南薩霧島紀行


 奥多摩のレポっぽいものも包括

<2010/12/11>
 快晴!昨年の忘年会オフは布団入れてる最中に雨降ってきたからね
 いつもの青梅エコスで買い物面子と合流。細々・・・・・・大量に買い込んでいざ鳩の巣!買い物そのものより、駐車場から下のバンガローに下ろす面子の確保が重要なんだよ

 買ってきた諸々をぶちまけつつ、メンバーの到着を待つ・・・

 いやぁ、良い天気だ。今回は初回の25人部屋の真下。ガス台なし25人部屋と、初回の寝部屋として使った16人部屋を使用。40人部屋を頼んだが空いてなかったのだ。今日はわりと盛況だという

 早くも神棚が・・・

 (´・ω・`)ショボーン・・・・・・・・蜜柑??

 そして早くも×箱設置

 調理場はこんな感じ。広い!けどちょっと暗い。昼間でも屋内なのでこの暗さ。3倍くらい電灯が欲しい

 参加者の到着に比例して増える神棚

 しかし腹減ったな・・・    ※やきそば消化済ヱビス投入済

 ガス台ないのでカセットガスコンロが大活躍だ!

 シュンシュン
 お湯が沸いたよ―っ♪
 ヒュンヒュン
 お湯が沸いたよ―っ♪

 カップラーメンは―
 お湯を少なめ―♪

 二分四十五秒― ♪


 あなたの―ために
 わかします―♪


ふ ぉ ー ゆ ー !

 ラーメンうまー♪

 今回は豚汁。ハヤシもある。かなり早目から仕込みはしていたのだが、イモが中々やわっこくならなくてねぇ・・・・・・・   

 すみません・・・orz 一局打って1時間停滞したのが敗因です

 そんなわけで、宴会開始は1時間遅延→80分遅延になった

 米の炊き上がりは早かった。ただ・・・鍋がなぁ

 神棚はここまで酒棚になった。別段、酒は必須ではないのだが・・・・・・・・
 
 30・・・・・・・何人か。多!!幹事がすでに人数把握できていませんwww19時過ぎに飲み食い開始

 そして夜は更けてゆく
 ビカーっ!!!!

 にゃーん!

<12/12>

 死ぬぞ!!!!!いつものあの人である

 朝飯は餅である。もちもちウマー

 という感じで、10時には撤収。実際11時だったけどね。みんなとバイバーイして、帰宅






 RED THUNDER!!

 羽田ですが。なにか?
 飛行機乗っちゃいますが、なにか??

 新規設置されたDランウェイから離陸。わぁ、ほんとに海の上にあるんだねぇ・・・・・・・

 西へ向かっているようです。シートバックモニターのある777。つまり旧JASのB777とか久々に乗ったし

 高度10000メートル以上。昔はここまで上るのに苦労したのに、今ではだれでも簡単に到達できる。そして快適。外は氷点下54度。でも機内は25度くらい。隔世の感。高高度性能に長けた雷電でもこの高度で600キロは出せない

 どこまで連れて行かれるのだろうか・・・・・・・

 そんなこんなで福岡到着。久々に九州の地。1年半ぶりくらいだ

  東京→福岡:JL337 B777-200 JA010D 17:00発 36K

  福岡空港→博多:1009 19:23発 「姪浜」

 タッチの差で唐津行快速の303を逃した。今日は博多駅側のホテルに。事前に切符の確保だけしておこう。明日はわりと早い


<12/13>

 雨降ってるし!!
 チェックアウト後、真っ先に近所のローソンに飛び込んでビニ傘を買う。こいつをどこで手放すかが、生死の分れ目・・・・・・・というほどではないが、早めに不必要になる事を願う・・・切実!!
<博多駅>

 ソニックのクロハ882-4。行きがけの駄賃に私の乗るのはつばめ

  博多→熊本:サハ787-107 7:07発 1M 特急リレーつばめ1号「鹿児島中央」 3号車7D 指定席

  昨日、指宿霧島のんびり切符を手配。福岡市内から12000円。新八代から南肥薩線、日豊本線を介して指宿枕崎線の指宿まで、隼人から霧島神宮までがフリー区間となる。フリー区間の特急自由席乗り放題というのも良いが、福岡市内からの往復は特急指定席が使える。うち、片道は九州新幹線指定席が使えるというお得な切符。単純に鹿児島を往復するだけでもモトが取れる
 来年(2011年)、3月の改正で九州新幹線が全面開業すると、リレーつばめは廃止される。「つばめ型」の787系に「つばめ」で乗れる時間も後僅かとなったわけだ
 列車は門司港始発。通勤客でかなり混みあっている。指定席も9割がた埋まっている。現在、7両での運転だが、この列車は+4両で11両にしても良いと思う
 冬の九州の夜明けは遅い。7時を回ってようやく白み始めた筑紫路を南へと駆ける。雨はまだやまない
 前回このあたりに来たのは2007年。まだまだ新幹線は橋脚が出来始めていた頃。いまでは開業まで秒読み。ほんとに時代の移り変わりは激しい
<熊本>

 1時間少々で熊本に到着。5年ぶりくらいだろうか?幸いにして雨は上がっているようだ

 こんな幕が見れるのもあと3月程である
 新幹線暫定開業でかつての古巣、鹿児島を追われた787は、来春には再び鹿児島に返り咲く。もっともそれは表舞台となるだろうか?博多~熊本~鹿児島と九州の背骨を疾駆した伝統の特急列車にとっては少々似つかわしくない旅路かもしれない

