紅秋三都紀行


 お題目は用意したが、そんなに・・・・・・というか、全然紅葉なんてしてなかった関西紀行である
 途中でデータが飛んだので一部情報に欠損があることをお詫び申し上げる・・・・・・


 事前準備で都合13枚乗車券を手配して旅行に備えるw

<2016/10/29>

 久方ぶりに東京駅から新幹線を手配してみた。往復共に新幹線、陸路での西行である
 東京駅から午前中の新幹線に乗るには避けて通れないのが首都圏のラッシュである。10時台後半の東京発列車を指定したものの、自宅から出るとラッシュの余波に引っ掛かる。そうゆうときはこれである

  八王子→東京:モハE257−105 9:19発 5004M 特急かいじ104「東京」 3号車12C 普通車指定席

 東京まで直通する列車なのでなお良い
 列車は新宿で殆どの客を吐き出し、東京駅には定刻到着
<東京>
 行楽シーズンの土曜日なので混雑している。駅弁買うにも一苦労
 新幹線連絡口の改札ではあき竹城さんを見掛ける。と、いうか、改札口では直ぐ後ろを続けて通過した。東京は芸能人いて凄いなwww

 乗車列車は折り返しのぞみ107号広島行。車内清掃整備中。最近は東海道新幹線の長距離利用はしないうえ、のぞみを避ける嫌いがあるので、700Aは初めて乗るかも知れぬ・・・・・・いや、こないだひかりで乗ったか?新横浜から・・・・・・

  東京→京都:776−???? 10:50発 107A のぞみ107「広島」 9号車11C グリーン車指定席

 33発のひかり509号新大阪行きは外国人観光客で大混雑していた。彼らのもっているジャパンレイルパスは「のぞみ」には乗れないため専らひかり号の指定席を目指す。のぞみは正規運賃が必要だが、これはこれで混んでいるので、今回は安楽を求めてグリーンを奮発した

 グリーン♪博多行は混むので、中途半端そうな広島行を狙ったがそれでも相応に乗車はある。だが、やはり絶対的に静かである

 海鮮丼。カニイクラウマー

 薄曇の京都着。乗換え

 奈良線ホームを通って行く。停車中の奈良行クハ103−251。103系見掛ける機会がめっきり減った
 山陰線ホームに降りると、新幹線ホームを東に向けてドクターイエローが通過。目の前の0番線をトワイライト色に塗られたEF65 1124号機が12系客車を牽いて上って行くなど見かけても写真撮る暇も無かった
 12系はSL琵琶湖の送り込みかな?

  京都→馬堀:クモハ223−55?? 13:37発 247M 普通「園部」

 221系4連と223系2連の6連。山陰線も京都口では113、115系は殆ど見掛けなくなった
 223系も5500番台は車端部がロングシートになっているんだな
 流石に観光客が多い。二条、太秦、嵯峨辺りで降りてゆくかと思ったが、そうでも無さそうだ・・・・・・
<馬堀>
 殆どここで降りた・・・・・・
 乗車券は経費削減のために往復割引を効かせたが、翌日神戸まで使うために神戸市内までの往復を作成。京都〜馬堀間は経路外で清算が必要。一方、嫁さん使用の一枚は馬堀の先、山陰線日吉までの往復にし往復割引適用としてある。実際は行かないし、帰りは京都から使用するがそれでも単純に京都市内まで往復したり、馬堀まで作るよりも安く上がる
 なお、今回作るまで山陰線に日吉駅があることを知らなかった。日吉と言えば東急東横線のイメージだが、それもそのはずで1996年まで殿田駅を名乗っていたのだから印象が薄いわけだ

