加越京滋紀行


 ほうぼうから「また行くのか」と後ろ指さされたが、行く。前回の旅行から2週間である・・・

<序>
 会社の補助制度を使用しているので、いろいろと制限がある。
 グループ会社の旅行代理店で扱っている商品、つまりツアーやパックでないと補助がおりないので、必然「自由度」は下がる。今回はそもそもが「小松の基地祭に日帰りで行く」という当初計画に、会社の補助を使うという案件を盛り込んだがために、いろいろと条件の厳しいものとなった。
 10/30の小松の航空祭に併せて、ついでに北陸でもフラフラしようという魂胆で、JALパックを初めて使用。往復航空券と宿が付いただけのパック商品なので比較的自由旅行に近い。宿も最低一箇所選べばいいので更に自由度は上がる。28日の小松行き、30日の羽田帰り便を予約。29日に金沢の宿を確保して、残りは自分で手配することとした。これが意外と安いので驚き。北海道とか回るなら今後もこれもアリかな?と思う。一つの指針にしよう
 なお、この時点では28日は福井に宿を確保したのだが・・・
 こともあろうか、小松基地所属のF−15がドロップタンクを市街地に落っことすと言う事故が発生した。幸いにして人的被害は皆無だったが、F−15はアラートミッションを除いて飛行停止。まもなく、小松基地祭中止のアナウンスが流れた
 さて、こちらは宿も航空券も確保済み。会社の補助を使っているので、おいそれとキャンセルも出来ない。日帰りで参加する予定だった同行者はすでにキャンセルしていたが、うきははただの北陸旅行として敢行することとした


<2011/10/28>

 まだモノレールも動かない午前4時半自宅出発。高幡不動まで歩いて5時過ぎの電車で新宿、品川経由羽田空港へ。羽田には6時半ごろ到着。すでに座席は指定済みでそのままチケットレスで搭乗できるので保安検査場へ
 小松行き初便は既に14番スポットに入り飛行前点検を受けていた

 久々にJALのB767に搭乗する。もう何年も前に福岡から乗って以来だ

 シップはJA656J。8月に導入されたばかりの日本で一番新しいB767である。もちろん鶴丸の新塗装。しかも−300ERである

 隣のスポットのB767、655Jも新塗装。これも比較的最近の導入

 反対側のB777−200も新塗装。鶴丸も着実に増えているね

 となりのB777は嵐ジェットだった

 羽田→小松:JL1273 7:45発 B767−300ER JA656J 41K

 新造機だけあってなにもかも綺麗だ。初っ端から幸先良い

 天気も上々。中央が佐久平である

 真下に八ヶ岳

 松本空港が見える

 飛騨山脈、つまり北アルプス。上から見ると険しさが一際

 山裾は紅葉しているが、上部の稜線は高地のために植物が無い。殆ど岩山である。奥のほうの谷間とか人跡未踏なんじゃないかとすら思う
 金沢市の南端を掠めて、東からそのまま小松にランディング。定刻より5分ほど早く到着した。アラート入換のF−15がトーイングされているが、やはり飛行している形跡はないな
 さて、このフライトでめでたくも100フライトを達成。30数年でやっと100フライト。しょっちゅう出張とか行っているビジネスマンはもっとたくさん乗っているんだろうけどね、旅行に行くくらいしか乗らないので、なかなか数は稼げないね。このペースなら60歳で200フライト、90歳で300フライトだな・・・
 もっとも、20になるくらいまでの搭乗経験は10数回だから、10年少々で80フライトくらいこなしている。年間5〜6フライトはコンスタントに稼ぐので、10年で60フライト。死ぬまでに500フライトくらいはできるかなぁ?
 
○ 小松空港→小松駅:小松バス 9:00発 「小松駅」


 スタートは小松駅から

 なるほど、これで、と・・・とく・・・・・・・く・・・きゅう。「とっきゅー」か・・・・・・・違うって。まだ485系の乗車目標が残っていた

 作成した乗車券はこれ。一目瞭然ながら越美北線乗るよ。微妙に100キロ越えるので2日間有効。つまり途中下車可能

 金沢行233M。敦賀から来るが2両はキツイ

  小松→福井:クハ520−16 9:29発 336M 普通「福井」

 こちらは4連。しかしこのあたりは521系ばかりになったなぁ。地元の利用客にしてみれば電車は新しく快適になっただろうけど。マニア的には興味激減。あ、でも連結両数が減って=着席可能数が減ると言うことは必ずしも好評を得られるとは言え無いなぁ
<動橋〜加賀温泉>
 さっき乗ってきたB6が東京に戻っていった
<福井>

 福井に到着した336M、乗車したクハ520−16
 福井には10:17に到着。乗るべき越美北線は12:49。ざっと2時間半乗継がある。まぁ昼食はこのタイミングで食べるとして、それでも時間をもてあましすぎる。もちろん、このまま福井駅構内で待つわけもなく、改札を出る
 東側のえちぜん鉄道の乗り場に行くが、直近に電車は無い。再びJR駅を通り越し、西側へ

 福井鉄道福井駅前にやってくると、体よく田原町行の電車がやってきた。777+776の2連。

  福井駅前→田原町:776 10:28発 普通「田原町」

<市役所前>
 ラッシュも終わっているのでまさか?と思ったが、すれ違った福井駅前方面行きの電車は201だった。久しく乗っていないなぁ・・・

 しかし福井市内を縦断する列車に乗客は数人・・・。北陸は鉄道営業が厳しいとされるが、しかしこの乗車率では・・・
<田原町>

 5分ほどで田原町へ到着。10年ぶりくらいに来たな。前回来た時はえちぜん鉄道はまだ京福で、しかも衝突事故の直後で運休中。福井鉄道は大型車しか走っていなかった。10年で変わるもんであるが、駅舎の佇まいはまったく変化がない

