鹿角弘南渡島紀行

なくしたと思っていたメモ帳を発見しますた
データの修正。加筆訂正を行っています。   ・・・・・・2008/5/31


2008/2/26

 そもそもは大館フリー使って、行きは「こまち」で行こうかな?なんて考えていたものの。結局、羽田からの便を予約しちゃったので時間に余裕が。旅行後時間に余裕がなさそうなので、秋葉でイベントのカタログ購入してから羽田へ赴く。しかも、カタログだけならまだしも、先日のサンクリの新刊とかも買い込んじゃって、これ3日間持って歩くのかよ!?みたいなことになったが、まぁわりかしいつものことなので良いか・・・

 品川から京急に乗り継いで羽田へ。久々に蒲田まで2100の一番前に乗って、ドレミファインバータ聞いてみたり、蒲田での乗り継ぎは都営車でちょっとゲンニョリしたけど、もっとゲンニョリしたのは羽田に着いてからだった
 コンビニで決済していたので、チェックインをしなおす必要がある。2Fの出発ロビーに向かい、自動機でチェックインしようとして固まる・・・

「875便 秋田行 12:20天候調査」

 ちょま!?ちょまーーー天候調査!??そんなに天気悪いんかよ。12時の庄内は普通に飛ぶみたいだし。庄内飛ぶなら秋田だって飛ぶでしょう?みたいな。聞いてみたら、朝イチの便は秋田に降りたらしい。次の便がこれから乗る875便なのだが、最悪、羽田に戻ってくる可能性もあるとのこと。B767じゃ他に行きようがないものな・・・
 のっけから「ワーストリターン」かよとか思ったが、うだうだ言ってても仕方ないので、検査場通ってゲートラウンジへ。

 国際線スポットにはチャイナイースタンのA321がいた。ソウル線に加えて、上海線も運行開始したんだったな。

 飯とか喰ってたら搭乗時刻に。とりあえず、飛ぶみたいだ。一安心。

 羽田→秋田:NH875 JA8359 B767−300 13:00発 37A 


 68番スポットで出発準備中のB6、JA8359。見覚えのあるヤツが担当してるな〜と思って後で確認したら、やはり後輩だった。まぁ、会社辞めちゃったから、「おともだち」だね

 奥には、まもなく(4日後)退役するA321、JA102Aが見える。2月のスケジュールでは、朝の岡山便往復の後、夕方まで羽田でグランド。夕方、函館を往復するというもの。日中、もう1往復くらい飛んでくれるとありがたかったのだが・・・秋田便とかwww

 検査場通るとき、チラ見したITV・・・業務用の発着用端末ではPAXは110とのこと。ちなみに、仕様機材もこのとき既に解っていたりして・・・。こんなの見て喜ぶのはマニアくらいだ。っても、実業務に就いたこと無いマニアは見方すら解らんだろうが・・・。仕事はたっくさん忘れちゃってるけど、こうゆう実益的な部分はしっかり覚えていたりして・・・
 さて、搭乗。左の窓側、後方をしっかり確保。窓と座席の位置関係も悪くない。4割強の搭乗率なので、となりもいないし上々だ。定刻にプッシュバック。ヘディングはイースト。つまり機首を海に向けてプッシュバックするのだが、このスポットからそれをやると、エンジンブラストがもろに後ろのスポットに掛かるので、下がりきった後に一端まっすぐ前に引っ張って、しっかりと後方間隔をあけてからエンジンスタートする。性能上の危険エリアからは外だけど、それでも後ろに立ってると結構排気くるし、あんまり良い気分じゃないんだぜwww

 プッシュバック中、機内から撮影。程よく、真横に来てくれた〜。JA102A。

 V2にエルアルのB767−200・・・多分ERがいた。聞いて無いぜwww
 離陸直前にBランに上海航空のB767−300がランディング。羽田もにぎやかになってきたなぁ・・・

 Aランウェイを木更津に向けて離陸

 離陸直後

 東京から埼玉にかけての風景・・・この後は雲の上。次に下界が見えたときは一面雪景色だった。

 小一時間で秋田に到着。アプローチ中は雪が降っていたが、空港は雨。

 すぐさまバスで秋田駅へ。

○ 空港→秋田駅西口 秋田中央交通バス 14:20発 「秋田駅西口」

 この時間は東口へ行く直行のバスはないんだって。あれ、高速使って速いんだけどなぁ〜・・・

  秋田→羽後牛島:クモハ701-17 15:11発 1544M 普通「新屋」

 新屋行き。あらやだ

 秋田から羽越線で1駅。羽後牛島までやってきた

 駅舎はあるものの、ホームまで地下道で連絡しており、現在の駅事務室、改札はホーム上に設置されている。構内は広く、貨物線も分岐している
 駅を出て西へ歩く

 うん・・・ちょっと、雨が・・・・・・傘持ってないんだけど

 お、目標が見えてきた〜

 目標。ラウンドワン・・・・・・つまり、ゲセン・・・
 というかだね。さっき、空港からのバスでこの交差点を画面右からやってきて、右折して、右奥へと・・・もっと近くで降りられればなぁ・・・
 そんなわけで、バトギの鍵を何本か作って撤退。駅へ行くバスが無いかと探したが、ちょうど良い時間に無く、再び羽後牛島まで歩くことに

○ 羽後牛島→秋田:クモハ701−32 16:29発 2547M 普通「秋田」

 駅は通学の学生で偉い混み様だった。あんたらは定期券持ってるから関係ないだろうけど、こっちは切符買わなきゃならねーんだから、通路から出入り口から占拠するなよ
 
 秋田に到着。乗って来たクモハ701-32。この辺りは701ばかりだからなぁ・・・

 男鹿線1143D、キハ40 543+40 541+48 537の3連

 こうゆう乗車案内札もなくなっちゃうんだよなぁ・・・って、こないだも撮ったかwww

 このあと乗るのは快速の鹿角花輪行き。奥羽、花輪系統に最後に残ったキハ58系列使用列車。この春、3月改正で系統分離の上、701系とキハ110に置き換えられる
 1時間少々、ひたすら待つ。座れなきゃ謀反だ。17:50過ぎ、秋田南運転所からキハ58 54以下3連が入線。快速・鹿角花輪行きとなる編成だ。到着したものの、車内整備とかで直ぐにはドアは開かない。ところで、夕方のラッシュというせいもあって、各乗車口は長蛇の列だ。やはり、ギリギリに来たんでは座れないな。デッキ付きで、リクライニング機構付転換クロスシートとあって、通勤客もこの列車を狙って乗る人が多いそうだ。

