甲信遊星高原紀行(序)


<2009/8/1>

 星遊びは出来なかったけどねw

 発端はいつものことだ
 勤務明けて立川の本屋で「グリモア」たっけー、とかやっているといつのもあの方からメールが到着。以下、全文
湯「明け?」
う「だよ」
湯「の」
う「のの?」
湯「のべやま」
う「いくのかい?」


 なので来た。野辺山。国立天文台野辺山、正式には「野辺山宇宙電波観測所」、「野辺山太陽電波観測所」という。でっかい電波望遠鏡がある、あの天文台だ
 遡って、もう少し詳しく・・・
 立川からの帰り、モノレールの車内から中央道、八王子料金所の渋滞の列が見て取れたので、一旦高尾から北へ抜けて、圏央道八王子西ICから高速へ
 読みの通り、中央道は以降スムーズ。談合坂で小休止した後、晴天の甲府盆地を越えて、いざ甲州の県境へ。「野辺山に出るにはわざわざ小淵沢ICまでいく必要ないんよ。須玉から国道で直接行ける」ような発言をしておきながら、なんの疑問も持たずに須玉ICをスルー・・・・・・もう、この旅の行方は決まった

 迷走必至

 次の長坂で降りて、「そんなに変んないよ」とか言いながら、「国道普通に走るの好きじゃない」とか言ってわざわざ県道に左折したり。地学的に有り得なさそうな谷をでっかい橋で越えたりしたが、あまりにも突然の出来事だったので、この辺は次回に詳細探索をしようと思う
 野辺山の「国鉄最高地点」を眺めて、マニアばっかりやなーとか思っていると、でっかいアンテナが見え隠れしてきた
 時刻14時半・・・・・・・・くらいだと思う。なんせ東京出たのが昼頃だった
 さて、到着。とりあえず、建物に行こうか・・・と思った矢先に雨がパラパラ

 直ぐに雨脚は強くなり、それは豪雨にかわる。遠くで雷鳴轟きとてもじゃないが「傘無し」で外を歩ける具合ではない
 そう、我々は雨具を一切持ってきていない。東京は曇りだったが、甲府は晴れていた。甲府は雨の気配を微塵も感じさせないくらいの晴天だったのだ
 食事を摂りつつ回復を待つが、埒があかない。若干、雨脚は弱まったが望遠鏡を見学にいけるほどの回復ではない





 車に戻り、我々は観測所を後にした。そう。山の天気に負けたのだ・・・・・・・スゴスゴ

 だが、そのまま帰ったのでは全くの成果無し。それは余りにも寂しすぎる。一計を案じた・・・・・・・という程ではないが、小淵沢近辺に神社を見に行こうと。そういえば中央本線沿いに神社を見かけた記憶がある。それは小淵沢に到着する直前、線路の南側だった。情報はそれだけである。いや、もう一つ、決定的なものがあった
 「御柱があった気がする」
 というものだ。とりあえず、小淵沢の市街地まで下ると、「諏訪神社」を検索した。幸いにも、小淵沢駅の至近に物件を一つ発見。そこへ行ってみることに

 人気のない公園の奥に、その社はあった。想定と異なるシチュエーションのため、発見に少々手間取ってしまった。確かに中央本線からは近い。近いが、車窓から確認できるほどに近くは無い
 
 雰囲気は良い。好きな雰囲気だ。申し分なし

 神紋は諏訪梶。ここは四つ足だ。紛れも無い諏訪神社だが、ここには「アレ」がない。確かに、山梨県下ではある。だが、目と鼻の先が信濃、諏訪なのである
 
 拝殿の隣には小山があり、無数の小さな社、塚が林立していた

 この小さな社には一体、どんな神様達が祀られているのか

 むしろ、小山そのものが一つの「塚」のようにも思える

 その下にあるものは・・・・・・一体、何者であろうか?

