鈴鹿多宴木曽路紀行


<2016/7/16>

 
 またかよ!こんなところに張付いてんなよ!!

 ・・・・・・は、良いとして
 帰宅後、速攻で仮眠し15時には希少。高速道路の料金時間サイト、ドラプラだと多摩〜多治見間を3時間程度で走破できると豪語しやがったので、まぁゆっくり走っても晩、早目には到着できるだろう
 チョーク引っ張ってエンジン始動。今日も快調である

 高尾山ICから圏央道に入り南下。海老名を目指す。3連休初日だが、午後もだいぶ遅くなってきているので交通量は多いが支障はない。事前に自分でプランニングした通過時刻が大体合致しており、順調に進行している

 夕闇せまる清水PAに到着。小休止

 清水PAはいつも何がしのマシンが置いてあって楽しい。黄色いポケバイ

 清水から静岡の山間部でちょっと降られたけど、すぐに天候が回復して快晴に

 浜松いなさJCTから西の区間は今年の2月に開通したばかりの新しい区間。これでそのまま豊田東JCTまでがつながり、在来東名を迂回せずにそのまま伊勢湾岸へと通過することが出来るようになった
 今まではいなさJCTから連絡道路を通って三ケ日で在来東名へと合流しなければならず、シーズンには必ずそこで渋滞が発生。またその先の岡崎辺りも渋滞のメッカであったが、これによってボトルネックが解消されて渋滞発生率は大幅に減少した
 多治見というと中央道で真っ直ぐというイメージがあるが、今回はこの新規区間を走ってみたくて、往路を新東名経由にしてみた次第

 新規区間にはこの「長篠設楽原PA」と「岡崎SA」の2箇所のパーキングエリアが設置されたが、長篠設楽原についてはPAから歩いて旧跡に行けるという情報があったので、こちらに寄り道してみた

 SAの背後に見える小山が旧跡。戦国時代、長篠の戦いで武田軍と対峙した織田信長の本陣が置かれた小山である

 古戦場のそばだけあって自販機も戦国だし、さりげに置かれているアイテムもw

 PAの駐車場脇からそのまま本陣跡へと登れる

 遠くに長篠の盆地を望みながら

 本陣跡に

 PA開設で観光客誘致のためにあらたにこちらがわに通路を作ったようだ。PAからだと裏から入る感じ

 小さな社の前が本陣跡

 織田・徳川連合の鉄砲隊と武田の騎馬隊が決戦を行った長篠の戦いは余りにも有名であろう。天正3年(1575年)5月初旬において、武田軍が長篠城を包囲するところから一連の戦闘は始まった
 圧倒的に兵数に劣る長篠城の守備隊だったが、鉄砲や大鉄砲の強力な武器、地の利を活かして奮戦、これを増援の本隊到着まで良く持ち堪えさせた
 信長軍3万、家康軍8千は5月18日に長篠城手前、設楽が原に到着。ここに陣を置き、武田軍と雌雄を決した
 5月20日の鳶ヶ巣山攻防戦で大勢は決したとされるが、続く5月21日の設楽が原決戦では武田軍1万の将兵が戦死し、対する織田方では重鎮の戦死はなく、長篠決戦はこれによって終結した

 夕闇迫る社。信長は迫り来る武田の軍勢を前に何を考え思っただろうか・・・・・・

 本陣跡からみるPAはこんな感じ。山を切り崩して、そして埋め立てて土地を確保しているのは良くわかる

 夕闇迫る長篠古戦場を後に、再び西進。豊田東JCTから東海環状自動車道に入る頃には完全に夜
 土岐南多治見ICでおりんりんして、

 途中のホットモットで夕飯を買い込む

 ジバニャン弁当!!

