上野足尾紀行


<2010/5/10>
 化女沼に行くよりは現実的な行程になったかと・・・

 7:00近所のミニストップでいつもどおりに湯倉さんを拾う。混んでるかな?とか思ったが、国立府中〜調布で5キロ位の渋滞なのでそのまま高速おりんりんすることにした・・・渋滞でおりんりんできてないが・・・・・
 中央環状線、新板橋で降りるところを盛大に行き過ぎて鹿浜橋でおりんりん。荒川越えて、さらにもう一度越えて戻る辺り馬鹿の極みかと・・・。ナビがあったって言うこと聞かなければ何の役にも立たない厄っぽさ

 飛鳥山で都電と併走して釣り掛け良いなぁ〜♪とか言いつつ、街中ぐるんぐるんまわりながら北区役所へ。なんでこんなところに来たかは・・・まぁ湯倉さんに聞いとくれ

 行き掛けの駄賃とばかりに区役所目の前の王子神社に
 御由緒書きとかなかったんだけど、調べたところ祭神は伊邪那美命 伊邪那岐命 天照大御神 速玉之男命 事解之男命と、このあたり

 社殿は新しいのであまり・・・

 境内左手には「関神社」がある

 「毛塚」とかあったし、形が形なので毛筆かなんかかと思ったら、まんま「髪の毛」だった。「髪の祖神」てことらしいけど、どっちかというと、「カツラ」の方が正解らしい

 みんな大好き蝉丸だよ!!あれ?知らない??坊主めくりやらなかった???
 
 「おまいりのしかた」も神社によっていろいろあるのねぇ。でも基本的に幼女なのは何故?

 都区内でも神域は緑もあるし静かだねぇ・・・・・・朝8時半だけどさ

 ではでは、改めて北へ向かいましょうか
 今地図見て気付いたけど、王子北から乗れば速かったんだねぇ・・・。鹿浜橋まで戻って首都高〜東北道ってながれで。羽生PAで湯倉さんが調べたポイントマッピング
 館林でおりんりんして下道を西へ

 桐生市内の諏訪機神社に到着。ナビではただの諏訪神社だったけど、正式には諏訪機神社という
 読みは「スワハタ」なぜただの「諏訪神社」ではなくて「機」がつくのか・・・御由緒書きの類が全く無いので想像でしかないのだが・・・
 「機」は機織の「機」。つまり「養蚕」のことを表しているのではないかと。諏訪地方は養蚕も盛んであり、上州も製糸業が盛んなのね。なにより、桐生市そのものが古来より機業都市として栄えてきた。その最初期は奈良時代であり、当時から桐生織として有名だった。製糸業には縁の土地であるからこそ、そんな感じに諏訪の神様と養蚕の神様を一緒にしているんではないかと思われるわけ

 社殿はこじんまり

 神紋は梶紋だが、良く見る諏訪梶ではなく「立梶の葉」

 諏訪神社を後に桐生市を縦断。国道122号線を北上する。眼下にちらちらとわたらせ渓谷鉄道の線路が見え始める
 最近はバスツアーなんかでも列車に乗ることが行程に入ってたりするらしいが、依然として経営状況は厳しいらしい。沿線各所に乗客誘致の看板が立つ。国鉄時代に散見された「乗って残そう○○線」てやつだね。後述する足尾鉱山閉山により収支は悪化し、国鉄再建策の一つ赤字路線廃止候補の一つになった。いわゆる特定地方交通線で、第二次のそれに足尾線が含まれている

 水沼を通り越してしばし、

 ここかなぁ?と思いつつ華麗にスルーして戻ってきた花輪の諏訪神社
 
 境内は広いし社殿も思いのほか立派。だが謂れを示すものが皆無という

 摂社やら末社やら祠やら・・・どれがなんの神様を祀っているやら

 でも気分は良いからいいやwww

 諏訪神社のすぐ下にはわたらせの線路が走っている。さっき一度神社をオーバーシュートしたときに花輪を出てゆく桐生行を目撃している。水沼で交換して下り列車が来るのは15分後位らしい

 畦道が線路を挟んでそのまま続いている。生活道路が暗黙の踏切を構成しているようだ

 花輪駅方を見る。左の木立の上が諏訪神社

 水沼方に少し行くと正規の踏切もある

 お寺への参道になっているようだ

 おりしも列車が駆け抜けてゆく

 そして行き着き先がこのお寺さん。善雄寺

 地蔵がたくさん。無縁塚だろうか?あんまり写真とか撮っちゃダメそうだね。ごめんなさい
 
 我らが旅人の師、芭蕉も訪れた
「このあたり 目にみゆるもの 皆涼し」
 5月の涼風が駆け抜けてゆく・・・

 本尊には阿彌陀如来、護摩を焚く薬師如来と十一面観音が祀られる 
 
 薬師様はこっち

 どこかでも見たことあるな・・・熊出るんかね?・・・・・・・・・・家の中に????

