有明筑後水郷紀行


<2017/1/13>

 チョーク引いてガンガン暖機。今日も快調
 中央道から首都高へ。若干渋滞・・・・・・。今回は駐車場予約していたのでそのまま入庫。時間調整の手間無く入庫出来たのは良かったが、時間シビアなのは厳しい
 京急の2000に1駅乗って、

 国際線ターミナルへ
 海外行くわけではないwww

 ずんだ茶寮の「ずんだシェイクエクセラ」
 前回、通常版ずんだシェイクを飲んだので、今回はエクセラを選んでみた。ノーマル品よりもクリーミィ・・・・・・かな?

 シェイク飲むためだけに国際線ターミナルに出かけてきた。モノレールで第二ターミナルに

 B1の吹き抜けホールはいつもベンツのショールームみたいになってんだけど、今回はグッドスマイル 初音ミク AMGが展示されていた
 
 メルセデスAMG GT3ベース。2016年モデルだ。これでGT300を戦い、開幕戦岡山で2位、最終戦もてぎで3位の表彰台に上ったが、全般として戦績には恵まれず、ドライバーズランキングクラス7位、チームランキング5位でシーズンを終えた
 思わぬところで熱いマシンを見つけてしまったw

 平日昼下がりの検査場は羽田といえど空いてて楽。スムーズに追加して、

 今回はバスラウンジだ・・・・・・
 ゲート前は既に搭乗便の表示が掲出されている

 バスでシップサイド来るのは久々だな!ターミナル向かいの80番台スポットなのだが、PBBスポットで行けなかったんかなぁ・・・・・・
 さて、このカットだと、見飽きたA320に見えるけども・・・・・・タラップを上がって機体を見ると・・・・・・・

 長い!へんなトコにでかいドアが付いてる!?
 そう、昨年秋に導入されたばかりのA321なのだった!!
 まぁ、321乗りたくて、佐賀便選んだんだけどな。前回、大阪行では早期購入で321使用便を押さえたものの、タイプチェンジでB737−800になり搭乗を果たせなかったリベンジである

 ああ、しかもプレミアムクラス乗ってしまうぜ!なんせ5000円UPで乗れちゃうからなw

 東京・羽田→九州佐賀国際:NH453 13:05発 A321−200ceo JA111A 2H(プレミアム)

 バスラウンジから搭乗したので、プレミアムクラス優先搭乗の恩恵は皆無だったけど・・・・・・
 そんなに乗客いないみたいだし、さしたる問題ではない。振り返って見ると、普通席の一番前左側は3列丸まる空いている

 プレミアムクラスはレカロの電動シート。操作は他機種の同様シートと同じかな

 センターの肘置きにオーディオ関連の操作パネル

 USBポートと電源コンセントも付いている。これ、3ピンタイプのコンセントも使えるんだな

 国内線ナローボディ機用の新設計プレミアムクラスシートだから、ちょっとスリムかな?

 リーディングライトやデスコールはオーバーヘッドストウェージの下部。多分ここは普通席と同じであろう
 一通り各部を撮影してみた。後は離陸してからにしよう
 直ぐ目の前のCランから上がるのかと思ったが、コロコロ走ってAランから離陸。快晴なので眺めは良い

 シャークレット!この時点で、ANAとしてはこのA321と年末に導入されたA320neo1機にだけ付いている

 離陸するとコンセント、USB端子が使えるようになる。待機時はグリーン。使用時はブルーに光るようだ

 テーブル。中央肘掛とは逆側の肘掛内に収納されている。結構ごつくて重い

 13時過ぎの便なので、SABO(軽食)のサービス

 サンドイッチとサラダ。クッキー焼き菓子の詰め合わせ

 リトラクタブルタイプの機内モニター。プレミアムクラスは各列ごとにモニターが配置されていた

 モニターはオンデマンド方式ではなく、番組を流した後は飛行ルートの表示だけ行っていた。飛行ルートは以前からのマップや飛行状態の文字情報のほかに、ご覧のようなヘッドアップディスプレイ状のものが追加されていて楽しい。もっとも、表示時間は僅かなので、ここから情報を読み取るのは写真に撮って後で見るくらいでないと難しい。どうせなら、実際の正面映像を流してくれればもっと楽しいのにw

