会津阿賀野源流紀行


<序>
「消火栓選定!起動ボタン良し!!赤色表示灯点灯!!!」
 とか試験やって
「中央線間引きで混んでんな・・・よし、そば喰って特急で行こう」
 と言う感じで出かけた秋葉原での突発呑み
 8人と程よい人数で呑んで騒いで暑さを吹き飛ばした折にだ・・・

「明日休み?」
「明後日も休み」

 ああ、なんだ、いつものことじゃないか・・・
 そして、Miri@さんは犠牲になったのだ・・・・・・・・

<2011/7/13>
 明けて翌朝。半ば無理矢理連行されてきた感は否めないMiri@さんといつもどおりに湯倉さん到着。適当に地図を放り込んで出発
 家の前からハンドルを握り、一路国立府中へ。高井戸だ永福だが混んでいるのはいつものことなので、しばし我慢。中央環状線を北へ、川口線から東北道へ入る頃にはようやく流れも安定し走行の自由度も増してきた

 しかし、あれだね、僕の後にいる人はさっきから一言もしゃべらないねぇ・・・聞く耳もたねぇって

 羽生でおりんりんりんりんりん。意味不明。小休止。
 なんだかえらい立派になっちゃってる。昨年5月に足尾行ったときにも立ち寄っているが、こんな建物だったかなぁ?まぁ、まる1年経っているしな

 今日はこいしちゃん。咲夜さんはお休み。だってエアコン効かないし!
 羽生で湯倉さんにドライバースイッチ。更に北上

 僕はここから記録班だ!!

 ヨーロッパ!!

 ムンクさぁーん!!イラッシャーイ
 <マウスでロールオーバー
 カパッ!ムンクさぁん!!イーーーーーーーーーーーーーヤァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

 これが、我々の、こいしちゃんだ!!

 割合近いな(感覚麻痺)だってあれだろう?時速360キロで走れば1時間だろう?君
 そうだよ、僕らはね。これから東北に行くんだって、行ってるんだよ。え?Miri@さん初耳ですか??

 福島県突入・・・これ以上北に行ったら、僕は死にます

 おなかが減ったとダダをこねて、鏡石でおりんりん

 ・・・・・・・よぉーく見てください。スタッドレスです。「北国行くんだからスタッドレスで良いんだろう?」「ああ、そうかぁ、そうだよなぁ」

 レモン牛乳ソフトを買った!レモン牛乳の味だった(そりゃそうだ)おいしかったでしゅ

 鏡石で再びうきはにドライバーチェンジ。更に更に北を目指す。郡山で磐越道に入り、中山峠を越える。正面には雄大な会津磐梯山、左手には青々とした猪苗代湖・・・・・・・運転してたから一切写真撮ってねぇ!!
 会津若松ICでおりんりん。パッと見、駅前のビル郡が、見えたのでそっちの方にハンドルを切る
 良いか、僕が地図を見たのはだ、羽生で一度きりだ。そしてだ、その縮尺は会津地方が丸々一ページに入るくらいのものだ。どうゆうことか?主要道しか描かれていない大きな縮尺の地図だということ。そうだよ、曲がるべき交差点の名前も描いてない地図だよ。今回、この先も、僕はこの地図一冊で、ナビを続けたんだー
 うん、8割がた適当に進んだら、会津若松の駅前に到着できた。すげーwwwで、行くべきところはこの辺りから青看が出始めたので、それに従えば良いやと
 会津若松来るのは10年ぶりくらいかな?4度目である・・・・・・・・違うな、5度目か?まぁいいや、左折

 無料だと思われる駐車場に突っ込んだ
 飯盛山は白虎隊終焉の地

 ここで、無理矢理つれてきた(自覚はあった)Miri@さんが実は来たことがあることが判明。僕は20年ぶりですが・・・
 エスカレーター250円とか乗らないっての!!・・・・・・・楽な方を行こう!

 ほうら、こっちが本参道って書いてあるでしょう?

 まだまだ紫陽花も咲いてますな〜。綺麗ですなぁ
 
 厳島神社

 メインディッシュはさざえだ!!陸奥正宗寺三匝堂。俗に「さざえ堂」と呼ばれている

 400円払って中に入る。ごらんのような急斜面の階段(?)が続いている

 中心を挟んで向こう側にも階段が見える

 くるくる螺旋状にまわって天辺ついた

 ここからは「今来た道を戻ることなく」そのまま下りである

 ※マウスあてるとロールオーバー
 画面左側の入口を入り、右回りにくるくる上がってゆくと、天辺から今度は左回りになって降りてきて、画面右で外に出る。二重螺旋階段になっており、同じところを通らずに、一本道で上がって下がってこれる珍しい構造
 国内では青森県弘前市の陸奥長勝寺蘭庭院とか、関東近郊だと西新井大師なんかにもある。とはいえ、建造物としてのデザインも含めるとこの会津の栄螺堂が随一かと思う
 正式には円通三匝堂「えんつうさんそうどう」という。堂内には阿弥陀如来や三十三観音像が祀られていたが明治時代の廃仏毀釈により廃寺となり、三十三観音像は他所に移されている。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づき、右回りに3回匝る(めぐる)ことで参拝できることから、三匝堂とされているのが本来の姿である


