尾張遠江三州紀行


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 4月16日開催のDMMのオンラインゲーム「御城プロジェクトオンリーイベント・城魂」に参加するために旅程を組んだ
 開催地は愛知犬山。ついでに中京圏の未乗線区を一網打尽にしてこようという算段。会社の方が勤続10年を越えて褒賞休暇を幾ばくか貰えたので、今回は車という事もあって、3泊4日の旅程とした

 9時過ぎに自宅を出発。圏央道を南下し海老名ジャンクションから東名を西へ。今日はまだ平日金曜日なのでいつものボトルネック海老名JCTもスムーズ

 中井PAで小休止
 東名も東京に近いところが一番混む。御殿場までの山越えはルートも狭く、平日でも交通量は多い

 御殿場から新東名に入って、そのまま西進。清水に寄ろうかと思ったが、いきおいそのまま次の寄港地は遠州森町PA

 純和風な造り

 お昼ごはん。天丼と冷うどん
 遠州森町PAからスマートICで下道へ。農道、県道を10分も走ると、

 小国神社に到着。桜とSA22C。今年初めての桜とSAかな?

 遠江国一宮小國神社

 桜の時期と相まって、平日ながら参拝客は多い。周辺は薄ピンクの桜が多いが、ここは緑の参道

 小砂利が足の裏に心地よい参道を進む

 乳白に緑が混ざったような池

 境内には枝垂れが咲いていた

 拝殿。平入りの入母屋作り。見えないが、奥にある本殿は大社造。煌びやかさはないが、そのぶん落ち着いた佇まい。由緒ある神社感だ

 祭神はオオナムジ。創建時期は不明とのことだが、社伝に寄れば欽明天皇5年(555年頃?)、ここより6kmほど離れた本宮山に神霊が顕現、勅命により社殿が築かれたのが始まりとされる

 でっかいのに小槌wオオナムジは所謂、大黒様。大黒様の縁起アイテムといえば打ち出の小槌だ
 お参りして、次の目的地へGO!

 来た道、県道280号をを少し戻り、谷崎T字を左へ。ここからは暫く県道40号。円田駅西方で天浜線をくぐる。割合近いところを走っていた。ここからは天浜線と付かず離れず
 1号掛川バイパスから斜めにショートカットして、県道415号に入るとまもなく北門交差点。なんとなくそれっぽい感じの名前の地点まで到達したが、それもそのはず、目的地はもう目の前に見えている
 裏手の駐車場に車を停めて、ここからは徒歩

 ちょっと裏口みたいな感じだけど、掛川城公園へと

 静岡は温暖なので、この時期だともう桜は見頃を過ぎている。ちょっとまばらになってきたけど、桜と掛川城

 引きでもう一枚。ここが一番綺麗に桜とお城が撮れるのか、みんな盛んにシャッターを押していた。夜間にはライトアップなんかもしているみたいだ

 お城を眺めながら、頭上を見上げると空気を叩く音
 ヘリだ!AH−1とUH−1。なんかわからんがいっぱい飛んできた。公開行事でもあるのかな?予行練習か。通常の演習で編隊飛行訓練しているのか。ヘリの航続距離から考えると・・・・・・富士から明野辺りに移動かな?

 では、あらためて掛川城に登城してみよう
 掛川城は室町時代に今川義忠が家臣の朝日奈泰煕に命じて造らせた平山城である。逆川の北側沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在の城郭構造は安土桃山時代に山内一豊によって整備された
 関ヶ原以降数々の譜代大名が入ったが、最終的に太田氏一族が入城している。太田氏時代に幾度かの修繕が行われているが、幕末に起こった東海地方の地震の影響で天守は倒壊し、城内にあった二の丸御殿などは再建されたが、天守については再建がなされなかった
 永らく城内は天守台のみが残る状態であったが、1994年に市民や地元企業らの手による募金によって、戦後初、また日本初の木造復元天守として再建がされた。

 天守台至近から城内の二の丸御殿を望む。詳細は後述しよう

 掛川駅方面。まだ天守には登っていないが、天守台そのものが山の上にあるので、ここからでも頗る眺めは良い。逆に、周囲からも良く天守を臨めて、掛川市のシンボルとして申し分ないであろう

 復元天守についての説明・・・・・・読めねえな。これw
 掛川城から高知城に移った山内一豊は、掛川城を模して高知城を建築した。このため、掛川城の再建にあたっては逆に高知城を考証することで、掛川城の往時の姿を再現しようとしたわけだ。残された文献、絵図も多く、これらから詳細な情報が得られたことで、滞りなく木造天守を復元することが出来たのであろう

 地域のシンボルとして天守閣を復元する例は国内枚挙に暇は無いが、その多くが鉄筋コンクリートで作られた「模擬天守」であり、掛川城のように忠実に木造で再現された例は多くない。柱も床も天井も壁も、木造

 天守最上部から東を見る。安土桃山時代にこの高さから地上を見られるところなぞお城の天守閣位しかなかっただろうな

 石落としの餌食です!(cv 松本城)

 この穴から落とされる石で、どれほど敵兵の動きを阻害できたのだろうか

 下に降りてきて、今度は二の丸御殿を見に行こう。鉄砲用の穴から二の丸御殿を見る

 天守台下の通路から回っていける

 御殿側とは結構な高低差がある

 御殿前の広場から桜と天守

 二の丸御殿に入った
 地震によって倒壊したが、再建されなかった天守とはことなり政の中心として必要な二の丸御殿については1861年(文久元年)に再建され、以後その姿をよく留めている。1980年に国の重要文化財指定がなされている
 内部はもちろん当時の間取りであり、採光なども当時のままの雰囲気を味わえる

 御殿の広縁から天守を望む。200年くらい前にはこんな風景が当たり前に展開されていたわけだ

 純和風な感じ。1800年も末頃に再建されているので、今でも各地に現存する旧家とそれほど変わる感じはしない。そう、支障なくいまでも暮らせそうな造りなのだ

 なんかの資料になるかなぁ・・・・・・ってことでいろいろな角度で撮ってみている

 この感じは、厠かな?