 田原町から市役所方面を見る。直ぐ右後は専用軌道で田原町駅へと続く。電車専用の信号は無く、電車は警笛を鳴らして車を止めて道路を横断してゆく

 えちぜん鉄道の田原町。こちらは掛員配置駅である

 三国港行6109の到着。コレには乗らない

  田原町→福井口:1102 10:51発 普通「福井」

 1102は初めて乗るかな?阪神のお古でカルダンドライブ+2ドアバージョン。カルダンドライブ+3ドアバージョンは2201で、釣り掛け駆動+2ドアバージョンは2101。概ねそんな見分けかた
 元々は旧型車の機器を流用して足回りは釣り掛け駆動だったが、後年新性能化。現在は国鉄形式DT21を履くが、これの前は豊橋鉄道の1900。つまり名鉄から豊橋へ行った5200が履いていたもの。
 福井まで行く予定だったが、あんまりにも天気良いので車庫を見に行くことに。急遽下車
<福井口>
 駅を出て北陸本線の高架下を歩く

 快晴の空の下、真新しい車庫が見えてきた

 最後の一両になったMc2201の2204。ここが車庫の一番奥

 がらんどうになった旧研修ピットがまだ残る。線路も剥がされているし、長くは無いだろう

 旧車庫は勝山本線の脇にあった。ちょっと前までこっちに電車がたくさん停まっていた
 きっとあっという間に更地にされてマンションかなにかが建ってしまうんだろう。「京福」の名残はこうして消えてゆく

 手前の2本が営業線。奥の車庫線は草生してきている
 さっきの1102が入庫してきたのと、勝山線の6101を撮影して駅へと戻る

 1102が入庫するかわりに、6107が運用に入るようだ

 福井口駅舎。電車は大分新しくなったが、駅は相変わらずのものが多い

 改札もあってないようなもの

 輻輳する線路。結構トリッキーな配線だと思う一番手前が1番線、隣へ順に2、3、4と続く。勝山へも三国港へも1番線を使用する。中央のポイントをまっすぐ行けば三国港、右へ行けば勝山。2番線はあまり使われていなさそう。勝山方面へしかいけない。旧車庫は右奥だったので、かつては入出庫にでも使ったのだろう。三国港からの電車は3番線、勝山からの電車は4番線に入る

 クソ狭い2−3番ホーム。両側に電車が来ることは少ないが、しかし狭い。だが良く考えると、隣の越前開発(かいほつ)はこの幅の島式ホームで電車交換してるよな・・・

 駅舎と1番ホーム。こうゆういかにもなローカルな鉄道風景は急速になくなりつつある

  福井口→福井:6103 11:25 普通「福井」


 そゆわけで、福井に戻ってきた

 昼飯は今庄そば。いつもの今庄そば。今日はえび天そば、450円

 越美北線のディーゼルカーが発着する2番線だけが切り欠きホームになっている。それでも20m車4両分くらいの有効長はありそうだ

 九頭竜湖からの928Dが到着

 キハ120−205。これは折り返し回送で入庫するようだ

 沿線随一の街、大野への観光客誘致。大野から先は「知らん」とういう感じかwww
 越美北線用のキハ120は201〜205の5両。そのうち、202、204、205が沿線への観光客誘致のためにラッピング仕様となっている
 30分くらい前から並んでいたので、安地(BOXシート)確保w

  福井→九頭竜湖:キハ120−201 12:49発 727D 普通「九頭竜湖」

 となりの越前花堂までは北陸本線。北陸本線から離れると、急速に風景が鄙びてゆく。ここからが越美北線。どうも「九頭竜線」てのは馴染めないんだよな・・・東北本線を「宇都宮線」て言うのみたいで・・・
<一乗谷>

 駅舎なんてものは皆無。この感じでは乗車駅証明発券機すらなさそうね。まぁ、車輌側に整理券発行機付いてるしね
<越前薬師>

 たまたま目の前だったので
<越前大野>
 殆どの乗客が下車。そして、殆ど乗ってこない。越美北線とはそうゆう旅客流動なんだな
<柿ヶ島〜勝原>

 大分、山が深くなってきましたよぉ〜
<九頭竜湖>
 
 福井から1時間半ほど。終点九頭竜湖到着。この瞬間、JR西日本全線完乗達成!おめでとう。おおかたの予想通り、最後は越美北線だった
 車輌はごらんの通り、なんちゃって首都圏色のキハ120だったけどねwww