<閑話休題>
 さて、全体を通して余り内容が無いので、ここでかつてのA321−100を紹介しておこう
 ANAが国内便にA321を導入するのは今回が初めてではない、1998年から7機が導入された。A321の就航が1994年ルフトハンザによるものなので、比較的早い時期での導入だった。元々、ANAは大型4発機A340を確定5機、オプション5機で発注していたが、湾岸戦争以降の航空需要低下による見直しで、これらの発注をA321へと変更したものだった
 しかし、導入に当たっては国内線ナローボディ機では初のスーパーシートを機体前方部に配置し、最初の2機は日本の名勝をポジフィルム風に胴体側面に貼り付けたスペシャルマーキングで投入し新型機登場を印象付けた

 羽田、整備ハンガーのエントランスに展示してあった1号機の大型模型。こんなフィルムの巻き取り枠を丁度窓の部分に宛がい、いかにも写真で撮影したように日本の名所旧跡を胴体一面に貼り付けた
 導入は続けて行われ、当初は元発注のA340と同様に10機の導入が計画されていたが、最終的に7機で導入は打ち切られたが、A320(166席)とB767−200(234席)の間を埋める機材(191席)として国内亜幹線を飛び回った
 しかしながら、2000年には早くも経営方針変更でスーパーシートが普通席に交換されモノクラス195席となると、A320とは異なるエンジンから(A320はCFM56、A321はV2500)からオペレーションは煩雑となり、911テロによる航空需要の低下から整理対象機材となり、当初は2003年度末での全機退役がアナウンスされた。経営計画の変遷により、2003年度末までの売却は回避されたが、2006年3月の103A抹消登録より、売却は緩やかに進められた
 うきはが初めてA321に乗ったのは1999年12月の山形〜東京線で、エアバス機そのものが初めてのことだった。以降、しばらく機体サイズにマッチしていた山形線で搭乗を重ねたが、青森〜東京線、福岡〜中部線での搭乗をもって機材売却が進んだことで搭乗機会は激減していった

 いよいよ退役が近付いてきた2007年の夏。岡山で101Aをキャッチした。東京からの便が岡山に到着。リバースを使用して減速中。A320に搭載していたCFM56エンジンはエンジン後部のパネルが左右2つずつ、縦に開くことでリバースを行っていたが、V2500エンジンはカウル全体が後ろにスライドする形であった

 スポットインした101A。すらっと長い胴体はB757ともどもスリムで人気があった

 東京に向けて折り返しプッシュバック中の101A。胴体が伸びたことで、A320にあった翼上の小型ハッチはなくなり、通常タイプ(厳密にはタイプは違うのだが)のドア片側4箇所い変更された

 いってらっしゃい!!
 以上、4枚は2007年6月25日

 101A機内の様子。中小型機材では初めてのモニター搭載機だった

 101A主翼。ここだけ見ると320と変わりは無い。シャークレットではなく、ウイングチップフェンス
 以上2枚は2005年7月5日(誕生日!)の福岡発中部行220便から。この時点ではまだ全機残っていたが、101Aばかり3回目の搭乗だった
 翌年の2006年に大量に運用を離脱し、2007年には冬には102Aただ一機になっていた

 2008年2月26日。秋田行875便の機内より駐機中の102Aを撮影。3月以降のスケジュールにA321の表記は無く。2月いっぱいで退役、うるう年だったので29日まで残り4日の同機の姿である

 同年2月28日の函館空港に駐機する102A。うきはは同じく春を越せない花輪線のキハ58を撮影、乗車した後、青函トンネルを越えて函館までやってきた。この「最後」のA321に乗るために

 函館発東京行864便

 最後のA321になるはずの便だった

 東京到着後、CAさんに断って最後ま機内に残り、最後まで写真を撮った。大好きな飛行機の1つだった
 翌日。2月29日、午前中に東京から岡山を往復、夕刻に函館を往復して運航を終えるはずだったA321は、A320機材故障の影響で日中に初就航地だった鳥取往復のピンチヒッターとして抜擢、有終の美を飾る。最後に函館を往復し、10年の短い日本での活躍を終えた・・・
 退役した機材の一部はアシアナ航空に売却され、たまに日本に里帰りがあったが、驚愕の事実が発覚したのは退役から数年を経た、2014年7月のことだった
 ANAは次期小型機として、A320neo7機、A321neoなんと23機をエアバスに対して発注したのである。国内外にB737−700、−800を大量に増備しているさなか、エアバス新シリーズ導入へ大きく舵取りを変えたのだ。さらには2015年1月には321neo3機の追加発注と合わせて、neo導入までのつなぎとして321ceo(通常エンジン機)4機の追加発注を行った。まさか、もう国内で乗れないと思っていたA321が再びANAの手でオペレートされようというのだ。正直、狂喜乱舞した。眉唾かとも思ったし、こうした計画は変更されることも大いにありうる
 しかし、本当に真新しい、A321−200ceoは2016年の秋に日本にやってきたのだった。今回導入される111A〜114Aの4機は今後導入される321−200neoが入るまでのつなぎの機材であり、最終的には早い段階で売却されてしまう機材であろう。だからこそ、乗れるときに少しでも乗っておきたい。今回の旅行ではそんな思いが働いたのは言うまでも無い