  秋田→鹿角花輪:キハ58 54 18:10発 3969D 快速「鹿角花輪」

 秋田← キハ58 23+キハ28 2157+キハ58 54 →鹿角花輪

 うむ。いつもの編成だ。時刻表とか捨てちゃうと解らなくなるので、停車駅と発時刻(一部着時刻)を列記しておく
 秋田(18:10)・土崎(18:18)・追分(18:24)・大久保(18:31)・井川さくら(18:36)・八郎潟(18:40)・森岳(18:54)・東能代(19:06着/19:08発)・二ツ井(19:23)・鷹ノ巣(19:34)・早口(19:42)・大館(19:51着/20:00発)・東大館(20:05)・扇田(20:10)・大滝温泉(20:23)・十二所(20:26)・沢尻(20:30)・土深井(20:34)・末広(20:37)・十和田南(20:43着/20:48発)・柴平(20:53)・鹿角花輪(20:58着
 キハ58 23はJR東日本最若番車。54もかなり古い。秋田〜大館間は急行時代も含めて何度か利用したことがあるのだが、全線全区間乗り通すのはこれが初めて。最初で最後だな
 混雑していた車内も、秋田から遠ざかるにつれて落ち着いてくる。大久保で殆ど車内は閑散と・・・もっと長距離の、例えば東能代や二ツ井、鷹ノ巣方面への通勤客が多いかと思っていたのだが・・・
<井川さくら>
 雨が雪に変わる。大粒だし
<森岳>

 ちょうど駅名票の横に停まったので・・・

 手洗いついでに、キハ28 2157の運転台、助手側を
<大館>

 程よく雪化粧したキハ58 54。ここから最後尾になる。19時51分着。20時ちょうど発。進行方向変わって、花輪線へと入る。ここからは終点の鹿角花輪まで各駅停車、そして大館発花輪線の最終列車でもある
<大滝温泉>
 1939Dと交換。6分ほど停車する

 闇夜の中、静かに佇むキハ58。ほんの1年前までは当たり前に見られた光景。来る列車来る列車が同じキハ58だった・・・それもいつしか、この列車だけに。そして、最後に残ったこの1本も間もなく終焉を迎える

 大滝温泉とキハ58 23。この組み合わせを撮る事ももう無いんだろうな・・・

 ほんの数年前には当たり前にありすぎて、実感のわかなったこの引退劇。いつまでも続くと良いなと思いながら、来期再びこの光景を見ることは出来ない

 雪明りを反射させて、「よねしろ」は雪中の小駅に佇んだ・・・

 キハ58 54の運転台。運転台を撮るときは夜のほうが綺麗に光が周って都合が良いといえば良いか?
<十和田南>

 半数はここで下車。5分ほど停車して、再度進行方向が変わる

 降車客もひと段落。ホームには静寂が、DMH17Hエンジンのアイドル音だけが響く

 やっぱり、大分くたびれているね・・・
 再度、54が先頭になってあと二駅・・・。よねしろ最後の乗車もまもなく終わる。結構、世話になったなぁ・・・

 昔はタバコも吸えたんだよなぁ・・・なんて。曇った窓を拭きながら、粉雪に霞む山峡の家々を望む

<鹿角花輪>

 とうとう着いちゃった。最後に車内を撮って

 奥羽本線、花輪線、秋田から2時間半ちょっと、最後のキハ58の旅もこれにて終焉。
 ありがとう、お疲れ様。22年間、ご苦労様でした

 本日は素直に宿に入って、就寝。ガーデンかわむらさんにお世話になりま〜す

 晩飯は秋田で買った「秋田比内地鶏のいいとこどり弁当」で


2/27

 起きたら7時過ぎてましたよ?
 やはり、早番勤務明けで疲れてたんだよ・・・と、自分で自分を慰めてみる。つまり、予定していたよねしろの走行写真は撮れないので、それは翌日に持ち越して、取り敢えず土深井から乗る予定だった列車に花輪から乗って大館を目指そうと・・・

 駅前通。2月も末だというに、昨晩も降雪があったせいで真っ白

 鹿角花輪駅。何はともあれ、切符を作ってもらう。大館周りで函館まで

 通勤、通学時間帯なので結構乗車はある・・・が盛岡方面のほうが主流みたい

  鹿角花輪→大館:キハ111−116 7:38発 1925D 普通「大館」

<十和田南>
 
 例によって、進行方向変更

 明日の撮影ポイント探し。いくつかポイント絞込み〜
<扇田〜東大館>

 そして誰もいなくなるか?
 前の車両は何人かいるけども、後ろの乗車車両はうきは一人きりに・・・
<大館>
 
 大館に到着した1925D、キハ111−116。直ぐの連絡で寝台特急あけぼのに乗り継げるので、何度か使ったことがある列車だった。初めての花輪も盛岡からこのスジの列車。もっとも車両はキハ58の2連だったけど。盛岡で寝台特急「はくつる」を見て、払暁雪の中を走って、到着した大館からあけぼのに乗る。今から思えば贅沢な旅だよなぁ・・・

 となりのホーム、2番線には雪塗れの701系トップナンバー編成、クモハ701-1以下3連がいた

 大館の2、3番線待合室はいつも石油ストーブが点いていて暖かい。僅かな乗り継ぎでもありがたいことだ・・・。あけぼのが遅れている時はもっとありがたい

  大館→弘前:オハネフ25 21 8:36発 2021レ 寝台特急あけぼの 「青森」 4号車Bハネ

 あけぼのは8分ほど遅れてやってきた。翌日はもっと酷かったし、この後続行する日本海3号は60分の遅れだから、8分なんてものの数ではない。とはいえ、弘前での乗り継ぎがシビアなので少々やきもきw
 牽引機はEF81 137号機。

 開放寝台でも、客レにのるとホッとするね・・・

 通路。弘前までは比較的閑散としてるんだ。でも、この時間帯は矢立越える列車は「あけぼの」しかないんだがなぁ・・・
<碇ヶ関>

 先月来たときよりも雪は多いなぁ・・・なにより天気が悪い。でも、これがやっぱり冬の東北だよなぁ。日本海と違って、あけぼのは多停車形特急である。日本海は1号も、3号も碇ヶ関には停まらない。3号にいたっては大鰐温泉も停まらない
<弘前>