 諏訪社、善雄寺、熊の出没する家を後に、更に北へと
 
 昭和30年代にタイムスリップしたかのような佇まいの神戸駅。列車には乗らないが、構内へと進む
 
 お目当ては向かい側ホーム。かつての3番線である

 神戸といったらコレ「レストラン清流」。実際の鉄道車両を利用したレストランである
 
 往時のままの車内。元東武の特急車DRCこと1720系である
 
 往年の名車の中で蕎麦を喰う。5700系「だいや」に乗ったお陰で、結局、乗れなかったDRC。今回、少しだけ夢が叶ったかな?

 三セク転換時に導入した富士重工製軽快気動車、わ89−101。1980年代に各地で採用されたが、現在走っているのはここと、千葉のいすみ鉄道くらいだろうか?

 神戸駅は草木湖、草木ダムへのアクセス駅となっている。かつて、足尾線はこの湖底を走っていた
 
 日本で良く見られる重力式コンクリートダムの草木ダム。高さは140mでかなり高い部類に入るだろう。この上には150m級の佐久間ダムやら奥只見ダムやらが控えている。でっかいダムを見るとあの斜面を転がってみたいなと思うが、まさしく自殺行為。実行したら怪我どころでは済まされないねぇw

 ダムの上は一般の道路になっており、車輌も走行できる・・・ここが、あの「上級C」スタート地点か!!

 チェックゲートのある対岸の橋。赤いトラスがとても目立つ。やはりゲームのほうは相当に距離を圧縮しているね

 チェックポイント通過!!
 渡りきったところで右折。左に行くと一周して再び草木ダム。そこまで付き合うのも・・・というわけで、足尾へ。草木湖から足尾は非常に近い。列車で通ったときはもっと距離があったように思えるが?
 足尾の町に入り、通洞駅傍の足尾銅山観光へ。事前に調べてきたポイントは此処だけという投げっぷり。あとは現地に行けば幾らでも情報あるでしょう?という感じで、とりあえず800円払って坑内見学へ

 足尾は日本はもちろん、世界でも有数の銅山として名を馳せた。1550年頃に発見されたといわれているが、実際に採掘が開始されたのは江戸時代に入ってからだった。その外、日本の近代化に多大なる功績を残した。江戸時代には年間最大1200トンもの銅を産出し、当時の通貨である寛永通宝も製造されていた。明治初期には鉱脈の枯渇から年間140トン程度までに産出量は落ち込んだが、その後新鉱脈の発見と採掘の近代化で一大鋼都として栄えた。1973年に採掘は全面的に停止し閉山。閉山後も輸入鉱石の精錬事業は続けられたが足尾線の貨物輸送廃止と共に精錬事業そのものも終了。現在はリサイクル事業だけを行っている
 足尾で有名なのは「足尾鉱毒事件」ではなかろうかと思う。小学校の社会科の教科書にすら載っていた有名な公害事件で、近代化を進める日本で初めての公害事件としても知られている。田中正造の名前や、渡良瀬遊水地など耳にしたことがあるだろう。この鉱毒や精錬時の排出ガス等により足尾の山は枯れ、水は汚染されてしまった。現在では植林事業なども盛んに行われているが、その傷痕は周囲の山肌に色濃く残っている
 閉山で多くの住民が去った足尾の町は今、鉱山跡の観光事業で人を呼び込もうとしている。もともと鉱山以外の産業のない山間の土地である。自然が破壊されて人は去り、残ったのは穴ぐらだけという現状だ
 山間にへばりつく様にあった鉱山住宅も多くが取り壊されて、町はかっての活気が嘘のように静まり返っていた。そんな町興しの一環で始められたのが銅山観光である

 坑道内へはトロッコで入ってゆく

 トロッコ乗り場には足尾線関連の資料が展示されていた。間藤は旅客列車の終点駅だった。ディーゼル化されるまで足尾線の貨物を牽いたのは小型タンク機のC12。勾配を上がれず重連で運転されたこともあったそうだ

 足尾式削岩機。ヘビィマシンガンみたいwww
 さて、改札が始まったのでさっそく乗り込むよぉ!

