伯備北丹紀行


 近来まれに見る天気の悪さで。晴れていたのは徹夜明けでヘトヘトになっていた1日目だけで、精力的にやろうと計画していた2、3日目は雨と寒さで散々であった。結果として、当初計画の6割程度の達成率。ただ乗るだけ、移動するだけの紀行になっているので、ご了承くださいまし

<2013/4/1>
 年度末決算でほぼ徹夜。意識朦朧としながら勤務明けて、そのまま羽田へと

 出発準備中のB767−300ER。JA8971
 前日、知人にシップパターンを問い合わせしており、変更なくその通りの機材が充当されていた

 春休みなので混んでるかとも思ったが、盆暮れ正月と違うので5割乗っているかどうか位?。隣は空席だったし。でも子供は多いな

 東京・羽田→高松:JA8971 B767−300ER 11:55発 NH535 37K

 最近よく「ER」に当たる・・・

 加古川の北側。「おっ!」っと思った。見た瞬間「滑走路だ!」・・・解りますか?
 川西航空機(現在の新明和工業)の姫路工場の付属施設として建設された「鶉野飛行場」跡である。姫路工場で生産される局地戦闘機紫電、紫電改の試験飛行や領収飛行が行われた他、後年には海軍姫路航空隊が置かれ、93式中錬(いわゆる赤トンボ)や97式艦攻が運用された
 終戦と共に使用は停止されたが、陸自の訓練基地となっており滑走路もほぼそのまま残されている。写真だとちょっとわかりにくいが、北側から2/5の位置を一般道路が直角に交差しており、滑走路としての機能はすでに有していない
 いままで何度もこの上を通っているけど、気付いたのは今回が初めてだったなぁ
 グーグルアースとか見てると、旧軍時代の滑走路と思しき区画とか今でも結構判別できる。僻地の開発が行われない北海道とか、北方四島とか旧軍のそれがかなり残っているのが解る

 姫路の先から瀬戸内海上空へ。小豆島の上を緩降下して高松上空をパス。山の上でこんなにバンク取るのか?という感じに小さく回って高松空港に定刻にランディング

 2013年1月16日。山口宇部空港を飛び立った全日空692便は電気室内からの発煙のため、ここ高松空港に緊急着陸を敢行した。全世界的に同機が運航停止となる引き金となったトラブルである
 事故の原因となるメインバッテリーは取り卸され、同機は以来ここに留め置かれたままである。全日空だけですでに17機の納入を受けており、各地の空港にグランドしたままである。国内はともかく、フランクフルトにいる1機はせめて日本に回送できなかったのかと・・・
 FAAが耐空証明の効力を停止したのは大型旅客機では1979年のDC−10以来である。このとき、ニューヨークから東京に向かっている最中のアンカレジで飛行停止に追い込まれた日本航空のDC−10は、「超法規的措置」で成田まで回送されている
 フランクフルトとアンカレジの状況は比ぶるべくもない(当時のアンカレジはヨーロッパ便や東海岸への便の給油のための寄港地で、特に外国航空会社の為の整備基地などなかった)が、フランクフルトのこれもそういった措置は取れなかったのだろうか?なお、日航のDC−10は「航空機とはみなされない」機械として成田までの片道回送飛行が許可されていた
 旅行記とは関係ないが、ホンの少しお付き合いどうもでしたw

 エンジンはすっぽりとカバーで覆われ。測定用の各プローブやポートも雨やゴミの侵入を防ぐために目張りされている。いわゆる「死んでいる飛行機」、いや「仮死状態」の飛行機だ。これがもう少し長期にわたると判断されると、窓も全部シールドし始めるし、ドアの隙間にもテープを貼ったりする
 飛ばしていない飛行機はダメになるからね。特に日本は湿気の問題等で飛行機の長期保管には向かない。使われなくなった飛行機が、次の使用者が見つかるまでアメリカの砂漠なんかに補完されているのは、乾燥していて湿気がないからである
 2〜3ヶ月ではそれほど影響は出ないだろうが、なんせ複合材と電子機器、電線の塊だからね。果たして復帰させるのにどれだけ手間が掛かるか・・・
 それでも、一ファンとしては一日も早い復帰を望んでいる。まだまだこれからの飛行機なんだからね


 てわけで、787は一番クリーンに撮れる機内から撮影した。ドア開いた後だから電子機器の使用も問題ないことを断っておく

 ロビーにはB747SRの大型モデルが鎮座していた。レジはJA8136で全日空4機目のジャンボ。1階席のみっちり詰まった普通席がいかにも国内大量輸送用って感じね。−400では2階席も普通席で、スーパーシート(今のプレミアムクラス)は機首部になったけど、SRは2階席がスーパーシートだった。懐かしいね

 いろいろ見ているようだが、慌しく、バス乗り場へ

  高松空港→空港通・一宮:コトデンバス 13:15発 「高松駅」

 13:35までに空港通りバス停に着きそうだったら降りるつもりだった。電車は39分発なのである。コレに乗り継げなければ空港通りで降りる意味はなくなるので、そのまま高松駅までバスで安穏と進む
 バスは琴電琴平線を陸橋で越えて300mほど進んだところで停車した。まだ31分過ぎ。バス停の位置は凡そで考えていたが、思いのほか駅より離れていた。以前通ったときは線路を踏み切りで越えており、もっと線路に近いところにバス停があった記憶がある。もっとも当時はここに駅は無かったが
 立体交差化と交差点なんかの兼ね合いから移動したのかもしれない。3分くらいの接続では危ないところだった
 