 一緒に降りた人々と共に、ぞろぞろ京都方面に線路伝いに歩く

 アクセス駅の馬堀よりも圧倒的に立派なトロッコ亀山駅に到着。みんな目的地はここで、ここからの列車が最終目的だ
 馬堀駅からは徒歩10分ほどであるが、「亀岡」に惑わされて山陰線亀岡まで行ってしまうと、当駅からは3キロ近くも離れたところに降り立ってしまう。駅は確かに亀岡市内にあるのだが、ちょっと紛らわしく、知らなければ間違えてしまう。亀岡側から乗車の際はアクセスをきちんと調べておかないと大変なことになる
 もっとも、駅前には広大な駐車場があり、見通しの良いホームから見ていると狭い町道を大型の観光バスが行ったり来たりしているので、大方の観光客は支障ないのだろう。特にインバウンドのツアー客なんかはバスで直接乗り付けるのだから
 駅前には京阪京都バスが乗り入れており、保津川下りの乗船場までバスで移動が出来る。ただし、このバスは乗船場までの片方向運行のみで、トロッコ列車で嵯峨嵐山方面から来た客を保津川下りで嵐山方面に回遊させるための手段として使われることが前提の路線である。事実、保津川下りの運休日にはこのバスも運休となるようだ
 1991年の開業当初はホームだけの駅だったが翌年には駅舎が完成。駅舎内は売店や食堂が併設されており乗降客で賑わっている

 ホームに上がると狸の置物が出迎えてくれた。時期柄ハロウィン衣装wなにか縁があるのかと思ったがそうでもないらしい。信楽焼きの狸である

 丸太で組まれた駅名標

 ホームから見た馬堀の郷・・・・・・なんも無いな
 そんなわけで、嵯峨野観光鉄道に乗って京都へと戻るよ

  トロッコ亀岡→トロッコ嵯峨:SK200−1 14:35 嵯峨野観光12「トロッコ嵯峨」 1号車6D

 短笛一声出発。実はこうゆう観光列車は初めてだ。貨車改造の奴
 種車は1966年から76年にかけて大型無蓋車(屋根無しの貨車)トキ15000の代替目的で4500両が製造されたトキ25000である。80年代以降貨物輸送衰退と輸送方式のコンテナ化により、JRには800両が移行されたが現在では特定品目輸送用に少数が残るのみとなった
 屋根はついてて完全に密閉された車体が載せられているが、「トロッコ」を謳うだけあり座席は木製で、種車からそのまま流用された板バネのTR209台車なので乗り心地はゴツゴツしていて良くない。マニア的にはこれで良いんだけどもw

 山陰線が爆走するトロッコ亀岡を出ると直ぐに保津川の流れに沿って峡谷へと入り込んでゆく
 嵯峨野観光鉄道はかつて、保津川沿いと縫うように走っていた非電化時代の山陰本線の線路をそのまま観光用に転用したものである。輸送力増強と高速化を目的に1989年に山陰線京都口が電化、また一部複線化された際に嵯峨から馬堀までが新線に切り替えられた。この時放棄された川沿いの旧線を1991年に再度旅客線化、別運営の嵯峨野観光鉄道として風光明媚な旧線を楽しんでもらおうとトロッコ列車を運行開始したものである
 現在は専用のDE10が嵯峨嵐山方に動力として連結され、5両の無蓋貨車改造のトロッコ車輌をもって往復運転がされている。動力となるDE10は嵯峨嵐山方にのみ連結されているので、トロッコ亀岡方面に向かう列車は先頭の1号車SK200型に設置された運転台で遠隔制御される。実態はDE10による推進運転と言う形だ

 風光明媚な保津川の流れに沿って進む
 トロッコ列車運行も最初は懐疑的で、話題になるのも物珍しさが手伝う開業数年がいいところだろうと当初は言われていた。しかし、嬉しい誤算か開業四半世紀経つ今では行楽シーズンを中心に人気が根強く。特に桜や紅葉シーズンは指定が取り難いほどの人気が続く

 少しだけの照明でより自然光のもと景色を楽しんでもらいたいという配慮が見える。見ての通りに車体は薄い作りなので騒音振動はそれなりだ

 複線電化された現在線の下をくぐる。さっきあそこからこの線路を眺めた。現在線は高速化を目的としているため、長大トンネル群でこの山間部を直線的に突き抜けるように走っている。眺望は効かなくなり、旅の楽しみは激減した区間であろう

