武州秩父紀行


2007/1/10

 10時過ぎの電車で武蔵大和を出発。小平乗継で10時半過ぎに所沢に。
 10:52発の特急ちちぶ11号で一路、秩父へ。正丸トンネルの中で久々に交換シーンに遭遇。所沢から一時間余りで西武秩父に。

 西武秩父に到着した10000系ちちぶ11号。

 ロッヂ風で特徴的な西武秩父駅舎。
 駅舎と直結している仲見世を通り抜けて、秩父鉄道御花畑駅方面へ。とりあえず、秩父鉄道は放って置いて、神社へ参拝に行く。

 途中で見つけたタバコ屋さん。秩父は古くからの商業都市であり、且つ開発がゆっくりと進んでいるためにこうした趣のある建物が未だに数多く残る。
 昭和の初期に流行った通りに面した部分のもモルタルでしつらえた形式の角屋建築である。

 西武秩父駅から歩くこと15分。御花畑駅からは10分程度で、秩父神社に。宝登山神社、三峰神社と共に秩父三社と呼ばれている。

 来意を明確にするために、まずは神社の由来が書かれた掲示板を。あ、私写っちゃってるね。マァ良いや。

 来意はずばり、御祭神の「八意思兼命」に参拝するため。別項にて考察を掲載しているので詳しくは書かないが、要は東方ネタである。
 八意思兼命は写真中でも書かれているように、思慮や知識を司る神様。多くの人々の思いを兼ねる、という文字が全てを物語っているね。

 12月2、3日に行われる秩父神社の例大祭、「秩父夜祭」の説明文。秩父夜祭は京都の祇園祭、飛騨の高山祭りと並ぶ日本三大曳山祭の一つで、他の二つと同様に山車、屋台が街中を練り歩く。
 神社の横には秩父夜祭会館があるし、周囲には大きな山車を格納する倉が幾つか散見される。

 神門を通って境内へ。
 境内には拝殿を囲んで小さな社がたくさんある。
 
 その一つ目。柞稲荷神社。

 商売繁盛の神様。これはお参りしておかないとね。

 諏訪神社。旅行の神様だということなので、旅行好きのうきはにとっては重要。

 日御碕宮。

 こちらは須佐乃男神。

 乳銀杏の説明文。肝心な銀杏を撮り忘れた。説明版の後ろにあるのがその銀杏なんだけど・・・

 これが秩父神社拝殿。5円玉を投下しておまいり。

 天照大神も祀られている。

 徳川家康公や菅原道真公も。なんだか神様がたくさんだ。

 秩父鉄道秩父駅。秩父神社からは徒歩2〜3分。秩父鉄道で寄居とか熊谷方面からアクセスするなら、こっちの方が断然近い。
 丁度いい時間に三峰口行きの電車があるようだ。直ぐに改札が始まりホームへ。

 駅名票を撮り、一服して待つ。

 広い構内側線にはポツンと一両電気機関車が佇んでいた。

 やってきた電車は元都営三田線の6000系。今は5000形を名乗っている。3両編成の真ん中の車輌に乗車。4つドアロングシートなのでいささか旅情感には欠けるが、まぁ空いているし良しとしよう。
 御花畑、影森と少しずつ山間に分け入ってゆく。久し振りに乗車する区間だが、改めて見返すと風光明媚な区間が多い。撮影のロケーションとしては及第点。何れ、きっちりと時間を作って撮影に来ようかと再認識。せめて、元国鉄の101系がなくなる前には・・・
 20分程度で終点の三峰口に到着。

 三峰口に到着した5202F。隣の電車も同じ5000形。入れ替わりに発車する羽生行き。

 一旦外へ出て、駅とは反対側にある鉄道車両館へと赴く。大輪側の踏切を渡って完全に逆側となる。

 駐車場脇の側線に留置される、西武の101N系を2ドアクロスシートに改造した急行用の6000形6203F。この編成は足回りもピカピカでまだ入線したてのようだ。先日、最後の3000形が引退したが、それの入れ替えとして入線したものだろう。しかし、西武の101N系もここまで化けるとは想像もしなかった・・・

 大輪側の踏み切り上から見た三峰口構内全景。右端の編成が上写真の6203F。左側にもう一本6000が留置されている。

 反対側から6203Fを撮影する。完全に逆光だが、埋められた中扉とか、種車の面影とかが見て取れるかと思う。
 秩父鉄道には抑速制御の西武101系は丁度良い車輌だと思う。実際、乗り入れもしていたし。都営の6000とか、東急の7000とか買わないで101系買った方が良かったんじゃないかね?冷房付き3ドアで使いやすいと思うけど。