 列車は新八代まで行くし、それでも全然問題ないのだが、新八代から先の列車はここ熊本始発なので、熊本から乗ることに

  熊本→人吉:キハ185-6 8:28発 1081D 特急くまがわ1号「人吉」 1号車8A 指定席

 もっと乗るのかと思いきや車内は閑散・・・・・・・
 発車してまもなく、右手に熊本運転所。14系15型やらキハ58あそ1962やらが過ぎる

 熊本総合車両所にはさくら、みずほ用のN700-7000番台が停まっていた
 三角線との分岐駅、宇土からは初乗り区間。八代までは架線下の鹿児島本線を走る。新幹線が寄ってきて、まだまだ新しい複線線路が分かれてゆくと新八代。リレーつばめは新幹線の高架駅に直接横付けされるが、こちらは旧来からの本線上。新幹線高架駅下の簡素なホームに停車。少しくらい乗降あるのかと思えば、まったく人気は無い。余談だが、客室乗務員の女の子むっちゃかわいい
<八代>
 1駅走って八代。製紙工場ではでっかい煙突からもくもく煙吐き出している。ここではまだ貨物扱いがあるようだ。鹿児島本線はここから先、川内までは第三セクターに転換されて、旅客列車は気動車になった。
 八代を出るといよいよ非電化の肥薩線。鹿児島本線が「左」に別れてゆく。肥薩線は築堤を駆け上がりまっすぐ進む。本線のほうが迂回してローカル線を跨ぐのは、なにも直後に球磨川を渡るからではない。鹿児島本線が後から出来て、今走っている肥薩線がかつては鹿児島本線だったからだ
 八代から先はつかず離れず、時折渡り、延々と球磨川に沿う。この列車名の由来となった川だ
<坂本>

 到着直前に廃線跡っぽい路盤。林鉄の跡でもあるのかと帰宅後調査したところによると、製紙工場への引込み線跡のようである

 沿線観光図
 肥薩線が鹿児島本線として開業したのは先述の通り。開業時は日露戦争の影響等で海岸線近くに線路を敷くと艦砲射撃を受けて輸送路が分断される恐れがあるとしてこんな山越えのルートになった。もっとも、地図を見ると八代から鹿児島まではこの肥薩線ルートのほうが「まっすぐ」に見える
<人吉>

 人吉到着

 乗車してきたキハ185-6。熊本からは1時間半ほど。折り返しは九州横断特急別府行きとなる。人吉から別府って凄いルートだよね。昔の急行列車全盛時代ならともかく、近年の都市間輸送形態の特急ではありえないw

 肥薩線は列車の旅そのものが観光資源

 「いさぶろう1号」のキハ140 2125。魔改造されたキハ40の一種www
 旅客が少ないのに2両。これは普通列車だが、指定席(自由席は7席しかない)がついている

 車内はボックス席だが、レトロ調に

 眺望が目玉の一つなので、車体中央部には座席無しの立ち席スペースで大型窓を配置

  人吉→吉松:キハ140 2125 10:06発 1253D 普通いさぶろう1号「吉松」 1号車6A 指定席

 切符はフリー区間に入っているので乗車券は必要ないが、座席指定券は別に必要で300円を投資した。たいした数じゃない
 魔改造されたといっても、キハ40には変わりない。乗り心地とか、出だしのノロさとか・・・。エンジン換装されてキハ140を名乗っているが、実際のところキハ40とそんなに変わらないと思う
 うん、こっちのアテンダントさんも美人さんだ♪

 肥薩線、人吉~吉松間を走る列車は1日5本。そのうち、日中の2本が「いさぶろう」を名乗り専用車両をしようする。なお、吉松発の列車は「しんぺい」を名乗る。車両は同じだ
 肥薩線建設時の逓信大臣山縣伊三郎と、同区間開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平からこの名前がついた
<大畑>

 ループの途中にスイッチバックがある有名な駅。いさぶろうは観光列車なので要所要所で停車時間を長くとってある。大畑では5分停車
 大畑からバックして一旦停止、再度進行方向が変わって左へ左へと曲がり始める

 眺めは良いのだろうが、生憎の雨で視界は霧に閉ざされている

 本線上で一旦停止。先ほど通ってきたスイッチバックと、その奥に大畑駅が見える。周囲に人家等はなく、本当にスイッチバックの為にだけ造られた駅
 後ろの車両の乗客にも同じ眺望を提供するために、1両分走ってまた停まる。観光列車ならでは

 霧の海だ。これはこれでいいかもしれないけど、でもやはり好天での景色を眺めたかったね。折角来たんだし。まぁ、宿題だと思って、次回へ持ち越し。ここを再訪するための楽しみにとっておきましょう
<矢岳>

 ここも5分停車


 車両だけがどうにも・・・いや、贅沢は言うまい・・・・・・・キハ52で越えたかったなぁ(贅沢言ってんジャン

 時間が止まったままの矢岳駅舎
<真幸>

 スイッチバック再び。下に見えるのはこれから通る吉松への本線

 この先はどん詰まり。列車は後退しながら、真幸駅へと進入する(正確には運転士は位置交替しているし、前後ろ逆転させているので、退行運転という意味の「後退」ではないが)

 真幸に到着。雨だ・・・

 ここも5分停車するので降りてみる。駅名標の横には「幸せの鐘」。幸せが欲しいだけ鳴らすといい

 真幸は宮崎県下にある。今日も天気が悪いのに地元の方々が特産品の出店を開いていた

 来年には開業100周年なんだねぇ

 一応、方面別に乗り場を分けているんだねぇ。今では熊本行きも宮崎行きも来ないけれども。つい最近まで急行「えびの」が多くの乗客を乗せてここを行き来していたのに・・・

 さっき走ってきた線路
 ここからひたすら下りに下って吉松へ
<吉松>

 2分くらいの乗り継ぎしかないので手短に

 キハ147-1025車内。これも魔改造されたキハ47。そもそも近郊型であるキハ40系列を優等列車、こともあろうか「特別急行列車」に使うことに無理があるのではないかと・・・
 車内は転換クロスシートに換装されているが元々BOXシートなので窓との位置があっていない。具合の良さそうな位置に席を取る