 多治見市内を通り越して、今日の宿は多治見インターそばの「ルートイン多治見インター」ビジネスホテルだが、天然温泉付き♪


<7/17>


 曇天模様。なんとか天気は持ち堪えるような話だが、はたして・・・・・・
 朝食摂って、至近の多治見市産業文化センターへ。嫁さんと荷物をおろして、多治見駅へ取って返す。駅前駐車場に車を入れて改札通過、停まっていた快速名古屋行に飛び乗る。予定よりだいぶ早い電車に乗れた。乗れたが、さて、早まった分行程を練り直さないといけないぞw

  多治見→名古屋:313系 9:37発 5716M 快速「名古屋」

 後ろは211系3連、前は313系4連の7連。混んでて座れない。ドア横に立つ

<名古屋>
 
 乗ってきた5716M。最後尾のクモハ211−5020
 乗りたい特急まであまり余裕が無いので急いでJR駅を出て、近鉄乗場へ

 折り返し米野へ回送される、名阪ノンストップのアーバンライナーplus。更新されてから乗ってないな
 
 5番線には初見の「しまかぜ」こと50000系が停車中
 早目に多治見を発ったので、ぎりぎりのタイミングで見ることが出来た

 鳥羽方先頭

 間近で見ると結構複雑な正面形している

 中間車でも眺望を考慮した大型窓のサロンや個室、ダブルデッカーなど多彩な客室装備
 観光特急として鳴り物入りで登場しただけあり、人気も上々。乗客も、そうでない人もたくさんカメラを向けていた。いつかは乗って見たいね

 アーバンの続行でやってきた松阪発の特急。これが折り返し乗車列車になるのかと思いきや、これも米野に回送されてゆく

 入替りに回送されてきた大阪難波行特急。名古屋口では基本的に米野に回送して整備するんだな、きっと

  近鉄名古屋→近鉄四日市:12200系 10:30発 特急「大阪難波」

 スナックカー久しぶり。少しずつ、でも確実に数は減っているから・・・・・・
<四日市>

 三重県にまで足を伸ばしてしまった

 退避していた普通電車に乗り込む。1111ピンゾロだ!!

× 近鉄四日市→伊勢若松:1111 11:01発 普通「津新町」

 1010系は1972年に京都線の輸送力増強を目的として製造された釣り掛け駆動の920系がその前身。1982年から駆動方式をカルダン駆動に、抵抗制御から界磁位相制御に変更され冷房まで搭載されたことで1000系の続形式とされた
 電動機は廃車となったビスタカー10100系から譲り受けたもので出力増強がされている

 一番後ろでのんびり各駅停車の旅。その内心、急行に追い越しされないかヒヤヒヤしながら伊勢若松へ
 直ぐの連絡で鈴鹿線電車に飛び乗る

  伊勢若松→平田町:2000系 11:20発 普通「平田町」

 田んぼの中、住宅街をとことこ10分ほど走って

 終点平田町に到着
 鈴鹿線全線完乗につき、近畿日本鉄道も全線完乗。おめでとう!長かったねw何年か前の生駒の鋼索線以来だからね

 棒線終端駅の平田町。乗ってきた2012を撮る。折り返し時間余りないので慌しい。これを逃すと縛らなく電車は無いローカル支線
 この2000系も一部10100系からの機器流用がある

  平田町→伊勢若松:2000 11:35発 普通「伊勢若松」

 乗ってきた電車で伊勢若松へ戻る

 降りて伊勢若松の駅名標を撮りながら正面の名古屋行普通に乗り込む

  伊勢若松→近鉄四日市:形式不明 11:47発 普通「近鉄名古屋」
  近鉄四日市→近鉄名古屋:12200系 12:08発 特急「近鉄名古屋」

 ホームの券売機で特急券買って慌てて乗り込む。もう乗り継ぎもタイトすぎて・・・・・・

 もう直前の購入だし、券売機任せだから仕方ないんだけど、発見された指定席が通路側だったのと、混んでて隣に人がいるのも嫌だったので名古屋まで30分をデッキで過ごすことに
 スナックカーのデッキって冷房利かないのな・・・・・・クソ暑いし熱中症になるよ・・・・・・