 車止め方向を。なぜか二股に分かれている。
 越美北線は「北線」と名が付いていることからも解るように、「南線」と繋げる構想の下に敷設が開始された。「越美」は「越前」と「美濃」であり、福井から岐阜、名古屋方面へのバイパスルートとしての役目を期待された。まず、1960年に勝原(かどはら)までの区間が開通。現在の路線の8割近くはこの時に開業している。その後。1972年に勝原から九頭竜湖までの10キロ余りが開通し、現在に至っている。
 接続するはずだった越美南線の方が最初の区間の開業はずっと早く、大正時代にまで遡る。1923(大正12)年に美濃太田から美濃町(現在の美濃市)までが開通し、以降順次延伸されていった。1934年には北濃まで開通し、すでに現在の形が出来上がっている
 越美北線が九頭竜湖までやっとのことで延伸をすると、いよいよ南北直通の工事が本格化するかと思いきや、国鉄は財政難から以降の工事を凍結してしまった。勝原から先の延伸区間は高規格で作られていたが、その他の区間、特に越美南線に関しては戦前の完成と言うこともあり、路盤は脆弱。全通させたところで、福井から名古屋への速達ルートとしてはいささか心もとない。全線非電化であり、ディーゼル特急を走らせたところで、沿線にはさして需要の見込める大都市は無く、北陸〜中京のルートは電車特急の闊歩する北陸本線〜東海道本線ルートで十分に需要は賄えると判断された
 着工当時は北陸本線は敦賀を中心に東に杉津・山中越え、南に柳ヶ瀬越えと、どちらも補機を必要とする輸送路上のネックが存在したが、土木技術と電化の進捗によりこれを克服。越美北線開通の頃には北陸本線の輸送力は一気に向上していた。計画によると、越美線は北濃でスイッチバックするように繋がる予定だったとの記録もある。そうした場合、当時は機関車牽引の貨物列車が主流であったから、どうしても付け替えの手間が出来る。これも輸送上のネックになったに違いないので、これも工事凍結の要素の一つになったかもしれない。そもそも、北濃よりは手前の美濃白鳥の方が九頭竜湖には近い。これを提唱する人を今まで見聞きしたことは無いのだが、越美南線はそのまま北上して城端線と繋げる予定もあったのではないかと推測する。つまり、高山本線のバイパスとしても機能させようとしていたのではないかと。そうすると、関東から富山へは、中央本線、太多線、越美南線、城端線を経由すれば方向転換の必要なしに直行できるのである。現在ではこんな非効率的なルートを設定する意味は皆無だが、戦時中はいくつもの輸送ルートを確保することを考えていたのかもしれない。こちらのルートも実現していれば白川郷などのアクセスには便利になっただろうに・・・
 歴史に「if」はないが、もし、越美北線が南線と同時期に着工されていれば、戦時中の輸送力増強の必要性から、早い時期に全通していた可能性が高い。もっとも、越美南線はJR化を前に第三セクターに転換されており、全通されていれば、良くて全線が三セクに、最悪は全線丸ごと国鉄時代に廃止されていてもおかしくは無い
 そんな現状なので、この先もこの二つの路線が繋がることは未来永劫ないと思われる。かつてはこの未開通部分に国鉄バスが走っていたが、JR東海バスに移行した後、何年か前に直通バスは廃止されてしまった。現在、両線を乗り継ごうとするには公共の交通機関のみでは達し得ない。それぞれの付近の集落に向けて自治体のバスが走っているが、終端部を「徒歩で山越え」する必要がある。まぁ、九頭竜湖からタクシーを使うのが一番懸命だろうね
 かつては日本各地には「〜北線」「〜南線」という路線がかなり存在した。多くは幸運にも結ばれたり(例・三江線)、不幸にも丸々廃止されてしまったり(例・興浜南/北線)で、路線名に全通の夢を馳せた「〜北線」の名前が残るのはこの越美北線だけとなっている。もはや永遠に結ばれることは無いので、「北線」の名前をこの先も冠しつづけるのだろう。一抹の寂しさを感じざるを得ない
 そんなわけで、災害で長期不通になってたりしたので、今の今まで持ち越してきたと言うわけだ。北陸地方に関しても、ここ何年かで未乗線区だったのはこの越美北線だけだったのである

 もっとなんにも無いのかと思っていたが、立派な駅舎があって切符も窓口で発売していた。割合周囲も開けていて、それなりに民家もあったが、きっとここも車社会であろう

 越前大野から九頭竜湖の間は1列車しか入れない。のでタブレット・・・じゃなくてスタフ閉塞なんだな

  九頭竜湖→越前大野:キハ120−201 14:33発 730D 普通「福井」

 滞在18分でもう二度と来そうにない九頭竜湖を後にする。次来るときは南北繋がった時だな。くどい様だが、90%以上の高確率で有得ない話だが
<勝原>

 難読駅名の一つ。「かど」とは知らなければ読めないよな。1972年まで終点駅だっただけあり、構内は広い。広いといっても名残があるだけで、ただの空き地である
<越前大野>
 
 沿線一の都市、越前大野。折り返し列車や夜間帯泊があるので構内は広々。当然交換可能設備も持っている

 構内通路の端に、清水と鐘が
 
 安全の鐘。安全祈願一発。ごぉーん♪

 越前の小京都らしく、駅舎は瀟洒に改築されていた

 木を多用した建築様式が優しい感じで良いね

 駅舎の横には腕木信号機が残っていた
 ・・・・・・え?降りちゃいますけど何か?

 バスあんねん。調べていった時間とちゃうねん。でも時間通りにバスこんねん・・・・・・・
 調べてった時間通りにバス来たねん。なんやねんこのバス停

 大野駅前→勝山駅前:京福バス 15:36発 「福井社会保険病院」

 コミュニティバス・・・だ。コレ
 
 ここに来るまで、京福の大野駅も国鉄の越前大野に直結していたものだと思っていた。だが、現地で調べてみると、「京福大野」駅は大野の街中にあり、国鉄駅とは離れていたそうだ。越美北線とは途中で立体交差していた
 大野三番付近に京福大野駅があったそうで、駅跡に建つ福井銀行は確認できたが、その先は勝山まで全く不明だった。バスそのものは廃線跡に沿うのは大野の街中だけで、あとは完全に別ルートになっているようだ

<勝山>

 駅舎は変わっていない(それこそ越前大野まで繋がっていた頃から)が駅前ロータリーは改装中

 福井方の貨物側線は上屋が設けられて

 テキ6とト68が展示されている
 テキ6は京都電燈時代に梅鉢鉄工所で製作された機関車。6〜11の6両が製造されたが、この6だけが残存する。電気機関車として導入されたが、箱型半鋼製車体で2軸短台車を履く。機関車というよりは電動貨車の形態である。集電装置はY型ビューゲルを前後に搭載している(方向転換を容易にするため。通常走行時は後ろ側のみ使用)日本国内に現存する最古の電気機関車とされている

 6105で福井に戻る。やはり2101はいないか。今回は釣り掛けは無しだな

  勝山→福井:6105 16:19発 普通「福井」

 えちぜんのアテンダントさんは美人さん揃いでええなぁ・・・ええなぁ・・・・・・・
 そゆわけで、福井に戻ってきた。さっきも言ったな、これ

 さて、冒頭のように、小松基地の基地祭が中止となり、いささか宙ぶらりんな感じの旅行になりつつあった。もとより、越美北線には乗るつもりでいたが、初日はその後福井に泊まり、翌日土曜日は界隈の博物館だ史跡だを来るまで回る予定だった
 「だった」
 そう。普通の旅行者は、「東京から金沢に来て、金沢から東京に飛行機で帰る。二日目の宿は金沢で固定されている。」という要素がれば、初日は福井や金沢に泊まるだろう。もちろん、うきはも当初はそうした。しかし、出立数日前にこともあろうか、福井の宿をキャンセルしている
 もう一泊金沢?まさか
 じゃぁ富山とか?ご冗談を
 和倉温泉とか良いよね?良いねぇ





 えちぜんかにめしは買った。いざ!!