 「いさぶろう」と同様に車両中央部は大型窓が配されている。定員外ながら、さすがにこちらは座席付き
 今度は自由席なので座れないとキツイなぁ・・・とか思ったが、この天気で平日じゃぁそもそも乗客は多くない

  吉松→隼人:キハ147-1025 11:21発 7021D 特急はやとの風1号「鹿児島中央」 2号車8A 自由席

<栗野>

 発車直後。右へと別れてゆく路盤

 栗野から不知火海を望む水俣を目指した山野線跡である。途中にループ線があったことで有名である。末期はキハ52が単行で走った。第二次特定地方交通線とされ、1988年に廃止。存続していたら鹿児島へのルート選択がまた楽しいものになったであろう。山野線のループは、勾配緩和を目的とした完全ループ線の中では唯一の廃線でもある
<大隈横川>

 「大隈」っていうと「大隈半島」つまりは隼人や国分より南、宮崎県と接し、かつ桜島を擁し、錦江湾に面している地方のイメージがあるが・・・霧島の山の中も「大隈」なんだねぇ
 広義での「大隈」は宮崎の一部までを含むらしいねぇ
 列車は5分ほど停まるのでちょいと下車。一服休憩

 タブレットキャッチャーが残っていた。通票閉塞を使用している路線はまだあるが、通過扱いをしているのは因美線の優等列車廃止、閉塞方式変更以来絶えて久しい
 JRがまだ国鉄でCTCも未整備だった時代には全国至る所で見られた設備。通過列車はタブレットをこのリングの中に投げ込み、停車することなく次の閉塞区間に進行してゆく。助役なんかが腕を広げて直接受け取っていたりもした。皮製のポーチの中に「通票」と呼ばれる砲金製のメダルがあるのだが、これが結構大きくて重い。重いということは速度が出ていれば当然もっともっと荷重がかかるものだから、直接受け取ろうものなら背中なんかに「ドカン」とあたって結構痛かったらしい
 まぁ、閉塞だのタブレットの詳細はWikiでも参照にしてくださいな。急行「やたけ」とかが使っていたんだろうかね?

 吉松では時間がなかったのでこちらで。キハ147-1025

 駅舎は下り方面ホームに。かつては2面3線だった

 駅舎内からはやとの風を臨む

 こちらは先頭のキハ140-2066
<霧島温泉>
 ここから先は乗ったことがある。これにて肥薩線全線完乗
<嘉例川>

 ここでもプチ下車

 向こうに旧型客車が見えればなお良い!
<隼人>

 どんよりしているが、雨は上がっている。そのまま乗っていけば鹿児島中央まで連れて行ってくれるが、別に目的もあるので下車

 隼人駅の出入口付近。竹を敷き詰めた壁が独特
 駅前をうろうろしてたら、鹿児島方面へ走ってゆく日南線特急「海幸山幸」用のキハ125-400は撮り逃した。悔しい

 6008M宮崎行特急きりしま8号入線。クモハ485-105。短編成化に伴いモハ485-242を種車に改造された固体

  隼人→鹿児島中央:クモハ485-7 12:48 6087M 特急きりしま87号「鹿児島中央」 3号車12A 自由席

 来年3月の改正できりしまは使用車種を787系に更新されることが決まっている。新幹線開業で余剰となるリレーつばめ用の787系を転用するのだ。485系のきりしまに乗れるのもこれが最後ということになる
 わずかな距離だが、鹿児島まで最後の旅である
<加治木>

 87号は多停車型。霧島神宮発着の短距離タイプが80番台の号数を名乗る。停車駅も多く、酷いやつは錦江と竜ヶ水以外全部停まる列車まである
<錦江湾>

 どんより・・・

 晴れていればこの辺りで撮影でもと思ったが・・・
<鹿児島中央>

 西鹿児島・・・もとい、鹿児島中央に到着したきりしま87号クモハ485-7

 幕も撮るぞ

 んー1995年からだから、わりと歴史は短いね

 鹿児島の中心部・・・というか、鹿児島市の都心部にやってくるのは30年ぶり・・・・・・・らしいよ?

 せごどーん!
 熊本と揉めたアレやねwww左前も直ってるね・・・

 お!レアもんみっけ・・・・・・・そうでもないか?クモハ716-203

 クモハ817-19。どうせフリー切符だし、一駅戻る

○ 鹿児島中央→鹿児島:クモハ817-19 6942M 普通「都城」

 鹿児島地区も銀色の電車ばかりだなぁ・・・。クロスシートなのでまだ良いが。一駅なので一番前でかぶりつき<鹿児島>

 鹿児島の代表駅っぽい名前なのに、代表駅はとなりの鹿児島中央。いまでこそ「中央」なんて呼称が追加されて代表駅っぽくなったけど、ちょっとまえまで「西鹿児島」だった。大阪や東京へ行く寝台特急も、九州島内の特急列車も西鹿児島が始終点だった。「西」なんて明らかに本駅の隣の駅っぽいのにね・・・・
 どうでもいいが僕らの世代には西鹿児島のほうがやはり通りが良い。「鹿児島中央行」なんていうのよりも「寝台特急富士号日豊本線経由西鹿児島行」っていうイメージさね
 そんな脇役っぽい鹿児島駅だが、路線としてはここが始終点になっている。すなわち、小倉からやってきた鹿児島本線、日豊本線はここで再びつながりそれぞれ終点となる

