位置し、唯一の交換駅となっている。同時に車庫が併設され同鉄道の要衝と言うべき存在となっている。閉ざされた研修庫の前には一両ED301がぽつんと置かれていた。研修庫の中には十和田オリジナルのデハ3400が眠る。本当はこちらに乗りたかったのだが、運用についていなければしかたがない。後年、十和田観光も東急のステンレス車を大量に導入し旧型車を一気に置き換えたのだが、このオリジナル車3400と先ほど乗った3603だけは車籍が残りイベント用に今でも活躍している。近代化と共に在来車は全て廃車解体してしまう私鉄が多い中、喜ばしいこと限りない。
 ようやく朝日がさしてきた七百駅周辺を次の電車が来るまで散策する。もっとも辺りは一面の雪だし。人家もまばら。唯一ある商店もシャッターは閉じたままである。寒いので待合室に引っ込んで待つことに。8時25分初の三沢行きデハ3811で三沢へと戻った。
 三沢ではせっかくなので十和田の電車の走行写真を撮りたいと思い、丁度次のJR列車まで時間があったので沿線を少し歩いてみた。線路に沿って3百メートルほど西南に。古牧温泉沿いの緩いS字カーブで十和田市行きの電車を撮影し三沢駅へと引き返す。
 三沢からは再びJRで。青森まで直通の快速うみねこの一番前に陣取る。701系2両編成で三沢9時17分とはいえ結構な混みようである。クモハ701−1015に乗車。一時間余りで青森到着。一時間弱の待ち合わせで津軽海峡線、快速海峡5号に乗り継ぐ。筑豊本線の普通客レなきあと、JRでは唯一の定期普通客車鈍行となってしまった。それもあと一年。新幹線延伸に伴う輸送体系改正で全列車が電車特急化されてしまう。3号車のオハ50−5008に席を取る。形式からすると、北海道向けのオハ51ではなく、本州向けの車輌からの改造のようだ。3番線ホームには583系の姿が見える。車内は座席使用のところをみると、どうやら臨時はつかり用の車輌のようだ。この冬、583系はひっぱりだこのようで嬉しい限りだ。
 11時8分。客車独特のごつごつと前後に揺られる感じで青森駅を発車。地方交通線とはいえ、輸送量は幹線並みの高規格線路を快調に飛ばしてゆく。雲は多いが天気は概ね良く、今日は一日なんとか持ちそうだ。途中、蟹田に停まり、非電化の津軽線と分かれてまもなく、本州側最後の駅、津軽今別で下車する。
 津軽今別は高架、盛り土の線路上に対向ホームがあるだけの駅で、きちんとした駅舎もない無人駅である。特急は全て通過するし、快速海峡も一部の列車しか停車しない。これから青函トンネルに挑む快速海峡を見送り、視線を土手の下へと移す。雪原に二条のか細いレール。そして小さなホーム。ここに降り立った理由がこの小さなホームにある。
 津軽線津軽二股と津軽海峡線津軽今別。最近は時刻表にも載っているが、名前こそ違うもののこの二駅は隣接しており乗り換えも可能である。今回はこの好条件の立地を最大限に利用させてもらった。別段、蟹田で乗り継げばよかったのだが、この辺鄙な接続駅の形態を見てみたかったし、貴重な客車列車の海峡に少しでも乗っていたかったというのもある。まぁ、とにかく、そんなこんなで普段は必要ないだろう面倒な手段をとったわけである。
 津軽今別とは打って変わって、津軽二股駅は立派な駅舎がついている。この差は何なのかと思ったが、津軽二股の駅舎は道の駅が併設されていた。どちらかというと、道の駅のほうが本業で、津軽二股のほうは副業のような力関係に見える。
 30分ほど待つと雪原の中に2両連結のディーゼルカーが姿を現した。キハ40−538+キハ48−536の二連である。後ろよりのキハ40に席を取る。昼下がりの車内は乗客もまばらで大川平、今別、津軽浜名と停まって15分ほどで三厩に到着した。島式ホーム一面のみの小さな駅だが、しっかり平屋の駅舎がたっていた。