 弘前に到着。オハネフ24 27。辛うじてテールサインも見える。反面、テールランプは殆ど見えないね

 急いで撮影して、急いで改札出て、急いで弘南乗り場へ。なんとか予定の電車に滑り込み〜

○ 弘前→黒石(平賀) 7105 9:30発 「黒石」

 乗り込んでほっとしたのもつかの間・・・
<新里〜館田>
 なんだか様子がおかしい・・・運転士さんノッチを入れたり切ったりしているが、電車側にその反応が無い様に見受けられる
 つまりだ
「なんかノッチはいんねぐなった」
 って、無線で言い出す始末なわけだwww

 電車は吹雪の中、本線上に停止。電源とかリセットしてもダメみたいだ。
 9:40頃平賀に救援列車の要請をしている。つうか、いろいろ緊急時なのだが、無線が津軽訛りでなんだかほのぼの〜www

 外は間断なく吹きすさぶ雪。ブレーキを緩めりゃ後退する。打つ手はないなぁ〜

 一つ先の館田を救援列車が出たということで、連結のために運転士さんは外へ。救援列車の来るべき方向を見据えて

 おっ!?なんか来たぞ

 赤旗挙げて停止位置の現示

 ゆっくりと救援列車が近付いてくる。電気機関車を期待したが、やってきたのは同じ7000形電車だった

 きたーきたー

 数メートル手前で一端停止

 双方の列車の連結準備。普段は連結運転をしないので、凍結解除のために連結器にお湯をかけている

 フライキの指示で超微速前進。直前で一端停止後、

 10:04。ガチャンという金属音と、衝撃。連結完了!!これで動けるね〜

 10:05、現場に約30分停滞の後発車。平賀まで牽引で走って、平賀から先は前の7023に移って黒石まで運ぶようだ

 ただ連結しただけなので、総括制御は出来ない。それぞれの編成に運転士さんが乗って、無線でコンタクトを取りながらの協調運転。ブレーキも各々操作する必要がある。でないとオーバーランしちゃうぜwww
<館田〜平賀>
 途中で瞬時停電。まだまだ異変は終わらない。館田で交換した弘前行き電車から無線「過電流だな〜」・・・
<平賀>
 やっとこさ到着した弘南線の中核駅、平賀。側線には南海流れの1521とかいてゆっくり見たいが、乗換えとかもあるのでそうも言っていられない、いざ前の車に移ろうとしたら、まったが掛かった
 どうやら、先ほど交換した弘前行きもダメになったらしい。救援には乗換え予定だった7023を使うようだ。じゃぁ、黒石へは??
 案内されたのは駅前ロータリー。タクシー代行と相成った。
 3台に分乗。そもそも乗客が少なかった上に、更に黒石へと進む客も少なかったようだ。一瞬、引き返そうかとも思ったが、助役さんに聞いたら運休にはならないようなので、黒石まで行ってみることに。最悪はバスで戻れば良い。
 途中で、弘前へ向かう電車とすれ違う。とりあえず動いてはいるようだ。ダイヤはきっと乱れているだろうけど。待っていれば、黒石行きの電車も直に出たかもね?まぁ、タクシー代行なんて経験したこと無いので、せっかくだから恩恵にあやかることに。車の視線で無いと見れない町並みってのもあるしね
 土地勘がないので良く解らないが、20分ほどしてタクシーは黒石の駅前ロータリーに到着。電車の状況はどうかな〜?と思い、駅に入るとちょうど弘前行の改札が始まるところ。これ幸いと乗車券買ってホームへ。こんな人間のために、弘南電鉄はタクシー代を払わなければならないなんて・・・・・・

 ホームから改札方向を。雪の壁が・・・

 黒石線専用の検修施設がまだ残っていた。黒石線のディーゼルカーは写真中央、雪をのせたホームから出ていた。ちょうど10年前の1998年廃止された黒石線は、元を正せば国鉄路線。国鉄末期の赤字ローカル線転換期に弘南鉄道に移管された。もともとの国鉄黒石駅は別のところにあったが、転換を機に弘南黒石駅への短絡線を造り一括化されている。とはいえ、元々中途半端な路線であるが故、一層の旅客減から、国鉄の転換線としては一番最初に廃止されている。当初は国鉄のキハ22が走っていたが、末期は旅客営業廃止で余剰化した小坂精錬のキハ2100が入線した。国鉄の特定地方交通線としては珍しく純民間業者へと転換された路線であった。
 時間があれば黒石線の跡を見てみて、バスか何かで川部に出ようかとも考えていたが、先ほどのアクシデントで時間が取られた上に、平賀と黒石の間を乗り残してまた来ることになるのも厄介なので、このまま弘前へ

 7011に乗って、残りの平賀までの区間を走破

  黒石→弘前:7011 10:50 「弘前」

 ダイヤが乱れていた関係で、途中駅で交換のために少々停車したが、概ね順調に走り、弘南鉄道も全線走破。貴重な経験も出来たし、良しとしよう

 再び、JRの弘前

 ホームはうっすらと雪の絨毯

 青森行特急かもしか1号を撮影してから、普通青森行に

 日本海3号は相変わらず60分遅れとのことなので、ちょっと撮影でもしてみようと思う。青森行クモハ701−17でお隣の撫牛子へ。つうか、昨日乗ったヤツじゃん。コレ

  弘前→撫牛子:クモハ701−17 11:54発 645M 普通「青森」

<撫牛子>

 これが読めるのは地元の人間か鉄道ファンだけだと思う。難読駅名の一つか?かねてより気になる駅の一つだったが、期せずして訪れることが出来た

 待合室があるだけの駅舎。改札はない。この駅舎を通らなくてもホームには行ける。駅を左に出て、弘前方へ。一番最初の踏み切りで、日本海を狙うことにした

 その名の通り、撫牛子踏切。主要道の一つのようで、交通量が多い上にデカイ車も結構走る。周りは雪だらけなので、エスケープゾーンがあんまり無いんだよな・・・
 待つことしばし、踏切が鳴りだす。時間的には良い塩梅・・・