 先ほどの現在線の鉄橋がおくに見える。こんな風に川に沿って走るので、旧線は随分長い距離を走ることになる。もう少し遅い時期なら紅葉も見れたのだろうが、まだまだ全然色付きは始まっていない

 トロッコ保津峡駅に到着。山陰本線時代は交換可能駅だったが、現在は棒線駅に変えられている。昔から写真撮影の名所だった駅だ
 現在は下り線をそのまま使用し、上り線があったところにホームが設えている

 トロッコ保津峡を出て鉄橋を渡ると川の流れは進行方向左から右へ。全線通じて、左右どちら側からでも保津川の流れを楽しめるが、どちらかというと上り列車では進行左側の方が長い時間川を見れる気がする。気がするだけで数値的な根拠となるデータは持っていないのだが

 半分トンネルの中のトロッコ嵐山駅に到着。緊急用の通路はあるが、トンネル内なので乗降は出来ず、外に出ている前3両のみ乗降できる。後ろ、亀岡方の2両はドアカットされドアは開かない。嵐山観光へはここからもアクセスが出来る。常寂光寺や天龍寺、嵐山公園などはここから行くと便利

 トロッコ嵐山を出ると現在線に合流。下り本線を逆線運転(通常の使用方向と逆方向に運転する)してトロッコ嵯峨駅まで走る
 複線線路ってのは基本的に片方向のみ信号や踏切検知設備を整えるので、通常速度で日常的な逆方向運転は出来ない構造になっている。しかし、日本国内でも幾つかの区間でこれが出来る構造に整備された箇所があり、その違和感を楽しむことが出来る。通常はすれ違う列車同士が、ここでは同じ方向に併走することも可能なのである
 逆に言うと、ここは複線区間であるにもかかわらず、常に正面衝突が起きる危険が孕んでいる区間でもあるわけで、非常に厳密な信号制御でもって運行が行われているのであろう。これはダイヤ作成のネックになる。トロッコ列車が嵐山から嵯峨に向かう間、山陰本線の園部、亀岡方面行の列車は特急だろうが普通だろうがこの区間に入れないわけだから。理想はトロッコ嵯峨駅までをトロッコ列車専用の線路を作る事だが、用地取得はこれ以上困難であろう。始発駅を山陰線列車運行に支障の無いトロッコ嵐山にするという手もあるが、反対側基点のトロッコ亀岡が馬堀駅隣接で無いという弱点があるので、嵐山側の同様の構造になってしまうとアクセス難から利用者減となる可能性もある。山陰線程度の列車密度であるから、上手いこと下り列車の間に上りトロッコ列車のダイヤを差し込めると言うことで、色々な好条件からこのトロッコ列車が成り立っているのがわかる
<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/mkJGdwOCla0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 こちらの動画辺りを見ていると、結構タイトなダイヤ設定をしている。上り特急が数分遅れれば、併走してトロッコ列車を追い越すシーンなんかもありうるんだろうな
 そうゆう珍しい区間という事もあって、トロッコ亀岡発の列車を選んだと言うことである

 25分ほどでトロッコ嵯峨駅に到着。車内はこんな感じの木製ベンチシート。1〜4号車は同じ構造で窓もついているが、当日券のみ販売の5号車はオープンデッキ車輌だそうだ

 乗車したSK200−1

 もう鉄道むすめ追っかけなくなって久しいので、こんな観光鉄道にまでキャラが居るとか知らなんだ。嵯峨ほづきちゃん、結構かわいいわ♪
 以前ほど情報集めたりしなくなったけど、それに反するようにこうゆう公の場にキャラを出してくることが多くなった気がするな。最近
 あと、なんで綾波いんの?