 城主の厠。殿様専用トイレやな

 もちろん、通常に住居等として使っているわけではないので、電灯は引かれていない。灯りは自然光か行灯である
 もっとも、写真の行灯はろうそくの灯による物ではなく、電灯であるが

 日本家屋そのものだ

 小さな小さな内庭

 秋には綺麗に紅葉して良いアクセントになるんだろうね

 ちょっと資料館みたいにもなっている。火縄銃

 最後にもう一度掛川城を撮影

 チューリップと桜とお城

 これはなんだろう??

 今日の宿は掛川駅そばのビジネスホテル。城からも10分と掛からず到着
 お世話になるのは掛川ターミナルホテル

 ここも看板猫のいるホテルとして有名!看板猫のジジちゃん!

 後輩のトラジロウ。シャイな子って言われてたけど、ジジよりもなつっこくスリスリしてくれた♪
 やっぱりニャンコ最高だな!

 早めにホテルに入ったので、ちょっとお散歩。上手い具合に見たいものが見れるタイミングでやってくる

 しずてつジャストラインの日野ブルーリボン。浜松200 か 435。日野U-HT2MLAA。1992年式の自社発注車で浜岡営業所最古の車両だそうだ。もちろん予備車なので、通常運用には入らない。レアげーっと♪

 掛川駅。入場券買って構内に
 ロケハンする間もなく

 下り貨物がやってきた。5075レ。東京貨物ターミナル発福岡貨物ターミナル行の高速貨物だ

 今日の牽引機はEF66 108
 ホームの先端からだと画角が厳しい。パンタ切れちったw
 お目当ては一時間ほどあとに来る下り貨物なのだが、ここだと同じような角度での撮影しか出来ないので、思い切って沿線に足を伸ばすことに
 駅を出て線路に沿って西へ。住宅地の入口で公園内をショートカットしようと足を踏み込むと

 C58が保存展示されていた。49号機である

 パッと見、状態は悪くは無いかな?キャブのガラスとかは嵌っていない
 掛川と新所原の間を、浜名湖の北岸を回って結ぶ国鉄二俣線、現在の天竜浜名湖鉄道はC58が活躍したことで有名だ
この49号機もそんな縁で保存されたのだろうが、実際同機は1938年に新製後、仙台に配置、戦中陸軍に供出される計画があった。大陸に送られる前提で改軌工事までなされたが、戦局悪化のため輸送されず、復元された後、国内でそのまま使用されている
 終戦直後に正明市(現在の長門市)、そして三次、備後十日町(三次機関区から改名)、三次、1970年には敦賀にいて、1971年に敦賀で廃車となっている。最初と最後だけ違うが、生涯の殆どを山陰中国地方で歩んできた同機がここに保存されるに至った理由はなんであろうか?
 同じC58でも389号機は遠江二俣機関区で廃車になった後、現在もその縁で天竜二俣駅前に保存されているのと比較すると大きく異なる
 ただ、同じ「C58」なので保存したという事だろうか?

 さらに少しあるくと天浜線が東海道本線から分岐する地点の踏切まで到達。ここからでも撮れるかな?と思ったがちょっと周囲がうるさいのでここもパス

 丁度天浜線の列車が来たので一枚

 沿線で宿泊することは多くないので、東海道新幹線を駅以外で撮ることって余り無い。新幹線は速い・・・・・・

 東海道本線の線路脇でバス停の墓場を発見した!静鉄のバス停達だろうか・・・・・・

 墓場の隣の畦道。その先にちいさな踏切を発見した。ちょっと行ってみよう

 人道用かな。この狭さは

 下俣踏切というそうだ。起点から230キロ380メーター

 人専用かと思いきや、車両が走っていけないわけではないらしい。キャロルは走れるw

 走れるかなぁ・・・・・・この幅

 踏切の山側で下り普通列車の211系を撮影してみた。撮れない事は無いけど微妙な感じ。左右にこれ以上レンズ振れないんだよな

 ちょっと踏切から離れた畦道から上り貨物のEF66。時間的には完全に逆光だ
 
 よし、もうちょっと奥へ行こう

 新幹線の保線車両

 最終的にポイントを探しながらNECの工場の先まで来た。時間的にも、帰りのこともあるし、この辺が限界だな。幸い、腰の辺りまでのフェンスと、路盤が比較的高いので撮影条件的には悪くない。背景は微妙だけどwもう仕方ないここで、迎え撃つか。接近に気付けないのが辛いが

 やってきた目当ての3075レはEF64 1049。広島更新色だった
 何かと縁のある同機なのだが、こんなところでも出会えるとはw愛知機関区のEF64、首都圏運用の送り込みで山用電機には似つかぬ東海道コンテナ輸送列車。一度東海道本線のロクヨンを撮ってみたかったんだ
 時計は17時を回って、四月半ばの光量では厳しい条件。まぁ、なんとか・・・・・・ってトコだな。今日くらいの天気で夏場なら、もっと明るい条件で撮影出来たろうな
 うん、でも満足♪

 撮影地点から至近の掛川市役所前駅まで来た

 ホームの端で乗る列車を撮影。そのまま乗車

× 掛川市役所→掛川:TH2112 17:20発 138レ 普通「掛川」

 随分歩いて、同じ道帰るの億劫になっなので、1駅だけど天浜線で戻る。丁度良い塩梅で列車があったのも功を奏した。無ければ歩いて帰った・・・・・・

 掛川に到着した2112。1駅、あっという間だった

 宿に引っ込んで装備をおろし、夕食を摂りに再度出発

 再び天浜線の気動車に乗り込み、今度は2駅先まで進む

  掛川→西掛川:TH2114 18:13発 243レ 普通「天竜二俣」


 築堤の上の簡素なホームと待合室だけの西掛川にて下車。先ほど行った市役所前は三セク転換後に設置された駅だが、こちらは国鉄時代から設置されていた駅。「にしかけがわ」のホーロー看板は国鉄時代からのものだ

 となりの「さくらぎ」駅はなんだか妖怪ウォッチの世界にありそう

 西掛川から歩いて数分。やってきたのは噂の「さわやか」

 炭焼きレストランさわやか掛川本店で夕食!
 人気で休日は外まで長蛇の列・・・・・・なんて話だが、ちょっと早めの時間の金曜日なのですんなり入店

 はんばーぐ!!はんばーぐ!!
 巷で噂のさわやかのハンバーグ賞味。ミディアムのハンバーグ
 うん。美味しいは美味しい。もう少し熱々でも良かったが、う〜ん、店の差かな?どの店舗もこんなものかな?
 ヲタ友や若い連中が猫も杓子もさわやかさわやか言うけれど、まぁ、正直長時間並んでまで食べる程のことではないな、と思った。信者の人にはこうゆう話しても一切理解してくれないし、してもらう必要もないけどwまぁ、経験ですよ。食べたことも無いのに評価下げるなんてのは愚の骨頂だからね。食べた上でのお話で、まぁ、諸手をあげて美味しい美味しい言うのは滑稽だなって感想


