駿遠南信紀行


<2011/8/30>

 八月も末になってようやっと夏休み実家に帰って
 
 ぬことモッフモフしてから、日野に帰ってね、湯倉さんちに行ったね
 したらね、おのけいさんMiri@さんがいたね・・・
 

 はい!おりんりーん!!
 じゃなかった。今回もこいしちゃんだけどね。町田から東名高速乗って西へ

 車線をフラフラしながら走る、湯倉さん
 おかしをひたすらに食いまくる、Miri@さん
 ネタトークマシンガンの、おのけいさん
 まんじりともせずに地図とにらめっこする、うきは
 そうゆう縮図の一行である。南無三

 出発が午後になってからだったので、高速に乗ったのは14時過ぎ。東名は平日の午後でも交通量が多い。大型トラックがガンガン走っている。日本の東西を結ぶ大動脈だからね。お!EPー3Cだわ!

 ヨーソロー!ッテー!!
 高速乗っている間はナビをする必要もないので・・・
 今回、おのけいさんがスマホを通り越してi-padなるものを持ち込んでくれたので、とうとう車中で「どうでしょう」視聴が可能になった!すげぇwww

 これがぼくらのこいしちゃんです・・・・・・・・・全然見えねぇなぁ
 天下の険を超えて、

 ファーストストップ足柄SA。御殿場のアウトレット至近。SA内部も盛りだくさん。温泉もある!

 富士スピードウェイお膝下だしなぁ。高木虎之助が03年/04年のINDYで実際に転がしたマシン

 足柄からはうきはが運転手。静岡ICまで東名道。ここから一旦下道。県道84号から国道150号へ右折。用宗から県道416号へ
 用宗駅前を越えると岬の突端が眼前に迫ってくる。併走する東海道本線はそのままトンネルに突っ込んで行くが、道路は左(つまり海の方へ)に曲がり、勾配を駆け上がると
「おお〜すげぇ橋だ」
「来てる来てる来てる来てる風来てる!」
 ここが「東海の親不知」と呼ばれた大崩海岸である。そのものスバリなネーミングで古くから陸上交通の難所として、崩落の多発地点として旅人を苦しめてきた
 現在、東海道本線、国道150線、東名高速共に山中を「石部トンネル(東海道本線)」「日本坂トンネル」として一気に通過しているが、それ以前は特に国道150号線はこの断崖絶壁にへばりつくように車道を通していた。明治期に作られた東海道本線も当時はもっと海沿いを走っており、現在ではひとつのトンネルであるが石部トンネルと磯浜トンネルの二本によって当時はこの海岸線を攻略していた
 つまり、この区間はルート変更がされており、我々の走っている真下には天下の大動脈東海道本線の廃線跡が転がっているということになる。まぁ、分かりきってて、それに向かっているのではあるが・・・
 ところで、いくつか先達のレポは見ているし、この比高である。相当に崖を転がり落ちるくらいの覚悟が必要である。メンバーにあらかじめ「崖はよじ登れるか?」と聞いておいた。降りたはいいが登れない。最悪の場合ケガでもしたらなんにも面白いことはない。まだまだ旅行も序盤であるしね。ここで一人でも、少しでも躊躇する素振りがあれば辞めるつもりでいたのだ
 車はそれっぽいところを通過。しかし、観光地でもないところに案内看板なぞあるわけもなく、そのまま通過。いくらか走ったところで
「通り過ぎたな・・・こりゃ」
 さっき駐車スペースがあった、あそこがクサイ。転回


 発見したwいとも容易く。そして降下開始
 排水路の横が通路になっているようで想像よりかは通行しやすい。しかしね、季節を誤ったね。ここは夏に来るところじゃぁない。まさに藪漕ぎである。廃線跡探訪者が訪れるとはいえ、その絶対数は多くない。通行が少なければ当然なのだが、容赦なく雑草が繁茂している。プチジャングル状態。そしてクモの巣だらけ。平坦ならまだしも、相当な急斜面なので足元が見えないと正直キツイ