 トロッコ嵯峨駅。隣の山陰線嵯峨嵐山駅よりも立派。起点、終点、中間駅共にトロッコ列車は完全に別に営業されている。乗換えのさえは改札口を出て乗り換える形になっているが、運転扱い上は同一駅とされており、トロッコ嵯峨駅ホームは嵯峨嵐山駅5番線とされている
 駅舎は19世紀の様々な遺産展示がされている「19世紀ホール」と繋がっており、国内最大級の鉄道模型ジオラマなんかもあったりするが休日で混んでてパス

 外においてあるデゴイチだけ見に来た。ちらっと写っているけど、外国人団体がひな壇作って記念撮影している程度には外も人がいっぱい

 D51 51号機。1937年川崎製。初配置は吹田で、以降姫路、福知山、吹田第一と西日本で活躍し、1969年に廃車になった

 同機の特徴は初期型に見られるボイラー上の砂箱と煙突の間に給水暖め器を設置しそれらを長いキセで覆った「半流線形形」、略して「半流形」等と呼ばれているが、ファンには「ナメクジ」の方が有名であろう
 D51は総数1115両も製造され、戦時型とはいえ1両1両の走行距離が嵩まず多数が長く運用された結果保存機が多い。このナメクジタイプは初期に95両が製造されたに過ぎず、全体数の10%に満たない数だが、国内保存数178両中18両が保存され、残存率も10%を誇る

 歩いて嵐電嵯峨へ

 駅名標デザインが変わったような気がするけど、気のせいかもしれない

 直前で1本行ってしまったのでしばし電車待ち。嵐山行26号先頭の2連がやってきた

 車体は新しく綺麗だけど、台車は旧型流用のイコライザー台車。川崎BWE12型。種車のモボ121から流用されている
 路面電車等低床車用の台車としては川崎では唯一のイコライザータイプである

  嵐電嵯峨→嵐電天神川:26 15:21発 「四条大宮」

 車内は流石に混み合っている。モボ21は久々に乗った。比較的最近の製造だったと思ったが、調べたら1994年に製造されているので、すでに20年以上走っている。台車に至ってはモボ121製造時に造られたとすると80年が経過している・・・・・・
 いや、でも良い音してんだわ♪

 去ってゆく26を後撃ちで
<今回の「地下鉄に乗るっ」シリーズ>

 コラボ4コマ

 とうとう野郎まで出た。野郎は2枚ワンショットで良いやw

 駅メモっての、流行っているらしい

  太秦天神川→二条城前:5606 15:39発 「六地蔵」


 今日の宿は二条城前と烏丸御池の間にあるシャトレーイン京都さまに
 随分前に予約して、その後あれこれ選んだが、結局良好な物件が無く、珍しく当初予定の宿にそのまま泊まったレアケース
 ちょっと休憩して食事を摂りに・・・・・・
 あれ?あそこ、100円ローソンがあったはずだけど・・・・・・あれ?なんか、んー・・・・・・・・・・・・あっ!おお??

 GYOZA O H S H O・・・・・・ギョオザ オホショ・・・・・・・・・・・餃子の王将!?王将なの??このオシャレなやつ??
 2016年3月3日にオープンした
「女性の感性で生まれた寛ぎスペース 伝統の良さを守りつつ 清潔感、ぬくもりを感じる空間
      バルスタイルをイメージした創りで 開放感と賑わい感を演出。 街並みに融け込んだ寛ぎの空間を ご用意しました」
 新しいスタイルの王将
 バルスタイルとは「BAR STYLE」、英語の「バー」から来ており、食堂とバー一緒になったような飲食店のことを指す。スペインやイタリア、南ヨーロッパでは酒場、居酒屋、軽食喫茶のこと
 つまり、バーカウンターのあるオシャレなお酒が飲める王将ってことだ。現在のところ、この烏丸御池店、8月にオープンの阪神芦屋店、唯一の関東店である10月にオープンしたばかりの大宮駅西口店の3店舗のみの展開である