 てことで、帰りもスナックカーであった

 再びJRで

 313系の大量増備で普通列車用に成り下がった感のある311系G13編成の豊橋方はクモハ311−13

  名古屋→枇杷島:クモハ311−13 12:50発 3129F 普通「岐阜」

<枇杷島>

 初めて降りる駅だ。目指す城北線乗り場はノーラッチでそのまま繋がっている

 ぽつねんと停車してたキハ11に乗り込む。それまでの鋼製200番台から、ステンレスの300番台に最近変わったらしい

  枇杷島→勝川:キハ11 301 12:59発 121H 普通「勝川」

 連休中だけあって、乗り鉄風の人も見掛ける。でも乗客は少ない
<勝川>
 
 勝川に到着。少ない乗客はあっという間に散ってしまった

 奥に見えるのが中央本線。211系が我関せずと突っ走ってゆく

 ホーム終端部に「↑JR中央線のりば」の看板があるが、その先、見通し距離に駅は見受けられない。これが城北線の現状であり、利用客が増えない主原因であろう
 東海交通事業城北線はその前身が国鉄瀬戸線計画の一部にある。改正鉄道敷設法の「瀬戸より稲沢に至る路線」としてあげられ、東海道本線と中央本線をバイパスする路線として計画された
 1960年代になり、国鉄の輸送力が逼迫してくると複々線化計画の進まない名古屋地区において、足の遅い貨物列車を効率よく運行する路線、方法の整備が望まれた。名古屋での貨物ターミナルである笹島(現あおなみ線沿い)には東海道本線大阪方面からしか直通出来ず、東海道本線東京方面ないし中央本線からは一旦名古屋駅を通過し、折り返しさらにもう一度名古屋駅を通過しないと入線出来ない構造であった
 旅客列車運行の阻害になり、機関車付け替えの手間も増える。これらを解消するために計画されたのが「瀬戸線」である。同時期に建設がされていた岡崎〜多治見間の岡多線(現在の愛知環状鉄道)瀬戸市付近から高蔵寺を経て、中央本線に合流のち勝川から枇杷島に至る路線をもって名古屋駅をバイパスし貨物列車の直行の便を図ろうとするものだった
 しかしながら、モータリーゼーションの進展に伴い、貨物列車の運行頻度が低下し、また国鉄の財政悪化も相まって工事は凍結。中央本線の高蔵寺〜勝川間の複々線化も進展しない状況でこれら貨物線は計画が白紙化。優先度合いの高さから建設の始まっていた勝川〜小田井〜枇杷島間のみが完成したが、この路線が貨物列車用に供されることはなく、勝川駅付近の工事が中断している関係で勝川駅にも乗り入れが出来ない中途半端なまま半完成となった。結局、JR東海が事業を継承し1991年に部分開業、1993年に全通させ第三セクター方式で旅客運行が開始された。しかし開業後10年以上が経過したが勝川駅乗り入れを果たせないままで、今も旅客収支は向上しないで大都市のローカル路線と成り下がっているのである

 書いてはいないが、中央線勝川駅はこの先500mも向こうである。乗換えには10分を要する
 本来、ここには駅は存在せず、駅の設備がある部分は下り線が敷設されるべき路盤上にある

 幻の下り線上が通路になっており、研修庫のある引き上げ線を見ながら進むことが出来る。ここまでくると中央線の高架がだいぶ近付いてきているのがわかる

 先月、6月半ばに出場してきたばかりの302は窓周りが200番台よろしくオレンジに塗られており、乗ってきた301とはデザインが異なる

 中央本線との合流部分。もうあと少しのところで高架橋は繋がっていない
 橋脚の構造や城北線の高架線との位置関係を見ると中央線に左からそのまま合流しそうだが、中央線勝川駅は中央2線に城北線の乗り入れ対応工事がなされている。下をくぐってゆくのか、それとも中央線下り線と平面交差させるつもりだったのか。下り列車のみそのまま中央本線に乗り入れできる構造にするつもりだったかもしれない

 合流手前で途切れた城北線の高架橋。繋がる日は・・・・・・来るのだろうか???
 何はともあれ、運転本数が少なくちょっとめんどくさい城北線も完乗


 急ぎ足で勝川駅になんとか辿り着いた。この多治見行逃すとちょっと時間開いちゃうからね
 ここまで来ちゃうと他の未乗線区乗り潰しは厳しいので、ちょっと長年気になっていて中々いけないところに行ってみようと思う