 最後にはご丁寧に梯子まで掛けられていた。この梯子の位置が東海道本線がこの沢を跨いでいた箇所で、小さな鉄橋が掛かっていたようだ。写真左手に橋台がある

 降りると目の前はもう海である

 もう左側にチラチラ見えているのだが、気を沈めるかのように右手、焼津側を見る。ここが路盤であった。正確にはここは路盤から数メートル地中である。侵食と崩壊によって盛土だった路盤はただの海岸線になっている。写真左手に円弧を描く岩の筋が見えるだろうか?あれが護岸の石垣だった部分である。その部分まで複線分の用地があったのがごっそり波に削り取られているわけだ。この先、磯浜トンネルまで僅かに海岸線を走った部分は完全に自然に還ってしまっている

 そして、満を持して後ろを振り返ると、崩れ落ちた石部隧道の抗口が

 おりしも台風接近の今日。海中に崩れ落ちた抗口付近の煉瓦の残骸には高い波飛沫がうちつけられていた

 海側、下り線の隧道である。あの位置が路盤の高さで、現在は海岸線とほぼ同レベルにまで下がってしまっている。波が穏やかであればもう少し海よりから撮りたいところであるが、今日は危ない橋は渡らないでおこう

 上り線の沢を跨いでいた橋台部分である。侵食で土台のしたが抉られている。これ以上行くとこの橋台も海中にひっくり返ることになる

 隧道は現在の姿よりももう少し延長があったようだ。その部分のレンガ積みが一斉に崩壊して海中に没している。数年前まではもう少し原型を留めていたそうだが、崩壊が進んだそうだ

 日々崩落は続いているし、いつこの風景が見れなくなるともしれない。今日かも明日かもしれない。危うい条件の元で今もこの廃墟はここに存在しているのだ
 この石部隧道とこの先の磯浜隧道は昭和19年に廃棄され、新設された日本坂トンネルへと東海道本線は移設された。戦時中の輸送力増強に関わる弾丸列車計画によってもたらされた直線の隧道で、これによって大崩海岸を一直線にバイパスすることにjなった
 廃止された旧ルートだが、これはしばらく道路用地として利用され、ボンネットバスが走っている写真があることから、定期の路線バスルートとして崖の中腹を走る国道の代替えとされたのである
 しかし、昭和23年のアイオン台風により下り線の焼津側抗口が崩壊(今回掲載写真の諸々)したことでこのルートでの使用は中止されている。なお、上り線側のみで運行が継続されたという資料もある。いずれにせよ昭和20年代からこの石部トンネル付近は崩壊を繰り返し今に至っていることになる
 余談であるが、日本坂トンネルに移設された東海道本線は、新幹線建設に伴い、再び石部トンネルを使用することになる。しかし、件の崩壊で先は使えないし、再び線路を整備しても災害が発生すれば復旧に金も手間も係る。という訳で、石部トンネルを「途中まで」使用して、別のトンネルを「トンネル内」で分岐させて焼津がわに掘り抜くことで用宗〜焼津間を長い一本のトンネルで結んだのである。これが現在も使用されている東海道本線の石部トンネルということになる

 はい上がって来たので、上からも見てみよう。道路は旧国道150号線。現在の県道である。写真奥が用宗になる

 どーんと海が広がる。ほんのわずかな距離でここまで高度を稼いでいる

 先程通貨してきた海上橋である。わざわざこんなものを作ったのには理由がある。旧国道は崖にへばりついて、あの区間を通過していた。ほとんどを半隧道のロックシェッドで覆われていたが、昭和46年に大崩落を起こし埋没。以降同ルートは海上へと切り替えられた

 ここから車道は一気に下って、あの橋を渡るとそのまま用宗の街の中に入ってゆく

 引き潮の時間だと砂浜があるそうだが、台風接近の夕方では崖下まで水浸しである。正面のオレンジ色の物体が石部トンネルの抗門である

 彼らはなんであんなところに立っているんだろうね?いや〜怖い怖い。まぁ、あそこからなら真下が見えるよ、と言ったのは僕ですが

 廃隧道を堪能して車に戻る。県道は急速に高度を落とし、焼津の街へと入って行った。焼津ICから菊川まで高速に乗り。牧之原の台地の上を延々走って金谷の至近で左へ。日坂バイパスの側道を走り、日坂宿から山中へと分け入る。