 通常メニューのラーメン炒飯餃子を頼んで、他に店舗オリジナルの「ここだけメニュー」

 「餃子のとろ〜りチーズチリソース」をチョイス
 おいしゅうございました

 温泉ではないけど(温泉は明日)大浴場で一風呂浴びて就寝


<10/30>


 地下鉄で出発

  烏丸御池→東山:5206 9:54発 「六地蔵」

 昨日も乗った編成やで・・・・・・
 嫁さんはみやこめっせでイベントに出るので、東山までお見送り。そのまま烏丸御池までバック

  東山→烏丸御池:5??? 10:12発 「太秦天神川」
  烏丸御池→京都:3??? 10:21発 「竹田」

 近鉄のくるま

  京都→新大阪:787−2026 10:40発 209A のぞみ209「新大阪」 2号車2E 普通車自由席


 さくら553号

 鹿児島中央!!

  新大阪→新神戸:781−7016 10:59発 553A さくら553「鹿児島中央」 デッキ


 自由席混んでるからデッキ
<新神戸>
 
 900km4時間かけて九州の先まで行く列車の最初の1駅15分だけ乗った。新幹線新神戸は初めて使うかな?

× 新神戸→三宮:1614 11:19発 「西神中央」

 神戸市営地下鉄ひっさびさやな。西神・山手線は特に

 
 三宮まで1駅だけ乗車
 1000形の中でも比較的新しい14編成も1985年の竣工なので30年選手。1000形が未だに最大勢力だが、1次車は竣工後40年、2018年には新形式が登場するそうだし、記録しておくに越したことはない
 神戸の地下鉄、って言ったらこの電車のイメージがまだまだ強い

  三ノ宮→ポートターミナル:2??? 11:30発 「神戸空港」


 川崎重工創立120周年記念展に来た!!10月15日から11月3日までなんて、なんてお誂え向けに関西で開催してんだ!!って
 このためだけに今日一日神戸に来る予定に変更したわw
 とはいえ、やはり人気の展示だし日曜だしで外には行列。大型同人誌即売会に比べれば屁でもない数だが、入場制限してて概ね25分ぐらいの待機列だって
 当初の予定では30分ぐらいの折り返し時間で考えていたから、大分早めに来て正解だったわ
 25分て聞いてたけど、5分も待たずに入場できたわ。それでは・・・・・・待望の・・・・・・

 三式戦闘機飛燕!!

 知覧の特攻隊記念館にて展示されていた同機。2010年の冬に出会って以来だ。この頃は増槽付けてたんだな

 それが、いつのまにか川重に引き上げられて、最終的には各務ヶ原で展示されるために徹底的に修復が行われていた

 国内はおろか、世界で唯一の川崎三式戦闘機2型。3000機ほどが製造された三式戦闘機の中でも、後期の能力向上形2型は99機しか「三式」としては完成しなかった
 「首なし飛燕」で有名な三式2型はその殆どが空冷エンジンを搭載して奇跡の最優秀戦闘機と呼ばれた五式戦闘機として完成された

 日本軍機ってのは殆ど残っていなくて、1万機以上生産された零式艦戦ですらあの数なのに、99/3000のそのうちの1機が残っているって凄い奇跡的なこと
 国内の審査部(福生)にあって状態の良好なまま終戦まで残ったのが幸いしたのかな

 三式戦については専用のレポートページを今後作成しよう
 今回のこの修復は「企業が自社の優れた製品を後世に完璧な姿で残すため」の企画作業であって「戦争の悲惨さを忘れないための学習展示向け」ではないことが特筆される
 戦争批判無視して、日本の当時のすばらしい技術と、それがあるからこその現代の日本を考える上での企業姿勢に拍手を送るべきだ。もっとこうした産業遺産の修復保存を企業が率先して積極化して欲しい