 偏西風が強いが静かな午後のフライトである。新型機とあって、機体にはWi-Fiが搭載されているようだ
 
 手持ちのスマホで接続してみた。特にアプリ等のダウンロードは必要なく表示が可能だった
 
 フライトのデータやスケジュール。機体状況のモニターが出来る。各種プログラムも用意されていたが、一部は有料コンテンツだった
 
 九州の山並みが見えて数分。眼下に筑後川、そして佐賀空港が見え始めると、シップはサークリング(円周飛行)を始めた
 福岡や熊本の離着陸コースに引っ掛かるのか、ストレートに滑走路へとアプローチできない。凡そ15分も高度を下げながら空港の周りを回ったか、やっと佐賀空港のランウェイにランディングを行った

 佐賀空港に到着した111A。9年ぶりのA321のフライトを堪能できた。フライトタイムは+15分。羽田空港混雑と向かい風の影響だということだ
 
 離陸まで見届けたい気もするが、今日は「佐賀県内」に泊まる訳ではないので、さっさと車借りて走り出すよ

 さっそく、最初の目的地、というか、今日の佐賀県内唯一の目的地の佐賀城址にやってきた。空港からすぐ・・・・・・20分くらい
 写真は鯱の門。鯱の門とこれに続く櫓は1838年に完成したものである

 佐賀城は水城。今も周囲に大きな堀が残っている。きっと干拓が進んで海からは遠くなっちゃっている
 佐賀城は古名を「佐嘉城」と言われ、別名、沈み城や亀甲城と呼ばれる江戸時代初頭に完成した城である。佐賀藩鍋島氏の居城である
 平安時代の末期に藤原李季がこの地、龍造寺村の領主になり土着した後、子孫が龍造寺を名乗り戦国時代まで続いてきた。この龍造寺氏の中心的居城だった村中城だが、戦国時代には島津によって龍造寺は滅ぼされ、追って入った鍋島氏によって近代普請されたのが佐賀城の始まりである
 平野の平坦地に築城されたので、城内が容易に見えないように土塁には松の木が植えられ、木々に沈んで見えることから「沈み城」の異名がついたとされる。かつては幾重にも外堀を張り巡らし、有事の際は主要部分以外を水没させることで敵難から城を守る構造であったことも沈み城の由来になっている
 城下も含めて広大な城であり、当時の完成予想図と異なる部分も多く、未完成の城であるとされている

 今も城壁、土塁の上には松の木が植えられている

 城壁が続く。有事にはこの辺りも水没させられたのだろうか。今は芝生だが、一段低いところは水が入ってもおかしくは無い

 まだらなステルス迷彩みたいな城壁。綺麗な感じなので、これは後年再建されたものかな?

 南側の大きな広い堀。城郭に高度が無く、敵の侵入が容易そうなのを、この広い堀で阻んだのだろう

 うわさのまほろちゃん!?城址の一角にあった
 まほろちゃんは元々佐賀県大和町の広報キャラクターだったが、市町村合併により佐賀市になった後もそのまま広報で使用されてきた。全国のこうした町おこしキャラの中では余り話題にならないキャラだが、コアファンが多いのも確かだった
 キャラクターをデザインしたのは旧大和町の職員の方。合併で佐賀市の職員になった後も活躍していたそうだが、2015年に異動となり、まほろちゃんの活躍も終了したとのことだった・・・・・・勿体無い

 いろいろ見たかったが、広い、雨、夕方の3コンボ食らったので撤退。この後、高速道路走らないと本日の宿には着けない距離なので

 佐賀大和ICから長崎道を東へ。鳥栖JCTで九州道を越えると大分自動車道へ。太刀洗、甘木、朝倉と来て、杷木ICでおりんりん。佐賀大和から30分強かな?
 宿は直ぐそばの筑後川温泉にとってあるのだが、その前にちょっと、寄り道してやってきたのが