 すでにロータリーの片隅で客待ち中の小型バスに乗り込む。三厩町営バス、竜飛漁港行きである。竜飛漁港までは30分ほどの距離であるが、雪道をこれでもかというほどの高速で飛ばす。地元の人にはどうということはないのだろうが、やはり都会の人間には恐ろしいスピードだ。国道を北上する。これより北には何もないはずなのに、意外と往来は激しい。
 少しずつ岬の山肌と海との間の距離が狭くなって来たころあい、バスは竜飛の集落へと入った。港を取り巻く人家は思った以上に多いが人気は少ない。一時間後に同じバスが三厩に折り返すが、その時間を使って付近を散策する。岬の突端に位置する竜飛の集落はわずかな平地部とそれに続く丘陵部にかけて集落が広がっている。漁港の堤防に上がり津軽海峡を、そして陸奥湾を交互にみる。津軽半島側は辛うじて見えるが、津軽海峡を隔てた北海道の陸地は雪煙に霞んでか見ることは出来なかった。
 有名な階段国道を上り岬の頂上を目指す。眼下に広がる竜飛の集落はやはり小さかった。強風から身を守るように家々がひしめいている。見下ろす竜飛漁港は冷たい海水のせいかとても澄んでいて底までが見渡せた。
 階段国道を上りきると近くに「津軽海峡冬景色」の碑がある。有名な石川さゆりのあれだ。全ての歌詞が黒い石碑に彫り込まれている。ふと見下ろすと、石碑の前に赤いボタンがある。一抹の不安はあったが押してみると、突然大音量で津軽海峡冬景色が流れ始めた。曲では二番にあたる「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと〜」の下りである。それから数分、誰もいない岬に二番が丸々演奏された。人気はないけど、これは近所迷惑だわ……
 再び階段国道を通り竜飛の町へ、路地をチョコチョコ巡り、途中の商店で津軽弁のおばあちゃんからピースを売ってもらい、すでに客扱いを始めたバスへ戻る。来た道をもどり、三厩駅へ、すでに列車は入線していた。
 先ほどと同じ列車だが、蟹田と三厩の間を一往復してきた後だろう。列車が一本あれば事足りる運用なのである。同じ車輌に乗っても面白くないので、後ろよりのキハ48−536に席を取る。進行方向左手、海側である。15時36分発は蟹田から先、青森まで直通する便利な列車である。閑散としたまま三厩を発車した列車も、蟹田を過ぎる頃には混み始め、青森につく頃には立ち客も出るようになっていた。
 一旦、宿に荷物を置いた後、青森在住の友人と合流し18時11分発の701系で浅虫温泉へと向かう。701系は通勤客で混んでいたが浅虫までは20分程度なのであまり気にならない。
 浅虫温泉では駅直近の共同浴場へ。24時間営業で道の駅と直結している。大浴場からは陸奥湾が見渡せた。入浴し19時55分発の特急で青森へと戻る。モハ484−1021。臨時のはつかり99号で国鉄特急色の車輌であった。

 明けて29日。未明の青森駅にたつ。6時15分発の弘前行き、一番前に立つ。車輌はクハ700−1。電車ならば701系のほかに選択肢がない。ただし、今回はトップナンバーの3両編成だ。霙交じりの闇の中ひた走り弘前へ、すぐの乗り継ぎで鷹巣行き普通列車に乗り換える。弘前7時丁度発の普通列車鷹巣行きは奥羽本線に残る貴重な気動車列車である。キハ58−739を先頭にした、キハ58−1509との二両連結である。739は正面が平面窓、1509はパノラミックタイプの窓である。先頭の739号に席を取る。車内は完全BOXシートで、ロングシートのないキハ58は久しぶりである。冬休みに入っており、早朝と言う事もあって車内は閑散としたまま弘前発車を迎えた。弘南鉄道の元東急7000系と同時に弘前を発車する。大鰐の手前では河をはさんで大鰐線の7000系と併走、大鰐温泉では元東急の6000や、留置される旧型車、ラッセルのキ105、ED221を見る。大鰐からは秋田の県境に向けて山も、雪もいよいよ深くなる。豪雪の碇ヶ関で下り寝台特急日本海1号と一瞬の離合。弘前から45分で大館へと到着する。このまま鷹巣まで乗り続けても、乗り継ぐ急行は同じなのだが、急行は花輪線の十和田南始発なので席を確保するためにも大館で乗り換えておきたい。