 走ってきた道を徒歩で戻り、陸橋下の「空港通り」駅に到着したのは乗車列車到着の5分前だった

 隣駅、一宮止まりの区間列車1208が発車してゆく

○ 空港通り→高松築港:1208 13:39発 「高松築港」

 一宮まで行って戻ってきた電車だ

 昼下がりの区間列車は閑散
 1200は元京急の700。19m車体に4ドアという、どう考えても長さに比べてドアの数が多いでしょう?という電車なので、ドア間の窓は2つだけ。シートも短い
<仏生山>
 ほんのちょっと前・・・っても10年くらいまでだけど、雑多な電車で溢れかえっていたのに、今では京急ばかりだナァ・・・

 北方の留置線にいた500。保存車4両のうち、この500だけまだ乗っていない。いつか乗りたい。でもレトロ電車の運転て年間通して非常に少ないのよね。しかも土休日や祝日ばかり・・・きっついなぁw

 高松築港に到着した1208
 現在13:58。次の列車の発車は14:10。タイトであるwww
 もういやって程高松来てるし、築港からJRの高松駅までの道のりも位置関係も把握してるから良いけど、10分程度では普通の旅行者は乗り換えに設定しない
 このタイトな乗り継ぎは全て織り込み済みで、飛行機が定刻に着陸して、バスから琴電に乗り継げた場合のプランである。ダメなら30分後の高松発のマリンライナーというプランを用意してある。この30分後のマリンライナーはバスでそのまま高松駅まで来た場合も、琴電が1本後でも乗り継げる電車である
 とはいえ、全部理想的に乗り継いで来たのでこのプランは未使用で廃棄となった。しかし、この先もタイトな乗り継ぎが待っているwww

 さて、高松からJRの乗車券はすでに出発前に新宿の窓口で確保済みである。マリンライナーは快速列車なのでそのまま乗車できる。が、高松駅到着は列車出発の5分ほど前。マリンライナーは人気列車で自由席はいつも混み合っている。座れないことはないだろうが、発車間際では窓側とか選好みは出来ない状況であろう。乗り継ぎの列車の手配もあったので、時間は少ないが窓口へと行った
 マリンライナーからの乗り継ぎは3分。列車の連絡はしていないとのことで、その先の特急券の手配は渋っている
「慣れていれば乗換えは出来るとは思いますが・・・」
 と窓口嬢はおっしゃる。発着番線が離れているとも言っていたが、それも含めて全部把握しているので全く問題はない。しかし、ここで時間くってても仕方ないし、連絡していないことはうすうす感づいていたので、乗り継ぎ列車に関しては車内で自由席特急券を買えば良いと判断、
「とりあえず、マリンライナーのグリーンください」
 魔がさしたのであった・・・・・・・


 時間無い、時間無いって言ってても、少しくらいは成果が欲しい。うずしおN2000と7000系電車

 岡山から、まさに到着した瞬間のマリン(左)と乗車するマリン(右)

  高松→岡山:5102 14:10発 3138M 快速マリンライナー38号「岡山」 1号車7D G指定 2階席

 いやぁ、マリンライナーのグリーンって乗ったこと無かったからさぁ。ここが岡山で連絡階段に近いってのもあるしね?950円なんだもの、結構お得じゃない?
 そうゆうわけで、さよなら高松。もう少し時間あれば讃岐うどんの1杯でも喰えたのだが・・・自分で選んだ道だと言われれば反論の余地はない。喰いたければ時間を作ればよいのだ

 久々、瀬戸大橋。前回は高松から宇野まで国道フェリーで出ているので
 瀬戸大橋は開通25周年なんだってね。ああ、結構経つなぁ・・・

 天気は良いし、2階席は眺めも良いし・・・・・・・・・・グリーンてさいっこうの寝心地だよね♪
 13:10前にはランディングして、14:24には坂出発車。瀬戸大橋のどこまでを「四国」とするかにもよるが、まぁ長く見積もっても、四国に居たのは1時間半だなwww

 岡山には定刻に着きそうだ。1号車前よりのデッキで待機。ここが階段の目の前。乗車列車は奥の1番線。ちょっと距離はある
 到着。開扉。ダッシュ!乗るだけなら問題ない。後は空いているかどうか。うっわ指定結構混んでるし!自由はうしろ。今日は6連か?ラッキー

  岡山→新見:モハ380−76 15:05発 1017M 特急やくも17号「出雲市」 5号車3D 自由席禁煙車

 全然間に合ったし、全然空いてた。指定の方が混んでるが、これは新幹線からの連絡客がその殆どだからであろう。新幹線指定席から乗り継ぐと、在来線の指定席特急料金が半額になるからである
 なお、当初予定の東京から岡山までJAL便で飛んで、岡山から「やくも」となるとこの列車はおろか、次の19号にも間に合わない。東京発の航空便が午後まで無いのと、岡山空港から連絡のタイミングが悪いからである
 あえて航空機を使った上で、新見に最速で着くには高松経由のこの行程が一番である。なお、11時半の大阪伊丹行全日空便に乗ると、新大阪発のぞみ連絡で岡山からは同じ「やくも」に乗り継ぎが出来る。こちらも考えたが間に新幹線を挟むことのコスト増は痛いのと、「四国に行く」という意外性もあるので高松案を採用した次第である