 橋上駅舎の鹿児島駅。地方の中規模駅くらいの感じ

 鹿児島駅前電停に並ぶ市電各車。古いのが来るまでしばらく待つことに・・・
 500か600が来ればそれに乗る。超低床車なんかには見向きもwww
 しかし、待てど暮らせど旧型は来ず、どうやら9500は機器流用で釣り掛け駆動らしいのでそれで良しと、譲歩する

 9514が来たのでこれに乗ることにするー

× 鹿児島駅前→谷山:9514 14:27発 ①「谷山」

 うん、ちと軽めだけど、ちゃんと釣り掛けサウンドだ!!土地勘がないのでいろいろ眺めておきたいところだが、雨だし乗客が増えて外は見えなくなるし・・・ウトウトしてたら市内中心部は通り過ぎていた。車庫も見えなかった・・・
<谷山>

 谷山電停到着。そのまま戻ってもいいのだが・・・
 現在時刻15:05・・・15:22に鹿児島中央行の列車がある。指宿枕崎線の谷山は・・・・・・・どこだ??
 おk把握。15分あれば行けるだろう!ということで、あんまり余裕ないが雨の中に飛び出した。国道を南西へ。びしょびしょの歩道を足早に

 時間ねぇっていってるのに・・・山川行1347Dキハ47を撮ったりしながら、谷山駅へ急げ!

 ・・・・・・・・着いた・・・・・・・orz
 暑い、汗かいた。靴びちょびちょになった・・・列車は?あと3分あるか・・・・・・・途中で大判焼き屋を見つけてすっげー欲しかったけど、買ってたら間に合わなかったな

  谷山→郡元:キハ200-8 15:22発 3346D 特別快速なのはなDX「鹿児島中央」

 特別快速といってもこのあたりは各駅に停まる
<郡元>

 いちおう、ホームを撮ってみた。複線分の用地があるのがわかる。1986年開業のわりと新しい駅
 忙しいが今度は市電の郡元へ。JRの郡元に一番近い電停は純心学園前だが、そこから乗ってしまうと、郡元~純心学園前を乗り残す可能性があるので、電停2つ分歩いて郡元電停へ

× 郡元→いづろ通り:9512 15:54発 ②「鹿児島駅前」

 また9500だ。500とか600はラッシュ時くらいしか動いていないようだ。高見馬場を越えて、市電は全線完乗。本日の宿はいづろ通り電停からすぐのホテル。後でまた出かけるが、いったん宿へ

 雨と水溜りでびっしょりになった靴を強制乾燥中!!!!たまにドライヤーから火花が飛んでたがまぁ、大丈夫!!

 夕方、出直す。雨は相変わらずだが、幸い歩道には屋根が・・・・・・・・・なくなったわ。ちっくしょう!!
 高見馬場交差点脇で待つこと数分。ヤマグチ先生到着、合流。鹿児島泊なのでアポ取っておいたの~。お会いするのは紅楼夢以来だね。ちなみに、このあと2週間程あけて年末、今度は東京で呑むんだけどさwww
 会場は天麩羅からり。19時から初めて閉店の23時まで。やや遅れて、ヤマグチさんのご友人、○わ先生到着。はじめましての挨拶もそこそこにビールを煽る。○わさんとは初めてお会いするものの、実際のところはpixivで相互にお気に入り登録するくらいの間柄だったりする。もちろん、実際に会って話をするのなんて初めてなのだが、それを感じさせないくらいに自然に会話できるあたり、共通の話題ってすごい。3名が3名とも少なからず東方を知っているのに、殆どその話題は出ず。かといって同人の話題が出ないわけでない。5時間があっという間なくらいの非常に濃密な時間
 23時に閉店とのことで名残惜しいが、お開きに。○わさんには13冊も同人誌を頂いてヒャッホーしながら宿へと帰ったのでした


<12/14>

 晴れた!宿から見えた桜島

 一発目はバス。鹿児島中央駅から乗る予定だったが、始発のバスターミナルが至近なので始発から乗ることに

○ 山形屋BC→特攻観音 10:10発 鹿児島交通 「特攻観音」

 比較的長距離のために1ドアの観光バスタイプ。でも普通の路線バス・・・
 市の中心部は比較的すんなり抜けたものの、谷山を過ぎたあたりから流れが悪くなり、その上各バス停で乗降があるのに1ドアが災いして遅れが増長してゆく
 指宿枕崎線に沿って南下し、平川駅付近から半島内陸部に。このあたりまで来て乗客は殆どいなくなった。知覧方面まで乗り通す客なぞ殆どいないと言うことだ
 1時間程で知覧の街中に入る。知覧のバス停は旧南薩鉄道の知覧駅跡。広々とした折り返し場がかつての鉄道駅を偲ばせる。駅舎も残っていたそうだが、取り壊されて現存しない。まっすぐ西へと向かってゆく廃線跡も確認できた
 結局20分ほど遅れて終点到着。始発から乗り通したのはうきは一人きりであった
 駐車場をぽてぽて歩いてゆくと、まず見えてきたのが

 中島1式戦闘機三型甲「隼」・・・・・・・のレプリカ

 映画撮影のために製作されたレプリカで、後ほど行く博物館内にもう1機が展示されている

 反対側から。実機を自分の目で見るとアレだけど、写真だと「本物だよ」といっても差し支えないくらいに精巧に出来ている。隼を国内で見れるのはここだけなので、レプリカとはいえ、一見の価値はあるかと・・・この後紹介する機体もここでしか見れないけどね
 世界的には米国スミソニアンやインドネシアの空軍博物館、シアトルにあるフライング・ヘリテッジ・コレクション(私設博物館)には飛行可能なオリジナルの隼もある。一度飛んでいる姿を拝みたいものだ

 航空自衛隊のT-3。特に珍しくもないよなぁ・・・とか思ったら、T-3て既に全機退役してたんだわ

 借り物なのか!!