 急行よねしろを待つ間に、ホームのスピーカーは下り列車到着の案内を始めた。この時間はよねしろまで列車はないはずだと思っていると、鷹巣方面から機関車牽引の列車が入線してくる。前夜に上野を発った急行「なつかしの津軽」であった。所定では私が大館に到着する前にすでに大館を出ているはずの列車であったが、雪のためか遅れて大館到着。おかげで見ることが出来た。牽引機は秋田運転所のラッキーナンバーED75−777号機。それが14系座席車6両を率いてきた。客車のほうはJRマークが塗りつぶされ昔ながらの姿に少しでも近づけようとしているようだった。車内はやはり乗車率が高い。サボの「津軽」には針金が車体とくくりつけられており、盗難防止とはいえさびしいものである。結局、15分ほど遅れて急行津軽は青森へ向けて大館を発車していった。
 津軽が発車して待つこと数分、遠く奥羽本線を越える鉄橋の上に3両連結の気動車が姿を現した。まもなく目の前のホームに滑り込んでくるこの列車が秋田行き急行よねしろとなる。花輪線内は快速列車で大館から先が急行区間となる。列車は特別色のキハ58系列3両編成。かつては快速月山などでも運用されていた車輌である。以前、改軌前の奥羽本線を走行しているのを見たことがある。現在はよねしろの専用車輌となって南秋田運転所に配置されていた。
 秋田よりからキハ58 54+キハ28 2047+キハ58 1502で。54号は喫煙車。1502だけがパノラミックウィンドウである。54なんていうかなり初期の車が未だに使用されているのにも驚きなのだが、喫煙車でもあることだし、この車輌に席を取る。車内はオール転換クロスシートに変更されていて、急行列車にふさわしい設備にアコモデーションは改良されていた。雪の巻き込みのためか窓枠には透明のビニールテープが張ってある。ちなみに、54と2047は車外もとても綺麗な全検出場車のようだ。
 大館を8時25分に発車する。車内は8割くらいの乗車率である。早口で下りあけぼのと交換し、鯉川で日本海3号と交換する。
 晴れたり雪が舞ったりを繰り返しているうちに10時過ぎ、秋田に到着する。秋田では小休止の後更に奥羽本線を南下する。秋田、10時55分発の新庄行きは見慣れた701系ながらなんとクロスシート。クハ700−37で、車内はロングシートとクロスシートが半分ずつという構成に改造されている。もちろん、クロスシートのところに席を取る。秋田から新庄までは二時間以上かかるのでクロスシートは嬉しい誤算である。
 大曲では遅れているこまち5号の接続を待って6分延発。そのままの遅れで進んでゆく。院内から先はますます雪が酷くなり、下り線は線路が見えなくなってきた。いよいよやばいか?と思った瞬間に下り列車とすれ違う。あんなでも走れるもんだと関心しきり。それでも徐行運転で先へ進んでくれる。及位、6分延。なんとか分水嶺は越えたようだ。大滝6分延、釜淵6分延、真室川6分延。遅れが広がらないだけ凄い。パンタグラフが雪をかむのか、通電が瞬時途切れ、車内の電灯がまたたく。そのまま遅れは拡大することなく無事に新庄到着。
 新庄からは陸羽西線で鳴子までキハ110−215。鳴子からキハ110−241。ここも完全に新型気動車の天下になってしまった。鳴子で温泉でも、と思っていたが雪で列車が止まると問題なので今回はそのまま乗りとおすことにした。小牛田で東北本線の719系クモハ719−37に乗り継ぎ、宿泊地の仙台入りをした。

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