 飯盛山中腹から会津若松市内を臨む。左手にイヤーンな感じの雲が広がりつつある・・・潮時か?撤退!!
 雨の気配と湿度の増してきた飯盛山を下山し、駐車場に。転がり込むように車にもぐりこみ。エアコンオン!はぁ〜・・・・・・・・涼しい
 再び車中の人となった僕らは若松の市内を横断。僕はナビに徹する。例によってかなり大縮尺の地図なので主要道を基本選択。それでも、大体3割くらいしか信号が書かれていないので、微妙な感じの道の描き方と実物を見比べつつ進行する
 大体5本2本くらいは信号かかれていない中、右折地点を割り出し、国道401号へ。只見線、会津鉄道を越えて、清水向で県道77号に入る。時折大粒の雨が落ちてくるが、全く持って期待はずれの降り方である

 交通死亡事故・・・・・・・看板立ちすぎやろwww。確かに何事かと思って見るから減速効果はある。しかし、前方注視はおろそかになること請け合い。これ、対向車線にも同じものがあったぞ?
 縫前で右折。ここから会津西街道街道。街道そのものが山越え川沿いとルートの変遷が激しい。この山越えルートがもっとも古いルートであるようだ
 雨が降った後、というだけではないだろうが、気温はぐっと下がって冷涼。20度少しくらいだろうか。九十九折れの峠を越えて、ダム湖のほとりを越えると、この旅、当初の目的地である大内宿に到着

 雲がすげぇ

 宿場南の駐車場に車を停めて徒歩で宿に。宿内は一般車進入禁止である。このあたりはやや舗装されているが、

 途中からは完全に砂地になる
 大内宿は寛永20年(1643年)頃に開かれた会津西街道の宿場町として開かれた。若松から福永宿、関山宿を経て、大内峠を越えた3つ目の宿場で、距離にして起点から5里程である。峠越えの前後となる宿場で本陣や脇本陣が置かれ、参勤交代などの重要な駅として機能した

 広い街道筋の両側に茅葺の民家が整然と並んでいる

 道の両側には水路が設けられており、生活用水の一部として機能している。元々は街道中央を流れていたものだが、後に街道の両側に移設されている

 いやぁ、暑いものなぁ。眩しいものなぁ

 蕎麦が有名らしい。高遠蕎麦という。「ねぎ」で蕎麦を喰うんだそうだ

 というかね、時刻は16時半頃なんだが、ご覧の通り、観光客も地元の人も殆ど往来が無いのね。週ど真ん中の平日だけどさ、年間100万人も観光客の来るところとは思えないね。人がいないほうが見物するこちらは有難いが、店は殆ど閉まっていると言うね
 
 宿場の一番奥までやってきた。上に登る石段を発見。足元に注意しながら登ってゆくと子安堂の境内に。そのまま山に張り付いた道を進んでゆく

 上から宿が見渡せそうだ

 大内宿北端より見た全景。景観保全地区だが、これだけ整然と茅葺の大型民家が密集しているのを見るのは初めてだ

 望遠で。こんなに茅葺民家があるけど、1960年代から70年代にかけては普通のトタン屋根に改築されていたところが殆どだと言う。生活水準が飛躍的に上がり、また保守の手間も掛かる茅葺をやめる家が相次いだ。人間と言うものはいったん便利になると、その生活を捨てることは難しい。この大内宿も往時の姿に戻し保存することに住民たちは当初は否定的だったという。我々観光客は一日や二日来て「良いね良いね」といって帰ってゆくけれど、ここに住まう人たちにとっては毎日がこの暮らしなのである。当然補助等はあるにせよ、この景観を維持するのには相応以上の努力、配慮がなされている。各戸に消火栓設備を設けたり、消防団の構成も厚い。子供の花火に至っては8/15に一日しか許可されていないそうだ。夏は暑く、冬は豪雪。けして暮らしやすい環境ではない。今の最新の住宅に比べて住環境は格段に劣るであろうこの民家郡を維持してゆくのはなみなみんらぬ努力では成しえない。でも、やっぱりこの土地を愛しているが故なんだろうな・・・

 昔ながらの洗い場。真新しいたわしが置いてあるところを見ると現役だろうか。畑からもぎたての野菜を取ってきてさ、山からの冷涼な湧水で洗ってそのままかぶりつく。贅沢だなぁ・・・

 あぜ道を辿って、宿から少し離れた山沿いにある神社へ

 ふり返ると、雲がすげぇ!

 カエル!!

 こんもりと茂る森の前に木の鳥居
 
 村社「高倉神社」。大内宿の鎮守ということだね

 この神社の祭神は高倉宮以仁王。後白河天皇の第三皇子(平家物語では第二皇子)である。平家のクーデターによって後白河法皇が幽閉されると、以仁王も敗走の日々が続く。源氏に対して平家討伐の勅を出すが、本人は宇治から奈良へと逃れる最中に平家追討軍に討たれて戦死している
 しかし、東国生存説もあり、その有力な証拠の一つがこの高倉神社であるとされる
 
 今となっては訪れる人も少ない小さな神社か

 高倉神社へは、宿からも木の鳥居を辿ってゆけば簡単に赴くことが出来る

 いつまでも眺めていたい、気分の良い土地。大内宿はそんなところだった・・・

 帰りはどうするか?白河あたりに抜けて高速か?とりあえず南下してみようかと
 田島、川治と越えて結局鬼怒川まで降りてきた。小佐越のファミマで仕事帰りの忍さんと小一時間おしゃべりして帰宅の途に。忍さんに教わったラーメン屋でチャーハンセット喰ってから今市で日光宇都宮道路に。東北道を120〜30キロで巡行して帰ってきましたとさ

 反省点:江古田には素直に首都高西池袋で降りましょう

Ads by TOK2