 久大本線のうきは駅である

 うきはニキうきはに立つ!
 久大本線なんか何度も乗っているけど、浮羽に来たのは初めてだ。せっかくなので、今回ついでに来れる距離に宿を取った

 小駅だけど、駅員配置駅だった。人気はない・・・・・・

 うきは駅からまた10分ほど戻って、今日の宿、筑後川温泉虹の宿ホテル花景色さまに投宿

 最近はジーコロコロタイプの電話、見たこと無い上に使い方解らない人も増えたろう

 夕食はしゃぶしゃぶ

 鮎も食べる!

 温泉♪
 なんか、湯船に入れる滑り台とかついてて楽しい♪
 筑後川温泉は1955年に開湯した比較的新しい温泉地。川面に「ぬるい」ところがあったことで、ボーロングした結果源泉を掘り当てたのが始まりで、周囲に旅館が6軒ほど点在する。この旅館のお湯は天然ラドンを含む高アルカリ泉。毎時14トンの湯出量を誇る自家源泉だそうだ

 風呂上りのうきはニキうきはん茶を飲む!

 ・・・・・・おやすみなさい


<1/14>

 晴れ間が見える。今日は雪が舞うかも?なんてはなしだったが。これならなんとか

 宿の目の前は筑後川。筑後川温泉というだけある。ただし、川に近いが故に羽虫が大量発生するのか、見難い網が窓全体を覆っておりちょっと残念

 朝食を摂っていると、川岸で餌やりのパフォーマンスが始まった。周囲に鴨がたくさんいるな、とは思っていてが、旅館で餌付けしているんだろう。やつらはここで餌が安定的に手に入ることを知っているのだ

 虹の宿「花景色」様にお世話になりました

 今回のアシもデミオ君。大体1〜1.3リッタークラスの安いレンタカー借りるとデミオだけど、まぁ馴れてるから充分ちゃぁ充分

 昨日の杷木ICから大分道を西へ戻り、九州道に入って直ぐの久留米ICでおりんりん。国道ちょっと進んでから山道へ
 
 最初は千栗八幡宮に行くつもりだったが、車で無いと中々来れないので、難易度の高そうな高良大社にやってきた

 長い石段を上がった先の正面、拝殿、本殿は改築中・・・・・・残念
 さすがに一宮だけあって、こうした全面修繕の場面に出くわすことが多々あるのだが、こうして後世まで拝殿を残してくれる定期的修繕に資金を割けるのは流石だし、有難い
 高良(こうら)大社は筑後国一宮。旧社格は国幣大社。仁徳天皇55年、または78年鎮座、履中天皇元年創建とされる
 祭神は本殿に高良玉垂命、左に八幡大神、右に住吉大神を祀る。神社建築としては九州最大を誇るとされており、厄除けから延命長寿、交通安全、芸能の神としての信仰も篤い

 山の上なので、社務所の裏側が展望台になっている。西側、眼下には久留米の町並みが広がる。奥には有明海

 こちらは北西から北側。中央左右に流れるのが筑後川

 幸福のからす。今年は酉年だしね♪
 雪が舞ってきた・・・・・・降りよう。初詣無事終了

 高速、久留米ICから九州道に戻り南下。ちょっとの距離で一般道でもそれほど変わらないかな?と思ったが、快適なのでみやま柳川ICまで疾走。県道775号から国道403号を経由し国道208号から県道770号、767号と目まぐるしく道路は変わるけど、概ね1本道で柳川市内まで


 柳川城址にやってきた
 高校の修学旅行で柳川には来たことあるが、それ以来の来訪で、当時は柳川城なんてものがあることを知らなかったので、城址は今回が初来訪である

 戦国時代の武将、蒲池治久の手によって築城されたのがこの柳川城である。鶴が舞うように美しい城のシルエット、から舞鶴城とも呼ばれた。柳川城とその城下町の造成が現在の柳川市の礎になっている
 水郷柳川のとおり、張り巡らされた水路と掘割が天然の要害となっており、攻略するには3年は掛かるといわれた九州屈指の難攻不落の城だった
 説明看板にある写真は江戸末期から明治期のもので、この頃には天守が残っていた。写真や文献などから推測される天守は複合式5重5階の層塔型天守で、最上階は雨戸で廻縁を囲う内縁高であったとされる。明治5年の1月18日に失火、ないしは放火によって天守は焼失、櫓1基、土蔵、厩、城門3棟を残して消えた