 こんなところに駅があんの?って感じの西掛川に戻ってきた。知らないと、ここに駅があるのはわからない

 築堤に沿って桜が何本も植えられていて、駅の回りも桜並木

 数少ない利用客に混じって、夜桜撮影

 まだ19時過ぎだけど人気なんて殆ど無い西掛川
 
 古い待合室

 新所原行の列車は直虎号。2017年大河ドラマ「おんな城主 直虎」のラッピング列車
 乗車する列車は、この列車が隣の桜木で交換してくる

  西掛川→掛川:TH2108 19:18発 146レ 普通「掛川」

 本日最後の列車で掛川へ


4/15

 今日も良い天気だ。朝ごはん食べて出発
 掛川インターから東名道にあがって西へ。天竜川を越えて、浜松西インターでおりんりん。
 県道65号線から三方原町交差点を左折し国道257号線へ金指駅東側で天浜線と交差し、ここからは国道362号線。直ぐに金指西で右へ折れて再びの257線。ここは重複区間だったんだな。そのまままっすぐ行けば目的地なのだが、ちょっとだけ寄り道
 大河ドラマ人気で大型観光バスが大量の観光客を吐き出している井伊谷宮を横目に見て進む。大きくS字で丘の上に登ると、小道に鋭角ターンして進入した。何の変哲も無い生活道路に見えるがそれらしい築堤で平坦に進む道は何を隠そう廃線跡。遠州鉄道奥山線の路盤だった道だ

 遠州鉄道奥山線は浜松から北上し、国鉄二俣線金指を経由し山間部に分け入り、引左町奥山までを結んだ鉄道路線である。現在も残る遠州鉄道線(西鹿島線/二俣線と言った)とは異なり、762mmのナローゲージを採用していた。起点の遠鉄浜松(現在の遠州病院)で西鹿島線と接続していたが、軌間が異なるために列車の乗り入れは無く、奥山線から国鉄浜松駅至近の新浜松に至るには乗換えを必要とした
 軽便規格であったが、遠鉄浜松から8.2キロ地点である曳馬野までは電化されており、電化と非電化が混在した路線であった。つまり、金指から浜松へ出るには奥山線を利用するのが最短だったが、途中2度の乗換えを要し(牽かれていた客車は直通したが)、当時の西鹿島線は遠鉄浜松から新浜松に至る僅かな間に遠州馬込駅でのスイッチバックを経由するなど必ずしも便は良くなかった
 1914年に浜松軽便鉄道として元城〜金指間が開業したのを初めに、1923年に奥山までが延長され全通開業された。1947年に遠州鉄道に合併され同社奥山線となり、1950年に曳馬野までが電化され、併せて翌年には蒸気列車の運転が終了した
 国鉄からの貨車受け渡しを目論み、改軌計画が持ち上がるが実現せず。また、現在では大きな都市に変貌した浜松近郊にあっても、当時は人口希薄地帯を運行していたために収入は上がらず、1950年代からのモータリーゼーションによって経営は深刻化した
 結果、1963年にまずは金指から少し先の気賀口から奥山までが部分廃止。翌年には残った浜松から気賀口まで全線が一気に廃止され、これをもって遠州鉄道奥山線は全線が廃止されるに至った
 仮に改軌が実現していれば、電化されていた曳馬野までは残った可能性もあるが、狭いところで1キロ未満、概ね2〜3キロの間隔で並行している西鹿島線があるためにやはり廃止の憂き目にあっただろう。もっとも、現在は住宅地が広がっているので生き残っていれば営業成績は悪くは無かったかもしれない

 そんな奥山線を走った気動車が今も保存されている。廃線後、ほぼそのままの姿で塗装だけ変更されたキハ1803はキハ3となって石川県の尾小屋鉄道に嫁ぎ、同線の廃止となる1977年まで主力として活躍した

 奥山線の車両は他にキハ1804が花巻電鉄に譲渡されたが、花巻電鉄そのものが直ぐに廃止され、生き残りはキハ3となった同車だけだった
 
 車番が切り抜き文字で溶接されているので、全体を塗り潰して必要部分だけ塗装したのが良くわかる
 現在は旧尾小屋駅そばの小松市立ポッポ汽車展示館で動態保存されている。2012年には奥山線時代の茶色単色に塗り直され、車内や装備品も奥山線時代のものが再現された

 廃線後の奥山線の路盤は、一部はあちこちが生活道路になって残っている。ここもそうで、地図を見るといかにも鉄道線的なカーブを描いた道路が山中に向かって記されている。もっとも、地方私鉄の軽便規格の路線なので道幅は狭く、馴れない他県ナンバーの車が迷い込んだら面食らうこと請け合いである。平地は拡幅されているが、築堤部分なぞは当時の路盤幅そのままなので非常に狭い

 良い雰囲気の神社の脇を通り越して、道幅が一際広がったここが、かつての奥山線井伊谷駅跡であるそうだ。写真は金指、浜松側を見ている

 大分広い。ホームは1面1線で交換不能駅。線路の東側に設えていた。どの辺りとは明確にはいえないが、このカーブした近辺にあった
 現在は住宅が大分増えているが、井伊谷村の代表駅ながら村の中心からは大分離れており、廃止間際は気賀口より先奥山までは朝晩の他は日中1往復しか走らない閑散路線であった

 本線軌道上辺りから奥山方面を見る。正面、左に入ってゆく小道が奥山線跡である。そこまでは付き合わず、右側の二車線道路を辿って次の目的地へと車を進めた

 引左多目的研修センター横の駐車場に停め、歩くこと2分!!