 一番前に乗った。やった!!
 バッテリーロコが3両の人車(って形容したほうが鉱山鉄道っぽい)を牽いている

 簡易運転台?バテロコを遠隔操作するのかと思ったが、バテロコにも運転台付いているし。そもそもバテロコに運ちゃん乗って発車したよ。いつ使うんだろう?どうゆうこと??
 発車すると急な坂をゆっくりと下ってゆく。結構な急坂のようで、ラックレールが設置されている。坂を下りきると、かつてのトロッコ乗り場を通り過ぎて一旦停止

 ここで機関車を切り離すという。停車するやいなや作業員が取り付いた(実際には停まりきってないのに作業始めてたけどw)

 瞬く間にロコが外され前方へ

 ポイントはリモコンで切り替わるらしい。機関車が右側の側線に移動すると、運転士さんが目の前に座った。あれ?これ・・・単独で走るのね・・・
 バテロコは恐らく上の乗り場へ押し上げる補機なんだろうね
 再び走り出すと右へ曲がって坑内へ。50mも走ると終点。ほんの4〜5分のトロッコ乗車

 湧水でびしょびしょの坑内。トロッコが突入したのは通洞坑と呼ばれる後期まで使用された坑口。足尾では他に本山坑と小滝坑があり、本山と小滝が直線で結ばれ、そこに直角に通洞坑が接続していたそうだ

 トロッコの線路の延長は鉄柵に阻まれ、奥は闇に沈んでいた。この先には総延長1200キロにも及ぶ坑道が眠っている

 東京から九州の博多まで・・・あの赤いのやら緑色のスジが全部坑道。奥へ上下へと何層も広がっているわけだ

 かすかに坑口から漏れる光

 トロッコの降車場から横へ。見学コースの坑内へと。時代ごとに採掘の様子が再現されている。これは江戸時代。手押しの台車で運び出してたんやね

 時代は進んでトロッコを使用

 坑内には神社もあった。開運洞と呼ばれている

 途中から綺麗に整備された資料室に様変わり。各種の鉱石や足尾の模型なんかと共に、ポール集電の機関車が展示されていた。ポールはただの木製

 外への通路の途中、トロッコのレールが埋まっていた。現役であるにこしたことはないのだが、こういうのを見るのも大好きだ
 久々の外へ

 出口脇に削岩機の体験コーナーがあった

 ボタンを押すと振動と音が。た・・・たのしい。はっしゃぁーバリバリッ

 湯倉さんもバリバリ楽しそうだwww

 削岩体験コーナーの前にはかつて使用されていた鉱車が展示されていた。いわゆるグランビー鉱車とは少し形が違う

 ポール集電のロコ「足尾A型」

 バッテリーロコ、和訳すると「蓄電池機関車」。日本輸送機製造ってのは聞き慣れないけど、なんか凄い会社みたいだな・・・・・・・・あーあー「ニチユ」の事か!!凄い会社だったwww

 これもニチユ製のバテロコ

 太空500型(手前)と600型(奥)バケットローダー。その道ではわりと有名、かつ広域に使用された装備らしい。砕いた岩石なんかを掬い上げてバケット(トロ)に放り込む機械

 先程突入した通洞坑

 さっき乗った(かどうかは解らないが)人車が停まっている。手前が本線。大体、運用がわかった

 列車がやってきた。先程と同じようにバテロコの切り離しに掛かっている。ポイントは反位(分岐側)に返っている

 ポイント押しのけてきた。スプリングポイントなんだ・・・つうことはあれ?さっきリモコン見たいので操作してたのはポイントではなくロコそのもの??

 んー・・・・・・発条だろうか・・・

 通洞坑に入ってゆくトロッコ
 団体の観光客とか来るとこのハコが一杯になるんだろうな・・・。そんなヒトゴミの中で見たくないし、平日に来て大正解だよね。こうゆうところは

 帰りはトロッコではなく徒歩で戻る。戻る途上に必ずお土産屋さんが幾つか入ったフロアを通ることになる。足尾の銅山観光のお土産屋に「アオシマのクルマのプラモ」が大量に売っているのはどうゆうことなのか疑問に思い、しばし物思いに耽る・・・

 出ると直ぐに通洞鉱山神社がある

 鉱山の神様なのかと思ったが、文面から推測すると「山の神」ってことなのかな?