 
 1時間程で新見に到着。新見に来るのも、やくもに乗るのも、381系に乗るのも久しぶりであった

 今日は新見泊り。普通の観光旅行者はあまり宿泊地には選ばない土地だと思う。その割にはホテルや旅館はかなり数がある。これだけ競合していれば相応にセールス合戦でもしているかと思えば、そんなこともなく、ビジネスホテルでも比較的高値
 新見の街そのものには観光需要もビジネス需要も多くはないが、周辺に石灰の採石場やら林業関連の施設があるのでその辺に用のある人が泊まるのであろう。大体この規模の都市に泊まろうとすると宿の選定に難渋するが、それに関しては新見は恵まれている
 宿の凡その位置は把握しているが、橋の袂にある地図で再確認・・・するまでも無く、ホテルくらいの高い建物は皆無なので、直ぐにホテルが目視できた
 ところで、その地図なんだが・・・

 ここまでくればバレないと思ったのかナァ・・・残念でしたーwww

 橋を渡って向かいに

 今日はエイコーさんにお世話になります

 日没!


<4/2>

 どんよりしてる・・・
 今日はもう天気悪いみたい。なんとか9時まで、9時までもってくれねぇかなぁ

 新見駅に

 キハ120 334。ここから西は大体これっきゃ走っていないw

 姫新線津山行854Dキハ47 47。姫新線もキハ120ばかりだけど、朝は47もやってくるんだな

○ 新見→布原:キハ120 334 7:18発 451D 普通「東城」

 1駅なので一番前のロングシートに座る
 5分で到着
<布原>
 
 乗ってきた451Dはここで上り列車と交換するため数分停車する
 
 光量が少ない割りにスピード出してるので、つまりは「止まら」ない。うしろはパノラマグリーンだった

 やくもが通過すると451Dも走り去って行き、あたりは静寂に包まれた
 布原。なんでこんなところに駅を作ったかと疑問に思うくらい何も無い。元もとは列車交換の為の信号所であった。開設は1936年で、1953年以降は仮乗降場扱いだった。1987年に旅客駅化されJR西日本の「駅」となった

 新見方面ホームに立って新見方面を見る。さっき降りたのは奥のホーム。ディーゼルカー1両分の長さしかないのが解る。伯備線の駅だが、ここに停まるのは1日上下5本ずつの芸備線単行ディーゼルカーのみなのである

 駅の下には川が。その先には民家が数軒見えているが、調査によると一日平均乗降数は「1名」だと言う。うきは見たいな一見さんを加味しても、年間で平均した乗降客は1日1名・・・となる
 1日5本「も」列車が停まるのに、そのうち4本は乗降が無い計算になる

 もちろん、駅舎なんてものはない。券売機も乗車証明発券機もない。ありとあらゆる機械は存在せず。ただホームがあるだけである


 人家があるにはあるが、ここいらの人たちはみんな自動車で出かけるのであろう

 ホームに屋根もないので、雨もパラついてきたし、この機器室の軒下で一休みさせてもらう

 元が信号所なのでホームが千鳥状に配置されている。通票の受け渡しがし易いように作られているのだ

 新見行820Mが到着。列車交換のために運転停車中。伯備線の列車なのでホームに停まっているが客扱いはしない

 交換の列車はこないまま820Mは発車していった。時間的には寝台特急サンライズ出雲が来るはずだが、遅れているようなので新見まで先行するのであろう
 ここ布原はSL時代、D51、3重連の撮影名所だった。新見方トンネルの周りの斜面に陣取って、布原を発車する重量級貨物を撮るのだ。SL亡き後もやはり撮影の名所なのだが、いかんせんアクセスしにくい。くさっても「秘境駅」である
 新見発芸備線の始発で行って、9時半過ぎの列車で戻ればこの間に貨物が上るのでそれを撮影するのが今回の目的・・・なのだが
 雨が酷くなってきたので、8時の列車で撤収することに。天気の良いときにまた来よう

× 布原→新見:キハ120 355 8:02発 442D 普通「新見」


 新見に戻ってきた。通学の学生で少々混み合っていたが、春休み中なので空いている方だろう
 丸々2時間は前倒しで移動しているのでこの先の予定が見えない。最近、うきはは時刻表を持ち歩かないのだが、今回も例によって持参していないのでまずは時刻表を発見することから始める
 もっとも、新見はみどりの窓口があるので窓口まで行けばおいてあるだろうと安易に予想は付く

 時刻表繰ってしばし。捨てた1線を追加できるか否か・・・この一瞬の逡巡が裏目に出た
 終着までの行程再考を捨てて慌てて改札をくぐったが、地下道を降りる直前で最直近の「やくも1号」が発車してゆく所であった
 初球見逃し・・・