 こちらはもう一本の6201F。こっちも逆光だね。仕方ない。

 ここから車輌展示エリア。入口側には貨車が5両。手前からワキ824、チキ117、スム4023、トキ502、ヨ15。

 入口側5両のうち、一番奥に展示されるヨ15。形式や見た目からも解るとおりの緩急車。元々は貨車から改造された車輌で、緩急車ながらボギー台車を履いているのが特徴。国鉄の緩急車もそうだが、緩急車といえば大概は単車である。
 形態的にも面白く、全室構造にはされておらず荷台が残されている。運用時にこの荷台を使用していたかは定かではないが、とても模型向きで興味深い車輌だと思う。

 トキ502からスム、チキ、ワキ、の編成を眺める。こうしてみてみると、現役そのものとしか見えない。 

 入口側貨車群と、奥の展示車輌群の間に転車台がある。これも展示物の一つなのかと思ったが、立派に現役。パレオエクスプレスのC58用の転車台なのだった。冬場は運行されていないが、運行期間中はここから転向風景を見学できるように造られている。

 続いて第二の展示車輌群。写真はクハニ29でデハ107と編成を組んでいる。その奥にデキ1、ED381、ワフ51と続く。

 クハニ29の荷物室部分外側に書かれている「手荷物」の文字。つまり、チッキのみの扱いだったと言うことだ。

 デハ107こちら側はほぼ順光で撮影できた。さすがに塗装は厚塗りだが綺麗に保たれており、窓ガラスの欠損等も見受けられないので、屋外展示の車輌としては抜群のコンディションだと思う。
 デハ107は

 デハ107の台車。住友製のイコライザータイプ、KS33E。もちろん釣り掛け駆動だ。

 デキ1のキャブから撮影したデハ107。

 デハ107の銘盤。日本車輌で昭和27年に作製された事が解る。

 クハニ29の運転台直後の荷物室。窓2個とドア部分が荷物室。当然座席は無い。かつてはこうした荷物室合造の旅客車がたくさんあったが、現在でも保存されている例は少ない。そうした意味でも貴重な固体だと思う。

 クハニ29、客室と荷物室の仕切り部から運転台方を見る。中央運転台で運転席部分だけ広く取ってあるので、こんな逆ハの字の仕切りになっている。

 クハニ29の運転台。マスコン、ブレーキ、メーター類と主要機器のことごとくが撤去されている。しかし、幾らなんでもこの丸椅子に腰掛けての運転は疲れただろうに・・・

 クハニ29の客室部。木の床、大きく丸い天井。腰掛の造り。古き良き昭和の電車の匂いがプンプン。最近、ほんとにこうゆう電車にお目にかかれなくなった。保守とか、安全性、旅客サービスという点から考えれば、こうゆう電車を維持して使っていくのは難しいのだろうけど、やはりなくなっていくのは寂しいものだ。人の手作りの良さが残されている工業製品て、こんな電車くらいしかもう無いものね・・・

 こちらはデハ107の運転台。メーターの欠損、マスコンハンドルの欠損はあるものの、雰囲気は良く残っている。こちらもやはり中央運転台。

 デハ107の車内。こちらはシートの片側が資料展示のために撤去されている。

 ついでに、現役時代のデハ100の写真があったので載せておこう。デハ102以下の4連で、三峰口の2番ホームに留置中の姿。1986年3月の撮影である。
 当時は自社発注の2ドア一般車500、急行用300、そしてこの100、更に小田急から来た800が在籍しており、国鉄からの1000形も入り始めた時期であった。釣り掛け電車はこのデハ100と800でそれぞれ結構運用に就いていたと思われる。残念ながら、このときこのデハ100には乗ることは出来なかったが・・・。この時は800と500に乗っている。何れも現在は無いので貴重な経験をしたとも言えるが。ところでこのデハ102、保存車輌と比べるとベージュが濃く、帯もこげ茶っぽく見えるのは気のせいではないよなぁ?
  では、続いて次の車輌へ。

 デキ1。ボールドウインの凸型車体に、ウエスチングハウス製の機器を組み込んだ電気機関車。古典電機の典型的な姿と言えよう。こんな凸型機にも最近はお目にかかれない。秩父鉄道の電化時に購入した5両のうちの1両で、言ってみれば秩父鉄道生え抜きの車輌でもある。似たような形の機関車が極最近まで近江鉄道なんかで動いていた。

 デキ1の運転台。写真右側が正面。突き出ているレバーがマスコンで前後に動く。実際に機器が動いているかどうか(抵抗器のスイッチとかね)は解らないが、レバー自体は驚くくらいスムーズに稼動する。