 今後、この三式戦闘機は各務ヶ原での公開に向けて更なる修復にかかる
 各務ヶ原の航空博物館は現在リニューアル作業中で、そのオープンの目玉にこの三式戦を据えている。リニューアルオープンは2018年3月予定。神戸での展示が済むと、各務ヶ原に移送され、博物館収蔵庫で胴体、主翼を切り離した状態で仮展示が行われるそうだ。博物館リニューアル後の展示では完成状態での展示になるので、この分割状態が見れるの一時的なものだという。ぜひともそれも見に行ってみたい物だ

 満足して駅に戻る

 ポートターミナルというだけあって、神戸の港が見渡せる

 北側は六甲山地

  ポートターミナル→三ノ宮:2??? 11:58発 「三ノ宮」

 さて、随分早回しで予定をこなしちゃったし、指定席取った列車までまだ時間が随分・・・・・・1時間くらいあるぞ。どうするかなぁ
 ちょっと須磨までオプショナルツアー組んでみるかw

  三ノ宮→高速神戸:5511 12:08発 各停「高速神戸」

<高速神戸>

 青胴車だけど、乗りたかった青胴はこれじゃない

× 高速神戸→山陽須磨;5018 12:17発 直通特急「姫路」

<山陽須磨>

 直通特急なんかは阪神車も多いので、無事に山陽車に当たって何より

 商店街の一角にあるようなこじんまりした山陽須磨駅。国道2号線に面している
 100mも歩けば海沿いのJR須磨駅。繋がってはいないし、隣接しているわけでもないけど、労せず乗換え出来る駅
<JR須磨>

 自由通路から須磨浦海岸をみる南東側

 南西側。泳げるなら・・・・・・ビーチ目の前の便利な駅だw
 
 始発の160B普通列車高槻行207系

 海をバックにした207系

 引きで。こんな海が近い

 EF210−132牽引の高速貨物が駆け抜けていった。遅れていなければ、東京ターミナル発鹿児島ターミナル行高速貨物1071レかな

  須磨→三ノ宮:クハ222−2068 12:41発 768T 快速「米原」

 
 三ノ宮まで乗車のクハ222−2068。新快速が停まらない各駅から拾ってくるのに、6両はつらい・・・・・・

 神戸ターミナルで見かけたEF210−169牽引の高速貨物。鍋島発百済ターミナル行の1086レだろうか

 山陽5000トップナンバー編成が居た

  三ノ宮→京都:HOT7??? 13:02発 56D 特急スーパーはくと6号「京都」 3号車4D


 久々のスーパーはくと。日曜の午後とはいえがらっがら。いくらなんでもこれは・・・・・・とか思ったが、こないだ地震あったしこの時期に鳥取との間に往来は多くないのだろうな

 最近はコンセントついてんだな。助かるわ

 智頭急行にもいんだなぁ・・・・・・宮本えりお・・・・・・ふむふむ
 もう、全推しだよ。これw看板特急列車の車内で一番目に付く妻面にヲタ要素とか
<向日町/吹田総合車両所京都支所(京都総合運転所)>

 DD51。コキに被った・・・・・・

 トークバックに被った!惜しい!!
 国内最後の配給電車クモル145−1015+クル144−15。入換仕業なのでダブルパンタ!
 今は殆どがトラック輸送なので、こうした配給電車はこの向日町に1編成しか残っていない。昔は旧型国電を改造した電車がたくさんあったのだが・・・・・・
<京都>