 丸々1時間は先へ進む列車がなくなったので、再び改札を出て、今度はゆっくりと時刻表と格闘・・・せずに、もう次の「やくも」に乗車変更するべく窓口に並んだ。
 所持している指定券は10時過ぎのやくも5号である。米子で1時間の待ち合わせの後、スーパーまつかぜの指定もすでに確保してある
 この米子での1時間は当初の予定でも組み込まざるを得ない乗り継ぎ時分で、これは問題ない。さて、今問題なのは、そのやくも5号まで、ここ新見で2時間あるということだ。どう考えても持て余さざるを得ない。であれば、1時間待って、1本前のやくもで米子へ出て、米子で2時間潰した方が良さそうだと思ったわけである
 なお、さっき逃したやくも1号に乗っていれば、絶妙な連絡で米子からスーパーまつかぜ6号があり、鳥取で当初予定の列車まで4時間程が捻出できる。この間に今回は見送った若桜鉄道を往復して、鳥取から当初計画の行程に復帰することは出来た
 この若桜鉄道へは鳥取駅で1時間程の接続待ち時間があり、新見を1時間後のやくも3号で行っても乗れそうな感があるが、なぜかやくも3号からは鳥取方面への特急連絡が無く、30分以上待ってから快速への連絡となる。この快速は若桜行の列車が鳥取を発車した20分ほど後に到着し乗り継ぎは不可能となる
 この後の若桜行では往復している途中で乗るべき浜坂行が鳥取を出てしまう。どうにも上手く行かず、あちらを立てればこちらが立たぬ。むしろ今回はあれもこれも立たない状態に陥っている。それもこれも天気のせいだ

 とりあえず、指定席はやくも5号から3号に変更してもらい。まだまだ時間があるのにホームに戻る

 所定から56分遅れてサンライズ出雲が入線。遅れの原因は不明だが、もう夜から道中の天候は荒れていたのだろう

 サンライズの到着を待って岡山行やくも6号が発車していった。本来はここで交換する列車ではないし。所定で走れば新見でサンライズとやくもが並ぶことはない
 ここまで定刻でやってきたやくも6号にここで遅延が発生する。すると交換すべき米子方面下り列車にも遅延は波及する。こうして上下線に遅れが広がってゆく
 サンライズからの遅れを危惧していたが、当初布原で撮影予定だった上り貨物3082列車はほぼ時間通りに入線してきた

 んあー原色カマだった・・・orz

 本日の3082レ牽引機はEF64 1019号機。ここしばらく原色カマ撮って無かったし。布原で撮っておきたかったナァ・・・残念。まぁ、でもいい宿題は出来たな。遣り残しでもなければこないものwww
 ブロワーの音が高くなり、数分の停車、まさしく小休止の後発車してゆく3082レ
 
 
 このクラスの列車でも中央西線は重連運用だが、伯備は単機で牽けるという事は勾配そのものは中央西線ほどではないってこと?
 調べてみた・・・
 伯備の貨物は600t級なんだ。EF64は単機で600t級まで牽引できる。中央西線の貨物は700、800t級なので重連にしないといかんてことね。納得
 引っ張っている両数はあんまり変わらんように見えるけど、ちゃんと数えれば伯備の方が短いんだろうな・・・

 日中は2連ばっかりだが、朝は長いのもやってくる。115系3+3の6連。いかにも中間車に運転台つけました、って感じのクモハ115−1711

 雨が結構酷くてね。ホーム端の倉庫の軒先で撮影してたのさ。丁度機関車の停止位置に近くてね・・・中覗いてみたらさ、なんか見覚えがあるものが置いてあった。「なんだろう?カーキャッチャー(逸走した貨車とかを止めるために線路の上に置く)にしちゃ形が変だ
 ・・・・・・・「あ、スライダー(摺り板。架線と接触しているところ)じゃんこれ」

 直ぐ横に「Pan専用」って書いてあるじゃんwwwパンを焼く道具じゃないよ?言われなくても解ってる

 馬鹿みたいに外に立ちっぱなしで冷えてきたので待合室に
 珈琲で冷えた身体を暖めていると、老夫婦から
「こんどの急行に乗られるんですか?」
 とちょっと訛り交じりで尋ねられた。「急行」って言葉がなんだか嬉しい。
 実際は「特急列車」(厳密には特別急行列車なので「急行」で間違いはないが・・・)であるが言わんとするところはわかるし、ここで突っ込むほど大人気ないわけでもない
 特急の「と」の字も出さず
「そうですよ」
 とやんわり答える
 自由席はどこかと聞かれたので、待合室少し後と教えてあげる
 かつては「特急」なんて高値の華。庶民はみんな「急行」だった。そうゆう世代の方々なのだろう
 あのおじいちゃん、おばあちゃんの中ではJR西日本「特急やくも」なんて存在しない。国鉄伯備線「急行伯耆」が今でも現役なんだ