 井伊谷城への入口に到達

 大河ドラマの影響により観光客誘致のため整備されたので、非常に解りやすくて助かる

 標高110mほどの小山だが直ぐに見晴らしは良くなる。背後はアルプスに連なる標高険しい山脈ながら、南方の見晴らしはよく堅牢な山城と讃えられたのも頷ける

 途中に神社があった

 赤い稲荷の幟と鳥居。小さな社と桜。素敵♪

 暫く整備された山道を上がると井伊谷城の本丸跡に到着。下からゆっくり歩いても15分程度

 遺構は特に残っていない

 広場に見晴台

 右に写っている赤い道が滑り止めで舗装された登坂路

 2017年大河ドラマの舞台だけあって、あんな観光用看板もしつらえてある

 本丸跡からの眺め。

 井伊谷城址のあらまし

 山頂に土塁を巡らせるだけの単純な構造、とあるように石垣など後年に残り易い遺構も殆ど無い
 井伊谷城が築城されたのは平安時代末期とされる。名前の通り、井伊谷を治めた井伊氏によって代々受け継がれ、この地も治められてきた。多くの人に馴染みがあるのが、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼であろう。彼もこの井伊家の直系である
 戦国時代は今川に従軍する井伊であるが、桶狭間の戦いで当時の城主井伊直盛が戦死、家督は直親が継ぐが、今川から謀反を疑われ殺害されてしまう。この後、直親の1児、虎松が家督を継ぐまでの間、井伊直虎が城主を務めた。これが、ドラマになる「おんな城主・直虎」である
 戦国時代末期には徳川についた井伊家は、江戸幕府においても要職を歴代するが、所領を彦根としたことで井伊谷を離れるに至った。井伊谷城が廃城となった時期は定かではないと言われている

 桜並木を下る

 桜とSA、in井伊谷

 井伊谷の中心
 257号線を北へ。高速を使おうかと思ったが、一般道も快適だし距離もさほど無いのでそのまま
 本長篠で国道151号線伊那街道に入るとまもなく、長篠城

 長篠桜とSA22C。山間部近くなだけあって、少し桜が散るのも遅いみたい。でも天気が・・・・・・

 城内も長篠の桜はまだまだ見頃

 1508年、今川の家臣、菅沼元成が築城したのが長篠城の始まりである
 その後、徳川に帰属するが1571年、武田氏に攻め込まれ、陥落こそ免れるものの武田方に開城。武田軍撤退の1573年には徳川により奪取され、その頃に長篠城は要塞としての機能を回復、向上の整備が行われている
 1575年には病没した武田信玄の跡を継いだ勝頼の軍勢による長篠の戦いが勃発。渦中であった長篠城は荒廃し、翌年には廃城となり、時の城主であった奥平信昌は近隣に新城城を築城しこちらに移っている

 この辺りの土塁が一番原型を留めているだろうか
 徳川家康が長篠城を奪取した際に修築したものだと言われている

 複雑な堀を形成する過程で出来た土塁

 この広場が本丸跡。寒狭川と大野川の合流点、断崖の上に位置しているが、ここだけみると平城のような様相。実際分類としては平城とされているが、実際は山城である

 長篠城の直ぐ脇をJR飯田線が走っているのは有名な話
 豊橋から路線を延ばしてきた豊川鉄道が長篠駅(現在の大海駅)まで開業したのが1900年。この長篠駅から三河川合駅まで、長篠城脇を通る鉄道が豊川鉄道の傍系、鳳来寺鉄道の手によって敷設されたのが1923年のことだった

 というか、城址を分断してるんだな

 数分で電車が来そうなので待って撮影してみた。桜と飯田線313系
 もう今じゃ銀色の電車しか来ないのは解っていたけど、どうせなら211系の方が良かった

 本丸跡の碑

 高台に上ると、寒狭川に落ち込む滝が見える

 滝と緑紅葉。シーズンはさぞかし賑わうのであろう

 長篠城址からは一旦南下。新城ICより新東名に
 西へ向かうにつれて、天気は下り坂。ポツポツ来たなと思うまもなく雨は本降りになった
 食事を兼ねて岡崎SAにイン

 岡崎SAでSA発見!ややこしいなw
 後期のターボだな。ホイールもノーマルで綺麗な固体だ。羨ましいw並べてみようかと思ったが、あいにくと左右ともに空かなかった
 思わぬ出会いに沸き立ち、給油して再出発。豊田東JCTから伊勢湾岸自動車道に入り、直ぐの豊田東ICでおりんりん。南へと国道248号を進む。雨と交通渋滞に辟易した大樹寺三丁目で左折。由来となった大樹寺前を通り、駅前へと続く県道39号を南下することに。こちらの方が道は狭いが流れは頗る良好
 そうそう、大樹寺といえば名鉄挙母線と岡崎市内線の接続駅だったことで鉄道ファンには有名である。遺構、ないしはどちらかの線路跡でも見えないかと目を凝らしたが宅地に埋もれて痕跡は解らなかった。岡崎市内線が廃線になったのは1962年。挙母線の廃止が1973年。周囲は住宅密集地のこと、痕跡は直ぐに埋もれてしまったのだろうな

 岡崎城の周りをぐるんぐるん回り駐車場を探してさまよい。ようやっと到着

 久々にやってきた岡崎城公園

 岡崎城天守。ここは25年くらい前に来たことがある
 岡崎城は徳川家康の生地。別名龍城とも呼ばれている。1873年、廃城令により破却され、天守以下の建物は悉く破壊された。現在の再建天守は1959年に鉄筋コンクリート造りで建築されたもの

 いかにも!って感じのお堀と石垣。ここも紅葉なら綺麗だろうな

 そのつもりはなかったけど、百名城スタンプの為に天守に登った。天守から矢作川を渡る名鉄1000系パノラマスーパーを撮る。更新車増えたのかな?
 