  勝川→定光寺:クハ313−1303 13:27発 3629M 普通「多治見」

 高蔵寺を過ぎると平野部が終わり、中央本線は玉野川(下流で庄内川になる)の渓谷地帯に分け入ってゆく。ここから多治見までの区間は渓谷沿いの隘路だった区間で、現在でこそ長大トンネルで直線的に抜けているがかつては曲がりくねった見通しの悪い区間であった
 その最初の停車駅、定光寺駅に降りてみた

<定光寺>
 
 直ぐ真下は玉野川。崖に張り付くようにS字の細い対向式ホームがある

 曲がりくねって細長いので、監視用モニターも縦長で3連

 発車しトンネルに突っ込んでゆく乗ってきた3629M

 振り返る直ぐ後ろもトンネル。トンネルとトンネルの間で川に面した崖に張り付いており、無理くり駅を作ったような構造

 現在線の複線トンネルの左に単線の旧線トンネルが口を開けている
 1919年に玉野信号所として開設され、定光寺仮乗降場から定光寺駅に昇格し、1966年の線路付け替えまで左の旧線が使用されていた

 周囲は風光明媚で紅葉のスポット、ハイキングのコースなどになっており、今も営業を続ける旅館がある反面、駅の直ぐ横にあった有名旅館千歳楼は2003年に廃業して久しい。1928年に開業し一時は多数の宿泊客を集めたが、愛知万博での旅客誘致に失敗してから経営者が逃亡し放置されたあげく心霊スポットとしていつしか有名に。追い討ちをかけるように不審火や白骨死体が発見されたりと今は廃墟も完全封鎖されそのまま建物だけが残されている。再建するにしても営業再開しても観光客は見込めないし、壊すにも金は掛かるしでそのままなんだろうね
 営業していれば今回の旅行で泊まってみたかったな。昔から気になる旅館だった

 電車がいないとうねる細長いホームがひときわ目立つ

 下り線側の待合室兼駅舎・・・・・・駅舎?

 逆(多治見方)の先端まで来てみた。こんな山の中にこんな長編成対応のホームがあるのも不思議な眺め

 片側は崖に張り付いているので、ただ1つの構内通路は崖をくりぬいて反対側へと延びている

 結構奥まで掘ってあるな

 穴倉みたいな駅だ。ちょっと怖い。じめじめしてるし

 ここが駅の入口。正面に進むと多治見方面ホーム。左へ階段を上がると名古屋方面。簡易型のICカードリーダーが設置されている

 改札(?)口は側道よりも高い橋の上に設置されており、下を生活道路が走っている。多治見側は何も無い。舗装道路も写真奥の方に見える堰のところで終わっているようだ

 高蔵寺方。ずっと先に千歳楼の建物が見える。いくらか住宅もある、駐車場の車は新しいものばかりなので住民が普通に生活しているのだろう。川べりに住宅が犇いており、駐車場が作れないのでここにまとめているのかな

 名古屋行普通電車。概ね30分ごとくらいに普通列車があり、さらに30分ごとくらいに当駅通過の快速列車があるので、さすがに本線の駅
 この角度だと、特徴的な片持ち複線架線柱が良くわかる

 211系並んだ!

 そろそろ定光寺を脱出列車の接近時刻だが、それよりはちょっと早いな?と油断していたら名古屋ターミナル発北長野行貨物83レであった

 トンネルに突っ込んでゆくコンテナ列車。最近、中央西線の貨物は一部が単機牽引になったと聞いたが、これがそうだったか・・・・・・
 でも、こんなんくるなら下りホームの先っぽで待ってりゃよかったな

  定光寺→古虎渓:クモハ211−5007 14:04発 3631M 普通「多治見」


 長いトンネルを抜けると古虎渓駅

 乗ってきた3631M
 
 古虎渓も降りてみたかった駅の1つ。山の中には変わりないが、隣の定光寺よりは開けているし、きちんとした駅がある
 何年か前のイベント帰りに、この駅前を通って湯倉くんと奥地の諏訪神社に立ち寄ったことがある