 待ちわびた「急行」列車に乗り込み。暖かい車内にやっと一息つく

  新見→米子:サハ381−223 9:07発 1003M 特急やくも3号「出雲市」 2号車8A 指定席禁煙車

 なんだか違和感のある窓だな・・・と思ったらこれ、サロから格下げの車輌じゃない。側窓に縦桟があるんだよ

 米子に到着。雨は降っていない

 間近に留置されているEF64 1010号機をとりあえず撮影。いわゆる「牛乳パック」

 もう1台は115系に被られていて綺麗に写せない。あいつどっかいかねぇかなぁ・・・

 DD51もおった。1179号機は後藤総合車両所配置の2台のうちの1台。JR西日本所属の貴重なDD51で、定期運用はないものの、工場入出場車等の牽引に用いられている
 今日も従えているのは客車や貨車ではなくキハ126

 米子の面々。列車は単編成化されて、必要車輌数も減ったと思うが、それでもここの留置線は広大
 扇形庫も転車台もあるが、この規模は過剰に思えてならない。広い構内はマニアには嬉しいが、それも閑散としているとなると侘しいだけである

 鳥取ライナーはコナンくん。コレで鳥取まで出ても、その先の乗り継ぎは上手くない

 この辺ではあんまり見かけないキハ120の300番代。足回りなんか綺麗なので工場出場車だろうか。定期運用は出雲市以西で、山陰本線の出雲市から長門市あたりまではこればっかり走っている

 ラッピング車の姿がとても目立つ。半数はなんらかのラッピング車じゃかろうかという米子界隈。すなかけばばぁ

 スーパーおき

 どっか行ったよ、あいつw

 1021号機。前後から

 間近で観察できるから好きなんだよ。ここ

 真横から
 だいたい車輌は撮りきったので、駅の風景でも撮っておこうかねぇ。時間あり余っているしねぇ

 境線ホーム。猫娘が発車して行った。いったんもめんとねずみ男
 境線の終点。境港が漫画家水木しげる氏の出身地なのは有名な話。それにあやかって、奇妙奇天烈なキハ40が境線を走っているのも有名な話

 日本の妖怪。さとりん発見www
 
 妖怪がずらっと並ぶよ

 最近、ホームの柱にレールを使うところそのものが少なくなっている気がする
 
 どっちのあたまも丸いんだけど・・・解るかな?
 そもそものイメージとして、線路が「磨耗する」っていう認識がないと解らないネタだよねwww線路も磨り減るんだよ。車輪の方が減りそうな気がするけどね

 やっと列車が入ってきた。スーパーまつかぜ、キハ187−2

  米子→鳥取:キハ187−2 12:17発 2008D 特急スーパーまつかぜ8号「鳥取」 1号車4D 指定席禁煙車

 
 うなぎ弁当喰う。ひところよりもうなぎが減った気がする・・・・・・不況だな
<伯耆大山>
 さっき撮った伯備線の貨物は、ここ近傍の王子製紙工場からの荷

 西北に向かって専用線が延びており、専用のスイッチャーがいる。協三の20t機はJR所属で構内の入換用
 ほかに専用線からの引き込み引き出し、工場内入替用に北陸重機と日立製の20t機がいる

 1時間で鳥取。早いんだよ
 ここで2時間余裕があったので、そもそもは鳥取砂丘でも行こうかと思っていたが、この雨では・・・
 列車を1本前倒しして浜坂へと向かう。それでも1時間待ちである

 智頭からの636D。HOT3501

 76Dスーパーいなば6号。キハ187−1502
 コレといっておもしろい列車、見たこと無い列車が来るでもないので・・・

  鳥取→浜坂:キハ47−35 14:15発 536D 普通「浜坂」

<岩美〜東浜>

 日本海も煙っている
<浜坂>
 
 浜坂に到着した536Dキハ47 35
 ここでも1時間待ち・・・

 蒸気時代の給水塔だろうか?

  浜坂→香住:キハ47 2 16:03発 180D 普通「城崎温泉」


 けっこうな若番だ。こんなところに居たのか
<餘部>
 駅名は餘部だが、地名は余部

 餘部橋梁が山側に少し移動したので、駅構内の線路も少し移動している
 新餘部橋梁になってからは初めてだ

 撤去が進む旧線。旧橋梁は一部を保存し、展望スペースにするらしい

 新橋梁からはこんな感じに日本海が見える
 保安上致し方ないのだろうが、柵が高いので、あの「パッ」と眼前に海が広がる感じが少ない
<鎧>

<鎧〜香住>

 日本海に面した入り江と港の集落。トンネル、入り江、トンネル、入り江の繰り返しである
<香住>

 特急列車の発着駅になるくらいだし

 どんなものかと思ったが
 
 まったく人気がない

 キハ189−1003。新型はまかぜ乗る

 東京は早咲きでもう見頃も過ぎているが、山陰はまだ桜も見れる

 カニ!