 さっきまでの曇天が嘘のように回復し、眩しい太陽のもと本日の宿へと向かう
 岡崎ICから東名道に乗り、西へ。名古屋ICから名古屋都市高。本郷IC、上社JCTを経て第二環状を北上。小幡ICで降りちゃったけど、勝川まで行っても良かったな。高速の側道である国道302号線を走り、庄内川を渡った先、松河戸町北を右折、県道30号から25号を辿り。本日の宿泊地春日井入り
 今日の宿は駅至近の春日井中央ホテルさま

 小休止して、夕食摂りに名古屋に赴く

 お酒も飲むので電車で出かける。ここから名古屋までは中央本線で20分少々だ
 春日井は王子製紙の工場があり、専用線を介して専用貨物が運行されているが夕方には列車が無いらしく側線も閑散としている

  春日井→名古屋:クモハ211−5618 16:14発 5742M 快速「名古屋」


 名古屋駅前!名古屋久々だな。小牧山城に出かけたとき以来だな

 駅近くの炉辺焼き「かぶと」名駅本店さまで酒宴

 明日のイベントに参加する、椎名先生バクさん、バクさんのお友だちのツバサさんと酒♪

  名古屋→金山:クモハ211−5019 21:37発 3139M 普通「高蔵寺」
  金山→春日井:313系(車番不明) 22:11発 5767M 快速「中津川」

 のたくら帰ってばたんきゅー


4/16

 春日井から犬山に移動して、今日は犬山スタート
 ざっくり30分くらいあれば着くだろう?という時間間隔、距離間隔で春日井に宿を取ったが、まぁそんなもんだった。そもそも、最初は犬山市内だったし、暫くは小牧に泊まるつもりでいた
 国道19号を走り春日井ICから小牧ICまで一区間だけ高速に乗り、小牧から国道41号を北上

 犬山国際観光センター「フロイデ」の駐車場にイン。今日はここで「御城プロジェクト」の同人誌即売会が開催されるのだ!
 もっとも、うきはは参加しないので、荷物の搬入を済ませたら、

 徒歩で犬山駅へ

 犬山駅スタートで名鉄電車、その他名古屋圏の鉄道乗り潰しに出かけるぞ!

 前面帯が褪せ褪せの名古屋市交通局7000形。4連2本だけが製造された。小牧線用名鉄300系の名古屋市バージョンだ

 3632F普通犬山止め。側面は6000系と変わらないが、6000系の後継車種として登場した3500系

 同じく3500系3613F急行新鵜沼行

 300系341F小牧線の犬山行
 仕様統一されているはずだが、前面も側面も素材の質感も名鉄と名市交とは異なる小牧線の電車

 6500系6515F中部国際空港行

 2008、特急新鵜沼行ミュースカイ

 乗車した2204F、特急豊橋行

  犬山→名鉄名古屋:2254 9:37発 特急「豊橋」 2号車3D 特別車


 いきなり安楽椅子w
 この特急は前2両が特別車指定席で、後ろ4両が一般車。一般車なら普通乗車券だけで乗車できるが、必ず座れる特別車をチョイス

 犬山線でも100キロ以上出すんだな。2200にもモニター付いてる
 25分程で名古屋に到着
<名鉄名古屋>

 東岡崎行6000。これが一番オリジナルに近い形?
 直ぐの連絡で知多半島方面の特急列車に乗り継ぐ

  名鉄名古屋→内海:1061 10:11発 特急「内海」 2号車6D 特別車

 パノラマスーパー未更新車。さっき、栄生に止ってたやつだな
 太田川で常滑線と別れ、ここからは未乗区間
<阿久比>

 あぐい

 名鉄のPRアニメのやつやな。泣けるやつや

 ちょっと時代を感じる速度表示。速度によって、パノラマスーパーの車体が出てくる

 パノスパの車内

 車椅子スペースのためここだけ1人席

 どんどん乗客が減って行って、富貴に到着。ここから知多新線に入る。それまで河和線は複線だったが、ここからは単線

 単線だが複線分の用地が全て確保されている。当初は全線複線化を目指していたのだろうね
 ニュータウンの建設計画や、それに伴う新駅設置の計画もあったが、それらは実現せずに今もローカル線のまま。ここが複線化されることはないだろうな。名古屋方面への特急電車が設定されていることだけが救いか

 一番前の展望席まで来てみた。あまり撮れる機会もこの先なさそうだし

 前面展望
 半島の山沿いを走るので緑が多いし、トンネルもある。人気はないし、人家も見当たらない・・・・・・

 まもなく、内海。右から2本目、3番線に入る。左にも2本あり、4番線まであることがわかる
 正面の3番4番だけで捌けそうな列車密度だが、4本とも使用しているようだ
 
 内海に到着したパノラマスーパー1011
 リニューアルが進んでいるので、これは撮れて良かった

 1011の運転台。展望席があるので、天地寸法はやはり窮屈だな
 客席と近いので、展望席に座っていると、足元から運転士の喚呼が聞こえてきて何か不思議w

 1800系使用の普通金山行。豪華な特急仕様車の普通電車。もっとも増結用の形式なので2連であるが

 ここからはバスで河和に抜ける予定。一旦駅外へ。立派な高架駅だが、2面4線を使うほど列車も旅客も来ない・・・・・・
 昔は海水浴なんかで賑わったそうだが、今はみんな車だし、そもそもそんなに海水浴なんかにも来ないだろう

 高架下には喫茶店やお土産屋さんが入っている。店を開けているという事は、少なからぬ利用はあるのだろうけど・・・・・・

 券売機、出札窓口、改札口

 券売機は1台で事足りる
 Wikiの記事によるともう一台あるはずなんだが、見当たらんな・・・・・・
 見えてる券売機の左側のとこにあるはずなんだが・・・・・・撤去されたか?

 リトルワールドは犬山の山の中にある野外民族学博物館。名鉄が事業主体。肉フェスやってんだねw

 人気のない、ロータリー
 終着駅なんかはこう、もう少しタクシーなんかが待機してたり、下車客を地元の人や家族が車で出迎えたり・・・・・・無いんだな?

 猫が闊歩する。野良かと思ったが首輪してるし、もう一匹の茶虎と共に、先の高架下お土産屋さんで餌を貰っていた

 ロータリーに佇む海っ子バスのバス停。これが知多半島の先っぽと内海駅、河和駅を結んでいる。南知多町のコミュニティバスである

 て、事らしいですよ
 SKE48ってのは名前のとおり、AKB48の姉妹グループなんやね。中京圏を中心に活躍・・・・・・ってそうかかw

 海っ子バスがやってきた。名前から小型のコミュニティバス的なものかと思っていたが、普通にでかい路線車が来たなw
 いすゞのエルガミオ、SKG−LR290J1。これは海っ子バス1号で、2号は小型コミュニティバスの代名詞のような日野ポンチョが使われている

  内海駅→河和駅:  11:27発 海っ子バス「河和駅」


 車内には至る所にSKE48メンバーの直筆サインが
 南知多町、知多半島の最南端に羽豆岬という岬があるが、SKEがそこをモチーフとしたそのまんま「羽豆岬」という歌を歌っている。そこからのコラボだったらしい
 正直、内海から電車で富貴に出て河和まで来ても時間はそんなに変わらない。でも、ちょっと変化が欲しいのと、やはり短距離でも同じ道を戻るのは出来るだけ回避したい