 雪煙蹴立てて、4003レ日本海3号が通過してゆく。弘前駅の掲示の通り、ほぼ60分の遅れだった

 お目当ての列車は一瞬。この一瞬の為だけに一時間一本しか列車の来ない駅に降り立つ・・・

 時折通過する貨物列車を横目に、無人の待合室で列車を待つ。直接外気に触れていないのでまだ何とかなるが、暖房はないので底冷えする・・・

  撫牛子→五所川原:キハ40 529 12:58発 2830D 普通「深浦(鯵ヶ沢)」

 4両もついている上に、前のほうがやけに空いてるな?と思ったら、前の2両(五能線内は後ろ2両)は途中の鯵ヶ沢で切り離しだった。鯵ヶ沢よりも手前の五所川原で降りちゃうので、空いてる一番前の車両に
<川部>

 ここで進行方向が変わる。8分停車プチ下車。乗っているキハ40 529を。天候が一時的に回復、晴れ間が見えてきた。

 五能線は青森方面から直通できる構造になっているが、輸送の実態は弘前方面からの直通にある。青森方面に直通する列車は、朝夕の快速深浦1往復と臨時のリゾートしらかみだけである。

 進行方向変わって五能線へ。五能線は久々に乗車する。

 周囲は林檎畑。
<板柳>
 
下り、弘前行きと交換。プチ下車。

 川部方を見る。もっさり積もった雪を見てるだけで幸せ。

 キハ40 529の運転台を撮って見た。

<五所川原>

 到着するや否や、津軽鉄道ホームへと。駅は同じで連絡しているが、津軽鉄道は「津軽五所川原」となる。

 いたいたー!!手前はオハフ33 1、奥がオハ46 2。

 まずは車内へ。人が少ないうちに撮影撮影。ご覧のように、ストーブは2基搭載されている。

 石炭式のだるまストーブ。石炭は座席のした、ブリキのバケツに入っている。そんなに年齢の変わらないように見える車掌さんが適宜くべていた。
 席はストーブから通路を挟んで反対側に確保。ストーブの前後は暑くてじっとしていられない。停車中に車内で乗車券とストーブ列車用の整理券を発券してもらう。車補だよ。ストーブ列車整理券は300円。

 オハフ33の車内。ご覧のとおり、木材を多用している半鋼製車。前に連結されているオハ46よりももっと趣がある。なお、機関車の次位がオハ46でこちらは団体専用とのことで乗車は出来ない。とはいえ、締切されているわけではないので車内に立ち入ることは出来るが。

 無事に席も確保できたし、平日とあってか思いのほか目当ての客も少ないので撮影をば。DD35型、DD352の前にはストーブ列車のヘッドマークも取り付けられる。この機関車、国内では貴重なロッド式駆動の機関車でもある。
 なお、今年度の運行よりストーブ列車には保存、維持整備のために300円の特別料金が加算されるようになったが、ストーブ列車に乗らない旅客のために、一般車として五所川原方にディーゼルカーが連結されている。

 側線で雪に埋もれるラッセル、キ101。元国鉄のキ120で1933年、鉄道省の大宮工場製。貴重な戦前製のラッセル車だが、稼働はしていない。現在は本線走行が不可能とのことで、除雪はモーターカーによって行われている。

 ラッセルの後ろにはナハフ1203が連結されている。こちらも廃車なのか休車なのか扱いは不明だが、形式から解るように客車である。3ドアの客車というのは珍しいが、それもそのはずでご覧の通りに元々は電車である。
 手前が1203、奥が1202で、元々は西武のクハ1151で、川崎造船所で製作された所謂、川造型の一族である。

 サボなんかを撮って、車内で発車を待つことに。オハフ33 1は元国鉄のオハフ33 520で1948年製。ちょうど60年前に製造された客車である。末期は電気暖房装備で2520に改番されているが、津軽鉄道の機関車には電気暖房設備が無いので、ダルマストーブの搭載となったわけだ。

  津軽五所川原→津軽中里:オハフ33 1 14:05発 「津軽中里」

 低い唸り音と、前後にゴツゴツ揺さぶられながら発車。久々に旧型客車に乗った。気分良し!!

 屋根のアールがそのまま天井。冷房装置は勿論のこと、ラインデリアとかそんなものも一切無い、まさしく「ハコ」である。これだけ木材を残した旧型客車も保存車のなかでも少なくなっているのではないだろうか?
<金木>

 太宰治の生家、斜陽館で有名な待ち。交換待ちとのことなのでプチ下車。

 マニア的には後ろにくっついている気動車が邪魔www

 団体サボ付きのオハ46 2。よくよく見ると、こちらはヘッダーはあるものの、シルは撤去されている。出自は国鉄オハ46 2612で、1954年製。もう半世紀も走っていると言うことか・・・

 デッキからホームを見る。

 五所川原から津軽中里まで、交換街待ちはあったものの、気動車列車よりも遅い55分で走破。
<津軽中里>
 
 折返しまで時間があるので、少し外へ。

 散歩の途中だろうか?道路標識に繋がれて犬が一匹・・・。雪の上じゃ冷たいだろうに。

 すでに機関車は機回しを完了し、五所川原方に連結されている。最後尾となったオハ46 2。転落防止のため、貫通路には腰部まで板が取り付けられている。

 終端部。延伸は考えていないらしい。そもそも、この先には大きな街はもう無いが・・・
 
 ホームからオハ46を。

 折り返しも同じハコだけど、座席は一番後ろのボックスに。

  津軽中里→津軽五所川原:オハフ33 1 15:13発 「津軽五所川原」


 網棚がほんとに「網」なんだよね。

 車内、デッキへの仕切り扉も木製。

 となりのBOXを。

 ドアは勿論手動。転落防止のため、最近のイベント列車では走行中は鎖錠したりするけれど、ここはあるがままの姿。だから、走行中だってドアを開け放したまま。この開放感が旧客の本来の姿だね。
<嘉瀬>