 京都に到着したスーパーはくと6号

× 京都→石山:クハ222−2070 14:00発 3264M 新快速「近江塩津」

<石山>
 
 石山まで乗車のクハ222−2070。車掌は見習いさんらしく、師匠が一緒に閉扉確認している

  石山駅→神領建部大社:近江鉄道バス 14:20発 「瀬田駅」

 その気になれば歩いてでも行けそうだが、バスに乗る

<建部大社>

 バス停からちょっと奥へ入ると建部大社の参道

 真っ直ぐ行って、90度左へ折れると境内だ

 そうか、七五三シーズンなんだな

 東へ向かって進んできた参道、ここで左折し北へと向きを変える。舗装路から砂利に変わって、いよいよ神域も様相

 右を見ると、唐突にヤマトタケルの神話が始まった。西征、クマソ討伐のくだり

 草薙の剣のくだり

 オトタチバナのくだり

 山の神のくだり

 白鳥伝説・・・・・・
 そういうわけで、主祭神がヤマトタケルなので、ちなんだ伝説がパネルで展示されている

 拝殿から本殿。奥で、本殿と権殿が一間社流造で並んで配される
 本殿にヤマトタケル、権殿にオオナムジ、本殿相殿神はアマテラスオオミカミ
 人は多くないのだが、七五三のお参りの家族連れが散見されて、画角を考えさせられる。ともあれ、一宮参拝終了

 帰りは京阪電車の唐橋前駅まで歩く。距離は700mほどで、往復徒歩でも良かった程度だ

 現在は滋賀県道2号、16号線が走る瀬田の唐橋。瀬田川に掛かる中州を中継とする2連の大橋で、京都の宇治橋、山崎橋と共に日本三名橋の1つとされた
 旧東海道もこの橋を経由し、東から陸路で京都へ入る唯一の交通路であり、江戸時代までは瀬田川にはこの橋以外の架橋を禁じ、膳所藩に保護の任を与えていた
 架橋は古く、神功皇后の時代(西暦で言うと260年ごろ)には既に存在したとされる。もちろん当時は木橋であったであろう。大正期に鉄筋の橋に架け替えられ、現在の橋は1979年に架け替えられたもの

 京都到着前に新幹線から一瞬見える橋だが、もちろん橋からも新幹線が見える

 渡りきって西側の欄干。中州があって、大小2連の橋であることがわかる。中州には旅館などがあり、瀬田川の流れを眺めながら宿泊することが出来る。一度泊まって見たい

 旧街道筋だけあって、旧い商家が残っていたりする。ちょっと赤味がかった感じなのは塗装されているからだろうか。素材の色ではなさそうだ

 油屋さん。手彫りの木製看板がいい感じだ
 
 京阪石坂線唐橋前駅に到着。橋の上で新幹線待ったりしたけど、概ね大社から15分くらい

 踏み切りに「イガイガ」が残ってたw

  唐橋前→浜大津:612 14:59発 「近江神宮」

<浜大津>

 浜大津まで乗った612。比叡山ケーブルチックな塗装
 お目当ての電車がさっき石山寺に走っていったので、チェックイン前に浜大津の路面区間で撮影したいと思う

 丁度発着の瞬間

 並びで撮れたけど、ちょっと電線が煩いな

 大分日も傾いてきたし、光線状態を考慮しなくてもいいので、インカーブで狙うことにした

 手前側は無理だなw

 練習。電車の色そのものが暗いので、画面も暗くなってしまった

 お目当ての701がやってきた。全検入場時にかつての80型チックな塗装に変更された。走り始めて間もないのでまだまだ綺麗だ
 80型55周年記念塗装と言うようだ。80も700もどちらも同じ規格の電車なので、意外とマッチングしている。塗装は2020年の3月31日までの予定のようだ。そこまでが検査期限なのだろう