 夕闇迫る頃に上がってきたのは標高532mの「粟ヶ岳」山頂近く。周囲が比較的平坦なので500m強でも相当高く見える。通ってきた道も崖上の隘路だったし
 桜の名所でもあり、夜間は星もよく見えるなど近隣の観光スポットになっているようだ

 南東15キロ程離れた位置、静岡空港も見える

 山頂には阿波々神社が鎮座している。祭神に阿波比売命を祀り、736年に創建された

 社殿の左奥には「無間の井戸」の跡。今回、我々はこれを見に山の上までやってきた
 昔、菊川村に住む空道上人が、つけば何でも願い事がかなうという「無間の鐘」を粟ヶ岳山頂にかけた。すると多くの者が鐘をつくため、争うように険しい粟ヶ岳の山道を登った。
 長者(金持ち)になれるように願って鐘をつく者や、登山の途中で渓谷に落ちて命をおとす者もいた。
 それをみた寺の住職が人々の欲望を封印するために、井戸の底に鐘を埋めたのが「無間の井戸」であるという伝承だ
 これは近隣一帯の遠州七不思議の一つとされている

<遠州の七不思議>
・夜泣き石(掛川市佐夜鹿、小夜の中山)
・桜ヶ池の大蛇(御前崎市佐倉)
・池の平の幻の池(浜松市水窪町池の平)
・子生まれ石(牧之原市西萩間、大興寺)
・三度栗(菊川市三沢)
・京丸牡丹(浜松市春野町)
・波小僧(遠州灘)
・片葉の葦(菊川市三沢)
・天狗の火(御前崎市)
・能満寺のソテツ(吉田町片岡、能満寺)
・無間の鐘(掛川市東山、粟ヶ岳)
・柳井戸(浜松市引佐町)

 遠州の七不思議は以上に挙げたものだが、ご覧のとおり実際には7つ以上存在している
 なんでこんなところまでこようかと思ったのかは、いつもどおりのネタであるから・・・DSの「無間の鐘 〜 Infinite Nightmare -- 取材のテーマ4」より

 完全に暮れましたね。では、本日の宿へと向かいますか・・・30キロあるけどね

 20時過ぎに浜松到着。6月にも泊まったサゴーホテルにイン

 4人部屋。ツインを4人使用しているわけでない・・・わけではない!!

 何はともあれ飯である。フロントで「安くて旨い近所の鰻屋」を聞いたが、まぁ、結論として「そんな都合の良いものはない」というわけで、ホテルの地下の居酒屋で鰻食えるし、サービス券やるからここにしとけや、とフロントのおっちゃんに言われるがままに地下へ
 居酒屋は座席につくなり、若い店員の兄ちゃんに「どうでしょうの旅ですか?」とか言われる位に湯倉さんのEURO21Tシャツは目立つようだ。やっぱり静岡県はいるんだねw
 ビール飲んで餃子食って、2100円のうな重喰った。贅沢したなぁ。みんな覚えておいて!もやしが乗ってたら浜松餃子!
 宇都宮の餃子にもやしを載せたら浜松餃子!よしこい。よしきた!

 部屋に戻るとだね。酒飲んでね。お風呂入ってね・・・もう個人的には寝るか?と。部屋の中央では石切場の未來を憂う会議とかね。モロ氏の弾劾が行われていたね。三食角砂糖の方向性をおのけい先生がご指導するね、プチaz会議出張版の様相を呈してきたんだ。しかし、この部屋は暑いなぁ。冷房MAX・・・・・・暑いなぁ