 名所案内に駅名由来の古虎渓しかない・・・・・・
 そんな古虎渓駅でも3連休とあってか委託の職員さんがいて、切符の販売をしていた。ここは多治見駅管轄の簡易委託駅になっている

 名古屋方先端付近からホームを見る。ほぼ直線の駅だが、多治見方で左へカーブしている

 定光寺方のトンネル。さっきの走行中の写真ははこのトンネルの中から撮った。右側に保線基地がある

 下り線から左へ別れてゆくのが川沿いの旧線。一部は保線車輌留置用に残されているようだ
 定光寺駅と同様に、1966年の複線化によってここもルート変更がされている

 1012Mしなの12号を撮影して、次の電車で多治見に帰ろう

  古虎渓→多治見:クモハ211−5620 14:46発 3633M 普通「多治見」

 
 多治見に到着。乗ってきたクモハ211−5620。今日は211系にたくさん乗った

 14時54分発635C普通美濃太田行。キハ75はこんなところにまで追いやられていたか・・・・・・

 コキが荷扱いしてるな、と思って先の方を見たらEF64がくっついてた。1022号機だ。ラッキー♪

 1022号機をアップで。調べたら撮ったこと無い号機だった

 64の脇を駆け抜けてゆく太多線635C。そして何より、64の前照灯が点いたな

 点検を始めた。入換始めそうだ。ちょっと待っててみよう

 荷役線が短いのか、こんなにうねって停まっている

 側線は1つ撤去されているが、ポイントは撤去されていない。なんか不安定なところに停めるのはいやだなぁw

 空のコキにコンテナを積むのに位置を変えるようだ。スイッチャーが居ないのか、こうした小移動も本務機が行っている

 推進で後ろを睨みながら進む

 手にしているのは無線機かな?誘導員の指示、無線での呼びかけに神経集中させないといけない上に、こんな大型機関車後退させるんだからテクニック要るよな

 所定の位置に据え付けられたようだ。コンテナ搭載作業が再開される。ローダー車が走り回れる部分が荷役線の一部にしかないんだな、ここは
 夕方には名古屋ターミナル行1652レになるが、この駅、名古屋方に直接出入出来るポイントが無い上に、駅の中津川方に引き上げがあるがどう見ても支障しそうな位置に踏切がある。どうやって荷役線に入れてるのかと思ったら、名古屋方から来た列車は多治見駅で一旦停止後、踏切閉め切ったまま引き上げ線に入れて推進で荷役線に入れていた
 荷役線に押し込んだ後、機関車を名古屋方に付け替えてさっきの最初の写真の状態になるんだろう。多分、荷扱い終了後は推進で引き上げ線に入れて、本線に向けて出発していくんだな
<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/VY02D3gJZj4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 こんな動画をあげてらっしゃる方がいらっしゃいました。短時間とはいえ、踏切は閉まりっぱなし


 車は駅の直ぐ南側の駐車場に停めたのだが、その南西側に不自然なデルタ地帯が残っている
 概ね、駐車場化されているが、ここがかつての東濃鉄道笠原線新多治見駅跡である

 南へゆるくカーブしてゆく廃線跡。この先、土岐川を渡って郊外の笠原駅まで4.6キロを結んだ非電化路線だったが、旅客数減少から1971年に旅客営業を廃止し、貨物専業となった
 東濃鉄道は他に中央本線土岐市駅から東駄知までを結ぶ駄知線も有していたが、1972年の水害で橋梁が流出し営業休止のまま1974年に廃止。笠原線は貨物営業を続けていたがこちらも1978年に廃止となり、東濃鉄道は鉄道営業を全て廃止し、以後社名はそのままバス事業会社となっている