 マスコンのボディには「WESTINGHOUSE」の文字。

 メーター類。

 デキ1の機器室。

 抵抗器の塊・・・・・・だと思うが、専門家ではないので良く解らん。

 2両目の電機、ED381。デキ1とは打って変わって現代的な姿になったが、それでもどことなく古めかしく見える。尾灯の周りについた大きな反射板とか、ごつい台車枠とかこれも特徴的な一台。
 古めかしいのもその筈で、製造は戦前の1930年。大阪の天王寺と和歌山を結んだ幻の高速鉄道阪和電鉄(現・JR阪和線)が発注した電気機関車である。日本車両製で、阪和電鉄の国鉄買収を期にED38となり、その後秩父鉄道に移って来た車輌である。阪和の生き残りなんて、今やこの車輌だけじゃなかろうか??
 逆に言うと、阪和電鉄は戦前に於いて、すでにこんな近代的デザインの機関車を作っていたということである。基本スタイルは現役の小型BB電機に通ずるものがある。

 ED381の運転台、マスコン。レバーの位置は現在「切」。写真中央部分のたくさん刻みがあるのが直列部分。右端の少しだけあるのが並列部分。すなわち、直並列抵抗制御だと言うことがわかる。

 ちなみにちゃんとレバーは稼動した。直列部分は全段稼動したが、どうしても並列部分には投入することが出来なかった。なんか安全装置でもあるのか?走行中にしか入らないとか。レバーのグリップ、ノッチ刻みのリリースもしっかりスプリングが利いていてスムーズに動かせた。

 マスコンの上にある計器盤。さすがに古めかしい。

 ED381の機器室。通路は両側にあるが、とても狭い。横になって進まないと引っ掛かる。

 抵抗器かな?多分。機関車の中身なんてあまりしっかりと見物したこと無いので解らない。

 先程とは反対側の運転台。狭い。こちら側のマスコンも同様に稼動した。

 椅子に座るとこんな風に前方が見える。窓が狭いし、反対側の側面は全然見えない。

 最後はワフ51。緩急室付きの有蓋貨車。そもそも緩急車なんてものが現在運用されていない御時勢だからなあぁ・・・
 と言うわけで、一通り展示車輌で遊びつくして、三峰口駅へと戻る。

 改札で硬券入場券を2種買うと、すぐに秩父方面からの電車が到着し、入れ替わりに出発の電車の改札が始まった。

 今度の電車は元国鉄101系のデハ1001(右)。左は入れ替わりに到着した列車。期せずして並びを撮ることが出来た。
 1000は現在の秩父鉄道では最古参の車輌である。そもそも、国鉄101系は譲渡例が他になく、JR線上からも引退しているのでここが最後の砦となる。
 面白いのは、101系よりも車齢の若い165系が先に引退して、古い101系が多数残った点だろうか?165系もJR線上からは姿を消し、辛うじて傍系の167系がしなの鉄道で走っているだけである。
 この後、登場した103系は譲渡例がないし、他の大手私鉄の程度の良い中古車がたくさん出回っているので、国鉄通勤車の譲渡はこれきりで終わるんじゃないかと思っている。
 しかし、秩父鉄道も4ドア通勤型を良く導入したもんだと思う。この環境では必ずしも使いやすい車種ではないはずだし。なんにせよ、国鉄通勤型電車のパイオニアが関東の山裾で生き残っているのは奇跡としか言いようがない。

 先程、撮れなかった駅名票を撮影してからデハ1001の車内に入る。昼下がりという事もあってか車内は閑散。
 下車駅の影森まで乗り合わせたご老人としばし談笑。札所のこととか、山のこととか、秩父鉄道のこととか・・・旅先でのこうゆう出会いがあるから、旅はやめられないんだって。ね?

 影森の駅舎。初めて降りる駅。ここからセメント関連の専用線が延びているので、ちょっと散策してみようと思い下車した次第。専用線の話はかなり昔から知っていて、いつかは訪れようと思いつつ時期を逃し続けてきていたもの。今回これで念願叶った。
 駅前通を三峰口方向に歩くこと10分。

 適当に入った路地を辿って、車内からめぼしをつけていた踏切へと。踏切から影森方面を臨む。左が三峰口からくる本線。右の勾配になっているのが砕石所へと向かう貨物専用線。中央は廃線となった別のプラントへ向かう路盤。旅客線、廃線、貨物専用線が並ぶ、ファンにはパラダイスのようなシチュエーション。

