<序>


12月5日。夜のことである・・・突然の吐き気に襲われ、洗面所に駆け込んだ・・・翌日も体調は回復せず。意識を失うこと数回。業務研究会があったがそのまま帰宅し、寝込んだ

12月7日。休暇をもらい病院へ。体調はだいぶよくなっており、吐き気もなくなっていた。頭痛は若干あるが、平熱。診断の結果クロ・・・間違えたノロとされた。あながち「クロ」でも間違いじゃない

12月8日。本来であれば15時発の全日空便で飛んでいた筈だが、体調の回復が読めなかったので8〜10日まで3泊分の宿を既にキャンセルしておいた。15時の便には当然乗っていない。天候不良に付き、「振替・払い戻し可能」な指定便だったが、「団体包括料金」であるため、ネット上では不可。あわよくば、後日の便と振替ようと思ったが叶わず・・・
別に11日のエアドゥ便を確保した

12月9日。はまなすからスーパー宗谷乗り継ぎで稚内。稚内から新千歳まで夕刻の飛行機で戻る予定・・・
もちろん自宅。15時前、PCで運行状況確認「稚内→新千歳:4844便 悪天候欠航」
よっしゃ!全額払い戻し。損失なし。なお、欠航しない場合、取消手数料と払い戻し手数料で1/3は持っていかれる

パック旅行で宿を手配したのが最終夜だったのが功を奏した。

本題に入る・・・


<雪中道東紀行>

<2012/12/11>

 早朝4時。車を東へ走らせる。こんな時間に中央道、首都高を走るのは久しぶりだ。早朝だけあって交通量は少ない。首都高が苦手だと言う人はこういう空いている時間帯に練習すれば良い、と思ったが空いているとそれなりに速度のアベレージが高いので別の意味で難易度は高い
 環状線でも3ケタ出せるくらいの車輌密度。5時半羽田空港到着。まだ真っ暗。こんなに人気のない羽田も久々である
 とりあえず、稚内便の払い戻しを行い、軍資金を確保する。そのまま検査場を通り、56番ゲートへ

 朝焼け。今日も「関東」は良い天気のようだ。まぁ関係ないわな。概ね出かける方向も天気は良好らしいが

 東京羽田→札幌新千歳:JA98AD B767−300ER 6:50発 ADO011 38A

 久方ぶりのER。搭乗率は3〜4割位だろうか?早朝便とあって乗客はけして多くない。最初は8時過ぎの13便を取ったが、その後列車の乗り継ぎが上手く行かず。結局、早起きは辛いが初便に変更した

 離陸する頃には完全に夜は明けていた。富士山もくっきり。関東平野の北限目指して上昇してゆく

 那須の山々もここ数日の寒波で雪化粧。今日はどうやら内陸ルートらしいな

 猪苗代湖。上辺雲の下には会津若松の街があるはず
 サービスが廻ってきた。珈琲チョイス

 クマだったwかーわーいーいーvvv

 宝仙湖。雄物川水系玉川の上流部にあり、この下には田沢湖がある

 十和田湖

 陸奥湾と青森市

 機窓からだとこんな感じに見える

 下北半島。海上自衛隊大湊航空基地。もともと海軍の基地だが、現在も航空隊がおかれている。もっとも海軍時代は水上機基地で、今はヘリコプター基地であるが。固定翼機は運用されていないが、滑走路は600mあるので軽飛行機なら離着陸できそうだ

 下北半島のど真ん中。宇曽利湖、恐山である。これを越えるともうじき津軽海峡、その先は北海道
 函館を掠めて内浦湾上で降下。苫小牧の先、太平洋上でレフトターンしてそのまま北上。千歳にランディング

 千歳に到着した98AD。千歳近辺も天気は良い。札幌市内は雪だと言うが・・・

 まずは千歳空港駅のみどりの窓口へ。パックの中に組み込んでおいた北海道旅客鉄道全線パスの引き換えと特急指定席の確保を行う。北海道〜はいわゆる北海道フリーパスの団体旅行包括版。凡その使い勝手は同じであるが、特急指定席の回数制限が無いのと、1日刻みで期間を設定でき、日数に応じて価格も変わる。総じて、北海道フリーよりも安く使い勝手は良いように思える
 併せて、南千歳からの特急指定席も確保。出てきた切符は「B」席である。通常、JRの特急普通席はABとCDの4列。BとCは通路側ということになる。問いただすと、混んでて窓側は無いと言う。4時間も通路側は嫌だが、致し方ない・・・

  新千歳空港→南千歳:クハ721−4104 8:49発 3855M 快速エアポート85号「札幌」 

 1駅だけの乗車
 
 クハ721−4104
 ただの乗換えの予定だったが・・・
「おおぞら3号釧路までグリーン窓側ありますか?」
「1席残ってます」
「ください」
 6250円の出費である・・・
 フリーなら指定席でも追加料金ないが。グリーンに乗る場合は「特急券代」も別途必要になる。かからなくてもよい自由席特急券代2250円+グリーン料金4000円を投資。いやね、キハ283のグリーンは乗ってみたいと思っていたのよ?それでもって稚内便の払い戻しで手元には潤沢な資金があるじゃない?
 乗らない手はない!