 SMAPの香取慎吾がペイントしたキハ22、22028。すでに廃車されており、嘉瀬の側線に放置されている。これを描いたときの番組も実は見てたりしてw
<津軽飯詰>

 雪に埋もれる飯詰駅舎。

 側線の無蓋車も雪に埋もれる・・・

 オハフの「フ」は即ち車掌室があることを示す。写真の空間がそれで、すでに車掌室の機能としては撤去されている。

 本来であれば通路側に扉がつくものだが・・・

 車掌室部分の天井。小さなRの連続で構成されているようだ。通路を挟んで両側に小部屋がある形だが、両側の小部屋も通路部分もこうしたかまぼこ型の天井構造になっている。

 列車は左にゆっくりとカーブをして、終点津軽五所川原に到着した。往復約2時間の楽しい旧型客車の旅も終焉である。

 次位に気動車を連結したストーブ列車。写真左隅には、予備車となったキハ22の姿も見える。
 
 JR五所川原駅は立派なもの。さすがに沿線の中核駅の一つだけはある。

 JR駅のとなりに、津軽鉄道も独自の駅舎を持っている。改札はそれぞれにあるが、跨線橋は共有している。

 JR駅舎前にはたちねぶたが展示されている。いや、もちろんミニチュアだが。本物は最大のもので高さ20mにもなるという。

 解説はこれで、いつもどおりになんて手抜きwww
 しかし、写真をみるにいかにもバランス悪そう。そもそも頭でっかちっぽいのに、輪をかけて・・・

  五所川原→弘前:キハ40 529 16:12発 831D 普通「弘前」

 そろそろ夕方だし、混んでるかな〜?なんて乗り込んだら、なんだかやたらと空いている。車番を見ると、先ほど乗った車両だった・・・鯵ヶ沢まで行って帰ってきたやつだ。

 弘前に到着した831Dキハ40 529。雪がこびりついてきた。
 さて、この先はいくつか候補を考えていたが、もう腹は決めている。とりあえず、近距離切符で途中下車は出来ないが改札を通してもらい、みどりの窓口へ。
 大館までの指定席特急券を確保する。

 33分遅れていたつがる17号のクハ481−3022が到着。八戸から青森を経て弘前へ。この短距離でも東北の列車は遅れる。

 秋田行き普通に乗っても、大館到着は10分しか違わない。だが、敢えて、下段を選ぶ・・・・・・

  弘前→大館:オハネ25 152 17:20発 4002レ 寝台特急・日本海2号「大阪」 6号車7C

 10分遅れて到着。牽引機はEF81 101号車。
 良く考えると、凄いよな。関東越えて、その向こうまで行っちゃうんだから。日本は広い。地域のつながりも広く長い。
 青森行の寝台特急各列車は立席扱いの自由席だが、青森発の場合は全てが指定席となる。各番号A、B、Cの各席があてがわれ、Aは窓側、C席が通路側。B席はその真ん中ということになる。それなりに乗車する人がいるようで、引き当てた寝台は相席。もっとも、前の区画が空いていたのでそっちに移動したが。

 粛々と薄暮の奥羽路を辿る。通路も車内も静まり返っている。

 乗車した車両は折り戸のタイプだった。今はまだそうでもないが、吹雪いて来るとデッキの中まで真っ白になる。

 本日二回目の矢立越えに挑む。もっとも、外は微かに地形が解るのみ。

 中間オハネフのサインもきちんと「日本海」
 
 大館に到着した日本海2号。旅の序盤だけあって下車客は少ない。

 A寝台乗りたいねぇ・・・・・・

 光芒を残して去ってゆく日本海を見送り、大館駅を後にする。その前に、明日の指定券の確保も忘れずに。今日の宿は大館駅前のホテル。前にも泊まった事がある宿だ。展望温泉がついてる。ひとっぷろ浴びてゆっくりとしようか。


2/28


 おはようございます。大館は昨夜も少し舞った模様・・・

 小坂精錬専用線のレールにもうっすらと雪が積もっている。

 花輪線1番列車の盛岡行はすでに花輪線ホームで客待ち中。1926Dのキハ110−122。

  大館→土深井:キハ110−122 6:43発 1926D 普通「盛岡」


 朝陽が上がってきた。朝っぱらから雪原を歩く。
 駅前から国道に出て、十和田南方面へ進む。見つけたポイントは、

 こんなところ。ここで秋田行923Dを狙い撃つ!!
 1926Dの土深井到着は7時11分。923Dの7時31分。猶予は僅か20分。移動に15分を費やした。残りの5分でセッティングを行う。といっても、使う機材は少ないので何のことは無い。ピンを合わせる目印を見つけ、ついでに動画撮影用のデジカメをセット。後は待つだけである。
 たった5分なのに天候は目まぐるしく変わる。粉雪から晴れ間、吹雪と・・・
 線路から少々距離があるので、列車の接近に気を使う。背後は実は国道で、大型トラックやら通勤の乗用車がビュンビュンと走りある種騒音が紛らわしい。
 予想した通過予定時刻は7時32分。晴れすぎると具合が悪い。光線はある程度あって欲しいが、ここは粉雪が舞っているくらいのほう好ましい。

 そして

 その瞬間はきた

 林の影から列車が姿を現す

 デジカメは快調に動画を記録し続けている

 モードは連写、軽く、シャッターボタンを押し込み

 目の前をゆっくりと過ぎる「最後のよねしろ」の姿をしっかりとフィルムに焼き付けた


 ちなみに、こんなところで撮影してた。雪の塊にカメラ置いて動画撮ったり・・・

 杉の木立の向こうは米代川。

 意気揚々と土深井へと戻る。先程までは時折見えていた晴れ間もすっかり無くなり、雪も断続的に降り続けるように。

 土深井踏切。

 土深井踏切より沢尻方を臨む。先程923Dを撮影したのはこの先の区間である。

 土深井駅へと繋がる細道。奥に見えるのが土深井の駅舎とホーム。

 土深井駅前のこの大きな木立がなぜか印象に残った。

 土深井の駅前広場。駅舎はない。見えている建物は待合室である。

 駅前から土深井踏切へと向かう方向を臨み。住民はいるようだが、あまり多くの利用を見込める立地ではない。では、なんでこんなところに駅を作ったものか・・・・・・
 この土深井、かつては「尾去沢」といった。秋田鉄道がこの地に線路を引いたとき、貨物駅として開業したものだ。主な輸送取扱い品目は尾去沢鉱山から搬出される鉱石で、ここまで馬車軌道が延びてきていたという。なんだか間延びしただだっ広い空間が駅と集落の間に横たわっているが、それが貨物扱い時代の名残であるようだ。
 ところで、尾去沢という土地は、正面の山を越えた向こう側、実に7キロも離れた位置にある。しかもだ、その集落の中心が実は鹿角花輪なのである。
 花輪線が延伸し、陸中花輪が尾去沢集落に出来ても、土深井は「尾去沢」を名乗り続けた・・・
 その後、「尾去沢」という名前は鉄道線上から姿を消し、尾去沢集落へ行く人々は必然、陸中花輪・・・鹿角花輪を利用するようになる。
 かつて、鉱山に多くの人夫を運んだ「尾去沢」は「土深井」と名を変えて、ほんの僅かな地域の人々の駅として機能している。
 ところで、尾去沢鉱山では当初、金山として採掘が開始され、それは奈良の大仏やら、中尊寺の金色堂等に利用されたそうだ。その後、銅山として栄え、鎖国時代には長崎まで運ばれ、南蛮貿易の交換品目として重宝されたといわれる。