 知覧町護国神社にお参りしてから、
 
 知覧特攻平和会館
 丸一日潰れようともなんとしても来てみたかった。念願かなった
 ん・・・・・・・・・まぁ、内部は写真撮影禁止だけどね
 たっかい金払って一枚も写真撮らずに帰れるかっての!!

 いろいろあってクリアに見るには耐えられぬが・・・
 国内唯一というか、世界でもまともな形で残っている唯一の川崎・三式戦闘機「飛燕」である。しかも後期生産のⅡ型!もしかしたら、米国のどこかに眠っているかもしれないが、現在ここでしか見ることが出来ない貴重な機体
 日本の単発戦闘機では抜群のプロポーションを誇る三式戦闘機を今でも実際に、間近に見られる幸運。いやぁ・・・いいよね。ちと気になる部分はあるけど、それでもコレだけの完成度で完全品を見れるんだから、贅沢はいっちゃいけない。これが見れただけで、今日一日の足労は報われる

 そしてもう一つの希少品がコレ、中島・四式戦闘機「疾風」である。2000馬力級のエンジンであるハー45(海軍名「誉」)を搭載し、最高速度624キロを叩き出した。まさに「大東亜決戦号」だ
 小型軽量で高出力だがぶっ壊れやすい、と定評の誉だが、腐っても2000馬力級。図体はとてもでかい。隣の部屋に展示してある三式戦は液冷エンジンという非常にコンパクトなエンジンに合わせて設計されているのでともかく、1000馬力級の零戦なんかに比べると一回りも二回りもでかい。さすがに「重戦」だが、思い切ってやれば格闘戦をこなすことも出来たといわれる
 機体は1973年にアメリカから里帰りしたもので、入間の航空ショーでお披露目飛行もされた。その後、宇都宮や嵐山、南紀等で展示されてきたが、飛行不能になり現在は知覧にて静かに余生を送っている
 諸説あるが、ガスで強引に切断され・・・というのは誤報のようだ。運搬、移動の際には正規に分解、組み立てがなされている。靖国にある彗星等と混同されている節があるようだ
 とはいえ、一度は再飛行したものの、部品の盗難、欠損や塩害による腐食、エンジンの不調などから現状では再度の飛行は絶望的であろう。前回のレストア以上の金も時間も手間もかかるはずだ。そして、決定的に日本にはそうした文化がない。おそらく、この疾風が再び大空を舞うことは今後二度とないことだろう。この機体を譲り受けた先人達が、もう少しの思慮を持っていれば・・・
 どのくらいかかるのかわからないけど、宝くじで3億円当たったら、この飛行機を再レストアするのに全て注ぎ込んでも良い
 会館には他にもぼろぼろの零式艦上戦闘機や震洋、各種装備品等もあって非常に史料価値が高い。今日は修学旅行生とかがいて少し騒々しかったし、もっともっと時間を取って来るべき所、この後のプランを実行するに当たって今回は1時間半程度しか時間を割けなかった。また来よう

 再びバス停に戻る。今度は更に先へと進むバスに乗る

 バス停の前には枕崎空港の案内看板。近くにあるらしい
 枕崎空港は1991年に開港した日本初のコミューター空港。県内離島へのチャーター便運航や操縦訓練等を行っていたが、不況の煽りで事業者が相次いで撤退。県の防災ヘリが常駐しているが、これがほぼ全ての利用実績である。グライダー等の航空スポーツ誘致も盛んに行われているが、活性化にはまだまだのようだ

○ 特攻観音入口→枕崎 13:06発 鹿児島交通 「枕崎」

 乗客はいなかった。薩摩半島の内陸、丘の上をのんびりと走る。茶畑の広がる広々とした台地の上だ

 遠くに開聞岳が見える
 ところどころある集落を縫って走り、さして乗客も増えないままに枕崎の市内に。知覧から40分程で枕崎のバスターミナルに到着した
 列車の発車どころか、到着までかなり時間があるが、駅の位置を確かめておこうと思う
 なんだけれど・・・・・・・どこに?
 そもそもイメージにある枕崎駅は鹿児島交通廃止後のだだっぴろい構内にポツンと気動車が停まるような・・・線路がまず無いし。駅っぽいものが見当たらない

 うろうろすること数分、ラーメン屋の軒先に「←枕崎駅」の看板を発見

 ↑あっちらしい

 あったぁ

 鹿児島よりに移設された上に駅舎とかもろもろは完全に無くなったらしい。そもそも駅舎は鹿児島交通のもので、営業も鹿児島交通が受託していたが

 北海道の先っぽまで線路が繋がっていると思うと、やはり凄いと思うの

 さて、とりあえず、駅の場所はわかった。だが、列車が到着するまでしばらく時間がある。発車するまではもっともっと時間があるので、少し付近をぶらつこうかと思う
 真新しいショッピングセンターの脇を通り越して、旧枕崎駅の外れと思われる地点に行ってみた



 まさかと思った

 踏切が残っていやがった!見ての通り一部は舗装が上塗りされている。踏み切りなんて道路が舗装し直されてしまえば一編になくなってしまう物件。いまだに当時のまま残っているのは奇跡

 加世田方を望む
 振り返って、

 枕崎駅構内方向を。枕崎駅跡地には大型ショッピングセンターが出来ていた
 ここから加世田を経て伊集院まで薩摩半島の西側を横断した鉄道が廃止になってもう30年近くが経つ。鹿児島交通枕崎線、通称南薩線。痕跡は失われつつあるが緩やかな開発の中でまだ往時を偲ぶものがこんなに近くに残されていた