 踏切から三峰口側を臨む。線路の位置関係は真逆になる。ここから先は廃線跡にもしっかりと二本のレールが残る。ここが廃線になったのは1984年のこと。すでに四半世紀近くの歳月が経過している。
 踏切から専用線に沿って途を進む。かなりの勾配で高度を稼いでいる。

 専用線の勾配のほぼ頂点に踏切があり、その先は鉄橋で旅客線と廃線跡を跨いでいる。陸橋の上から影森側を臨む。この辺りから旅客線、廃線跡ともに専用線から分かれ始め、廃線跡は緩い上り勾配になる。旅客線と専用線との高度差も解ると思うが、わずか2〜300mの距離でこれだけ高度を取るのだからかなりの勾配である。上ってくるほうは空のホッパー車だから大丈夫なんだろうが、満載の列車だったらこれは登れないよ・・・

 陸橋から三峰口側を臨む。廃線跡はしっかりレールが残っているが、旅客線と別れ、旅客線を跨いでいる画面奥の橋の辺りからは一般道になっている。実は、何年か前にこの廃線跡は訪れたことがある。故に今回は割愛。
 陸橋から専用線沿いの側道に戻る。

 踏み切りを渡りしなに影森側を撮影。これを見てもかなりの勾配だって解るでしょ?

 踏み切りより先、線路と接近した側道は境界も曖昧なまま奥へと続いてゆく。木製架線柱に木枕木、人家の無さと言い最高のシチュエーション。この長閑な風景がたまらない。

 影森側を見る。昔はこんな風景当たり前だったんだろうけどなぁ・・・

 とりあえず、様子を伺いに太平洋セメントの砕石所へと。側道はここへ行く為の道で、この先にはこの砕石所以外何も無い。人家も無いので、従って人通りもまずない。
 ホッパーの根元に一両機関車が見えるが、列車は居ないので先程の踏み切りまで戻って時間を潰す。
 三峰口行きの電車がやってきたので陸橋の上で撮影していると、続行して再度下の踏切が鳴り始めた。良く見ると影森駅の構内を通過してくる機関車が見える。タイミング的に厳しいかな?と思いつつもあの勾配で時間を稼いでくれそうだったので急いで砕石所方面へ向かって撮影の準備。踏み切りと砕石所の中間辺り、ぎりぎり順光で写せる辺りでまずは機関車を撮影。空荷とはいえ、10数量の貨車を単機で持ち上げてくるんだから凄い。

 列車は専用線上で一旦停止している。いつまで経っても進まないので、砕石場へと向かうと、前方でなにやらやっているようだ。

 見れば構内入口で電機機関車からディーゼル機関車に付け替えている。ホッパーの中へは構内入れ替え機の先導で入るようだ。良く考えたら、上から砕石を落とすんだからホッパーの中には架線は張ってないよな・・・
 ディーゼル機が列車をホッパーに入れ終わると、一端退避していた電機が本線上まで進出、転線して列車の最後部に接近し停止する。同時に、奥に渡り線でもあるのだろう、引っ張って奥に行ったディーゼル機がホッパーの入口まで戻ってきて、一連のイベントは終了した。

最後に、構内出て直ぐの本線上にある機器。何かな?と思って良く観察してみたら、どうやら車輪止めのようだ。レバーを操作をすると、写真中央、レール横にある黄色い塊が線路上にせり上がってきて、車輪を止めるのだろう。気付かなかったが、機関車の付け替え中に使用していたと思われる。でないと、貨車は影森駅まで勝手に走っていってしまう。毎日繰り返されることだから、手で置く車輪止めでなくこうした機器を作ったのだろう。それに、このほうが列車に潜り込まなくてすむので安全だ。
 行き当たりばったりで、列車のダイヤなぞ調べずに来たが、殆ど待つことなく専用線を走る列車を撮影することが出来た。気分は上々。意気揚々と影森駅へと引き返す。

 行き掛けの駄賃とばかりに三峰口行き電車を撮影。ちょっと遠いけど、これより手前だと前面が架線柱に引っ掛かるし、後だと陸橋の影が架かる。タイミング的にはこれ以外のタイミングは思いつかない。

 同じ電車を後追いで。うん。逆光だね。だけど、タイミング的にはわりかし上手くいった。


 駅へ戻って少し待つと、積み込みが終わった先程の列車が下りてきた。側線に入り停車。運転士さんが降りてきて、ホームにある詰所に入っていったので列車はしばらく動かないのだろう。
 こちらはやってきた1000形に乗って、次の御花畑へ。

 御花畑の駅名票。

 御花畑を発車する、乗って来たデハ1005。

 その後、西武秩父より特急電車に乗り、夕方には帰宅と相成った。

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