磐越陸羽紀行


<2018年5月某日>
 書庫を整理していたら、1999年の1月に出掛けたメモを発見したので、約20年を経て紀行化
 シャッターの調子が悪いカメラで出掛けているので写真はあまり無い。掲載写真の下側が変色しているのはシャッター幕の不具合(隙間が出来ている)為
 この年、新潟交通(4月)、蒲原鉄道(11月)が相次いで営業を止め、新潟県下の一般営業をする地方私鉄が一気に全滅した。(第三セクターとしては97年開業のほくほく線が現在も残る)蒲原鉄道はこの数年前に乗っていたが、新潟交通は乗ったことが無く、また蒲原についても前回は夕方だったためまともな写真が一枚も無いので、これを期に再訪しておきたかった
 あわせて周辺の未乗線区をつぶしておこうという算段だった。この頃は青春18が20日まで使用できたので、学校が始まって最初の連休に狙いを定めた

<1999/1/15>

 早朝自転車を走らせ最寄駅の館腰へ向かう。当時は仙台空港の直ぐそばに住んでいたため、館腰までの早朝交通機関は皆無。自分のアシだけが頼りだった。自転車では概ね20分てところだ
 館腰は駅員時間指定配置駅で早朝深夜はもちろん居ない。どうやって18切符に鋏を入れてもらったかは覚えていない。きっと最初の列車の車掌さんあたりに入れてもらったのかな?

  館腰→郡山:455系 6:18発 570M 普通「郡山」

 旅の1番列車が455系とは幸先良い。東北本線ローカルは特に仙台口についてはほとんどが701系か719系となっており、455系に当たればラッキーであった
 455系6連。1番後ろの車両のBOXに席を取る
<大河原>
 4つ目の大河原で高速貨物列車を退避。プチ下車一服

 白石で雪がちらつき、越河では線路脇に積雪が見える。いつも眺めが素晴らしい貝田〜藤田間で朝の福島盆地
<郡山>
 8:21到着。直ぐの連絡で磐越西線へ

× 郡山→喜多方:455系 8:29発 3231M 快速ばんだい1号「喜多方」

 この頃は普通列車も快速列車もほとんど455系。快速列車の一部には「クロハ」も設定されていた
 乗った列車は455系3両連結。新幹線からの乗り継ぎ客が居るのだろう、座席はほぼ埋まっており、最後尾デッキに立つ。東京を6時半過ぎに出てくればちょうどこの列車に乗れる
 583系シュプール猪苗代の返却回送と交換して発車、と思いきやまだでない。所定28分のところ、31分に遅れて到着した上り寝台特急北斗星6号からの乗り換え客を待って発車
 郡山を出るとすぐに雪景色。中山峠にむかってどんどん高度を取る
<中山宿>
 95年に客車列車が廃止になったことで、97年にはスイッチバックが廃止され本線上にホームが移設された
 ここから峠越えでいよいよ雪も深くなる。窓という窓が曇っており視界は利かない。デッキも混み合っているので身動きは取れない
<猪苗代>
 スキー客が大量に下車したので車端のロングシート部分に着席
<翁島>
 4分停車しビバあいづと交換。翁島は通過駅なのでもちろんドアは開かない
 所定ではこの先の磐梯町で交換だが、郡山を遅れて発車したので変更されたのだろう
<会津若松>
 9:44到着。ほとんどの乗客が下車し、車内は閑散。BOX席へと移動する
 この先、新津方面列車は会津若松始発であるが、時間が大分あるのでそのまま喜多方まで行ってみる
 9:50に逆向きに出発。会津盆地を快走して喜多方へ
<喜多方>
 ラーメンの町喜多方であるがラーメンをすするにはいささか早すぎる午前10時
 かつて日中線が発着していた0番線ホームを眺めていると会津若松方面行の改札が始まった

  喜多方→塩川:キハ110 10:23発 3222D 快速あがの2号「会津若松」

<塩川>
 会津豊川、姥堂を通過して最初の停車駅塩川で下車
 磐越西線喜多方〜会津若松間には喜多方から順に会津豊川、姥堂、塩川、笈川、堂島という駅があるが、塩川を除いて、1日上下5往復しか列車が停まらない。会津若松〜喜多方間は列車本数も多いが、普通列車でもこれらの駅は通過してしまう