 枕崎を出た線路敷きは駐車場、民家へと姿を変えていた

 開発で掘割は埋め立てられたが、かつて線路を跨いでいた橋は欄干だけが残った

 真新しい民家の先で突然地面は割れ。冬なお鬱蒼とした廃線敷きが姿を現した
 この先、伊集院まで50キロあまり、随所に遺構は残る。大規模な開発が行われるような地域ではない。しかし、年月を経るたびに確実に少しずつ、ここに鉄道があった痕跡を消してゆく・・・
 廃止後、復活を夢見て設備の多くがそのまま残された。SLをここで動態保存して観光鉄道として蘇らせる、そんな計画が持ち上がっては消えていった。そして今、南薩線は人々の記憶の中にだけある。復活の日はきっと、こない

 復活なぞ夢のまた夢になった南薩線跡をあとに、ショッピングセンターで昼飯を買い込んでから枕崎線の線路端に

 1339D/5337Dのキハ47 9050を撮影。歩いていけてそこそこ緑が多いポイントなんてここ位しかなかった

 枕崎駅に入線した5337D。後ろはキハ147 106

 キハ47ごしに南の鉄道「最果て」を撮る

 途中の山川で運転系統は分離されているが、鹿児島中央まで全線を直通運用もある。次の列車も直通

 折り返しまで1時間以上あるので列車は締め切り

 富士重・宇都宮工場製だった。北関東からはるばる南国までやってきたんだねぇ

  枕崎→鹿児島中央:キハ47 9050 15:46発 5336D/1354D 普通「鹿児島中央」

 指宿から列車番号が変わる。列車番号は変わるが増解結等するわけでもなく、列車はそのまま鹿児島中央まで直通する
<薩摩川尻~西大山>

 沈み行く夕日が開聞岳をシルエットに浮かび上がらせる
<宮ヶ浜>

 大隈半島が見える。すでに日は没し、暗闇に包まれるまであと僅か。帰宅を急ぐ学生達を乗せて列車は鹿児島に向けて走る
 喜入、中名、瀬々串と進むうちに視界は完全に闇に閉ざされ、鹿児島中央には18時21分に到着。薩摩半島の東岸、南岸をぐるっと廻る2時間半の旅が終わった

  鹿児島中央駅→いづろ通:9505 18:30 ②「鹿児島駅前」

 なんだかコレばっかりあたるねぇ・・・

 今日も同じホテルに連泊
<ついでにホテルの部屋で書いたぷち考察っぽくもないなにか>
交通量が減ってノッチいれっぱなしな釣掛け電車の音が素敵過ぎて眠れないのでうだうだと・・・
良い音してんなチクショウ
個人的に、市電は循環系統があると嬉しい
まぁ、循環ない代わりに高見馬場と郡元で乗り換え券配ってるんだろうけど
もしくは郡元止めじゃなくてそのまま高見馬場までゆくとか、
鹿児島駅前からぐるっと廻って鹿児島駅前に戻るとか
交通局廻りも中央駅廻りも谷山まで行くとか・・・
現状、非常にシンプルなのは解るのだが・・・

指宿枕崎線は高架化を機に喜入辺りまで複線電化して15分ヘッド位のパターンダイヤにすると凄く便利じゃないかな?と素人考え
二連の丁度良い電車があるわけだし、通勤通学時間帯は四連の415を投入出来る
非電化区間直通はキハ200にして電車と運転性能を近くすれば・・・
市街地区間は結構乗ってるしね、二つドアのキハ47では乗降が厳しいかな・・・と
日豊本線国分辺りからの直通運用にして利便性向上計れないかとか・・・

いい加減に寝よう


<12/15>

 「いづろ通り」の由来となった石灯籠。「いしとうろう」が訛って「いづろ」になったんだと、○わさんに教えてもらった

 トウが「燈」なんだね
 
 神社があったのでついでにお参り。大国主神社。そのまんま


 そんなに時間があるわけではないが、いづろ通電停で定点観測

 9508。パンが切れた・・・orz

 9514。9500はほぼ主力車なんだなぁ

 ほらまた、9507。スカイネットアジアのアドカラーだ

 うわーい。やっと来たよぉ。611。市交オリジナル塗装だ。後は乗れれば・・・

 続行で9513。しかしホント良く来るなぁ

 5連接の7002。通称「ユートラムⅡ」ちなみにⅠは3連接の1000。アルナ工機のリトルダンサーA5シリーズ

 さて、時間も押してきたところで、ようやく2系統で600がやってきたので、いづろ通りを後にする

  いづろ通→鹿児島中央駅:616 8:13発 ②「郡元」

 中央駅にて616。これもオリジナルカラーだった。鹿児島市電といえばこのイメージが頭から離れない。9500や9700もこの塗装だが、やはり500や600が一番似合うと思う

 釣り掛け音高らかに鹿児島中央駅を発車する616。616は600の最終号車。帝國車両で製造され、大阪市電や阪堺電軌にも似たようなデザインの電車が存在する(した)