  香住→八鹿:キハ188−3 16:51発 6D 特急はまかぜ6号 「大阪」

 最後にはまかぜ乗ったときはまだキハ181だった。新型になってからは初めて。つまりキハ189乗るのも初めて
 列車はガラガラのまま香住を発車した
<竹野>

 特急停車駅なのに乗降は皆無だった・・・
<城崎温泉>

 連続停車。さすがに温泉街だけあって、ここからまとまった乗車があって車内も賑やかに
 ここで乗ってきた皆さんは、この列車が播但線を回って姫路で向きを変えてから大阪に向かうことを知っているんだろうか?神戸とかの客なら、これで良いのか・・・
<八鹿>

 なんでこんなところで降りたかといえば、豊岡は明日行くし、和田山は降りたことがあるので選んだ。それだけだ

 ホームは長いが、やってくるのはワンマン2両

  八鹿→福知山:クハ222−5507 16:54発 442M 普通「福知山」

 本日最後の列車
 なお、浜坂から城崎温泉まで180Dに乗りとおしても、結局、城崎からこの列車になる。浜坂から福知山に行くのに、特急に乗る必要性は皆無である。金が掛かるだけで速達性も減ったくれも無い。強いて言えば快適

 完全に陽も暮れた福知山に到着。もうここいらも223系ばっかりになったな

 幸い、雨は上がっている。宿は駅の直ぐ傍だが傘は買わないで済みそうだ


4/3

おはようございます

 ちと遠いけど宿から列車が見えた
 一応、「今」は天気が良い。風はつおい

 一日券買って北近畿タンゴ宮福線乗場に。1日券は1000円で1回だけ特急自由席に乗れるものが発売していたが、他の多くのフリー券と共に「3/31」限りで発売中止。現在の1日券は線内普通列車のみ乗り放題で1200円のものだけになった

 8:53発の特急に乗る。当初予定より1時間後の列車
 今日は天候悪化必須なので、北近畿タンゴに乗るだけで終わるつもり。あんまり早く出ると時間を持て余しすぎるので宿で時間調整した

  福知山→宮津:KTR8013 8:53発 4001D 特急タンゴリレー1号「網野(豊岡)」 2号車5A 自由席

 網野行だが、網野からは快速列車になって豊岡まで行く

 8013の前部にある展望デッキ。定員外スペースだが、混んでるときはここに居座るのもあり?・・・・・・・いや、やっぱ座りたいな

 こうのとり

 平日朝の観光特急列車なんて空いてて当然よね
 でもこの時間帯は普通列車はないので宮津なんかに行こうとしたら特急に乗らざるを得ない
<辛皮〜喜多>

 見覚えのある地点

 あの時あの子はこの辺まで来たんだろうねぇ

 参考:あの時撮った写真。今は亡き183系はしだて
<宮津>
 
 宮津着。そのまま乗っていけば豊岡まで乗りとおせるが、そうすると丹後由良〜西舞鶴間乗り残しちゃって後々厄介なのでここで降りる
 宮津まで乗ったので、前にちょろっと乗った天橋立〜丹後由良間と繋がった。もっとも、今日中に全線乗ってしまうのであんまり関係ないが・・・

 北近畿タンゴっぽい気動車MF201。「っぽい」てのはどういうことかといえば、↑あのデザインの気動車ってここ独特なんだ。側面や構造の基本的なものは標準的にどこでも見れるものだけど、あの前面デザインだけはKTR独特だなぁ。だから「っぽい」

 ホームに「あさしお」の文字が残っていた。1996年には電車特急化され「きのさき」「はしだて」等に統合して廃止されたのでもう15年以上前の代物だ。
 あさしおは京都から城崎、倉吉、米子を結んだ特急列車。4往復が設定され、後に6往復まで増強された。殆どがそのまま山陰本線をダイレクトに結んだが、1往復だけ宮津線を経由していた。その頃の名残であろう。
 当時は宮福線は無かったので、京都から綾部、綾部から舞鶴線に入り西舞鶴。西舞鶴から宮津線を経由して豊岡。豊岡から再び山陰本線に入り城崎へと向かった。線形の関係で、綾部、西舞鶴、豊岡と3回もスイッチバックする。京都から城崎まで乗り通す乗客は多くは無かっただろうが、こんな列車に乗っていたらどっちに進んでいるか解らなくなったであろう
 なお、1978年の時刻表によると、あさしお1号の京都発は8:52分。終点城崎には12:26着でおよそ3時間半である。当時の山陰本線は全線非電化で複線区間も無かったので中々の俊足かと思いきや、同じあさしおでも直行するパターンのあさしお2号は2時間半で走破している。このため、1号より30分遅く出る2号の方が、城崎には1号よりも30分早く着くという逆転現象が発生した。このように真っ当に城崎以遠を目指す旅客は1号ではなく2号に乗るべきだろう。間違って1号を選んだ旅客は、知らないところで2号に乗った旅客に追い越されていることになる
 ちなみに、上りのあさしおは最終の4号が宮津線を経由したが、こちらは下りの1号と2号のような逆転現象は発生しない。もっとも4号発車の13分前に3号が城崎を発車しており、10数分早く駅に来れれば、京都到着は18:53分なのに対して、乗り遅れると20時丁度着と1時間も差が開く。更に、目的地が大阪でよければ、4号発車の40分後にやってくる播但線経由のはまかぜ2号に乗れば大して変わらない20:19分に大阪に到着できる。播但線も若干遠回りだが、それでも3回もスイッチバックして線路規格の低い宮津線を回るよりも速達性には優れている。ちなみに車輌はどちらもキハ82(1982年からどちらもキハ181)なので車輌性能による差は存在しない。昔の時刻表見てると時間を忘れるくらい楽しくて仕方ないので、そろそろ切り上げて紀行に戻ろう
 なんでこんなに長々書くかって?こんなことでも書かない限り今日はネタが全然ないんだぜ