 現在の城址は柳川高校と柳川中学の学校敷地として利用されている

 高校と中学の間の小道

 説明に代えさせていただきます・・・・・・m(_ _)m

 本丸天守台跡。柳川中学のグランドの一角に残されている。テニスに興じる中学生に好奇の視線を浴びながら上る

 こっちから入ってよかったものかどうか・・・・・・こちらは中学敷地内、校舎への通路に直結している階段。なんか校門には無断立ち入り禁止みたいなこと書いてあんだもん
 遺構は石垣で囲まれた天守台のみで、他には一切が無い

 車に戻り、大川市方面へと進む。今日はもう1つの史跡、吉野ヶ里遺跡をこの後見に行くつもりなのだが、その前に立ち寄っておきたいところがある

 カモメ舞う国鉄佐賀線、筑後川橋梁、「昇開橋」である
 長崎本線佐賀駅から、鹿児島本線瀬高駅までを結んだ国鉄佐賀線は、1984年に国鉄の赤字ローカル線整理の対象、所謂第2次特定地方交通線に指定され廃止対象とされた。廃止は1987年の3月28日で、これ以降西鉄バス、堀川バス、佐賀市営バスなどに転換された
 跡地は民間転用や遊歩道とされたが、筑後川に掛かる長大橋梁が重要文化財として指定され残されている。廃線後には当時の建設省から撤去が要請されたが、貴重な可動橋であることで地元から保存意見が大きく、遊歩道化され現在もその姿を見ることが出来る

 特徴的な可動部分
 筑後川河口近くは干満の差による水面の上下動が激しく、また建設当時はまだ船運が盛んだったので、航行を支障しないように橋桁を丸ごと持ち上げるタイプの可動橋が建設された
 橋梁部分が垂直に可動するタイプの可動橋は国内最古のものである。実際に近付いて見てみよう

 橋へのアクセスは旧線の築堤上から。佐賀方はちょっとした鉄道公園になっていた。筑後若津は橋の福岡側。諸富はここから佐賀側に少し行った駅。その先が光法

 橋は遊歩道になっていて、向こう岸まで徒歩で行けるように整備された。この辺りだけ線路が埋められており、元々が鉄道橋であったことを後世に伝えている

  諸富、佐賀駅方を見る。築堤は直ぐに削り取られて平地化されているが、現役当時は橋へのスロープとして緩やかな勾配築堤がなされていた。そのまま奥の道路が佐賀線の線路敷である

 渡った先、築堤上左側に筑後若津駅があった。停車場への接近標識は通常線路脇に建植されているが、鉄橋上なのでここではトラスの見やすい位置に付けられたのだろう

 可動橋部分上から見上げる。

 見上げる

 見上げると、くらっくらするくらいでかいし、高い。そして複雑なトラスで構築されている

 可動部分から佐賀方を見る

 可動橋の柱部分。増したから覗く。巻き上げ装置なんかはこの柱の上部にあるので、そこへのアクセス用点検通路・・・・・・はしごが渡されているのが解る。これ、上って行くのは怖いし、最上部での作業なんかはストレス感じるよな・・・・・・

 橋梁上から筑後川上流を見る。川は左右に分かれているが、どちらも筑後川で正面中州が大きな島のようになっている
 正面に見えているお城見たいな建物はシニア向け分譲マンション「グッドタイムホーム15昇開橋」という

 こちらは下流側。海までは少し距離がある

 船舶用の信号が残っている
 橋梁上には「筑後川信号所」が設置されており、可動橋の制御と列車への信号扱いを行っていた。信号所は可動部分の下流側、筑後若津駅よりの柱の根元付近にあったようで、職員は筑後若津から橋梁上を歩いて信号所まで行き来していたそうだ
 列車が来ない間は適時船の通行に応じて昇降できるが、鉄道のダイヤは決まっているし、接近時はきっと鎖錠が掛かって昇降出来ないような仕組みがあったんだろうな。例えば諸富の出発進路、筑後大川からの出発進路と連動して、閉塞区間と合わせて鎖錠すれば安全装置が働くよなぁ、なんて