 右の狛犬

 左の狛犬。とても独特な表情、形態をしている

 ということだそうだ。「愛嬌ある」という認識はあるようだw

 車を停めたまま、歩いて道路っぱたの廃墟へ

 足尾線に乗っていると車窓から見える古川工業の電力関連施設、新梨子油力発電所
 壁が黒で波模様にされているのは墨を使っての迷彩塗装である。戦時中は鉱山施設が非常に重要な生産拠点だったので、操業に必要不可欠なこの施設を守る目的で塗装が施されたのだろう。当時の塗装が未だに残っているのだから凄い

 油力発電所とはその名の通り、重油を燃料にして発電する施設。大正4年から昭和29年まで使われたそうだ。出力1000kwは当時としては日本最大級だった

 軒先にはでっかいアレが・・・・・・今となっては近付くのはスズメバチくらい

 道路を挟んで目の前には足尾線の鉄橋。その向こうはかつての選鉱所

 油力発電所の隣にある、この煉瓦積みの建物は通洞動力所。坑内で使用する削岩機の圧縮空気を此処で作って供給していた。国内最大級の鉱山用コンプレッサーが明治45年にこの動力所に設置されたとあるので、少なくともそれより前からこの建物はあることになる

 側壁が煉瓦積み。屋根はトタン。全体が赤を基調に纏められている。ただの工業用施設にしては随所に凝った造り、意匠が見える。赤レンガ倉庫とか近代遺産になっているので、ここの建物の何らかの形で保存を願いたいものである
 ところで、ネット見てると内部に入ってる写真とか掲載されてるけど、廃墟とはいえ、ここは私有地だから入っちゃだめだろう。入るなって看板あったし

 窓際にひっそりとボゥリングのピンが・・・・・・。置き去りになれた恨みっぽいものを感じるけど。まぁ、誰か侵入者が面白がっておいたんだろう。わざわざガラスの破れた所に
 
 通洞付近の廃墟を堪能し、銅山観光から移動

 通洞駅の隣、足尾駅に。ここも木造の味のある駅舎が現役だ。ローカル線ぽくて良い。後ろにキハ20と55の2両連結列車とか停まっているとなお良い。まぁ、無理な話だが・・・無理な話なんだが、そんな国鉄時代の残り香を味わうことがこの駅では出来る

 とりあえず、停めておいても大丈夫そうなところにSAを停める。木造駅舎と八重桜(牡丹桜とも言う)

 キハ30とツーショット。このSAが出来た頃(1978年)は足尾線も国鉄時代。もっとも当時はキハ20が主力だったが。高崎機関区には八高線用のキハ30も配置されており、場合によっては足尾でこんな光景を見ることも出来たのかも

 国鉄時代の残り香。キハ30
 1年ほど前に再塗装されてぴかぴかなキハ35 70。後ろにはキハ30 35が連結されている

 もう一両のキハ30はツートンの国鉄標準色。こちらも綺麗に再塗装されている。このまま走らせて貰いたいものだ

 キハ30は貨物ホームへの引き込み線上に留置されている。引込み線は現在本線とは繋がっていないので、そのまま本線に引き出すことは出来ない

 別の引込み線にはスイッチャー。ビニールシートが掛かっているので詳細を窺い知ることは出来ない。後ろニ両はこの先の足尾本山で働いていたスイッチャーでニチユと協三。一回りでかいのは2006年まで矢板で稼動していた15tスイッチャーらしい。いずれも動態保存
 貨車も何両かあって、博物館にする予定だそうだ。準備室も最近開設されたと聞く

 桐生行発車!。彩りに乏しいのは天気のせいだと言い張りたいwww

 足尾の街を更に奥に。現在の終点、間藤駅を通り過ぎると、まもなく撤去された踏み切りに出くわす

 左が間藤駅方面。路面はアスファルトがひきなおされており、レールも撤去されている。前後はレールが残っているし、踏切警報機も残ったままだ

 間藤方へ少し歩いてみる。切通しの中を線路が進む。崩落がなければ現役だと言っても通じるくらいに路盤は綺麗だ

 振り返り、本山方面。踏み切りを渡った先で線路は松木川を越える

 鉄橋の手前には廃レールが詰まれバリゲードと化している

 踏み切りのところのレールを積んだだけじゃないね。ずっと数が多い。間藤駅近辺と、もしかしたら本山駅構内あたりからも持ってきているのかも
 ん〜・・・・・・・・・・ちっと
 失礼

 綺麗に残ってんなぁ・・・
 貨物線とはいえ、林鉄なんかの木橋と比べれば造りは立派。そりゃぁ国鉄の施工だからね。鉱石輸送の重要搬出ルートだし、軟弱な施設は作れないってわけだ
 つまり?