<8/31>

 午前7時。おはようございます。夜中に皆さんはロビーに会議の続きに行ってね。時間はわかんないけど、帰ってきたのは覚えている。今は爆睡中だね
 僕はちと散歩に行くよ

 新浜松駅前のローソンで朝食買って、一服。210円の切符を買ってホームに上がった

 今日の予備留置は27+87

 トーションバー台車。前も載せたね
 さて、ここに27がいるということはだ。残りは25と26。25が空気バネで前回乗ったハコだね。朝の旧型は1運用2往復。これも前回書いたね。んで、ほぼ必ずカルダン駆動の51が他に釣り掛け2連を繋げて4連で走るのが通例。更にいえば新しい25+51というの定石なんだ
 ここに25がいれば、必然他の車両なので憂うことはない。でも、いない以上は定石に法っている可能性が高い。果たして・・・

 来たのは26だった!やった!!トーションバー台車乗れたぞ。朝から釣り掛け堪能。良いねぇ。贅沢だねぇ

 15分ほど走ったさぎの宮で下車

 ホームぎりぎりいっぱいに止まるので撮影できなかった。日中は2連なので、朝夕のためだけにギリギリの有効長で施設を作っているのだろう。なお、写真はクハ86。片開き扉で、半室運転台だった

 影写っちったw86はサボタイプ

 後ろが51なのも定石。次回はこれに乗ろう。沿線での撮影もしておきたいねぇ
 釣り掛け音高らかに発車してゆくモハ30を見送って改札を出る。すぐさま回れ右して浜松までの乗車券を購入。間髪いれずにやってきた2000で新浜松まで戻る。朝のミニトリップ終了。今回も収穫あり。大満足じゃ


 6月もいた猫。モフモフしてきた。さっき出がけに見たときは居なかったけど、帰りには寝ていた・・・

 さて、もう8時もすぎているし、起きているかと思ったがまだ皆様夢の中。ニュースを見ながらお茶をすすり、9時15分を経過したところでモーニングコール

 寒かったんだねぇ・・・

 うぉはよぉございまぁす

 チャキチャキ準備して出かけるよ!みんな4時半に寝たんだって。てことは俺より寝てないか?もしや・・・
 途中マクドで朝食を購入。車中ぱくつきながら北上。概ね天竜川に沿ってゆく算段だ。二俣から船明ダムを横目に、

 到着点は道の駅「花桃の里」。お手洗いにちょっと寄り、単独物件の確認に

 船明のダム湖に掛かる5連のアーチ橋

 「ゆめのかけはし」というそうだ

 橋上は遊歩道になっている
 
 橋上から湖上を眺める。満々とたたえているね
 さて、僕はこの橋が見たいがために、ここの道の駅に目を付けた。ここで買い物させておけば、この「トマソン」の見物時間を捻出できるだろうと
 何が言いたいかというと、「この物件はただの観光用の橋じゃないから良く見せろ」ということである
 この「ゆめのかけはし」は本来は鉄道橋になる予定だった。ほんの数年前までは湖上に橋脚だけが連立する状態で放置されていたのだ。ダム湖であるが故に水上交通の妨げにもならず、30年以上そのまま放置されてきた。だが、近年これを観光に転用しようという動きが持ち上がり、橋が掛けられたのだ
 「船明ダムのコンクリ橋脚」といえばその筋の人たちには有名で、できればその当時に見に来たかったのだが、いささか遠方でもあり今回初めて現地を訪れることができた
 この地に鉄道を通そうと計画が持ち上がったのはなんと大正時代のこと。しかし、実際に建設が開始されたのは50年近く経過した1967年のことだった。当時の二俣線。遠江二俣(現在の天竜浜名湖鉄道の天竜二俣)駅から天竜川沿いに北上し、飯田線の中部天竜に至る鉄道路線として、この佐久間線は建設が着手された
 飯田等の南信地方から浜松へのバイパスルートとして計画されたが、二俣起点13キロの遠江横山までの路盤等が完成したところで1980年に工事が中止された
 以後は国鉄は特定地方交通線の廃止を進めてゆく時代になっており、採算の見込めない地方の新線を建設するのに貴重な財源を使用することはなかった。山間部ということもあり、完成したトンネルや路盤はほぼそのまま残っており、一部は民間に払い下げも行われている
 この船明ダムを横切る橋は第二天竜川橋梁となる予定だったが、工事中止後は用途が見いだせないまま長きに渡って放置されてきたのだった