  福井→米原:クモハ683−3512 17:37発 14M 特急しらさぎ14「名古屋」 11号車13D 指定席

 こともあろうか北陸を脱出!!
 そう。この旅行者は普通じゃないのだ

 夕方の良い時間帯で、車内は混んでたが、1時間程度なので我慢。
 窓側だが真っ暗闇でなんにも見えない。ぐるぐるまわる感触で疋田のループだけ味わって、久々にループ線の上から敦賀の街の灯を見たが、その先はやっぱり闇の中で殆どなにも見えぬ・・・
 気付いた時にはもう長浜だった
 乗車した11号車は米原切り離し。9〜11号車は米原回転だ。長浜あたりから、「切り離し作業のため、8号車から9号車の通り抜けは出来なくなります」とひっきりなしに放送入れてた。作業員が乗り込んで扉たたんだりしてんだろう
<米原>

 彦根までのJR乗車券はもっていたが、あわよくば釣り掛けに乗れるかと思って米原から近江鉄道に。近江の米原駅は乗客も皆無。夕方のラッシュですぞ?
 それでも、列車到着前には数人の乗客が集まった。もう「おしるこ」の時期かぁ、と思って、ホームの自販機でおしるこ買ったら「つめたい」のが出てきた。「あたたかい」って書いてあんぞ?

  米原→彦根:クモハ806 19:08発 普通「貴生川」

 元西武401。久々に乗った・・・久々よね??米原からの乗客は少なかったが、隣の新駅フジテックからは通勤客が結構乗り込み、さらに鳥居本でも乗車があった。米原から彦根に出るには当然JRが便利だが、フジテック、鳥居本からなら当然近江鉄道を使うので、駅としても路線としても存続の意味はあるのだろう。素人目には彦根〜米原間なんて廃止されてしまってもおかしくないと思っている
 このまま高宮まで行って多賀大社へ行けば220に乗れるな?なんて思ったが、今日は素直にここで旅を終了する。もうここまですれば素直もへったくれもないけどね
 
 本日は彦根駅前のホテルに投宿。彦根グランドデュークホテル。なんだか凄い名前だが、普通のビジネスホテルだ
 
かに!めし!!


<10/29>

 今日も良い天気だ。首が痛いけどな・・・orz

 電車の時間まで少し間があるので、ちょっと撮影
 近江鉄道は彦根駅隣に鉄道車両を展示している。時間が早すぎるので構内で見ることは出来ないが、一部の車輌は敷地外から眺められる

 今では貨物輸送は全廃されているが、近江鉄道は貨物輸送も盛んであった。古典電気機関車を多数保有しており、そのうちの何両かは今も彦根で見ることができる。
 写真はED31 4号機。大正時代に伊那電気鉄道(現在の飯田線の一部)が芝浦電気にて製造した凸型機関車。伊那電から国鉄を経て近江へやってきた。車籍は残っているようだが、本線運転は困難とのことだ

 少しだけ近代的な車掌室付きの有蓋車。地方私鉄ならではの小型貨車である。番号不明ながらワフ1型と思われる

 LE10(13)もまだ残っていたか。富士重工製のLE-caUシリーズ、12m級二軸車でバス部品等を多用した、いわゆるレールバスである。閑散線区での単行運転向けに導入されたが、ラッシュ時にはこの車輌では旅客を捌ききれず、結局また電車に戻された。軽量構造で車体の耐用年数も短かったため、このシリーズの現存例は少なく、定期旅客営業を行っているのは紀州鉄道の車輌くらいである

 ED31 3と1101。ED31は先ほどの4号機と同じ生い立ち。1101はロコ1100型といい、阪和電鉄が開業時に用意した電気機関車の1台。やはり国鉄を経て近江へとやってきた

 西武時代のままの姿で残るクモハ420。部品取りか、改造する予定はあるのか。このままの姿で使って欲しいものだが、車輌限界の関係で無理なんだなぁ・・・。これ、このまま西武に戻して保管してくれねぇかなぁ

 さっきのLE10。駅構内から

 500もまだ残ってんだ。近江オリジナルタイプとしては最後の車。細面で腰高な感じのする車。2連6本12両の陣容だったが写真の501Fが最後の生き残り。今年の3月にもう一本残っていた506Fが解体されている。
 初めて近江鉄道に乗ったのが2002年なのだが、当時ですら既に全車廃車になっていたと思っていたので、市辺ですれ違ったときは非常に驚いた。2005年までに半数以上が廃車されて、2009年には残っていた501と506が予備車に。これ以降殆ど動くことなく、現在に至っている。最後に残っている501も前照灯は外れているし、動くことは金輪際ないだろう。結局、市辺で出会ったあの一瞬だけが、唯一彼らの活きた姿であった

 ピカピカのクモハ821。出場してきた直後みたいだ。このナリだったら赤電塗装とかもアリだなぁ。やってくれねぇかなぁ。もう毎週撮影いっちゃうぞ

 遠景。左から、ピカピカの821。ボロボロの506。もっとボロボロの420。ぱっと見普通のLE13
 2004年に来たときの写真には500が3編成写ってたり、モハ1とかの姿もあったけど、みんな整理されちゃったね。クモハ420だけはあの位置でずっとそのままのような気がするw
 
 では、一日乗車券も購入したし、出かけましょうか

 乗車したクモハ822

 1822車内。外観は殆どそのままだけど、車内はもっと西武時代のまま。一見して違いは整理券発行機くらいのもの

  彦根→豊郷:クモハ822 8:09発 普通「近江八幡」

 休日の朝なのであんまり乗客いない
<豊郷>

 豊郷着。次の電車までのリミットは25分!