 今でも可動する昇開橋。可動は9時から17時までの間に8回ほど行われるそうだ。今回は丁度降りきったタイミングでの来訪だったので、可動は見ることが出来なかった。でも満足♪
 こうゆう鉄道施設は鉄道で走ってナンボ、だけど残っているだけでも有難いと思わないとな。周囲は宅地も多くて需要は見込めそうだけど、線形的に福岡方面とは直通運転難しいし、三セク化出来たとしても難しかったかな?
 軍港佐世保、大造船地の長崎と、師団のいた熊本(健軍)や沖縄南方方面の出発地鹿児島をバイパスする路線として敷設されたから、戦後はその需要の大半を失っていたし、沿線の大川は家具の一大産地だったが、ここは早くからトラック輸送が主流だった。諸富から筑後川沿いの味の素九州工場への専用線があったが、ここだけで路線維持するだけの需要が賄えたとは思えない。もちろん、ここも後年はトラック輸送が主流に切り替わっていくわけだから
 1978年の時刻表を見ると長崎〜熊本間佐賀線経由の急行ちくご1往復を含めて、気動車列車ばかり11往復が運行されている。うち、1本は佐賀から先、唐津線に入り西唐津まで行く。全線凡そ45分前後で走破する典型的国鉄ローカル線で日中は概ね2〜3時間に1本の運転である。「時刻表2万キロ」の作者である故・宮脇俊三氏も同書の中で記していたが、佐賀線は鹿児島本線を介して、羽犬塚から分岐する矢部線の列車と共通運用が組まれるなど、車両は一般的な気動車であったがその運用には注目すべき点もあった
 モータリゼーションの進展、国道208号線諸富橋の整備など自動車交通の拡充はこの風光明媚なローカル線に止めを刺すには充分な出来事だった。1987年3月28日。国鉄民営化直前に佐賀線はその歩みを止めたのだった

 足早に筑後川橋梁を探検し、次の目的地へと筑後川左岸を進む。筑後川が単純に県境になっているのかと思っていたが、堤防上の道を走っているだけで、目まぐるしく佐賀県と福岡県に出入りする。実際には非常に複雑に県境が引かれているようだ
 川から離れて、水田の中を一直線に北へ。長崎本線の817系2連のワンマン列車が通過してゆく橋をくぐると

 吉野ヶ里公園に到着である
 長崎本線に吉野ヶ里公園駅があるが、公園は駅からは遠く、ここも車で来るのがベターな場所であろう。立地の問題で、来たくても足が遠のいていた場所のひとつである
 東口に当たる歴史公園センターに車を停めて入場

 ゲートをくぐって丘を巻きながら暫く歩くと、木柵で囲まれた集落が姿を現した。公園内地図で言うところの、南内郭部分である
 吉野ヶ里遺跡が居住地として栄えたのは縄文時代からで、現在復元された姿であったのは弥生時代頃とされる

 村に入る手前の門

 南内郭には物見櫓が4棟残されている

 南内郭の内部

 竪穴式住居

 中はこんな感じ。1m程度に掘り下げられている。意外と広くて高さも充分にある。今日は風が強く、外は物凄く寒いのだが、こんな木と藁の家でも風が全然通らないので凄く暖かい

 かまどやら、生活道具なぞ

 物見櫓に登ってみた。今の技術でそれっぽく建築されているので安全なのだろうが、凄く揺れるw

 北西側を見る。吉野ヶ里の特徴は集落をぐるっと囲むV字型の掘り、環濠である。写真からもわかるが結構深く鋭利に切り込まれており、落ちたら上がるのは難儀しそうである

 南内郭を見る。中央は広い。祭事などで使う広場を兼ねているのかな?遠くには北内郭がかすかに見える。公園そのものが南北に1.5キロほどあり、東西方向も1キロ程度ある。非常に巨大な集落のあつまりであったと推測される

 堀の向こうは倉と市、周辺の集落の商業の中心で、さらに近隣小国との公益の場でもあった

 倉と市内の高床式倉庫。ねずみ返しがついている。むかし、歴史の時間に習ったあれだね
 公園はとても広く、今回は南内郭、倉と市、南のムラエリアを見ただけであるが、その気になれば1日見て周っても足りないくらいだろう。土曜日だったが、風が強く、殆ど行楽客はいなかったが

<新鳥栖>
 
 車を返して、新鳥栖駅にやってきた。目の前に九州新幹線の新鳥栖駅が見えるが、乗るのは在来線

 15:02発のみどり・ハウステンボス15号4015Mの783系ハイパーサルーン

  新鳥栖→博多:モハ783−306 15:07発 4018M 特急みどり・ハウステンボス18号「博多」 2号車2D 普通車指定席

 乗るのもハイパーサルーン。余剰中間車とはいえ、先日初の廃車が発生したので、少しでも乗っておこうかと思った次第

 鳥栖!