 諏訪神社に収穫を見出したものの、目的とする物件ではなかった。再び地図を開くと、さらに線路から至近の位置に神社の記号を発見した。場所はそう、遠くない
 目の前の県道17号をしばし西へ。県境を越え、ものの5分ほどで物件を探し当てることに成功した

 小道をはさんで、すぐ後ろは中央本線の線路。そう、特急電車の車窓から見かけた神社はここだった

 折しも、「あずさ」が駆け抜けてゆく

 その名を「田端天神社」と呼ぶそうだ。祭神は菅原道真公

 諏訪神社ではない。だが、ここには「御柱」があった。小淵沢の諏訪神社にはなかった御柱がここにはある。たった5分。車で5分だ。山梨から長野に入った。その事実だけで、神域は4つの柱で囲われるようになる

 集落の中の小さな神社。注連縄が非常に低い・・・
 境内を見回しても社が無いなぁ・・・と思ったが、道路際の新しい建物の中にしまわれていた
 
 ・・・・・・・読めないwwwどうやら蚕の旧字「蠶」のようである。つまり蚕玉神社。養蚕が盛んな地域でもあり、蚕供養の神社だろうか

 どれが「おかいこさん」だろう?

 山梨、長野と言う大きな自治体の境界を跨いだだけで、神社の様式はがらりと変る。たまたま通ってきた県道17号線沿いにだけ存在したものなのか、甲信を越えるどの地域にも言えることなのか。はたまた、同じ長野県下での境界はどこなのか・・・・・・興味は尽きないねぇ

 少し戻って、田端の隣、先達という地区にある公園にやってきた
 
 この小さな公園にどれほどの人間がやってくるのか解らないが・・・地域の特異な文化として解説されているわけだ。しかし、ここにあるのはたった一本。あくまでモニュメント然とした仮初めの姿のものである

 天気が良ければ八ヶ岳に連なる綺麗な山並みが見れたろう

 公園は小山の上に東屋がポツンとあるだけ。南の山々には雲が低く垂れ込めていた

 最後に一つだけ見ておきたいものがあった。先ほどの田端天神社の脇を通り越して西へと向かう。複線の中央本線、先にはトンネルが控えているが、かつて単線時代はトンネル手前から左へと緩くカーブを描いて山を巻いていた。正面の緑の部分が旧線跡の築堤である
 現在線とはトンネルを出た先で再び合流するのだが、この区間は廃線跡が綺麗な状態で残っている

 突如として現れた池生神社の参道。祭神は池生命
 宝物として、鎌倉時代の貴重刀剣波平作「長巻直し」を収蔵しているが公開されていないらしい・・・。天候不良のため次回まわし

 車でズカズカ踏み込んできたのは

 中央本線の旧ルートだ。線路も枕木もないが、バラストは残っている。奥になんか見えるが、まぁこれがあることを知っているから来たわけだが・・・・・・

 線路敷きを進むと池生神社の拝殿が見えてくる。位置関係は大体わかった・・・ので、次回www

 ビニールシートが掛けられているが・・・

 反対側はご覧の通りの日車標準車体。ステンレスのアンチクライマーの輝きだけは褪せていない。元をただせば富士急行が発注した2ドアクロスシートの3100系。2編成あったうちの1編成だ。廃車後にここに運ばれ保管されている
 「保管」というには理由がある。もともとはキャンプ場の施設として利用されていた。だが、立地も便も悪い。この地でのキャンプ場経営は立ち行かなかった。結果、車両だけが放置され、現在に至る。これは「保存」ではなく「保管」もしくは「放置」なのである。しかし、良く原型をとどめている。この地で朽ちるにはとても惜しい物件である・・・

 路盤は木立の中に続いていた。現在線がトンネルで抜けているところを旧線は等高線に沿って小さな掘割と築堤で抜けていたのだ。そのまま辿ってみたいところだが、今回は時間切れ
 未練は残るがここは引く。また近いうちに再訪を約束して・・・・・・

 小淵沢から中央道に乗って帰京。甲府盆地に降りるまで激しい豪雨で「こりゃヤバイ」とか思ったが、わりと無事に帰ってこれましたとさ

>次回へ続く?

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