 おっけ把握!!
 まぁ、来訪の理由は言うまでもないね。

 駅前出るとパン屋の目の前にいきなりムギ

 そんでもって澪もすぐ近く

 右を見れば唯。駅前だけで三枚
 ムギ撮ってたら近所のじいさんが「何してるの?」「どこから来た?」とか「学生か?フリーターか??」とか聞いてきたので
 「写真撮っている」「昨日は彦根に泊まったが東京から来た」(←話が長くなるので金沢の件は伏せている)「これでも社会人だ」と返答だけする。普段ならいろいろおしゃべりするのだが、今日は申し訳ない、マジで時間ないんだ!!

 板塀の民家。漆喰の倉。良い所ですよ?ゆっくり散策するのも良いですね。また今度ネ!

 これが本来の、というか全国で見かける、いわゆる普通の「飛び出しぼうや」である

 石畑遊園地・・・・・・・・遊園地

 ・・・・・・・ただの公園・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・原っぱである
 左へ10mほどずれると

 おい、まてや

 ただの原っぱやねん。ていうか、なんで名前違うんだ?
 我々日本人は勘違いしている。遊園地=テーマパークではない。子供たちが遊べる空間であれば、それは立派な「遊園地」なんだ。田舎ではまだそれが活きている。それだけの話だ

 ナゾ遊園地の横にある八幡様

 このあたりの鎮守のようだ

 小学校到着。ここは純ちゃんだった

 午前中は逆光やねんな。あと、朝8時半とか開いてないわな

 ほんとに「来たよ」ってだけやな・・・

 唯はここにもあった
 よし、撤収。いろいろ撮って時間潰しているように思えるが、移動距離約500m。駅出てから10分しか経っていない。駅への帰り道、さっき同じ電車でうきはのほかに唯一降りた兄ちゃんとすれ違った。やはり同類だった・・・・・・・・

 街を上げてますなぁ
 てわけで、駅に戻ってきた。予定通り、20数分。もうあんまり時間無い。りっちゃんとあずにゃんは見つからなかった・・・orz

 構内通路渡って八日市方面ホームへ。もう尼子を発車した電車が見える

 さっき撮るの後回しにしてた駅名票を撮ってふと隣を見ると、

 おお!!すなめりおいしーさんのイラストが!!
 絵柄結構好きなんすよ

 春版、夏版。旅行後、秋版が追加されたと聞く
 ぎりぎり撮影敢行してやってきた「次の」電車に乗車。さすがに滞在25分はせわしなかったなぁ

○ 豊郷→八日市:クモハ806 8:51発 普通「八日市」

 昨日も乗った電車。あんまり嬉しくない引きの良さ

<八日市>

 乗ってきたクモハ806

 中線に留置される1805
 さて、このまま貴生川方面へと向かう腹積もりだったが、電車は10時過ぎ。1時間程後になる。それを待っても良かったが、それってつまり豊郷で1時間後の電車に乗るのと同じこと。メリットはない
 決断はタイミングが肝心

 近江八幡行810に飛び乗る

  八日市→近江八幡:クモハ810 9:13発 普通「近江八幡」

○ 近江八幡→石山:クハ222−2018 9:38発 3225M 新快速「姫路」

 混んでいるので一番前に。空いてれば退避の快速に乗ろうかとも思ったが、混んでいるので新快速で
<石山>

 前面展望楽しんだ。しかし新快速はいつ乗っても混んでいる

 見えねえなぁ・・・

 最近、JR西日本は転落事故防止のため、中間運転台も点灯している。果たして効果はあるのか??
 さて、本来は1分停車の筈の3225M新快速であるが、急病人対応とかで5分近く停まっていた。こちらは降りるから関係ないけど。しかしあの混雑では確かに気分も悪くなるかもなぁ

 ビル影でくらいな・・・ガンダムAGE

○ 京阪石山→浜大津:603 10:09発 「坂本」

 お目当てはどこで捕捉出来るか!?
<中ノ庄>
 けいおんラッピングとすれ違う。これで大体運用把握
<浜大津>

 乗ってきた603。ゴテゴテといろいろ付いてる
 お目当て来るまで定点観測。駅を出て坂本方面へ

 信号待ちで一枚。808
 うえの写真、横断歩道渡ったところで、

 振り返ると、浜大津駅。ここで狙おうかと思ったが、思いのほか往来が激しいのと、光線状態が微妙なので、もう少し奥へ

 もう少し奥へ来た。
 
 浜大津側を見る。カーブしてて悪くは無い

 石山寺へ行く電車が来たので撮ってみた。足回りは影だな

 後追いで。
 2〜3枚ここで撮ったが、積み下ろしのトラックとか来たのと、ご覧の通りここも影になるので更にもう少し奥へ

 浜大津からの電車は陰になるが

 坂本からの電車はなんとかなりそうな光線状態だ
 この写真のところは交差点にもなっていて、

 電車接近の電光表示機が電柱に付いている。接近を知らせるだけで、遮断棹とかはないので、ドライバーに注意を促すだけ

 デジカメは基本後追い

 日本昔話。電車は殆ど同じだけど、ラッピングで差異があると退屈しないで済むね。まぁ、一周しちゃえばあとは・・・

 ラッピングなしながら、地下鉄直通用の800のイメージに近い新塗装。本線系とは違い、大津地区は地下鉄も含めてコレでゆくということか?