 追分行キハ40 1786の2631D。千歳発追分行のチョン行で2駅しか走らない。これで追分まで行ってから特急乗り継ぎもアリだったな
 DF200の貨物を撮影してたら時間

  南千歳→釧路:キロ282−6 9:32発 4003D 特急スーパーおおぞら3号「釧路」 3号車9A G指定席

 キハ283は初乗りである

 グリーンは1+2の3列仕様。シートも大型でヘッドレストも大きくホールド製高い
 読書灯も付いてる。「グリーンから先に埋まる」というのも納得できるつくりだ。札幌から帯広以遠に行くなら断然グリーンだな

 新夕張到着直前

 同じく発車直後
 石勝線は山の中なのでトンネルだらけ。それにしても信号所が多くて楽しいな

 狩勝の風景

 下ってきて新得である。もっと何も無いところかと思っていたが、それなりに街があるんだな

 比較的南だし、太平洋側だとは思うが、雪は多い

 池田。ワイン!
<新吉野〜浦幌>
 非常制動。丹頂鶴回避。帯広から先は野生動物との接触事故も多いようで、結構遅れたりする。自動放送でもその旨流すくらいだから、日常茶飯事なんだろう。この先、どのくらいこうゆう事態が発生するのか統計とって見ようと思ったが、これ1回きりだった

 厚内から古瀬あたりは海岸線近くを走る。釧路にかけて海沿いだが、この辺が一番海に近い
<白糠>

 特定地方交通線、いわゆる国鉄赤字ローカル83線のトップを切って廃止された白糠線の始発駅。白糠線末端部の上茶路〜北進間は僅か11年の営業だった

 定刻に釧路駅1番線に到着。久々に「遠くに来たな」って感じがしたな。この先、根室はもっともっと「遠く」だろう

 札幌から4時間かけて到着したスーパーおおぞら3号。直ぐに折り返し準備にかかる。再び4時間の道のりだ。それでも、この振り子特急投入によって、札幌〜釧路間の鉄路は凡そ1時間の短縮がなされた

 網走からの3727D快速しれとこ、キハ54。網走を10時1分に出て3時間かけてやってくる。キハ54は初めてまともに撮った
 この直前に根室からの3630D快速はなさきも到着。13時を廻った僅か20分の間に札幌、網走、根室と主要都市から一斉に列車が到着する

 宿に入るには早いので、ちょっと市内探索。っても、当初から行く先は決めている

  釧路駅→興津小学校:くしろバス 13:20発 53番「白樺台」

 市内路線は結構頻繁にバスが出ていて便利でよろしい。駅前メインストリートを東へ。有名な幣舞(ぬさまい)橋を超えて丘の上に上がってゆく。釧路も坂の町である

 「おこつ」と読む。別段、何の変哲も無い市街地のバス停である。海が近い丘の上・・・
 降りたのは私1人だったが、そもそもこのバスには5人と客はいない
 バス通りを少し先へ。左手が開けてくると・・・

 道端に無造作にフラットカー

 グランビー鉱車も山積みに・・・ああ、そんでもってもうチラチラ見えてるのよ。見えてるのよ!

 なんかチマチマ動いてるのが見えてるのよ

 どーん。雪の中にヘロヘロとナローの軌道。奥には鉱車がたくさん
 原寸でw奥のほうであっちへこっちへ線路が輻輳している

 奥のほうでバテロコが動いている。活きているナローの姿がここにも残っていた
 釧路コールマイン。数少なくなった、今も採掘を続けている炭鉱の一つである。街中に忽然と事業所があらわれるが、炭鉱そのものは海の下である
 かつて、といっても数年前までだが、トロリーポールを装備した電気機関車が活躍していたことで有名だった。今では機関車はバッテリーロコに更新され、張り巡らされていた架線は全て取り払われている
 合理化、省力化のための措置だがやはり残念。できることなら架線集電の時代に訪れたかった。己の情報力、行動力不足を恨むしかない。しかし、まだ間に合った。この先10年後、この軌道が生き残っている保証は無い。採掘自体が行われているかどうかという点もあるが、よしんば行われていてもベルトコンベヤなどの機械に更新されてしまっている可能性がある
 釧路は遠い。これが最初で最後かもしれないのだ