 しかし、人気が無い。朝で利用客が一番多い時間帯だろうに・・・

 猛烈に吹雪いてきたので待合室に避難。中には何があるでもなく・・・ただ雨風を凌ぐだけのものだ。

 末広方。どこまでホームなのか良く解らんw

 沢尻方。

 駅名票を撮って。

 待合室全景を最後に撮って、もう二度と来ることのなさそうな土深井にお別れを。

  土深井→大館:キハ110−132 8:03発 1925D 普通「大館」

 昨日も鹿角花輪から乗った列車。昨日と同じく、大館からあけぼの乗り継ぎで北上する。ほかに選択肢は無いし。

 大館に到着した1925Dのキハ110−132。

 秋田からの1635Mは転線して留置線に停止。クモハ701−9以下の3連。一瞬、陽が差した。

 到着時刻を過ぎても列車は来ないし、案内も無いので改札に行ってみると、案の定あけぼのは47分ほど遅れているらしい。
 概ね、想定の範囲内だが、昨日購入した青森からの乗り継ぎ特急券は使えないので、一本後に変更してもらっておく。

 遅れていたあけぼのが滑り込んでくる。ヘッドマークもカマのナンバーも雪で隠れてしまっている。羽越線が風の影響を受けやすい関係で、秋田北部や青森まで来るとこのくらいの遅れは日常茶飯事だ。昨日の8分は奇跡に近い・・・

  大館→青森:オハネフ24 25 8:36発 2021レ 寝台特急・あけぼの「青森」 4号車

 大館からは概ね空いているので心配はしていない。あけぼののヒルネはタバコが吸えないのがちとキツイな・・・
 碇ヶ関、大鰐温泉と殆ど乗降は無かったが、弘前で多数乗車。時間的には直ぐ後に普通列車青森行があるが、タッチの差でやってきたあけぼのに乗ってしまえと乗り込んできたのだろう。遅れているが故の混雑で、言い換えればこの時間帯に設定すればこれだけ乗客があるとも取れる。
 寝台は昼間使用時の最大定員、一区画6人使用に。どの区画も似たような混雑振りで、最盛期の夜行列車の光景を垣間見せてくれた。
<北常盤>

 かもしか2号と交換。運転停車。職員さんがせっせと除雪中。本来はこんなところで交換しないが遅れのために。
<東青森>
 新幹線駅工事が着々と進む東青森。あれが出来たとき、青森を含め、北東北の交通図はまた書き換えられる。東北新幹線が八戸まで延びたときと同じように・・・
 あけぼのは残ってくれるだろうか?
 現在のダイヤでは東京から秋田、八戸へ行く新幹線は20:04発のはやて・こまち33が最終で、八戸が23時丁度、秋田はなんと23:54ぎりぎり日着である。朝に関しては、臨時で速いのがあるが、定期列車だと6:56発のはやて・こまち1号が八戸10:03、秋田10:55である。新幹線の最終より遅く出て、新幹線の始発より先に到着するという、現在の寝台特急の理想的構図に乗っているのがこの「あけぼの」である。その上、新幹線や航空機の恩恵の少ない羽越地方、秋田北部や弘前地区への直行性。依然として、あけぼのが有利に思えるが、半面、車両の陳腐化や冬季の慢性的遅れなど改善すべき点は多い。この改善点を克服さえすれば、まだまだ北東北の寝台特急に生きる道はあると思える。いっそのこと、開放Bはゴロンと仕様だけにしちゃって、あとは個室化しちゃっても良いと思うんだ。3月改正で、北斗星削減によって個室寝台が余る。これを組み込んじゃって・・・居住性の高い、開放A寝台をそのままB寝台として使うとかね。ああ、そうするとヒルネ利用が困難か?やはり現在の開放Bは2〜3両は存知しないと難しいかな?
 そんな妄想をしているうちに、ハイケンスのセレナーデが流れ、まもなく青森到着が告げられた。
<青森>
 結局55分遅れて到着。
 
 良く見りゃ、星ガマだ。98号機だった。

 カニ24 23。機関車次位でもこれだけ雪がまとわりつく。

 これが良い。青森駅はこうでなくちゃいけない。人気のないホーム。静かに佇む寝台特急、点々と足跡の残る雪。

 LEDの方向表示器ばっかりになっちゃって、こうゆう国鉄型車両くらいしか方向幕ってのも少なくなっちゃったね。

 ゴロンとシート。

 1号車のレディースゴロンと。ステッカーのデザインも異なったものが用意されている。

 なお、本日の編成は

上野←@オハネフ25 205(レディースゴロンと) + Aオハネ25 215 + Bオハネ25 210 

       + Cオハネフ24 25 + Dオハネ24 555(B1ソロ) + Eオハネ24 553(B1ソロ)

          + Fスロネ24 553(A1シングルDX) + Gオハネフ24 19(ゴロンと)