 783系の車内。全然人乗ってないな・・・・・・
<博多>

 博多に到着した4018Mみどり・ハウステンボス18号。クロハ782−502

 おなじくクロハ782−502。中央に客用扉とデッキ、A室B室に分かれているのが783系の特徴

 列車はわからないけど、今回は乗車機会の無かった885系

 一旦、列車から離れて街へ。はかた駅前通を西へと進む

 例の陥没あったところ。一見何も無いけど、周囲の物々しさでそれと解る
 左側のコンビニが受験生の聖地になったとか言われる「落ちないコンビニ」

 10分ほど歩いて、キャナルシティへ

 今年もヨロズマート福岡総本店にやってきた
 なんか人だかりがあるな?土曜日だからかな?と思ったら、こまさんが来てたよ。16時からこまさんと並んで写真撮れるんだ・・・・・・ずら

 昨年末に公開された映画妖怪ウォッチ、実写パートで使用されていた衣装が展示されていた
 レプリカじゃなくて本物?

<博多>
 再び博多駅。ここからは山陽新幹線で移動

 16番線に岡山からのこだま743号が到着すると、14番線には回送でこだま754号が入線

 15番線を挟んで500系同士が並ぶ

 14、15で並んでくれると絵になるんだけどなw

 521−7009。V9編成

  博多→小倉:521−7009 16:57発 754A こだま754号「新大阪」 1号車8D 普通車自由席

 丁度良い時間に500系使用のこだまが設定されていたので1駅15分程度だが新幹線をチョイス

 丸い車体。車内はのぞみ時代と変わらない
 500系は久々だ。4年ほど前に新下関から広島に出るときに乗って以来かな


 ホテルイン。本日は小倉ベイホテル第一に投宿。目の前は小倉の港
 
 河豚を食べるだの何だの言っていたが、結局夕食は近くの回転すし屋。寒くてあまり歩き回りたくなくなってしまった
 ところで、なんで回転すし屋には必ず大学芋があるんだろうか・・・・・・


<1/15>

 今日は同人誌即売会
 昨日の夕方から天気微妙だったが、やはり今朝も曇り空・・・・・・ってか雪舞ってら

 鹿児島本線、山陽新幹線が見える食堂で朝食。783系、415系、EH500いろいろやってくるね♪

 歩いて、即売会会場まで向かう。さんざ悩んだ結果、ぎりぎりまでゆっくりするために会場至近にホテルを取った
 会場までは徒歩5分程度。くそ寒い上に結構な勢いで雪が降ってきたので、ホテルは至近に取っておいて正解だった

 小倉の臨港線跡。今は緑道になっている

 海側

 東小倉の西端から鹿児島本線の北側を走行し、小倉駅の東端から北へカーブして港に向かう廃線跡が解る
 北九州の工業地帯、港湾地帯の中心なので、昔の空中写真なんかを見ると至るところに貨物引込み線が見える

 会場着。前にも来た西日本総合展示場。どうでもいいが、「西日本」て言われると「JR西日本」のテリトリーから下関までの本州西半分で、九州ではなんだか違和感を感じる程度には鉄ヲタなわけだが、地理的には九州まで含めて「西日本」だよな

 そくばいかーい!今回もただの店番w
 買い物も全然せんかったし、自分の出し物なんにもないけど、九州勢のお友だちがたくさん来てくれて、そのうえたくさんお土産貰ったので恐縮至極だった。次回はお返しせねば・・・・・・(汗
 段ボールの確保に奔走しつつ、即売会無事終了