 この後の為の練習。やっぱこの位置は微妙ね

 はい、今回のお目当てwこれのためのわざわざ北陸から関西まで出張ってきたと言うか・・・
 巡光状態の写真はポジで撮っているので、いずれ追加で掲載したいと思う
 写真は石山方面だが、近江神宮へ行く列車の動画も撮った

 ■ けいおんラッピング電車 動画はこちら

 ということで、撮るもの撮ったので撤収。浜大津駅前にもマニアがたくさんいたわ。みんな良い写真は撮れたかい?おれは満足だwww

  浜大津→太秦天神川:808 11:33発 「太秦天神川」

 1人掛けクロスシートをゲットした上、終点まで直通する&今日は釣り掛け乗ってない、ので、天神川まで行くことにした

 嵐電乗る。京都に入って最初に降りる駅が天神川とか普通の旅行者じゃない

  嵐電天神川→西院:502 12:15発 「四条大宮」

 うおぅ!?500来やがった!!後は102だ
 500初乗り。なりは新し目だけど、足回りは釣り掛け。ドア配置のせいで使い辛いと好評の電車。次期標準型とされつつも、中扉配置の使いづらさが災いして4両の増備で終わり。早くも2両が廃車されている。基本的にはラッシュ時にしか動かない。なお、この後、大量に増備された600はドア配置が従来どおりの両端に戻された

 下車直後には撮れなかったので、大宮まで行って戻ってきたところを。なんとなく愛嬌のある顔だよねぇ。隣は新標準色とされる613以下の2連だが、なんで紫なんだろうなぁ・・・?

 駅の裏にあった「電気温泉」。電気流しているんだろうか・・・。「電気」という土地とか、個人名の温泉なのか?残念ながら改装中でやってなさそう

 西院の庫

 庫その2。土曜日と言うこともあり、殆どの電車が増結運用で出払っている

 西院からは阪急電車。なんで阪急は「さいいん」なのに、嵐電は「さい」なのん?
 駅前で立ち食い蕎麦屋を物色していると、うさどん氏と遭遇。驚きの中に偶然の奇跡を喜びつつ・・・・・・すんません、ただの待ち合わせです

 メモ忘れたなぁ・・・・・・・

  西院→河原町:5XXX XX:XX 準急「河原町」


 「京とれいん」おった

 いつも通りにメロブ行って、先日の買い残しとか漁って撤収

 お寺の中に迷い込んだり(確信犯的に)したが、バスで京都駅へ

 京都タワー。ついこないだ見た。うむ・・・
 タワー下のマクドで昼食がてらうだうだと駄弁り
 
 京都駅中央改札でうさどん氏と別れ、これから北陸に「帰る」よ
 その前にちょっと観測

 凄い色だなぁ・・・

 連結するようだ

 ガチャーン

 中線を通過していったEF81−501号機
 そんな感じで京都離脱

  京都→金沢:サハ682−4305 16:10 4027M 特急サンダーバード27「富山」 8号車5D 指定席

<敦賀>
 車庫の奥にまだ食パン(419)いたな
<福井>
 昨日乗った、しらさぎが見える。そういうタイミングだったか・・・
<金沢>

 先発の「はくたか」は北越急行車とJR車の併結だった

 クハ455−63。国鉄型は減ったなぁ。金沢以東ではまだ使用されているようだが、時間の問題だよね
 駅弁でも買って晩飯にしようかとおもったが、軒並み売り切れなのでそのままホテル直行。今夜は駅から徒歩5分ほどのキャッスルイン・金沢様にお世話になります。金沢は何度も来たことあるけど、宿泊するのは初めてだったりする。富山みたいに路面電車とか、福井みたいに釣り掛け電車とか「ちょい乗り」する要素が少ないのが原因かなぁ?


10/30

 雨だよ・・・
 航空祭やってたとしても、この雨ではなぁ・・・。とりあえず、出かけましょう

 雨よけのために地下道を通った折に。狭幅車がいたので一枚。本家の3000もまもなく終焉であるが、地方ではまだまだ第一線どころか新車として活躍している。まだまだ全国でステンプラカーは走り続けるわけだ
 西口へ抜けて、小雨降る中、レンタカー屋へ
 今日はデミオを借りるよ。1,3リッターの現行デミオ。実家のとまったく同じだ・・・つうか、今の車は楽だなぁ。窓曇らないしwwwwww
 まずは金沢市内某所へ。そこが北庄内くん潜伏先下宿先である。「来たー」とメール打ったら直ぐに出てきた。はやっ!?
 ということで、本日は北さんを拉致と一緒に近所を回ろうかとね。相変わらず雨だけども・・・
 当初はバスで、とか思ったけど、バス便少ないし、加賀温泉起点で時間掛かるので、車借りちゃうか?ということの発端となった場所。一度来てみたかった場所。そしてまた来たくなった場所
 粟津の「日本自動車博物館」

 ポルシェがうじゃうじゃいたよ。なんかこないだもこんな感じの見たなぁ・・・
 
 いかにも「博物館」て感じの建物ね

 玄関でお出迎えしてくれたのは我々の世代にはお馴染みのST185セリカGT−FOUR。直前に丁度この車のイラストを描いていてね、まさかこんなところで出会えるとは思わなかった・・・・・・レプリカらしいけどねw
 ゼッケンは「1」。ユハ・カンクネン&ニッキー・グリストペアの車輌
 いや、でもカストロールカラーのセリカ・ラリーカー見れただけでも十分である。初めて気付いたけど、ベンチレーターがフィンランドの国旗なんだね。カンクネンはフィンランド出身なんだよ
 1994年、トヨタが初めてWRCメイクス・ドライバーズのダブルタイトル取った記念すべき車がこれである

 入館料は1000円と高めであるが、自動車好きならこのくらいの投資は気にならない。なんせここでしか見れない車がゴマンと転がっている。それも500台である
 ここで全部紹介すると、この紀行の半分以上がこれに割かれるので、かいつまんで特徴あるやつをいくつか

 言わずとしれたヤマハトヨタ2000GT。いまでこそプレミア価格で・・・というか、オークションとかでも価格が提示されないで売りに出るくらいだけど、生産終了後暫くはン十万程度で買い叩かれていたくらいの車
 当時はこれ1台でカローラ6台買えたらしい。近年でいうところの、NSXみたいなもんだw

 UP15・トヨタスポーツ800。俗に言う「ヨタハチ」である。うきははヨタハチ大好き。ヨタハチ一台欲しい。SAのローンも終わったことだし、そろそろ・・・・・・
 展示車輌は奥まった所にあってちょっと観察しづらい。グリルの形状から見ると、後期型