 坑口は写真の左手の方。奥から手前に戻るような形で地面に潜っている。こちらは引き上げ線で右手の建物が機関庫だろうか?よくみると、機関庫へのポイント部分はデルタ線になっているようだ

 片隅にはこんな骨組み。坑道の支保だろうか。こんな構造なんだな
 バテロコの動きがなくなっちゃったので、もう少し別の角度から見れないものかと周辺をうろつく

 コールマインの入口辺りまで来て
「こりゃ・・・あそこ以外だめだな」
 と判断。陽も傾いてきたので撤収方向。結局、バス停4つくらい歩いて、3つくらい戻ってきた・・・

 帰りは益浦2丁目から。興津小学校の隣のバス停

○ 益浦2丁目→釧路駅 14:27発 くしろバス 53番「釧路駅」


 駅に戻ってきた。まだ15時頃なのだが、殆ど夕方。僅かに売れ残っていた駅弁を買って、駅前の東急インへ

 部屋は駅側でよく見えるが、列車はぜんぜん走ってこないwバスターミナル挟んで向こうが釧路駅

 何時の列車だったかな・・・キハ54
 
 晩飯。いわゆる「しゅうまい弁当」である
 「からまつ」の発車は19時だがそれまでもたないので就寝 ※からまつ=1980年まで走っていた小樽〜釧路間の普通夜行列車。B寝台が連結されていた


<2012/12/12>

 onはようございます

 今回はホンマもんであるwww
 7時からの朝食に併せて起床。10階の展望レストランで和朝食。バイキングなのでパンもチョイスできたが、摂れるときは和食を摂ることにしている

 今日はバスでスタート。ホテル前のターミナルへ

  釧路駅→コープさっぽろ中央店 8:05発 くしろバス 17番「白樺台」

 車内は学生で混んでいる。駅前なので列車からの乗り継ぎもあるが、市内各地からのバスを乗り継いで通学する子もいるようだ

 別にコープに用があるわけでは・・・。なんで釧路なのに「さっぽろ」なんだろうね?北海道のコープはどこにいっても「さっぽろ」なのか?
 すぐ後の駐車場から奥に入っていくと

 ヤードが広がっている。今回の旅の目的のもうひとつがこの石炭輸送列車を見ることだった
 コープの直ぐ目の前にあるのが太平洋石炭販売輸送の春採駅だ
 太平洋石炭販売輸送は国内最後の運炭鉄道。池北線転換のふるさと銀河線亡き後、北海道では唯一の私鉄になってしまった。釧路コールマインの選炭場のある春採から海辺の知人までを結ぶ貨物専用線である。会社は1970年に設立され、1979年に太平洋炭鉱の釧路臨港線を譲り受けて開業した。かつては国鉄線と連絡し、釧路市外を取り巻くように走っていたが、現在は僅かに4キロだけの営業である

 DD13のような凸形のディーゼル機D101。1958年日本車輌製だが、2000年頃に廃車された

 恐らく現役なんだろうけど・・・珍しい2両連接貨車のセキ6000。連接台車部分をアップで撮ってみた。こうゆうのは模型化したくなる

 少し歩くと運炭列車が止まっていた。例の二連接貨車を連ねた堂々たる編成・・・ただし動く気配はない

 機関車をアップで。D401は1964年製で蒸気機関車を置き換える目的で導入された。足回りのロッドが素敵。ラジエターファン上の板は積雪でファンが隠され、オーバーヒートするのを防ぐためのものだろう
 
 D401の列車を背後に、選炭場の方を望む。ここは踏切で気軽に列車を撮影できる・・・ので、↑あんな写真が撮れるわけだがw
 この鉄道には4両のDLが在籍している。正面の車庫の中にはDLが格納されているのだろうか?日車製55t機のD701と雄別鉄道から引き継いだD801の姿は見えない
 なお、雄別鉄道は釧路から北西方向に伸びていた運炭鉄道で、新富士(釧路から札幌方面に1駅)駅付近から港への専用線も運営していた。1970年に廃止され、新富士から雄別埠頭間の埠頭線だけは釧路開発埠頭に譲渡されたがこちらも1984年には廃止されている
 同じアングルの別の写真。つまり連撮りのもう一枚なんだが、右の丘の上に昨日行った釧路コールマインのナロー運炭鉄道が走っていた。崖縁を細面の凸型電機に引かれた鉱車が走っていたんだ。その時代に来たかった
 踏切から西のほうへ。線路に沿って、運炭列車の反対側、つまり先頭側に向かって歩く

 列車の反対側の端にも機関車が連結されている。つまり列車はプッシュプルで運転されると言うことだ。選炭場から港を行き来する、まさに「Shattle Train」
 しかし、このカマ見るからに日本の機関車ではないデザイン

 遠い!キッツイ!!運炭列車を正面から。機関車はアメリカGE製の狭軌向けを日車でノックダウン生産したDE601。スノープラウのところの顔がイイネ!