 廃鉄橋わーい♪

 鉄橋上から川面を眺める。右手が、備前楯山。あの山の中に坑道が張り巡らされている。高い木が全然見られない

 廃橋どうしの交差。正面の人道橋は通行禁止の高いフェンスがあり進入不可。フェンスの隙間から撮影

 現在の精錬施設。左手直ぐに足尾本山駅構内がある。対岸より撮影


 本山地区へとやってきた。沢向こうになにやら施設が残る

 道端に廃工場らしきものがあったので薮を掻き分け接近。隙間から撮影。屋根が抜けている。中には何も無い

  同じ建物、右手に周ってみると・・・・・・おお!?線路だぁ

 中を見るとこんな。線路がしっかりと残っている。ピットがあるし、機関車の車庫か何かだろうか?コンベックス持っていなかったので軌間を調べることは出来なかったが、恐らく600mm位だろう。鉱石運搬用の軌道のものに間違いはなさそうだ

 閉山後半年程度で無人ってのも凄いね。それだけ鉱山に依存していたということで、鉱夫がいなければ集落も成り立たなかったわけだ

 ああ、電車修繕場跡なんだ。あれ。道理で。周辺の線路ははがされたけど、修繕場の中だけは奇跡的に残ったのね。あからさまだし、誰かが覗いている形跡があるのに、ネット上でヒットしないんだよなぁ。不思議だなぁ
 地図には二箇所書かれているが、中央付近が掲出した写真のもの。右上の細長いヤツは建物そのものがなくなっている

 本山の集落跡へ入り込んでみる。ちなみに、電車修繕場を見ている間に湯倉さんはこの道を突撃した後だったようだ。後ほど上で合流

 途中、廃レールを利用した橋が掛けられていた

 急な坂を上がると急な石段に変わり、その先には鳥居が残されていた。このまま上がると本山の鉱山神社があるはずだが・・・

 鳥居の先は道らしくはなっているものの荒れ放題で踏み跡も殆ど無い廃道と化していた

 上ってきた坂道を上から見る。両脇にはたくさんの住宅があって、人の営みがあったのだろう

 片側は斜面だが、反対側は開けていてこの辺りにも建物があったようだ。段々状になっており、基礎が残っていた

 あちゃー。ばらばらだー。元がどうゆう状態の、どうゆう形の建物なのかさっぱりわからん

 さっきの鳥居が見える。これ以上登っても何も無いとのことなので下る

 柵に軌道の廃レールが使われていた

 銭湯とか共同浴場の跡らしい。上屋は壊してもこういう設備は壊さないんだね。その差はなんなんだろう?

 さっきの修繕場。ああ、やっぱ同じように撮るんだなぁ・・・・・・・ってことで

 足尾の主だったところは周ったようなのでこれにて撤収
 来た道帰ってもつまらないので、日足トンネルで日光へ。時間があれば日光も見物しようかと思ったがまもなく17時回るし、それはまた次回に
 杉並木の街道を通って南下。今市で給油して、やってきたのは「日光のけっこう漬け けっこう漬け本舗」である。日光でけっこうって洒落ですか?
 ここには忍兄ィが機関車があるような話をしていたんだが・・・

  これでは無いよなぁ?いや、機関車には違いない。協三のスイッチャーだ

 軒先に吊るされているのは新幹線の光前頭。見た感じ、後の強化FRP品で光前頭機能を使える代物ではなさそうだ
 店内にもサボとかあって、どう考えてもここの店主マニアだな・・・・・・そう思い裏手に回ると

 あったよ。確かに機関車だし、バイパス走ってたら目立つなぁwww

 東武のED4010型4011号機だ。概ね看板の説明どおり
 もう少し詳しく書くと、本機は戦中に海南島にあった日本窒素海南工場向けに製造されたものだが、戦局の悪化で海を渡れず、戦後になって東武に引き取られてきたものだ。同様に名古屋鉄道に引き取られた車両もあり、こちらはなんと現役で働いている。東芝の40t凸型機関車でいわゆる「東芝戦時型」と呼ばれる部類の機関車だ。昭和40〜50年ごろまでは各地の私鉄で使われていたが、簡易な戦時設計であり老朽化も進んだことから引退が進んだ。現在、現役なのは先述の名古屋鉄道のデキ603、604と三井東圧専用線の19号機くらいだろう。引退した車輌も殆どが解体されており、静態保存されているものも少ない。ここにこの機関車が保存されているのは相当に奇跡的な事なのだと思う

 腕木信号機やら電柱やらあって全景を撮るのが難しい

 元々はイコライザー台車を履いていたようだが、昭和36年にウィングバネのFS29に交換されている
 
 カット2点。パンタを支えるものが無いので伸びきっちゃっているのが残念な点。それでもこの貴重な機関車を残してくれたオーナーさんに感謝。いやぁ、良いもの見れたよ

 大沢ICから日光宇都宮道路に入り、東北道経由で帰還。大谷で小休止して、そこから国立府中までは2時間強だったかな?

 了

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