 中部天竜側から橋を眺める。鉄道が出来ていれば、この辺はダム湖を見下ろす風光明媚な路線となっただろう

 後ろを振り向くと遊歩道は途切れ、工事中止そのままの路盤が残っている
 道の駅から回り込んでゆくと、小さな川を渡っている
 
 橋の上からは佐久間線の橋脚と橋台が見える。右側が第二天竜川橋梁になる
 さらに回り込んでゆくと、

 高架橋と奥にはトンネルが現れた。現在はワインセラーとして活用されているようだ。ここには相津駅が設置される予定で高架橋の上に片面のホームが出来るはずだった
 この先が、工事施工区間終点となる遠江横山である

 昭和49年の竣工。河内川橋梁という名前になる予定だった
 道の駅に戻ると、思い思いにお土産買ったりアイス食べたり、アイス・・・・・・

 これは正しいアイスの食べ方ではない・・・

 再び国道152号線を北上。忠実に天竜川に沿ってゆくなら国道から別れなければならないが、飯田に抜けるなら国道をトレースしたほうが距離も時間も短縮できる。それにしても、ちとナメてたなぁ。思いの外に距離も時間もかかるよ、このルートは。さすがに秘境
 時間かかると分かっているのに、

 秋葉ダムに寄り道。轟々と水を吐き出していた。重力式コンクリートダムで、上流の佐久間ダムの放水量により更に下流の流量を調節するために設置されている

 下流に大きな吊り橋があるので行ってみることに

 吊り橋から秋葉ダムを見る。まだ放流している

 吊り橋はしっかりとしている鋼製なので少しくらい走っても全然揺れない。面白くない・・・
 秋葉ダムをすぎると道はいよいよ険しく、谷幅も狭くなり急峻になってきた。そんな中で飯田線登場。152号線は佐久間ダム建設によって山向うに切り替えられた飯田線が僅かに併走する区間に入る
 相月、城西、向市場、水窪といずれもほとんど民家のない秘境っぷり。水窪だけまとまった集落があるかな?

 ※国道です
 直に林道になるけどね。152号線はまだ全通しておらず、車両は林道を経由して峠を越えなければならない。付近一帯が軟弱地盤でトンネルを掘削することができず、152号線はここで分断されている。実は152号線というのは浜松から上田までを結んでいる路線である。結構長距離だが南アルプスに添う相当な山岳区間を有している。そんなわけだから、北部にも未通区間が存在しており、上中下の三区間で構成されている文字通りの酷道なのである
 今回は俗に言われる「ヒョー越え」を通過して長野県に入る。この林道を除くと人跡未踏の地みたいな山深い地域を通る

 峠を越えた先で小休止

 山しか見えない。人工物がまったく見えないのがすごいね。まだまだ日本にもこういうところがあるんだねぇ

 崩落も起きている。自然のままの姿だ

 ところで、この天気でここに閉じ込められたら完璧死亡フラグだなぁw
 そそくさと峠を下る

 道の駅遠山郷で小休止。「遠山」にはいろいと思うところがあるので、また後で。ほんの少し後で・・・
 温泉飲んだらゆでたまごの味。そんな道の駅
 
 道の駅から程なく、梨元に到着。「ていしゃば」というレストハウス前に車を停めて、降りると目の前

 遠山林鉄の酒井DLと人車である。今回の旅行、僕自身はこういうものしか拾っていない。東方ネタとかそうゆうのは丸々任せっきりなわけだ

 この梨元貯木場を起点として、東へ。遠山川沿いに伸びていたのが長野営林局飯田営林署の遠山森林鉄道である。本線から先二股に別れて総延長30キロほどの林鉄だったようだ
 昭和15年に敷設されて昭和48年まで走っていた。実際は昭和43年には木材の切り出しは終了していたようだが

 で、活躍していたのがこの酒井のディーゼル機関車。一番最後まで残った一台で、当時の96号機とのことだ。廃止後にレール撤去作業に供され、その後は点々と近隣で保存されてきた。村営の宿泊施設近傍で「放置されていた」同車が移動の上、2001年に復元されて現在に至っている