 センターに戻ってきた

 女子高生×陶芸。「やくならマグカップも」りゃくして「やくも」。年4回フリーペーパーコミックを配ってるらしい。東京でも入手できるって、どこに置いてあんだろ??
 イベント終了後の嫁さん収容&おバクネキを市内のホテルまで送迎・・・・・・したら昨日泊まったホテルだったw
 我々は今日は別の宿なので、給油後、土岐南多治見ICから高速へ。豊田藤岡ICで降りて、直ぐに中山ICから猿投グリーンロードにまた直ぐに枝下ICで降りてから県道11号線を北上。20分ほど走ると山間の笹戸温泉に到着

 昨夜も温泉だったが、今夜も温泉だ!笹戸温泉には幾つかの湯治場と宿があるが、今夜は紫翆閣とうふやさんにお世話になります
 笹戸温泉は愛知県下最古の温泉場で、発見されたのは室町時代と言われている。600年あまりの歴史があり、奥矢作温泉郷ではもっとも大きな温泉街となっている
 名古屋周辺や愛知県下、特に瀬戸や豊田辺りでは有名な温泉は余り聞かないので、アクセスが良い温泉宿としては貴重な存在だと思う

 ひろびろ和室

 正面は矢作川の川面。人家や人工物が少なくて安らぐ
 一息ついたら温泉浴場に行こう♪

 晩飯は肉だ。しゃぶしゃぶだ!牛も豚もある。チラシ寿司もある!

 しゃぶしゃぶ鍋の真ん中に鉄板も載っていて、焼肉も出来るぞ!!

 焼き川魚
 肉から魚まで堪能じゃ♪


<7/18>


 昨日以上に良い天気♪

 朝風呂浴びて、朝ごはん食べて出掛けるよ〜

 昨日走ってきた道をそのまま戻り、枝下ICから西へ。猿投グリーンロードを八草まで進み、リニモの高架下を芸大通まで

 やってきたのはトヨタ博物館。トヨタ車だけではなく、国内外の名車を収蔵した自動車博物館で一度来て見たかった

 エントランスにはピカピカのトヨダAA型。これはトヨダAA型の復元車だそうだ

 初期の「自動車」は自転車にエンジンを載せたもの。ヨーロッパでは低廉手軽で人気を博した

 ロールスロイス・シルバーゴースト。ロールスロイス最高傑作といわれている。試作車はシルバーで幽霊のように静かに走ったことからこの名前が付いたそうだ

 クラシックカー達

 イスパノ・スイザK6。フランスの高級自動車メーカーイスパノ・スイザの最終モデル
 イスパノ・スイザはヨーロッパの一流コーチビルダー(当時はまだ馬車の客室「コーチ」を製作するメーカーがあった)がボディを作り架装するのが常識であったが、この固体は佐賀の鍋島家13代当主がシャシーを発注し、日本人のデザイナーの手によってボディが架装された珍しい固体である

 東京自動車製造「筑波号」1935年から3年間3車種(セダン、幌型=オープン、トラック)合計130台が製造された。国内自動車黎明期の1台だ

 速度の向上にはエンジンや走行装置の改良だけでは成し遂げられない。まだまだ技術黎明期、空力を駆使してその速度向上を補おうとした
 流線型ブームの興りである

 やはり注目すべきはのシルバーに輝く列車であろう。

 バーリントン・ゼファー。ディーゼルエンジン駆動、最高速度180キロを誇った、米国旅客輸送の救世主である

 後部には展望車も付いている。バーリントン鉄道ではこれらのステンレス製客車を使用して高速旅客輸送を行った
 ゼファーには何種類かあるが、寝台車を備えたものまであったといわれている

 プジョー402

 グリルの中にヘッドライトが隠れているおもしろいデザイン

 タッカー48年式。ヘリコプター用水平対向エンジンを後部に搭載。3灯ヘッドライトが珍しい

 トヨペットSA型。トヨタ初の小型乗用車

 ウインカーは灯火式ではなく、バーが「パタン」と出てくる方式。これはタイラップで結ばれているね

 トヨペットクラウン

 観音開き!