 いろいろ邪魔なものがあってDE601は綺麗な写真が撮れなかった。リベンジ!
 昨日。コールマインに訪れる際にバスの車窓から臨港線の線路を見た。レールの踏面は錆びており、少なくとも当日列車が走った形跡は無かった。ダイヤはあるものの、石炭の需要次第とのことで、いつ動くかは解らないというのが実態である。積荷が集まり次第、とも書いてあったな
 そんなわけで、動いている姿は捉えることはできなかったが、それは次回の宿題としておこう。大満足と言うほどでは無いが、しかし最低限のものは撮ったと確信できる。釧網線や根室方面に出かける際にはまた釧路を訪れるだろう。そのときこそは、と誓い、バスで春採を後にしたのだった

  コープさっぽろ中央店→釧路駅 9:05発 くしろバス 17番「釧路駅」

 前面「白樺台」のままで来たぞ?側面の行き先表示器は白い紙が差し込まれている。こいつは、さっきのバスだな。いよいよ表示器はどうにもならなくなったらしい
 釧路駅に戻ってきた

 市の中心駅だが、列車の発着がなければ人気は無い。釧路市も市民はみんな自動車移動だろうし、列車を使うのは長距離の旅行者が主なんだろうな

 改札脇にはタンチョウヅルの剥製が展示されていた。釧路湿原でこうゆうのも撮ってみたいが、いかんせん時間はないな
 せっかくなので、隣1駅新富士まで行ってみることにする。この写真にも写っているけど、丁度タラコ色のキハ40がやって来てこれが上り列車かと思ったら、そのまま回送で引き上げてしまった

 あらたに据え付けられたのは普通のJR北海道カラーのキハ40だった
 1700番台とはなんぞや?と思って調べてみるに、長期使用を見越して700番台を延命改造した番台とある。2003年から11年程度をかけて全車に施工するらしいが、11年てのはまた気の長い話だねぇ。11年もあれば絶対年次で細部仕様が異なるよね
 で、700番台は?っつうと、1991年から94年にかけて100番台にワンマン対応工事を行った番台だって
 じゃじゃじゃじゃじゃぁ、100番台は?北海道向け酷寒地仕様の番台。
 キハ40としては一番最初に製作されたグループで、東北向け500番台、暖地向け2000番台と続く。オリジナルのキハ40には0番台という区分が存在しないのである。つまり、「キハ40 1」という車輌は存在せず、キハ40のトップナンバーは「101」ということになる
 ところが片運転台のキハ47、48には0番台が存在する。反面、キハ47には北海道のような酷寒地向けの番台が存在しない。ところが、キハ48には300、1300番台という北海道向けの番台が存在する。トイレつき300番台が4両、なしの1300番台が3両製作されただけにとどまり、300番台の1両と1300番台全車が宗谷本線方面急行用のキハ480に改造されたため、残ったのは300番台3両だけ、それも2012年6月の札沼線電化で運用を外れミャンマー国鉄に譲渡された
 北海道のキハ40系列の簡単な説明。形態的に全然差が無いのに、なんでこんなに番台区分複雑なんだこれ
 ところで、昨年札沼線乗ったときにはまだ300番台居たのか〜全然気にしなかったナァ。しかもキハ141は室蘭運用に転用されてたのか〜・・・蛇足脱線

  釧路→新富士:キハ40 1752 10:17発 2524D 普通「新得」

 普通列車だが、途中の古瀬と稲士別には停まらない。終点新得には14:58分に到着する。延々4時間半も走るが、根室本線には滝川から釧路まで全駅に停車しながら8時間もかけて走る普通2429Dなんてのもあるので、4時間半なんてまだまだ甘いもんだな
 で、なんで古瀬と稲士別には停まらないかというと、古瀬は信号所のかわりのような駅、稲士別は単純に利用客が居ないだけ、である。古瀬も稲士別も周囲に人家は殆ど無く、交換しない列車は古瀬を通過するという按配。稲士別は一日平均利用客2人では、そりゃ停まらないわなwという感じ。むしろ「停まる列車が特別」くらいな扱いらしい。古瀬にいたっては、周囲は森林で外部からアクセスする道路も無く、秘境駅扱いにされてしまっている。こんなところで間違えて降りたら途方にくれちゃうと思うけど、北海道の都市圏以外の駅なんて、どこで放り出されても大概途方にくれそうな気はする。だって殆ど原野だろう?