 20分弱で河和駅前に到着

 海っ子バス。もう一枚撮って、改札をくぐる。再び名鉄電車

 同じ終点でも内海よりも活気がある河和駅。ここも2面4線の行き止まりホーム。2200と5700が停まる

 乗るのは先発の2203を最後尾にした特急

 こっちの5700の方が良かったが、まぁ仕方ない

 最後のSR車、5300/5700はチャンスあれば撮影しておかねば

  河和→知多武豊:2353 11:57発 特急「名古屋」


 ここも肉かよw

 7分で分岐駅の富貴。これで知多半島の名鉄路線は過不足なく乗車した。このままもう1駅先の知多武豊まで行く

 行き先の都合上、裏口みたいな東口に直接降りた

 街道を東へ500mも進むと

 いかにもな敷地に当たる

 敷地の反対側は駅である。JR武豊線の終点、武豊駅だ
 目指す場所はあの駅だが、ちょっとだけ、いかにも敷地を辿ってみよう

 運河を渡る鉄橋の跡

 武豊駅側の橋台の方がわかりやすい

 幅広の敷地が奥へと続いている・・・・・・そのまま辿っていくと右へ大きくカーブして名鉄線をくぐり、その先の工場まで続いているのは机上では知っている
 JR武豊駅から西へ、3kmほどの電化専用線が1986年まで存在していた
 町内にあった日本油脂武豊工場への貨物専用線だが、1983年までは工員輸送用の電車が走っていた。こうした専用線では貨物輸送用に電気機関車を配置し、機関車が貨車を牽くスタイルが定石で、旅客輸送を行う場合はその殆どが機関車牽引の客車という形が多かった。しかしながら、この日本油脂専用線は機関車の配置ももちろんあったものの、電車で工員輸送を行った希少な例であった。その電車はかつては名鉄の基盤の1つ群部線開業で増備したデシ500を、晩年は西武から譲渡されたモハ103、クハ1113がその任に当たっていた
 日本油脂専用線は上写真の工場手前のホームから工員列車が発着していたようだ。貨物の受け渡しはこの辺りまで国鉄のDLが来ていたのだろう。ここから件の鉄橋を渡って武豊駅までは国鉄の専用線と言うことになる。国鉄専用線は南の方では武豊港まで運行されていたが、こちらは1965年に早くも廃止となっている
 同路線の現役時代の姿は、津島軽便堂さま日本油脂専用線に詳しい

 ちょっと銀行に寄り道して、駅へと舞い戻る

 人気の無い終点駅武豊。武豊の中心駅は名実共に名鉄の知多武豊なのかな

 2015年の3月に電化開業したばかりなので、電化設備はまだまだ新しい。本線は重軌道化されているみたいだ
 隣の2本の留置線があるが、電化されているのは1本だけで、残りは非電化。夜間滞泊も行われているとのことだが、何本も泊まらないだろうし、なんなら留置線に前後並べておけば済む話だから、必要最低限の電化工事だけしたのであろう

 折り返しの313系がやってきた。名古屋直通運用を主に311系も入るようだが、日中のワンマン運転は313系の独壇場であろう

  武豊→大府:クモハ313−1329 12:40発 3629G 普通「大府」

 始発時点ではガラガラだったが、次駅の東成岩、半田と大勢の乗車があり、2連ワンマンでは輸送力過小気味であると言えよう。車掌乗務ならともかく、ワンマンで編成両数が少ないと乗降に手間も時間も掛かる
 周辺の工場や専用線への専用貨物、高速貨物が1日5往復程度設定されており、支線区では比較的貨物需要は旺盛なのだが、今日は時間が合わないのか一切見かけることはなかった。それでも活きているヤードなんかを見かけると嬉しい
<緒川>
 地方に進出著しいイオンモールがあるが乗降は確かに多い。降りる数は多いが乗る数も同数程度いて空くことはない
<尾張森岡〜大府>
 勾配の苦手な貨物列車用の線路と別れ、旅客列車用の構内進入経路は築堤で東海道本線下り線を跨ぐ格好になる

 築堤を駆け上がると東海道本線が近付いてくる

 まもなく東海道本線上下線の間に滑り込み、
 
 大府に到着。終点まで結構な乗車率だった。4両でもまったく問題ない
 これにて武豊線完乗。併せてJR東海は全線完乗となった。2011年に美濃赤坂支線乗り潰して以来、久々の未乗線区消化であった

× 大府→刈谷:クハ312−410 13:12発 3324F 普通「岡崎」

 大した距離、時間でもないので一番後ろに立つ。乗換えがタイトなので撮影しなかったが、結果として別段余裕はあったな

〇 刈谷→知立:6240 13:23発 普通「知立」

 
 高架工事たけなわ。仮駅状態の知立に到着した6240
 初めて名鉄電車乗ったときにHL車の急行でやってきたのがこの知立だった。昔ながらの私鉄の乗り換え主要駅みたいな佇まいだったが、もう面影は無いな。高架化されればいっそうなおのこと
 跨線橋渡って三河線ホームへ

 待っていた乗り継ぎの猿投行も6000系。6241。この辺りのローカルは軒並み6000系列だ

× 知立→猿投:6241 13:35発 普通「猿投」

 
 猿投に到着。三河線全線完乗。ここから先、西中金までは2004年に廃止されている。ここから先は乗れなかったということ

 猿投駅舎。小さめながらきちんとした駅舎が建っている。有人駅であった

 隣は猿投検車区。三河線用の6000系や、豊田線用の100系、200系が所属している。廃止区間に接続する末端部なのでもっと寂れているのかと思っていたが、名古屋都市圏輸送の電車基地になっているのでここは廃止にはならないだろう

 そのまま同じ電車で戻る

  猿投→梅坪:6041 14:15発 普通「知立」


 梅坪で豊田線に乗り換え

  梅坪→伏見:145 14:24発 普通「上小田井」

 名古屋市交車に乗っておきたかったが、来たのは名鉄100系。名鉄100は乗ったことがあったか、なかったか・・・・・・
 伏見まで結構ある。乗り通して、名鉄豊田線、地下鉄鶴舞線全線完乗


 伏見から東山線1駅乗る

  伏見→名古屋:N1316 15:15発 普通「高畑」

<名古屋>

 ナゴーヤ。見ての通りの新幹線ホーム
 
 ちょっと余裕が出来たので、やっとの昼食。天下とり御飯。御飯からおかずまで鳥尽くし♪

  名古屋→岐阜羽島:725−3312 15:46発 657A こだま657「新大阪」 5号車3E 普通車自由席


 清洲城!