              + カニ24 23 + EF81 91  →青森


 1号車側ではすでに青森運転所への回送準備が終了していた。オハネフは幌の周りだけ雪がついていて、なんだか異様な光景。

 回送待ちのあけぼの編成を跨線橋上から。牽引機はDE10 1536。左は津軽線329M普通列車蟹田行。

 カマだけアップで。

 ホームに降りて、編成全景を。

 DE10 1536をアップで。

 青森駅を跨ぐ、青森ベイブリッジ。外環を重視して作られたという、PC斜張橋である。

 東北線浅虫温泉行きの2590M。

 足跡が全く無い。飛ばされてきた雪がうすーく敷き詰められただけのホーム・・・

 八戸からのスーパー白鳥1号クハ789−202が到着。進行方向を変えて、津軽海峡線、青函トンネルに挑む。

  青森→函館:モハ789−202 11:19発 4001M 特急・スーパー白鳥1号「函館」 4号車13A


 津軽半島は曇天模様。時折吹雪き、時折晴れる。
<中小国>

 津軽線が別れて行き、ここからは津軽海峡線。併せて、本州にありながらJR北海道の管轄となる。津軽今別付近で再び邂逅するが、またそれぞれに最果てを目指してゆく。

 青函トンネルに突入。あとは真っ暗闇。もそもそとお菓子を食いつつ、珈琲を飲む。

 頃合を見計らって、最後部へ。789系は貫通路部分から前面展望が出来るのを昨年確認していた。この辺りが青函トンネル最深部。ずーっと上は荒波蹴立てる津軽海峡。

 トンネルの中ですね・・・・・・・・・・

 突破。北海道。

 北海道も雪煙か・・・・・・

 茂辺地付近。このあたりは津軽海峡に面している。

 函館山、微かに函館市街が見えてきた。ぐるーっと周ってあの麓まで行く。
<五稜郭>

 EH500の増備で休車状態のED79。

 五稜郭工場の片隅には未だにキハ56が留置されていた。なんとか復活運転してくれないものか・・・
<函館>
 
 函館に到着したスーパー白鳥1号、となりは札幌連絡の北斗11号、キハ183−2550番台。

 北斗11号のキハ183ー4560。俗に言うNN183で、前面右下に130/120の表記がある。130キロ運転に対応している証拠である。特に130/120の表記があるものは混結編成対応車で、130キロ対応車、120キロ対応車のどちらとも編成を組むことが出来る。うろうろ眺めていたら、そのまま乗って札幌まで行っちゃいたい衝動に・・・

 キロ182−2553。いつかは乗ってみたい、ハイデッカーグリーン。

 函館運転所の側線にはキハ183−100番台、海峡用の50系(51系か?)客車が留置されている。

 国鉄色の編成もいた。キハ183−2。

 函館駅も変わったなぁ・・・通路はガラス張りで保温効果を高めている。

 ホームとの間にはドアが付けられている。

 とうとう函館駅にも自動改札が出来たかー

 立派に瀟洒な函館駅を辞し、市電乗り場へと。思いのほか天気は良い。寒いけどね。

 電停に立ったら妙に新しいやつが来たので、一本待ってこの811に乗車。

× 函館駅前→駒場車庫前:811 5系統「湯の川」

 この顔の電車は間違いなくツリカケ〜。金森赤レンガ倉庫、しかもクリスマスモールの電飾電車だった。2月も末だと言うのにクリスマス?とか思った・・・
 電車は函館駅前を出ると直ぐに右に曲がって松風町へと至る。かつては直進し、五稜郭駅前から五稜郭公園で現在の湯の川線に繋がる通称「ガス会社線」が運行されていたし、松風町から宝来・谷地頭線の宝来町を結んでいた東雲線も存在した。
 ガス会社線はついぞ乗ることが出来なかったが、東雲線は500形で一度だけ乗っている。結局、それが最初で最後となったが・・・。500形も残り2両になっていると聞くし、早めにもう一度乗っておきたいなぁ。
<駒場車庫前>

 時間が相当余っているので、駒場車庫前で下車。定点観測と車庫の様子を見に。久々に訪れた車庫前には「函館馬車鉄道記念碑」なるものが設置されていた。二本のレールは恐らく、市電の軌間幅そのものに作られているのだろう。
 函館市交は国内どころか、世界的にも珍しい1372mm軌間を採用している。そもそもは東京都電の始祖の一つ、東京馬車鉄道が採用した軌間で、そのため「馬車軌間」なんて呼ばれている。ほかに、当の東京都電荒川線、京王線、京王線と直通運転する都営地下鉄新宿線、都電に直通運転していた名残で東急世田谷線がこの軌間を今でも使用している。実は、三直開始前の京成もこの軌間を採用していたが、都営浅草線、京急と併せる為に改軌されている。当然だが、京成の子会社の新京成もそうだったし、いまでは1435mmも標準軌と高速運転でならしている京浜急行もこの馬車軌間を当初は採用していた。あんまり知られていないが、品川駅から北品川まで都電が乗り入れていたこともある。北品川駅横の工事車両置き場は、元々は都電の折り返し用の設備だった。
 都営新宿線を建設するとき、1372mmなんて変な軌間辞めて改軌してよ、と東京都から京王に打診があったそうだが。元はといえば、あんた(東京都)のところが最初に採用した軌間だろう、と言って突っぱねた有名(?)な話も残っている。
 函館市はというと、東京都と同じ軌間を採用したことで、東京都の設備の譲渡を目論んだ。事実、都電が大幅縮小された際に、比較的経年の少なかった7000形が津軽海峡を越えて譲渡されており、いまでも1000形として走っている。荒川線の7000形は車体更新されてしまって登場時の面影はまったくないが、函館の個体は東京都内を縦横に走っていた時代の姿を色濃く残している。

 駒場車庫の全景。雑然とした様子が「軌道」の雰囲気をとてもよく残している。

 一番手前にいたので、一番撮りやすかった800形812号。800形の最終増備車である。

 庫内にはささら電車が待機中。函館、札幌の路面電車は降雪時の除雪にラッセルは使用せず、竹箒をつけたローラーを回転させて路面の雪を除去するタイプの除雪車を使用する。正式には「ロータリーブルーム式電動除雪車」というが、ささら電車という名前が一般に浸透しているので、恐らく正式名称を言っても連想してもらえないだろう。鉄道ファンだって殆どの人間は知らないよwww左奥には一般車最古参の500形530号の姿も見える。