 1駅3分くらい

 側線にはDF200牽引のコンテナ列車が停まり、まさにコンテナの荷卸中

 反対側には殆どのコンテナを卸した列車が佇む。上を通っているのは木材チップ(紙の原料)の輸送ベルトコンベヤだそうだ

 新富士駅の横にはJR貨物の釧路貨物駅があり、1日3往復定期高速貨物列車が発着している。定期貨物列車が発着する国内最東端の駅がここ新富士である。この先はトラック便が中斜里オフレールステーションとの間を1日2便結んでいる
 組成されたままの列車が荷卸しているのが0番線。単機DFがいるのが1番線。旅客線は2番線で、退避行違いがあるときだけ3番線。3番線の向こうに4、5番線がある

 コンテナ列車の先頭に立つのは116号機

 隣に単機でいるおは57号機。50番台も100番台も車体そのものは同じ。中身が少し違う

 貨物列車っぽいアングルで。こちら側からが順光

 引きで全景を撮ってみた。コンテナを卸すローダー車の音しか聞こえない。ホームに人気は無い。次の釧路行きが来るまであと1時間・・・

 時間があり余っているので、外に出てみた。跨線橋から降りると改札など全く無く、そのまま外であった。駅舎も無い
 かつて、新富士駅前から伸びていた鶴居村営軌道の跡でもないかとうろついてみる。まぁ、あるわけ無いんだけどもなw鶴居村営軌道はかつて北海道に数多く存在した簡易軌道の一つである。道路整備が進むと戦後から昭和30年代には多くが廃止されたが、鶴居村営軌道は比較的後年まで残った。当初は殖民軌道といったが、後に簡易軌道と改められた。いわゆるナローゲージの軽便鉄道である。しかし、地方鉄道法、軽便鉄道法、軌道法などに準拠しない「道路の代替手段としての軌道」であるため、厳密には「鉄道」とはされていない
 鶴居村営軌道は1967年までこの新富士から釧路湿原の脇を通り抜け鶴居村、中雪裡、新幌呂まで40キロあまりを結んでいた
 痕跡の一つでもないかな?とちょっと住宅街に・・・

 あ、バス停・・・

 ・・・お。今何分?10時33分?・・・・・・・バスあんじゃん。これで帰ろう♪

  新富士4丁目→釧路駅 10:38発 くしろバス 28番「釧路駅」

 予定より早く戻ってこれたので、1本前のバスで早々に空港へと向かう

  釧路駅→釧路空港 11:10発 阿寒バス 「釧路空港」

 接続便は千歳便なのでバスの乗客も少ない。釧路湿原を掠めて、45分程で空港に到着

 ここにもたんちょう

 ロビーにはクリスマスツリー。そうゆう時期なんだな

 丘珠からのサーブが来るのでデッキに上がってみた。気温は-だけど、風が無ければそれほど寒くは無い

 丘珠からのHAC563便が到着。北海道エアシステムはJALグループだったが、2011年にJALが経営から離脱。以後、北海道が筆頭株主になった。併せて新塗装化されたが、今日はJALカラーの機体がやってきた。新塗装見たかったが、今後、なくなるカラーだしこれはこれで

 丘珠に戻ってゆくサーブ。釧路空港はことごとく逆光だった・・・

 サーブが見れたので満足して、レストランでラーメン喰って出発ロビーへ

 道内便は遅れが酷いが、東京からのJAL1147便は定刻に到着した。MD−90、JA8020。残念ながら引退を前に奇跡的に鶴丸塗装されたJA8070はやってこなかった

  たんちょう釧路→東京羽田:JA8020 MD−90 15:25発 JL1146 23K

 JA8020はJASの導入2号機。現状、もっとも古いMD−90である

 北海道だともう夕暮れに近い。日没の太陽を追いかけて南下

 さよなら北海道
 かつて、一泊二日で四国、中国、九州回って帰ってきたことあるけど。それに匹敵するくらい慌しい旅だったね

 やっぱりね。こうゆうのが見れるから空のたびはやめられないのよね

 羽田に到着した8020。オープンスポットだった。MD−90は年度いっぱいで退役予定。これが最後の可能性が高い。しかし、なんとか年明けてからもう一度。もう一度だけ乗っておきたいなぁ。最後のダグラス旅客機に

 ところで、私はいつになったら稚内にいけるんでしょうね?

 

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