 宿泊施設で機関車と一緒に保存されていた客車も一緒に移設されて一緒に復元された。後ろに何両か運材台車も欲しいところだ

 さすがに中は空っぽ。客車として使われていた頃は椅子なんかもあったろうに

 サカイのエンジンカバーは客車のなかに置かれていた

 客車から酒井の運転台を覗く。欠品等もなく綺麗。復元にあたっては動態保存も考慮されたが、エンジン部品が入手できずに断念したとのこと

 貯木場の隅にはレールも転がっていた

 落石覆いも廃レールだ
 
 1300年前の埋れ木。調査の結果714年(奈良時代)に発生した大地震によって埋没したものと判明したそうだ。遠山川沿いにはこうした埋没林が多くあるそうである
 さて、林鉄は停車場を出ると国道を横切り東の山中へと続いていた。

 林鉄は国道を越えるとすぐに鉄橋で川を渡っている。遠山林鉄は多くが車道に転用されており、同じルート川を渡ることができる。川を渡っているということはね・・・・・・・

 やっぱり落ちてたよw上の写真にも小さく写っているけどね。林鉄の廃レール

 だいぶ時間が押してきた。ほとんど一日使って飯田までたどり着いたようなものだ。おのけいさんのご友人がいるという水引美術館に到着したのは16時前後だったろうか?

 「水引」とは贈答品や封筒に付けられる飾り帯のこと。ご祝儀袋の周囲に巻いてある「アレ」である。この飯田が水引製造の全国70%のシェアを誇っている
 この水引美術館は水引技術を使って、様々な形の工芸品を作り展示している美術館である
 ところで美術館への入館は200円て書いてあるけど、金払ってないけど・・・
 水引制作の実演を最前列で・・・というか我々のためだけに開催していただいた。全てが手作業であの紙の線だけで立体物にしてゆくってのは凄いよなぁ。機械化は出来ないようで、100均で売っているようなご祝儀袋の水引でも全て手作業で作成しているそうだ。もはや伝統工芸品のようなものだね
 そうこうしているうちに、おのけいさんのご友人、樋坂さん登場。美術館を案内してもらいつつ、諏訪信仰のお話など興味深く拝聴。つうか、凄い人だ!
 17時を回って美術館は閉館。そとで駄弁っていましたが、さすがにこのあとの行程も気になり始めたので、撤退。慌ただしかったけど来れて良かった物件だった
 なお、今の今まで全く気づいてなかったけど、この水引美術館の真横が国鉄中津川線の線路敷だった。伊那中村駅の設置予定地で現在でも広い構内が見て取れる。中津川線は飯田と中津川を結び、中京と伊那をバイパスする鉄道路線として計画されていた。国鉄再建法に則り、工事は中断されて現在に至るが、飯田側には完成した路盤やトンネルがいくつか残っている

 すでに夕刻だが、我々は飯田ICより中央道に乗った

 暮れ泥む駒ヶ岳SAで食料調達。アメリカンドッグはむはむ

 なんつか、ちっとなぁ・・・・・・・・・

 駒ヶ岳SAから運転手交代。うきはに
 岡谷まで引っ張って、諏訪大社、下社春宮へ。ここまで来ると、ほんとにもう行掛けの駄賃

 春宮、当然のように真っ暗である

 秋宮だが・・・もう何がなんだか・・・なんだかわからないから痛絵馬チェックw

 本宮にも来た。この回廊の写真が一番上手くいったなぁ

 奉納相撲(?)の練習が行われていた

 本殿だってさっぱりだなぁ

 前宮から見る夜景は綺麗だったねぇ
 この人たちはねぇ、19時を回ってから、なんと諏訪大社4社全てを1時間半程で回ってきたんだよ。お馬鹿だねぇ。昼間にくりゃぁ良いのにw
 このあと、雨も降り始めた諏訪南ICから東京方面へ

 うきははラリーストからサバイバーにランクアップした@おのけい先生承認

 了

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