 ハインケル・カビーネ。まんまるw単気筒OHVエンジンでいくつかタイプがあるけど、概ね200ccくらい
 ハイケンルといえば航空機の方が圧倒的に有名だが、第二次大戦後には航空機製造が禁止され、かわりにこんな愛らしいミニカーを作っていたのだった

 これ、国産です。そうは見えないでしょう?でも国産車なんですwww
 フジキャビン。富士自動車が1956年から57年まで製造したキャビンスクーター。この大きさでも2人乗りだが、操縦性が悪く、かつ居住性も悪い。ボディはFRPモノコックで、ボディそのものが荷重を受けるために、当時の悪路ばかりの日本の道路では過荷重からくるクラックが多発。そんなこんなで、85台しか製造されなかった。希少中の希少車だ。もちろん存在は知っていたが、初めてみる代物である

 いかついwこれが「スカイラインだ」、と言ってだれが信じるだろうか?いや、スカイラインなんですよぉ?
 初代スカイライン・スポーツ。当時はまだ日産に合併されるまえの「プリンス」の時代。これも60台しか製造されていない。車自体が高価で高嶺の花だった時代に「スポーツカー」は今とは違う意味で贅沢だった。でも「青大将」が乗ってたなw

 ミゼットの車内。車内っていうか・・・これ、もう車じゃなくてチャリンコだよなぁ

 ごちゃぁ・・・なんだか得体の知れないのがたくさん、という印象。マニアには垂涎のものばかりなんだぜ?

 コニー・グッピー。名称通り、愛らしいスタイル。かつて、国内には自動車製造を行う中小企業がたくさんあった。そんななかの一つ、愛知機械工業が製造したピックアップトラック。トラックといっても、キャビンスクーターに毛がはえた程度の車体で、当時の国内事情には全くマッチしなかった。それでも4600台余り製造したが、これの不振のお陰で愛知機械工業は日産傘下に入り業務提携へと進むこととなる

 フライングフェザー。住江製作所が製造した軽自動車。このクラスの自動車はまだまだ日本の国情にマッチせず、例によって少数が生産されただけで、時代の影へと消えていった。ちなみに、ドアの前についているのが方向指示器、つまりウインカーである。あれが「ピョコ」っと跳ね上がって右左折の方向指示をするんだ

 一気に近代化したwwwジオット・キャスピタ。服飾メーカーのワコールと童夢が共同で開発を開始した「公道を走るF1マシン」。1989年の東京モーターショーに出展され、1991年の市販開始を予定していたが、バブル崩壊と予定していた富士重工からのエンジン供給が中止され、市販は夢と終わった。国産量産型スーパーカーの一つとして期待されていた車である

 コスモスポーツ。言うことなし。これ1台だけで30枚くらい写真撮ったwwwwww

 敢えて大きく表示。マツダ・ロードペーサー。立て看板にもあるとおり「外車ではありません。マツダの最高級車です」これ、ロータリーエンジン載っけてんだぜ。ようはプレジデントとか、センチュリーとかそうゆう感じですよ、マツダ版のね。まぁ「外車ではない」とかいてあるけど、ベースはGMホールデンのプレミアー。それに13Bロータリーを搭載したのがこのロードペーサー。しかし、低速トルクのないロータリーでこんな大型な車をまともに走らせられるわけもなく、燃費も極悪く販売は低迷。わずか799台の製造に終わった

 なんにも説明書きがなければ、ただの悪趣味な色のカペラだな・・・と、それで終わるのだが

 ボディ上半分の金色部分は本物の金箔を貼り合わせてある。よーく見ると継ぎ目が見えるが、パッと見純金むくのボディにも見えてくる。しかし悪趣味なことには変わりないかなぁ・・・
 そんでもって、なんでカペラを選んだのかという・・・

 と言う感じに、自動車博物館を満喫。日曜で、天候不順なので屋内施設は人が多い。平日空いてる曜日にまたゆっくりと来て見たい
 さて、まだ昼前なのだが、近くに何かないかと思案。ピンと来るものがあったので、山中温泉へ行くことに
 粟津からは15キロ程度なのですぐ近く。加賀温泉郷の一角である。このあたりは北陸鉄道の鉄道線が結構複雑に絡み合っていた地域なので、遺構の一つでもないかとキョロキョロしながら県道を走る
 いかにも?という築堤が道路の傍にあって、まだ確証はないけどなぁ・・・と走ると直ぐに川を渡り、そこには鉄橋の橋台が残っているという按配。ああ、やっぱりアレが廃線跡かと確認できる
 20分ほどで硫黄の香り漂う山中温泉に入る。いかにもな温泉街で高級そうな旅館が立ち並んでいる。たまにはこうゆう温泉場でゆっくりと「泊まる」ことを楽しみたい

 やってきたのは温泉街の南の外れにある道の駅。「山中温泉ゆけむり健康村」。日帰り施設も付いているが、実は温泉には入っていない。では、なんで来たかというと

 ↑コレである

 北陸鉄道6010系、クモハ6011。通称「しらさぎ」である。当地を走っていた加南線(山中線、粟津線、片山津線、連絡線の総称。山中、粟津、片山津、山代などの温泉街を結んだ)が廃止になった後に、姉妹車の6000系「くたに」と共に大井川鉄道に譲渡されていたが、廃車後の2005年に里帰り保存されている
 なお、6000系「くたに」も大井川鉄道に同時に譲渡されたが、こちらはあっさりと廃車解体され現存していない。6010系の保存に当たってはおでこに追加された2灯のシールドビームライトが撤去され北陸時代の姿に戻されている
 うきはは2001年に、千頭駅に留置されている同車を撮影しているが、これが2度目の撮影と言うこにとなる。2001年当時は既に予備車になっており、本線運転は殆ど行われていなかったようだ。というか、もうとっくの昔に廃車解体になっていると思っていたので、あの時に千頭で出会ったこと自体が大変な驚きであった