 1駅乗って岐阜羽島で下車
<新羽島>

 目的はこっち。こっちの為に新幹線1駅乗った

 券売機は最近見かけなくなってきたボタンがずらっと並ぶタイプだった

 新羽島から今日初めての名鉄銀色電車。ローカル支線ながら列車は15分毎にやってくるので意外と便利
 岐阜市内から新幹線連絡を銘打っているのでこの頻度なのだろうが、岐阜から新幹線に乗ろうとすると名古屋に出て乗り継いだ方が遥かに早いし、便利
 元々、近鉄が養老線から分岐して岐阜市内へ路線延長を目論んだ時に岐阜羽島を経由して岐阜市内への乗り入れ構想を策定した。それを阻止する形で名鉄が路線を建設したので新幹線連絡というよりは地域間連絡支線としてしか役に立っていないのに敷設した経緯がある

〇 新羽島→笠松:3235 16:06発 普通「笠松」

<江吉良>

 1駅走って江吉良到着。羽島線完乗
 電車は直通するが、ここからは竹鼻線に変わる。元々は江吉良から先もっと南の大須まで延びていた竹鼻線だが、収支悪化の為に2001年9月30日をもって江吉良〜大須間が廃止となり、それまで2方向に運行されていた列車は全て新羽島への列車に集約された
 羽島線は今回初めてなのだが、竹鼻線は大須までが廃止になる直前に乗っているので、部分廃止前に全線完乗済みである

 竹鼻駅進入
<竹鼻〜不破一色>

<西笠松>
 交換待ちプチ下車

 隣1駅で終点なのだが、笠松は竹鼻線ホームが単式で行違いが出来ないためにここで交換するのであろう

 3154と交換して出発
<笠松>
 
 終点笠松に到着。となりは5300?5700?

〇 笠松→名鉄岐阜:2306 16:32発 特急「名鉄岐阜」


 ほんのちょっとなのと、岐阜の乗換えは一番前が便利なので運転台後ろに立つ
 この電車。貫通扉はフェイクなのか・・・・・・

 東海道本線が高架化されても、いまだに交差部が単線のままでどう考えてもダイヤ作成上ネックになっている岐阜駅進入

 岐阜に到着。普通に開閉しそうな正面扉
 各務原線に乗換え。元々ライバル会社同士なので、ここの乗換えは不便
 
 各務原線ホームに降りると2扉の5700が停車していた。こいつは当たりだw
 岐阜もいつのまにか「名鉄岐阜」になっていた。名古屋然りで「新岐阜」時代の印象が未だに残っている。しかし、新鵜沼は「名鉄鵜沼」にはならないし、新可児は「名鉄可児」にはならない。この辺の匙加減がわからない

  名鉄岐阜→犬山:5704 16:45発 普通「犬山」

 新那加から急行犬山行に変わる
 犬山に帰ってきたが、これで終わりではなく、もう少し先まで行く

× 犬山→新可児:6230 17:21発 普通「新可児」

 
 大分暮れてきた。新可児に到着
 以前来たときは夜中だったな

 新可児からは同じ広見線でも2両ワンマン。一気に輸送力が細くなる
 新可児から先、明智まではかつて八百津線に乗ったときに乗車している。今回はそのさらに先っちょに残った御嵩までの区間を乗り潰す

  新可児→御嵩:6213 17:44発 普通「御嵩」

<御嵩口>

 旅客用ホームは単線上に単ホームなのだが、広い敷地と立派な貨物ホームが残る
 1920年、大正9年の開業時はここが御嶽駅であり終着駅であった。亜炭の積み出しで貨物も賑わったそうだ
<御嵩>
 
 夕陽差し込む終点御嵩に到着。名鉄各線の中でも、行きにくい1箇所を制覇出来た


 駅員無配置ながら立派な駅舎が残る

 ホームは4両対応だが、現在は2両編成しか来ない
 2008年のダイヤ改正までは中部国際空港へ直通する4両編成電車まで発着していたという御嵩だが、現在は新可児行2両編成のみ。昭和時代は特急、高速、急行までパノラマカーさえ乗り入れた駅だった

  御嵩→新可児:6013 17:59発 普通「新可児」

 同じ電車で戻る
<顔戸〜明智>

 2001年9月末に廃止となった八百津線の廃線敷が近付いてくる。竹鼻線大須に出かけたとき、ここも併せて乗りに来た。列車は単行のLE-DC、キハ30だった
 もっとも、時間の都合で夜間だったため、沿線の印象は無い。ただ、乗り通すだけの訪問

 小さい橋があったのだろうか

 構内で合流
<明智>

 明智駅。奥のホームは現在も留置線として残されているが、ここから八百津線の気動車が発着していた
 もっとも、八百津線が現役だった時代は新可児から八百津直通があるときは明智折り返しの御嵩行に乗り継げ、新可児から御嵩直通があるときは明智から折り返しの八百津行に乗り継げる。御嵩方面行の列車交換も行われるなど複雑なダイヤで様々なパターンの列車が発着していた。今は当時の賑わいを思い浮かべるのも困難なくらい凋落甚だしい
<新可児>

 広見線新可児〜御嵩間はワンマンで各駅も無人なので、新可児駅に中間改札が設置されている。JR鶴見線の鶴見駅のような感じ。多くの乗客が新可児駅を経由して行くので、ここで集改札をすれば事足りるのであろう

 銀色の5000系で犬山に戻る

〇 新可児→犬山:5106 18:15発 普通「中部国際空港」

 犬山からは準急中部国際空港行になる

 夕陽を追いかけて西へ。本日最後の列車


 ということで、本日乗車した線区。中京圏を縦横に行き来した。かなりの距離だと思うw
 本日、名鉄の残存線区を殆ど乗り潰したので、残すは吉良吉田〜蒲郡間の蒲郡線1線のみとなった。その立地から今回どうしても組み込めなかった1線だ

 車で走ること10分ほど

 今日の宿は犬山、木曽川のほとりにある名鉄犬山ホテル
 高級ホテルの一種だが、夕食を省き、日曜の夜に宿泊にしたので割合リーズナブルになった

 部屋が桜吹雪だ!!