 相変わらずのほほんとした表情のフジ・キャビン

 ダットサン・フェアレディ。形式SP310

 そう、3座クーペの初期モデルだ。後席は珍しい横向き座席

 フェアレディ、S500、ヨタハチ。日本の自動車黎明期のスポーツカーたち。素敵♪

 初代シルビア。独特なエッジが効いてる

 一角には自動車が出来るまでのミニチュア展示がされている。車はセリカST185。リトラヘッドの最後のセリカだ
 
 1、アイデアスケッチ。2は縮尺クレイモデル。まだまだ模型自動車
 
 3、次にフルサイズのクレイモデルを作成。4、あわせてグリルやらランプやらの外装デザイン
 
 5、室内のデザインモックアップ

 6、ここまで作りこんで、デザインの突き詰めと製品化の可否を決めるんだろうね
 
 7、デザインが煮詰まってくると、製造に際してのCADデータの構築をする。9、試作車の製作
 ところでこれ、「8」が無いんだけど???この間の行程で8ってなんだろう。下請けへの発注とかかな?それともエンジン関連かな?
 8として、クレイモデルの機械加工ってのが、プレートだけ置かれてた時期があるみたいだ

 10、カラーデザイン検討

 11、実車の走行テストを繰り返し、フィードバックして改良

 12、完成し、市販化されてゆく

 トヨタ・ソアラ。初代はカッコイイ

 2000GT。もう言わずもがな

 受注生産で500台限定販売されたレクサスLFAのプロトタイプ。さすがに全世界500台だけあって、公道を走っている姿は未だに見たことが無い

 別棟での企画は「はたらく自動車」展

 子供たちにはこちらの方が人気

 はたらく自動車展の奥ではまた別の企画。でもこれ、常設なのかな?
 昭和の車と世の中の関係の展示

 FH24型トラックベースの消防車

 人が乗って移動できるようになる前の消防車。手押しのポンプ車。地方なんかに行くと、軒先にまだそのまま残ってたりする

 火の用心ポスター

 ホンダ・カブF"白いタンクに赤いエンジン”のキャッチフレーズで好評を博した。自転車にエンジンを積んだ最初期の「カブ」

 トヨエーストラック。なんかそのまま走ってても不思議無いよな。実用性と低価格を追求し、トラックの国民車と呼ばれ、トラックが3輪から4輪に変わるきっかけともなった名車

 当時の日用品とか家電

 マツダ三輪トラック。2トン積み

 バイク見たいなパッケージングだけど、シフトはゲートがきってある手動変速。助手席もいちおう付いてるw

 カメラがたくさんある。二眼レフとか

 トヨペットマスター・ライトバン。車屋さんみたい

 コロナ・ピックアップ。赤いのはガソリン給油機

 マツダキャロル。当時のおもちゃとか

 助手席にバスケット、グリコのキャラメル♪

 クリフカットってやつな

 初代カリーナ。足の良い奴

 セリカLB。2000ccモデルはボディデザインがちょっと違う

 屋外のバス駐車場の片隅に鎮座していた近未来的デザインのバス
 トヨタIMTSバス「Intelligent Multimode Transit System」の略

 専用道は無人で自動運転、隊列運転を行う。通常のタイヤの前後にガイド用のタイヤが付いている
 一般道では手動運転を行うと言う、つまりはガイドウェイバスなのだが、それをさらに進化させたものであろう