 整備中の723号。庫は2線式の物が連続して設置されるという按配。

 実は私、こういった高度に規格化されていない鉄道施設を見るのがたまらなく好きでして・・・

 このアナログかつ簡素な構造の転轍機とか最高に萌えるんですけど〜

 なんで、あんなんで電車走るんだろうって感じすらする。最高www

 この雑然とした詰所、目の前を走る未舗装状態の軌道。敷石を流用したと思われる作業路。模型的要素たくさん。

 車庫の入口付近なので舗装されている。でもポイントは手動だし。伝達部分は金属の蓋がしてあるだけ。

 本線から車庫内へと。うねうね曲がって入ってゆく。路面電車でもなきゃ、こうは線路敷けないよね。

 車庫前電停。ここで、頻繁に乗務員交代の姿が見られる。

 8008号。800形の更新で、なりは新しいが足回りは旧性能。日本で最も新しい釣り掛け駆動車の一つ。

 谷地頭へと向かう8006。「やちがしら」と読む。8000は800と合わせて主力として活躍しているようだ。

 3004。最近は大分「どっく前」と読めるようになったけど・・・「どつく前」で有名だったアレね。

 連接の超低床車9601。通称「らっくる号」

 先程乗った811が戻ってきた。クリアな状態で一枚。

  駒場車庫前→湯の川:8007 2系統「湯の川」


 湯の川電停に到着した8007。

 函館市電の終点、湯の川電停。昔はこの先に少しだけ伸びていたそうだ。廃止されて久しいが、ここから函館空港までの延伸計画が提唱されたこともある。まだ、前途は潰えていないように思える。
 ここからバスで函館空港に向かうわけだが、湯の川電停に近いバス停は「湯倉神社前」。湯倉神社という神社の前にあるからこの名前なのだろう。何年か前、空港からバスで市内に向かった際に下車したことがある。

 そう、実はと出会う前からその存在は知っていた。

 正しくは「ゆのくら」神社だが。ご覧の通り、オオナムヂとかスクナヒコナとかを祀っている。

 境内案内図。これだけ見ると結構大きそうだが、まぁ実際のところはこじんまりとした温泉街のお社様・・・と。お稲荷さんも末社としてあるんだね。

 街道から一段高いところに本殿はある。階段を登ってゆく。

 残雪の中に朱塗りの鳥居が聳え立つ。思いのほか立派な社のようだ。
 
 本殿は小ぶりだが、周囲の雰囲気も含めて悪くは無い。
 というわけで、ちょっと寄り道の湯倉神社。

 その湯倉神社前から、函館バスで空港へ・・・

 湯倉神社前→函館空港 14:41発 函館バス「函館空港」

 空港に到着。チェックインを済ませる。前のほう、右側に指定座席を変更してから、様子見に見学デッキへ。特に面白そうなものは見受けられないので、腹ごしらえをすることに・・・・・・

 かにラーメン。1200円。
 最初、目の前に置かれたラーメンには、かにが乗っていなかった・・・。しばし、持ってきたおばちゃんと顔を見合わせ苦笑。「かに・・・・・・乗ってないよねぇ」と笑いあい。再度、無事に蟹が出てくる。
 函館塩ラーメン700円に、かにを追加するとかにラーメン1200円になるということが判明した。蟹は500円かぁ・・・
 いやいや、おいしゅうございました〜♪

 HACのサーブ340が到着。サーブまだ乗ったことないんだよなぁ・・・
 サーブが撮れたので、再びロビーに戻って一服。喫茶店で一息・・・

 珈琲飲んだところ。めいりんktkr

 空港デッキからみた函館山。手前はダイナスティのB737−800。

 さて、いよいよ陽も暮れて、いまや遅しと手荷物検査場通過。出発ロビーで待つことに。

 東京からの863便が到着。折り返し、搭乗する864便となる。

 予定通り、狙い通り、A321、JA102A。

 本日、2月28日。意図して、この便を選んだ。明日は仕事。まさしく、これが最後のチャンス。明日、29日でA321は全日空国内定期便から退役する。明日のスケジュールは岡山と函館を一往復ずつ。つまり4フライト。これから搭乗する東京行き864便が最後の5フライトのうちの一つとなるわけだ。
 A321との出会いは1999年の12月まで遡る。年末、山形便に投入されたJA105Aが初フライト。それ以後、都合6回搭乗し、この7回目が最後のフライトとなる。A320には2回しか乗ったことが無いのと比較すると、いかにこの飛行機を選んで乗っていたかが良く解るかと思う。7機が導入されたA321でこの102Aはこれで3回目。ほぼ過半数をこの102Aが占めている。A321の中でも一番お世話になった機体であろう。もちろん、仕事の上でもだ。
 機材の大型化、効率化、時代の流れに翻弄された不遇の名機であったA321。すらりと長い胴体にトリトンブルーのストライプが一際似合っていたA321。世界中ではまだまだ活躍する同機だが、日本での活躍は一瞬であった・・・

 函館→東京:NH864 JA102A A321−100 19:00発 2F

 ほぼ定刻に離陸。一路羽田を目指す。最終日前日。チラホラとファンの姿は見受けられるが、ラストフライトの雰囲気は全く無く。淡々といつものナイトフライトが展開されている。

 A321の特色といえば、なんと行ってもオーバーヘッドストゥエージから下がってくるスクリーンモニター。ANAのナローボディ機で映像デバイスが搭載されたのもこのA321が初だった。
 そういえば、乗っている2F付近は、登場時はスーパーシートだった。国内線ナローボディ機にスーパーシートがついたのは、ANAに限らず、JAL、JASも含めて初めての試みだった。それだけに、当時、ANAのA321に賭ける期待は絶大だったのだ。

 飲み慣れた珈琲を片手に、乗り慣れた機体での旅路も、これが最後となる。

 これを目にする機会ももう、無くなるんだね・・・・・・・・・・とか言っちゃってるけど、実は前回の岡山便で最後かと思っていたので、一部くすねてきたので手元にあったりしてwww
 
 順調に降下し、どうやら今日は木更津からのアプローチらしい。
 20時過ぎ、なんのトラブルも無く、機体は羽田空港ランウェイ34Lにランディング。静かに53番スポットに到着し、エンジンがシャットダウンされた。

 CAさんに断りを入れて、最後に機内の様子を。長い通路が印象的。シートは登場時から変わらず。結局、現在置き換えかが進められている軽量シートの採用は無かった。
 
 このA321が日本の空で活躍した期間はわずか10年と非常に短い。10機導入の予定が、7機に削減され。規模的には中途半端な存在ではあったのかもしれない。だが、A320よりも多く、B767−300ほど必要としない中間のキャパシティの機体として、それこそ日本を縦横に飛び回った功績は大きい。ANAのジェット機就航空港で、A321が一度も飛来しなかった空港は殆ど無いのではなかろうか??
 仕事でも、プライベートでも触れることが出来たA321。10年間お疲れ様でした。外国行っても、末永く飛び続けられることを、せつに願って・・・・・・

 

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