 後追いでも撮影。タイムリーにネタを拾えて助かった。ちと暗いけどw

 少し、場所を浜大津よりに移して、さっきの701が戻ってくるのを待つ。唐橋前から乗った612が戻ってきた

 602を後追いで。広告車が多いので、ノーマルカラーを見掛ける頻度が少ない

 ああ、ピンが合わない・・・・・・もうダメか。撤収しよう

 琵琶湖側はまだ陽が差している。ホテルチェックイン
 今日は琵琶湖ホテルに投宿。式場と一体化している良いホテルだ。値段もね・・・・・・w

 スタンダードツインだが結構広いぞ

 なんか、空きがあるとかであと3000円追加するとスイートルームも用意できるとか言われたけど、丁重にお断りしたwww

 全室レイクビューを謳うだけはある

 滋賀県立琵琶湖フローティングスクール所属の学習船「うみのこ」。事業主体は滋賀県教育委員会
 滋賀県内の全ての小学5年生は学習船「うみのこ」に乗船、航海し宿泊を伴う教育を実施されている。事業は1969より始まっており、この船の就航は1983年である。琵琶湖と言う稀有な生態系、地形の大きな湖を有しているが故の特別な教育が成り立つわけだ
 総トン数は928トン、全長65m、最大幅12m、航行速力は8−9ノット。日立造船神奈川工場建造である
 関東では林間学校等に類するものがこの航海学習なんだろうな。面白そうだな・・・・・・

 琵琶湖汽船のクルーズ船「megumi」が帰ってきた

 小休止してから再出発

 今度は島ノ関まで歩いてみた

  島ノ関→浜大津:?  16:12発 「坂本」
  浜大津→京阪山科:808 16:21発 「太秦天神川」


 山科まで乗った808。久々に800乗った

 石山ともかチャン
 ほんと、どこにでもいるなwww

 京阪から地下鉄への乗換えは初めて。ちょっと歩くのな

  地下鉄山科→東野:5??? 16:53発 「六地蔵」

<東野>

 山科本願寺。閉まってた!!ダメだこりゃ

  東野→椥辻:5606 17:17発 「六地蔵」


 ここで夕食!
 待ち合わせて外へ

 駅前の新十条通りは街路樹にイルミネーションが施されていた

「光のアートフェスタin山科」「ひかりの美」イルミネーション。区内の小学生全員参加で作成したそうだ

 焼肉やる気山科店

 焼肉で晩餐♪

  椥辻→御陵:5605 19:30発 「太秦天神川」


 御陵って降りたことあったかなぁ?

  御陵→浜大津:804 19:49発 「浜大津」


 宿再び。琵琶湖イルミネーションw

 温泉大浴場浸かって就寝・・・・・・zzz


<10/31>

 おはようございます。良い天気ですね

 消防船がじょばぁーしてるし

 今日は京阪電車は乗らないけど

 バスロケシステム!?
 若干、どこかでみたことあるっぽい子だ

  浜大津→下阪本:江若バス 10:01発 「堅田駅」

 江若と書いて、「こうじゃく」と読む。江若バスなんて初めて乗ったな。元々は湖西線が出来る前に琵琶湖の西岸を走っていた非電化私鉄だった
<坂本城址>

 坂本城址本丸跡にやってきた

 バスで走ってきた国道161号線沿い

 琵琶湖に面した公園が城址の本丸跡だと言われている

 坂本城は明智光秀によって築かれた平城。1571年に築城され、1586年には廃城となっている
 信長の比叡山焼き討ちの後、明智光秀に滋賀の統治と延暦寺監視を命じ、その拠点となるべく城としてこの坂本城は築城された
 非常に存在期間が短いわりに、歴史上でも非常に重要な役割を果たしてきた坂本城だが、発掘調査などは永らく行われておらず、詳細は殆ど解らないままであった。しかし、周辺宅地開発に先立ち、1979年に大規模な調査が行われ、その存在が明るみに出るに伴い、現在まで継続的に調査が行われるようになった

 本丸跡、公園の先は琵琶湖の水辺

 湖岸より琵琶湖を望む

 湖に面して、かすかに残る坂本城の石垣。ここに城があった証である

 坂本城は内陸まで広い範囲に広がっていた事がわかっている。本丸から二の丸を経て、三の丸は現在の湖西線辺りまで広がり、坂本城の遺構は周辺の住宅地に点在している


 比叡山坂本まで歩いた

  比叡山坂本→京都:モハ116−304 11:19発 1819M 普通「京都」

  京都→東京:785−1523 12:33発 520A ひかり520「東京」 13号車10D 普通車指定席

 帰りは少しのんびりひかり号

 了

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