 開放的な運転台。機器はおおよそ揃っている

 車内には転換クロスシートが並ぶ。湯治客を輸送すると言う使命はあるもの、一地方私鉄がこのグレードの車輌を作成したことには一目置かねばならない
 姉妹車6000「くたに」と共に、北陸鉄道の名を全国に知らしめた車輌なのである

 全体的にガラスを使用する扉。現在ではこうした鉄道車両も少なくないが、当時はこんなに大きくガラスを配した客用扉を有した鉄道車両はなかった

 平成17年だから、結構経ってるな。大井川で見た姿はかなり晩年の姿と言うことか

 ちなみに、千頭の奥の方で撮影した大井川時代の6011。後にはオープン客車と化したク861こと元名鉄の3800が見えるし、直ぐ傍には岳南の1105なんかも置いてあった。割といろいろ撮ってるなw
 脱線した。道の駅は日曜ということもあり賑わっている。加賀温泉郷は最盛期の半分程度の観光客数に減少していると聞くが、まだまだ盛り立てようによっては人も呼べるに違いない
 そんな思いを残しつつ山中温泉を後にする

 元来た道をそのまま粟津まで戻る。粟津温泉を越えて、県道11号から161号、163号と辿り、長谷町交差点で国道416号に入る。目的地はこの奥である
 やってきたのは尾小屋鉱山。この名にピンとくるのは70年代に軽便を追っかけていた先達だろう
 尾小屋鉄道は北陸本線小松駅に程近い新小松駅を基点に、南部の尾小屋鉱山との間を結んでいた762mm軌間の軽便鉄道である。1919年に一部が、翌年に全線が開業した。尾小屋鉱山から産出される鉱石輸送を主に、沿線住民の足として活躍したが、1971年に鉱山が閉山、その後も旅客輸送を細々と行っていたが、1977年に全線が廃止となっている。
 1960年代から70年代にかけて、モータリーぜーションの進展から全国の中小私鉄が次々と消えていった。そんな中、新潟県の頚城鉄道なき後、この尾小屋鉄道が唯一の非電化ナローとなっていた。文字通り「最後の軽便」であった尾小屋鉄道の廃止は日本の「軽便」の終焉であると言っても過言ではなかった。

 鉱山資料館なぞそっちのけで、まずはここに

 ポッポ汽車展示館。まぁ、本音を言うと、これもついでなのだが

 軽便の蒸気機関車等が屋根付きの展示線に保管されている

 尾小屋鉄道5号機。1949年立山重工業製のC型タンク機。昭和47年まで使用され、現存する唯一の尾小屋の蒸機である

 5号蒸機の後、客車との間に挟まれているキハ3。尾小屋の顔といっても過言でもない気動車である。元々は遠州鉄道奥山線で活躍していた気動車で、遠鉄ではキハ1803を名乗った

 見ての通り、「180」を塗りつぶして、単純に「3」とした

 キハ3の車内。ビニールの一部が破けているのが残念だが、現役当時の姿を良く残している。手入れは行き届いており、現役そのもののようである

 キハ3の運転台。主要なパーツは揃っており、現役そのもの。それもそのはずで、このキハ3は動態保存されている。尾鉄廃止後に有志の手によって保管され、現在まで動態を維持してきた

 いかにも軽便チックなオープンデッキのハフ1。ラッシュ時には気動車が2〜3両の小型客車を牽いて走った。この「ハフ」は1〜3が開業時に準備された客車で1971年に廃車になっている

 ハフ1の中からキハ3を見る。憧憬だった軽便の姿が、そこにあった・・・

 さて、見るべきものは見たが、本来の目的ではなかった。捜し求めているところはこんなに小奇麗に保存展示されたものではなく、「廃」そのものの姿である
 凡その位置は把握しているもの、わりと思いつきでやってきたので目的地に接近するにも「勘」が必要である。培ってきた「勘」を頼りに、車のナビと頭の中の路線図を照らし合わせる

 それは、あっけなく見つかった。しかし、忽然と現れたそれは強烈なインパクトを脳裏に残したのだった

 尾小屋鉄道尾小屋駅跡。廃止されてなお、軽便の姿を現代に残し続けてきた

 草に埋もれつつも輻輳するか細いレールが、かつてここに「終着駅」があったことを物語る

 かつて多くの旅人が、住民が、ファンが立ったであろうホームも静かに佇んでいる。写真右手、川の上に跨って建てられていた立派な駅舎はすでに無い

 足元は見えないが、しっかりと線路の上に乗っているDC122。こんなでも一応「動く」そうである。直ぐ谷の上で綺麗に保存されているキハ3らとは雲泥の差である

 かなり複雑な配線になっている。奥の庫の中にはキハ2とホハフ7が収納されているという
 どこかに転車台があるらしいが、秋とはいえなんせ雑草が繁茂していて線路を辿るのも容易ではない状況。確認は出来なかった。気付かずに落っこちても面白くないものねw
 次回は走行する姿を見てみたいと思いつつ、尾小屋の地を後にする。僅かな滞在だったが、やはり来て良かった。あこがれていた軽便の姿に触れることが出来たのだから

 庄内君を金沢市内まで送って、ちょこっと北陸道走って小松空港へ。車を返してさっさとチェックイン

 ロビーではこんな催し物も。今日までか!?

 全日空。一番手前辺りから覚えがある。左から3つ目が初めて飛行機に乗った当時のものかな。4つ目はトライスタールック

 こちはJAL。右から4つ目が有名な「スチュワーデス物語」当時のもの。JALには実は高校の修学旅行の時まで乗ったことが無かったのであんまり馴染みないなぁ
 ちなみに両裏側は小松空港の写真パネルが展示してあって、こちらも興味を惹かれる。バイカウントとか貴重な写真が展示してあった。良いなぁ♪

  小松→羽田:JL1280 18:10発 B767−300 JA8975 41A

 かえりは普通のB767−300。なんの変哲も無いアークカラーだが、今のうちに撮影しておいた方が良いよね。きっと

 

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