  小倉→朽網:モハ813−1102 15:12発 557M 普通「行橋」

 早々に小倉を離れる

 朽網駅。空港連絡駅とは思えない簡素な駅。かつて最寄り駅だった東北本線館腰を思い出すな。あそこも何も無かったw

  朽網駅→北九州空港:西鉄バス 15:37発 「北九州空港」

 わずかな乗客を乗せて連絡バスは駅を発車。北九州、小倉最寄の空港とはいえ表玄関は間違いなく福岡空港だし、裏口なんだろうな、っていう乗車率

 連絡橋!海!!
 北九州空港は海上を埋め立てて作られた海上空港

<北九州空港>
 初めての北九州空港。正確には「新」空港は初めて

 新しいだけあって今風のガラス張りな空港。海上を埋め立てて鳴り物入りで建築されただけあってターミナルは大きい

 ターミナルは立派な大きさだし、思った以上に人が多いな。空港そのものは利用客多いんだな。みんな車で来るんだ
 2015年度の利用者数は131万人なので月平均10万人強が利用しているといえる。スターフライヤーがベース空港としており、多数の羽田便を運航しているのが強みであろう。他に国内線はJALが羽田便を、フジドリームエアラインズが名古屋・小牧便を運航している。かつてはスカイマークも乗り入れており、羽田便の他に那覇便も運航していた
 空域が狭く制限がある中で、24時間空港、2500m滑走路を武器にNCAの747貨物機が就航しているのは非常に強味かなと思う

 結構、航路も狭いんじゃないかな。大型の貨物船も直ぐそばを航行している

<旧北九州空港>
 せっかくなのでちょっと昔の話

 現在の北九州空港の開港は2006年3月16日。前日までは内陸にあった旧北九州空港。閉港から10年を経て開発が進んでいるが、まだその名残を地図上に見ることが出来る。赤枠が概ね空港敷地。青が滑走路とエプロン。海上にはまだ進入灯の基礎部分が点々と残っている
 3方を山に囲まれ、東側は干潟。周囲には住宅も迫り、1600mの滑走路を持つが小型ジェットしか就航できず、この地では拡張も難しかった
 連絡バスもあったが、最寄の日豊本線下曽根駅から800mほど、徒歩10分の距離だったのでうきはは空港までぽてぽて歩いて行った

 東京から到着。西側から進入しタッチダウンしたJASのMD87、JA8371。JALに移管されて飛び続けたが2008年の3月に退役した
 最初で最後の旧北九州空港を利用したのは2001年の秋だった。まだ経営統合前でJASが単独で東京線を運航していた
 1日3便か4便だったと思う。この頃はDC−9−41が退役しており、東京線はMD87だけでの運航だった。長胴型のDC−9スーパー80やMD81やペイロードの関係で運用できなかったのだろう

 並行する誘導路が無いので、滑走路エンドまで走り、ターニングパッドで展開して戻ってくる「ラウウェイバック」で運用されていた。1600mに拡張される前はプロップ機での運航だったが、古い写真を見るとその頃は並行する誘導路があったようだ
 滑走路の伸長と拡幅によって誘導路を潰さずにはおられなかったのだろう

 展望デッキからエプロンに入ってくるMD87を見る。130席クラスの小型機だが、この規模の空港だととても大きく見える
 北九州空港は元々日本陸軍の曽根飛行場として開設され、戦後民間化された。1500m滑走路でフレンドシップやYS−11がANAの手によって運航されていたが、山陽新幹線の博多延長開業により旅客数は激減し、拡張ジェット化が難しく1983年には唯一の定期便だった伊丹便の運航が取り止められた
 前後して、苅田沖に現空港の建設計画が事業化されつつあったが、工事は長期にわたることから現空港を改修し滑走路を1600mに延伸、ジェット化して運航が再開されたのが1991年のことであった。オペレーターは従前のANAからJAS代わり、東京便が1日2往復設定されていた
 うきはが利用したのが再開から丁度10年後。そして5年後には新空港に移転という時期。再開時よりは便数も増えて利便性は向上していたが、乗客はそれほど多くは無かった。JASの経営自体、雲行きが怪しくなっている時期で、集客力そのものが低迷していたのだろう
 乗客は少なかったが、地上係員(カウンター業務員含む)が総出でエプロンに出て手を振り出発を見送っていたのが非常に印象に残っている。とても家庭的な空港の1つであった




 てなことを思い馳せていたら、東京からの折り返し便が到着した

 A320、JA05MCだ

 北九州→東京・羽田:SF028/NH3888 18:00発 A320−200 JA05MC 17B

 フローコントロールで15分遅延 


 街の灯りが綺麗だ

 えらくうにゃうにゃと時間稼ぎ飛行して房総半島までやってきたようだ。航跡が物語っている。時間稼ぎしたせいかアプローチからランディングまではスムーズだった

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