 温泉に浸かって疲れを癒そう。今日も成果はたくさんあった


4/17

 朝、おんせ〜ん♪

 ちょこっと走ってすぐに目的地に到着

 F−4EJだ!「改」が付かない、EJはもはや岐阜にしかいない。ここいらは岐阜基地のアプローチコースになっているようで、T−4やC−1FTB、F−15、F−2を見かけた。X−2は残念ながら飛んでいなかった

 塗り固められた石畳であったあろう坂道を上がっていく。正面は道具櫓

 本丸への入口。鉄門に到着。入ると直ぐに本丸広場だ

 正面には犬山城天守閣!現存12天守の1つ、別名白帝城とも呼ばれる
 ちなみに、現存する12天守は江戸時代ないしはそれ以前に築城され現存される天守で、国内に12閣ある。北から弘前、松本、丸岡、犬山、彦根、姫路、松江、備中松山、丸亀、松山、宇和島、高知である
 今回、犬山を訪れたので、弘前、松本、犬山、彦根、姫路、松江、備中松山の7天守に訪れたことになる
 分類的には平山城であるが、周囲は広い平野であり、ひときわ山の上に聳え立っている感が凄い。こんなに山の上に木造の望楼形天守でよく長い年月雨風に耐えられたな、伊勢湾台風とかあったろうに・・・・・・と思って調べたら、やはり伊勢湾台風で被害を受けて解体修繕がなされているようだ
 昔の作りなので狭くて急な階段を恐る恐る上って最上階へ。外の回廊に出てみると・・・・・・

 防護柵無いのかよ!!昔からの背の無茶苦茶低い木柵だけだよ。簡単におっこちるよ!おっかねぇなwww
 大体は、金網とかで塞がれているんだけどね。ここはそんな無粋なものはなく、昔からの姿のまま。これでも転落事故なんかは起きたことがないんだそうだ

 無粋なものが無いお陰で見晴らしはとてもいい。長良川河口方面を見る
 堰は犬山頭首工。付随する道路橋は犬山頭首工ライン大橋と呼ばれる。かつて上流にあった犬山橋は名鉄電車との道路併用橋だったのだが、電車通行による渋滞が頻発し、このバイパスルートとしてこちらに橋が掛けられた

 北側正面。堰があるので長良川の流れは緩やかかつ満々とした水。この辺りで鵜飼漁が行われる。右上にちょっと写っているのが犬山橋。現在は道路併用橋だった犬山橋を名鉄電車のみが使用しており、すぐ下流側に道路専用橋が新設され車と電車の通行が完全に区分された

 昨日泊まった犬山ホテル。犬山橋が見える。正面手前がわの小山が成田山や犬山遊園、モンキーパークがある

 本丸広場を俯瞰
 なかなかスリリングな天守閣回廊を堪能♪

 城内にある針鋼神社

 煙凄いなおいw

 お土産屋さんを物色し、早目に岐路に着く。どこまで天気持つかなぁ・・・・・・
 犬山市街を東へ、可児方面に抜けて可児御嵩ICから東海環状自動車道へ。土岐JCTで中央道へ入り、中津川まで走っておりんりん。ここからいつも通りに中山道。なんだかんだで、木曽路を流すのは好き♪
 山の中に、遠目に桜の並木を見つけたのでわざわざUターンして、「乙姫」というなんで山の中にこんな名前がついてるんだ?って交差点を右折

 木曽川を渡った先の小道でSAと桜撮影
 来た道を戻って、乙姫交差点を中山道に戻らず直進。そのまま行くと、以前に行った馬籠宿へと続く道だ

 丁度、中山道の上側あたりに植わっていた桜の前で撮影

 斜め後ろからも。ここらあたりはまだまだ綺麗に咲いてるね。天気がよければバリ順で撮れたんだけどな。惜しい
 いい加減、寄り道せんと中山道を辿りますよ〜

 小腹が空いたので、道の駅賤母で小休止。賤母は「しずも」って読む。木曽は難読な地名多いよね

 駐車場から木曽川を望める。正面の滝が気になる

 滝というか、水路が落ち込んでいる。暗渠になっているようで、上には中央西線が走っている。田立駅の直ぐ東側のようだ

 長野県に入って、道の駅大桑でうどんの昼食。とうとう雨が降り出してきた。以降は霧雨けぶる木曽路を辿ることに。
 弱くなったり強くなったりの雨の中、鳥居峠を越え塩尻へ。もう少しで塩尻の街中と言う手前、中山道一里塚という交差点を右に。初めてのルートだ。平出遺跡というのを右に見て、昭和電工の工場脇を進むと中央東線と交差。国道153号線へと至る
 国道を南、辰野方面に進み。善知鳥峠を越える。SAで善知鳥峠越えるのは初めてだな。辰野からは北へ

 ほたる童謡公園で小休止。雨は・・・・・・小降り

 ららおかや!
 諏訪湖南岸を進み。見たかった案件に寄り道。ちょっと行き過ぎて慌てて戻ったけどw

 以前見かけて、気になっていた廃バスである

 旧国鉄バスの塗色のこの廃バスは日産ディーゼルの4RA103という形式らしい

 国鉄バスといえば現在のJRバスに通じる青いボディの印象だが、その前はこんな黄色や緑色の塗色だった

 国鉄バス車番は538−2501
 界隈では上諏訪から岡谷や塩尻、和田峠を越えて諏訪と上田や丸子を結ぶ路線が国鉄バスとして運行されていた。その辺りで走っていたバスなんだろうな

 車内はこんなありさまだが、運転席シートの綺麗さが際立つ
 倉庫として使われていたんだろうな

 丸い感じのリアデザインも好印象。よく見ればタイヤも履いてるじゃないの
 窓ガラスは殆どないし、ライトケースとかも欠損しているけど、全体的には塗装も含めて往時の姿を残していると思う。鉄道以上にバスの保存例は少ないので、この手のバスも然るべきところで修繕し保存していただきたい

 諏訪インターから中央道に乗り。後はひたすら東進

 釈迦堂!雨は降っていない。ここまで来ればおうちも直ぐそこだ

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