 2005年の愛知万博で会場内輸送に従事した。これ、動態なんだろうか?
 トヨタ博物館も定期的に展示車輌変わったり企画展をやっているのでまた来たいね♪

 トヨタ博物館を辞し、帰途につく
 さっさと高速乗って帰ろうかとも思ったがが、寄り道しながらのんびり帰ることにした

 時間に余裕もあったので、名鉄三河線、三河広瀬駅に立ち寄ってみた

 と言っても、

 ご覧のように廃線跡の駅である

 三河広瀬の次は終点西中金。川沿いの線路は夏草で遥として知れず・・・・・・

 しかし、遠くを見れば、鬱蒼とした木立の中に線路は続いていた

 駅は矢作川の段丘の上にあり、直ぐ下に川面を見ることが出来る
 近くには鮎の掴み獲りが出来る「広瀬ヤナ」があり、現役当時は観光客で賑わったであろう
 ちょっと・・・・・・いや、だいぶマイナーなんだけど、「釣りバカ日誌」の作画で知られる北見けんいち先生の作品に「焼けあとの元気くん」という漫画があった。1983年から2008年まで中日新聞のサンデー版で連載されていた漫画で、そのタイトルどおり「初期」は終戦間際の少年を主人公とした漫画であった
 その作中で、夏休みに東京から愛知に旅行に出かける話があったのだが、そこに登場したのがこの三河広瀬駅であり、広瀬のヤナだった。うきはが読んでいたのは連載されていた当時であったから、まだこの路線がバリバリ現役だった時代だ
 その頃から、そうゆう駅が名鉄の末端部にはあるんだ、っていう知識が植えつけられていたので、今回の来訪は初めての土地なのにちょっと懐かしく思えた

 ホームは島式だが、晩年は直線化され、交換設備は撤去されていた。さらに左に貨物扱いのホームも残る
 パットゴルフのコースになっているようだ

 駅名標。左は終点西中金。右は枝下
 枝下、三河御船、猿投と続く。猿投から西中金間8.6キロが廃止されたのは2004年の4月のことだった。このとき、海線と言われた三河線の吉良吉田〜碧南間も同時に廃止されている。どちらも電車運転をやめて、まだ真新しいLEカーが走っていた路線だった
 吉良吉田〜碧南の間は乗っていたし、その前に廃止になっていた閑散線区の八百津線や谷汲線、揖斐線は乗りに来たのだが、ここだけは手が出せずにとうとう廃線になってしまった

 交換設備跡と貨物ホーム

 本線上からホームを見る。晩年はキハ30が単行で、周辺は紅葉の名所だったので多客期には2両で走った

 枝下方面を見る

 少し枝下方面に歩く
 廃止後干支一回りが過ぎたが綺麗に残っている。現役の非電化私鉄だと言っても差し支えないような

 振り返る 焼けた線路 覆う 入道雲 形を変えても

 夏の廃駅は人気もなくひっそりと佇んでいた

 三河広瀬駅とSA22C記念写真w

 三河広瀬を堪能した後、車は再び昨日の宿泊地、笹戸温泉を目指す。もちろん、宿に戻るわけではなく、そのまま奥へ奥へと進んで行く
 途中狭隘路もあったが、明智へ抜け、さらに恵那へと抜けると中山道に合流する

 阿寺渓谷入口。晴天の木曽路。何度も車で走っているけど、この辺で雨に降られたこと全然ないな。怪しかったことはあるけど・・・
 でも、木曽路って霧雨にけぶっているイメージがある不思議

 山の緑と空の青、入道雲いいね、夏だね
 連休最終日なので交通量は多いが、中山道はいつも比較的流れが良くて良い
 上松、福島、薮原と越えて、奈良井宿までやってきた。さすがに観光客も多くて、駐車場探すの苦労したけど、何とか駐車。駐車場の片隅で・・・・・・

 お!サカイとB型客車だ!!

 運材台車も従えて鎮座しているぞ!
 2013年に移設されて展示が開始されたようだ

 木製のB型客車。木曽森林鉄道王滝営林署所属、助六No5。うぐい川線で活躍していたのかな?

 サカイは5tDL95号機
 2013年にこっちに移設したということは、3年間はこのままなわけだから、もう少し手入れをしてもらいたいな。雨ざらしじゃ朽ちちゃうよ

 2012年に来たときにはビニールシートに包まれて中央線の線路脇に置かれていた一連の車輌たち

 サカイとB型客車。運材台車2台と連結位置まで一緒で、現在はそのまま移動させてきた感じ
 当時はどんな姿でどんな有様だったのか良くわからなかった

 SKWのエンブレムが光る95号機
 各種車輌に合わせて、連結器の高さを調節するため、スリットがたくさん付いている

 かつて、サカイたちがあったと思しきところには、真新しい茶屋が出来ていて、土産物におかしにと観光客が群がっていた

 林鉄車輌を堪能した後は塩尻から中央道で勝沼まで。大月付近で大渋滞してたので一般道経由で帰宅。名古屋から殆ど下道だったなぁ

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