 さっき乗ってきたタンゴリレー1号が向きを変えて発車して行く。宮福線を作ったときに東側から宮津駅に乗り入れるようにすればこうしたスイッチバックは必要はなかったのだろうが、そうすると南側をぐるっと回って接続するようになるし、距離は伸びるので敬遠されたのだろう。そもそもが、大江から由良川沿いに伸ばしていればこんなことにならなかったのだが・・・

  宮津→西舞鶴:KTR706 10:09発 322D 普通「西舞鶴」

<丹後由良〜丹後神崎>

 由良川を渡る。直ぐ後は若狭湾。どんよりしてきたね・・・
<西舞鶴>
 
 ドンツキのホームに到着したKTR706。北近畿タンゴの機関区がある要衝の駅だが、ホームは片面1線のみ
 次の列車でまた戻るわけだが、同じ車輌だと面白くないな?と思っていたが、どうやらこれは入庫するらしい
 暫く時間があるので外へ。幸いまだ雨は降ってきていないので駅の周りを一周してみようと思う

 すぐに機関区の裏手に8016と709


 有蓋貨車を改造した救援車代用・・・代用ってどうゆうことだろうね?これが救援車じゃないの??まぁ、現状、ただの倉庫でしょう

 救援されているKTR001・・・じゃなくて

 KTR001

 車庫の中でも使われないであろう隅っこの側線に留置されている001Fと011F
 なんでこんなに隅っこに追いやられているのかと思ったら、3月のダイヤ改正で定期運用から離脱していた。老朽化とのことだが、1990年製造であるから確かに20年選手。ここまで専用設計で作られているとリニューアルも難しいのか。以降は季節臨等でのみ運用されるとのこと。これまだ乗ったこと無いんだよなぁ

 踏切渡ってぐるっと一週。駅に帰還。まだ時間残っているな・・・

 地元高校お手製の啓蒙ポスター。いろいろ凝ってるし、上手な子もいるねぇ。今時っぽく萌えキャラぽいのもある・・・けど

 この女子高生はやばいでしょう。これはいたら凄い。もうただの酔っ払い親父だ。個人的にこれが一番ツボったwww

 改札脇のフェンスにはヘッドマークがずらり

 ずらー・・・・・・・っと

  西舞鶴→豊岡:KTR704 11:44発 322D 普通「豊岡」

 別の車輌が出てきたが。形式は同じKTR700
<由良川鉄橋>

 さっきは山側撮ったので今度は海側
<丹後由良>

 前に酒造を見に来た。来たときは営業終わってた。これ乗っちゃったらもう二度と来ないような気がする・・・でもスルー
<丹後由良〜栗田>

 岬を回って宮津へと向かう。晴れていれば綺麗な海と半島が見えるんだが・・・
<栗田>

 「くんだ」って読む。クリタではない

 宮津到着直前にとうとう大粒の雨。宮津からは学生が大挙乗ってきて湿度で窓は曇るし、蒸し暑いし、外は見えない面白くない
 窓を拭き拭き外を眺めるが、視界も煙ってモノトーン。野田川で加悦鉄道の廃線跡を眺める。当初は加悦の鉄道資料館行くつもりだった。やはりというか、予想通り加悦は雨だった・・・。丹後大宮辺りまでで学生は殆ど下車。車内は再び静かになった

 駅舎が印象的な但馬三江。「コウノトリの郷」なんて愛称ではなく、「但馬三江」って本名を重視してあげて!
 右手から山陰本線が寄り添ってくると終点豊岡。これで北近畿タンゴ鉄道全線完乗車。これで京都府内にある鉄道は全部乗り終えた・・・・・・・と思ったが、天橋立にある傘松ケーブルにまだ乗ってないことに気付いた。俺また天橋立行くんか?そしたら今度こそ加悦と丹後由良のハクレイ酒造だな

 豊岡に到着した704

 さて、出石に行くつもりだったがもうクソ寒いし。雨は降ったり止んだりだし。中間の予定をすっ飛ばしたのでバスの時間まで大分あるし・・・
 とりあえず、城崎温泉でも行ってみるかと190円の切符を買ってJR駅構内に

 なんというか京都の緑ははっきり行って「綺麗じゃない」。でもまぁ115もいつまで残るか判らないから撮っておくに越したことは無いな

 機関区とかあって構内は広いし、要衝の駅なんだなって判るけど。淋しいくらいに側線はスカスカであった・・・

 はまかぜ4号キハ189−1004
 これと交換する下り列車で城崎へ・・・という予定だったが、うきははそのまま切符をぽいと窓口において豊岡駅を後にした
 この天候で温泉なんか入ってまた戻ってきたら風邪引きそうだったのと、ぶっちゃけ面倒になった。もうこのまま空港に行こう
 しかし、空港への連絡バスは17時過ぎ。あと「3時間」もある・・・・・・・・・

 3時間も・・・・・・・・・・



 迷わずブルジョア兵器を投下した     つ TAXI!!