 時間があれば鹿児島本線も定点観測しようかと思ったが、午後の予定と予約した新幹線の指定の関係で直接新幹線ホームへ

 さすがにこの右側に駅名が刻まれることはないだろう・・・だが、もうじきまた東京までの道が開ける
 列車入線。だが前面は満足に撮れない
 
 側面のロゴとか

 ・・・・・・・・「博多」だとあんまり暫定開業の記録にはならないなぁ・・・
 そそくさと車内に

  鹿児島中央→新八代:827-3 8:45発 つばめ2「新八代/博多」 3号車11A 指定席


 さっそく飯を喰う

 鹿児島黒牛弁当。1050円也

 近年開業の高規格路線なんてのはみんなそうだが、駅を出たら高架でトンネルばかり。速いのはわかるが、旅の楽しみというのは半減にも満たないと、流れる文字ニュースをボーっと見ながら思う
 列車は途中川内にだけ停まり、たった40分程で新八代のホームに滑り込んだ。おととい、半日掛けて越えてきた距離をたったの40分。時代は変われば変わるものだ・・・
<新八代>

 乗り継ぎ時間が少ない中、なんとか特徴的なノーズだけ捉えることが出来た。鹿児島中央方先頭車821-3

 むしろこちらの方を記録に残しておくべき。新八代駅に停車中のリレーつばめ2号
 新幹線全通開業後はここは保守用線路、つまり標準軌に変更される。駅としての営業設備は2面2線の対面式となる。ここに営業列車が入るのもあと僅かということだ

 バック潰れちゃったけど、787系ね。時間無くて露出の調整とか撮りなおしとかしてられなかった。だってベル鳴ってんだもんw

  新八代→博多:サハ787-101 9:27発 2M 特急リレーつばめ2号「博多」 3号車11A 指定席

 新幹線の指定席とリンクされているんだね。単純に乗り換えるだけの人にはこの方法が便利

 高架の新八代から在来線への短絡線
 元々は新幹線の保守用線路としての敷設だが、在来線特急との連絡を図る必要が出来たので狭軌で敷かれている。新幹線の全面開業が見込めなかった場合には新在直通用フリーゲージトレインの連絡用線路としても使えるよう設計されていた。新幹線が無事に博多まで伸びることになったので、この区間は当初の目的通り保守用の線路に戻される。この光景が見れるのも、ここを列車で走ることが出来るのも後3ヶ月ほどである

 熊本運転所通過。用途を失った14系客車が過ぎった
 熊本から1時間20分ほどで博多到着。速い・・・
<博多>

 となりのホームにいたので1枚

 かもめ・みどり・ハウステンボス19号

○ 博多→千早:クハ813-234 11:23発 4120M 快速「門司港」

 すぐなので一番前に立つ

 千早到着直前にED76 58号機牽引の貨物列車とすれ違った

 千早まで乗車のクハ813-234
 定点観測しようかと思ったが、くそ寒いのでやめて改札口へ。本日の福岡の最高気温は5度だ!

 貝塚行きは出たばかりのようで少し待ち。その間に新宮行きの電車がやってきた

× 西鉄千早→貝塚:604 11:45発 「貝塚」

 久々に宮地岳線・・・・・・・じゃなくて貝塚線乗った。そう、前回乗った時はまだ部分廃止前の「宮地岳線」時代。たくさん釣り掛け電車が走っていた時代だった

 貝塚に到着した604。600も本線系からは追われ、ここ貝塚に残るのみとなった
 貝塚の庫では唯一残った313系が整備を受けていた。最近、無事に全検出場したらしい。よかったねぇ

 わざわざ貝塚に来たのにはわけがある。駅前の公園に行きたかったのだ。そこには・・・

 こんなものが置いてある

 小さな小さな旅客機である。その昔、日本の空を飛んでいた、英国生まれの小さな飛行機

 こんなに小さな機体でもエンジンは4つも付いている。当時は非力なエンジンしかなく、この程度の機体でもエンジンをたくさん必要としたのだ

 ここにあるのは終戦後の航空黎明期、日本の空を飛んだ英国デハビランド社製のDH.114ヘロン。乗員2名、乗客は14名。時速295キロで1500キロ程の飛行が出来た。ローカル線向けとはいえ、このクラスで4発は経済性に疑問符が付く。DC-3ですら双発だし、満席で飛んでも採算は取れなかっただろう
 日本では全日空の全身、日本ヘリコプター輸送(日ペリ)と藤田航空、日本エアシステムの全身である日本国内航空で使用された。最後まで使用されたのは日本国内航空の機体で1973年まで奄美諸島方面の離島便で使用されていたようだ
 前回は貝塚の駅から後姿だけを見ていて、いつかは、間近で見てみようと思っていたところだった。雨曝しだから状態は年々悪化するだろうし、すこしでも早いほうが良い。そこで、今回ちょっと無理をして訪れてみた
 間近で見ると、保守が行き届いているとはいえないが、わりとしっかりとしている。ガラスなんかは全部嵌っているし、タイヤとか付属品も取り敢えず揃っている様に見受けられる。機内が見れるかもと期待してきたが、それは無理なようだ。そうゆうわけで、機内の状態は計り知れない
 現地に来るまではエンジンを換装した「タウロン」かと思っていたが、どうもオリジナルのヘロンのようだ。現在はこのヘロンと、換装型のタウロンの1機ずつが国内に保存されているとのことである

 逆行で正面潰れた。貝塚公園にはSLも置いてある

 9600の427号機。大正9年製造で昭和43年の廃車時は後藤寺機関区にいた

 ランボードから前方を。特徴的な門デフがわかる。実際、現役時代はデフが取り付けられておらず、展示に当たって後年取り付けられたそうだ

 9600の後ろにはナハネフ22が連結されている

 右側が車掌室。左側が一種の展望席になっており、座席もあり後方を眺めることが出来た

 サボは「かいもん」。20系の定期運用としてはもっとも後期まで存続した列車のひとつ
 門司港と西鹿児島を結んだ急行「かいもん」は昭和53年3月改正でそれまでの10系寝台から20系に更新されている。同時に座席車も12系化されて居住性は格段に向上された
 昭和61年には寝台車のみ24系25型に変更され、急行廃止までこの姿を維持した。平成5年に特急ドリームつばめに格上げの形で廃止されている
 かいもんと対を成すのが日豊本線周りで門司港と西鹿児島を結んだ急行日南で同じ編成が使用された。同じ区間ながら日豊本線周りの方が距離があり、かつ宮崎~西鹿児島間は普通列車となったので所要時間が多い。もっとも寝台を使える時間が長いという利点もあるが・・・。こちらもドリームにちりんに格上げ、運転区間も短縮された。対東京や対大阪への寝台特急が全滅した現在も島内唯一の夜行として存続するドリームにちりんだが、来年3月の改正で廃止になる模様である

 急行列車での使用にあたり、特急時代にあった雨どい下の白帯がなくなっている。本州で運行された急行格下げの20系客車も概ね白帯2本の塗装になっている

 ガラス越しだが車内を。3段寝台だが10系よりは居住性は改善されている。電車寝台である583系の3段式よりは上下方向は断然に良い。ただし、幅は583系が一番広い。583系の寝台幅は後に設計された14系や24系よりも幅広である

 保存されている20系も少なくなってきている。この車両も雨曝しではなく、なんらかの形で屋内保存できないものか?比較的保存状態は良好だが、それは屋外にしては・・・という話。どうみても劣化は進んでいる

 こんなのもあった。こっちは屋根つきだ。96とナハネフにも屋根つけてよ!真ん中のでっかいのはフィリピンのジープニーという

 良いね!一台欲しい

 このちっこいのはサムニーというタイのオート三輪。2~3人乗りでエンジンは日本製らしいよ。ツクツク(トゥクトゥク)と何が違うのん?
 ということで、調べてみるに・・・サムニーってのは「三輪自動車」のことなんだね。トゥクトゥクは俗称なんだって、排気音の音とか語源は諸説あるらしい
 にょーさんも乗ったことあるかなぁ?今度聞いてみよう。てゆうか売ってるんだねぇ


 再び貝塚駅。こちらは福岡市営地下鉄。いろいろ考えた末に、時間に余裕ありと見て1日乗車券購入。

 1501。つまりトップナンバー編成

  貝塚→箱崎宮前:1001 12:19発 「中洲川端」


 駅を出るともう参道。地図を見なくてもお宮までゆけそう

 そうゆうわけで、筥崎宮にお参り

 さすがに筑紫国一宮だけあって大きいね

 祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命。三大八幡宮の一つなんだ。石清水はこないだ行ったし、宇佐に行けば三大八幡宮制覇だな

 凄いねwww元寇の時、蒙古軍を撃退したとされる神風は、この社の神徳であると言われている

 開運だな!!

 もちろん撫で回してきた

 箱崎宮前のバス停

 ちょっと見づらいけど、バス専用道路と記してある

 いかにも、な感じでピンと来て、調べてみるに、やはり廃線跡。地下鉄が出来る前、福岡市内には路面電車が走っていた。事業者は地下鉄とは異なり、西鉄であった。そのうちの一つが「貝塚線」で、元々は宮地岳線であったものを市内線に編入したものだった。貝塚から千鳥町まで専用軌道であり、その一部がバス専用道路となっている・・・・・・・それがここだった。廃止は1979年で、市内線全廃までここは電車が走っていたのである

 再び箱崎宮前駅。箱の字が違うのは、八幡宮と同じ「筥」の字を使うのは畏れ多いとのことで変えてあるのだそうだ

 120分とか寛大すぎるwww東京なら20分か30分だ。天神で買い物とか食事をする旅客へのサービスなんだろう

  箱崎宮前→天神:1125 12:42発 「西新」

 煌びやかな地下道を延々歩いて天神南へ。乗り換え可能とはいえ、同じ駅名にしなかったのは賢明

 電車ちっさいなぁ

 細長く見えるね

  天神南→橋本:3602 12:00発 「橋本」

 大江戸線と同じ、鉄輪式リニアモーターカー。大学のある福大前あたりまでは結構乗っていた


 開放的な運転台。開放的というか、旅客が座れる

 座ってみた。後ろ側のみだが公に運転台に乗車できる。もちろん運転機器は蓋つきで鎖錠されているが

× 橋本→天神南:3103 13:30発 「天神南」

 七隈線乗ったので、福岡市営地下鉄は全線完乗
 また延々歩いて天神へ・・・

  天神→福岡空港:1517 14:07発 「福岡空港」


 ガンダムいた

 反対側もね

 まっくろだ。ドラゴン航空のA320。ドラゴンとか久々に見たなぁ

  福岡→羽田:JL330 A300-622R JA016D 16:05(16:15)発 37A

 使用機遅れの為に10分延発
 久々のA300、そして、おそらくコレが国内で乗る最後のA300。2010年度末までに全機退役が予定されているからだ。22機が活躍したA300-622Rもまもなく終焉を迎えようとしている
 JA016Dは国内で登録された最後のA300-622Rで2002年の導入からまだ8年しか経っていない。A300シリーズを導入したのは旧JASであるが、22機目となるこの016Dは合併後に納入されたのでJALのフルカラーで登場している。しかも、旅客型A300としては世界中で最後に生産された機体、つまりは世界でもっとも新しいA300でもある

 強い偏西風、ジェット気流のせいで機体は時々小刻みに揺れる。外はすぐに暗くなりNHKニュースをぼんやりと見て過ごす
 ベルトサイン点灯。降下を始めた。A300の旅もあと僅かだ・・・

 羽田に到着したA300-622R、JA016D。日本ではきっとお別れだけど、世界中ではまだまだ仲間は飛んでいる。いつかきっとまた出会える日を願って・・・

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