 バスなら300円だが、その10倍近い2860円を投資して空港へ
 駅前を出て山陰本線をくぐり、市街を出ると山の中へ。ぐるっとループ路を回ると、

 ものの15分で駅から空港に到着した。コウノトリ但馬空港
 隣に気になるものは見えていたが、とりあえずロビーに入ってみた




 何にも無いw
 よし、表に「ヤツ」を見物に行くか

 ↑ヤツ

 もとエアーニッポンのYS−11である

 JA8734。1969年3月に初飛行し、4月に全日空に引渡し。導入当初は紺の太帯に上下赤ラインの入った全日空最初期のもの

 以降、モヒカンルック、トリトンブルーに塗り替えられ全日空ビームラインを、それこそ日本各地に飛んだ

 1989年には子会社のエアーニッポンに移籍。大阪を定置場として西日本をメインに飛ぶ。ラストフライトは1999年1月31日壱岐から福岡
 大阪に回送された後、同年2月12日には本当の最終フライトとなった大阪〜但馬間のフェリーフライト。兵庫県に譲渡されここ但馬空港で展示保存されて現在に至る

 YS久々に間近で見たなぁ。「エアーニッポン」も無くなっちゃったしね

 初めて乗ったYSは八丈島から羽田へのエアーニッポン便。もう20年前www最後に乗ったエアーニッポンは定期運航終了し、大島便に臨時運航されていたもの。これでも10年前
 今のところラストフライトは国内定期運航終了直前の福岡〜徳島便。最後まで運航したのは福岡や鹿児島をベースにした日本エアコミューターだった

 となりにはエアロコマンダーが置いてある

 あまり弄らなかったけど、専門学校時代の教材機に同じエアロコマンダーがあった。同じ共立航空で使用されていた機体だった
 もっとこっちはエアロコマンダー680FLというF型のロング版。FLは国内ではただ一機という貴重な機体。エアロコマンダーに限らず、このクラスの双発機は国内では今殆どお目にかかれないし、ましてや搭乗なんて出来ないだろうな。概ね、BN−2アイランダーと同じ位の機体?
 楽しかったし、懐かしかったけど、冷え切ったので空港内に

 現状、朝夕1日2便。大阪から飛行機がやってくるだけなのでロビーはこじんまり。写真は残していないが、検査場通った後の搭乗ロビーもくっそ狭かった

 単発水上機のレプリカが天井からぶら下る。三菱MC-1旅客輸送機という1機だけ製作された水上機である
 まだ航空黎明期であった戦前に、日本海航空という民間の航空会社が「城崎」を基地として最初遊覧飛行に、後に定期航空輸送を展開した
 詳しくはコチラ。城崎温泉の傍らから定期航空が就航していたなんてにわかには信じられないが・・・

 展望デッキに上がってみる
 ガランとしたエプロン。日中は定期便の発着がないので、休日なんかは航空系のイベントが多く催されることで有名。しかし、裏返せば、空港の運営が上手くいっていない証。現在の利用率は開設当初の予測の約半分。定期航路が大阪しかない上に、但馬地方と対大阪では鉄道、高速バスなどの競合交通機関が多いためである
 空港の活性化には東京便の開設が渇望されるが、そもそも大阪便開設すら難渋した過去がある。行政は滑走路を1500mに延長しジェット化、その上で東京線開設を目論むが目処は立っていないように思える。もっとも、東京便が開設されれば但馬地方だけでなく、鳥取東部や京都北部、若狭などの需要を取り込める。若狭湾岸から東京に出るには特急から新幹線乗り継ぎでも5時間はかかる。空港まで1時間で移動できるエリアであれば、およそ所要時間は半減する計算になるのだ
 立地条件としては「対東京」であれば申し分ない。新幹線が建設される可能性はまずないし、もっとこの但馬空港は「高速輸送機関」としては有効活用できると思う。現在の滑走路長でも、DHC8−Q400は運用できる。これを使えば1時間少々で東京との間に航空路を開設できるのだから、要は使いようであろう
 需要の確約。搭乗率の保障さえ出来れば、但馬〜東京便なんていつでも開設できるはずなのだ。もう少し景気が良くなって、航空会社も余裕が出来てきたら、もしや・・・


 大阪からの2323便が到着。鶴丸だ

  コウノトリ但馬→大阪伊丹:JA8594 SF340 18:05発 JAC2324 11A

 機材遅れのため18:25発。1年ぶり2回目のサーブ
 搭乗率は5割くらいかな・・・
 大阪なんてあっというま。くるっとまわって降下。雲の下に出たらもう生駒上空だった

 伊丹に到着。北側一番奥のスポットで、当然のように徒歩でターミナルビルまで向かう
 到着直前にランプアウトしていったQ400は最後のJACフルカラー機だった。まだ残ってた

 出発便ももう多くない。こんなに閑散とした伊丹のロビーも久々
 すぐの連絡で東京便もあったが、1便1時間程遅らせた

 出発準備中のJA8984

  大阪伊丹→東京羽田:JA8984 B777−200 20:20発 JL138 11A CLASS-J

 サービス開始時に名前で呼ばれたので何事かと思った。そういや、但馬であまりに暇だったからGHのお姉さんと乗継便についてワーストリターンがどうのとか条件付運航かとかいろいろ話してたから「不安な旅客」と連絡が行ったかもなwww

 遅い便にしたから東京へのフローコントロールには引っかからなかった
 また宿題をたくさん残した旅だったな・・・


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