 塩川にはセメントターミナル株式会社会津営業所専用線があった。おりしもDD51 757がセメント貨車をプラントに押し込んでいるところだった。当時はインターネットなど無く、本や伝聞で聞くだけだったので圧倒的に情報は薄かった。塩川に専用線があることなぞもちろん知らないので、列車の運行日、ダイヤなどはもってのほかだった。まったくの偶然であったが、ここでDD51を撮れたのはこれが最初で最後。専用線は2007年3月の貨物列車廃止をもって使用が停止された
 余談だが、この塩川へのセメント列車は新潟の青海駅から発送されていたが、塩川の専用線には機回し設備が無く、やってきた列車は塩川で列車交換した後一度会津若松まで運転。会津若松で機回しした後再度塩川までやってきた駅を喜多方側まで通過、推進でプラントに押し込んでいた
 この貨物列車は東新潟機関区のDD51が牽引していたが、2010年には他の仕業も失い全機が他区へと転出していった。その後の。2011年の東日本大震災で臨時石油輸送列車を磐越西線経由で東北へ送り込もうとした際には東新潟に既にDD51が居なかったため、遠く吹田や門司から機関車を借りて運転されたという

  塩川→五泉:キハ110 10:57発 3221D 快速あがの1号「新潟」

 先ほど乗車したあがの2号の折り返しの編成。BOX席は埋まっていたが、喜多方あたりで動きがあるだろうと待機
<喜多方>
 案の定、喜多方で乗客が入れ替わり、BOX席にありつけた
 山間を走る列車は雪と川面と目まぐるしく景色が変わる
<津川>

 交換待ちプチ下車。乗車している快速あがの1号キハ110、3連を撮影

<五泉>
 12:51到着。蒲原鉄道に乗り換え。次の村松行は12:58。時間が無いわけではないが、十分ではない。JRホームからそのまま蒲原の乗り場に行けるし、村松で精算でも勿論良いのだが出来れば、切符を入手して入場したい。しかし駅舎内には蒲原の切符売り場は見当たらない、一回JR駅を出て蒲原の駅を探す。左右見回して、ロータリーの左隅にトタン板の駅舎を発見突撃
 切符を購入して再度構内へ。切符を切ってくれた駅員さんは「6分に入線だよ」と教えてくれる。そうか「56分入線か、もう直ぐだな」と思ってホームに・・・・・・が、しかし電車はやってこない
 さらに待つことしばし、13時5分頃に踏切がなり始めた。まもなく黄色と紺色ツートンの電車が姿を現した。電車の到着は「13時6分」だった・・・・・・
 プランでは12時58分発の電車で村松へ行き、直ぐ折り返しの13:15発の電車で五泉に戻るつもりだった。しかし、やってきた電車は13:6着。折り返しは時刻表を見ると13:15発。おかしいな?と思ったが、この電車で行くと村松から折り返しでは予定していた磐越西線の列車には間に合わず、それはつまり新潟交通に乗れなくなるということ
 仕方ないので、蒲原鉄道は五泉での撮影だけであきらめ、新潟方面へ向かうことにした。後で時刻表を良く見たら村松と五泉をひっくり返してみていた。初歩的なミスであった

 村松からやってきた単行電車はモハ71だった。五泉側(写真の正面)に元国鉄のキハ41000改造のクハ10を連結し、ラッシュ時に2両半固定で運行されている電車。廃止までの長い期間ラッシュ時の限定運用だったので、日中にクハを切り離して単行で運行されている姿は珍しい。ぜひ乗っておきたかった

 ホームで折り返し客待ち中のモハ71。元武蔵野鉄道のデハ320でモハ230に改番された後、電装解除されてクハ1211になった
 蒲原へは1965年に譲渡されたが、その際に両運転台化、再度電装工事が所沢工場で行われ入線している。地元が西武沿線なので鉄道趣味の原点が西武鉄道なのだが、その源流武蔵野鉄道の電車に平成になってから触れられるとは思いもしなかったよね

 モハ71の車内。昭和40年代から止まっている・・・・・・
 木の床、半自動の客用扉

○ 五泉→新潟:キハ110 快速「新潟」

 先ほど馬下で見た車両ぽい。混んでいたので一番前に立つ

  新潟→関屋:車種不明

 蒲原を諦めたので、新潟へは1時間ほど早く到着。もともと、明るい時間に新潟交通に到着できるようにプランを組んだが、さらに有効時間に訪れることが出来た
 しかし、今度の電車は東関屋を14:07発。越後線関屋駅到着は14:01着。両駅名前が違うことでわかるとおり、隣接はしていない。川のほうへ200mも行けば駅だと判っていたが、時間は6分しかない。小走りに向かったので、両駅間の記憶がまったく無い

○ 東関屋→月潟:モハ18 14:07発 「月潟」

 なんとか間に合った。雑多な電車が集まる蒲原鉄道と異なり、新潟交通は日車標準車体の統一された小型電車ばかりである
 電車は東関屋を出るとまもなく信濃川、関屋分水路を長い橋梁で渡り、信濃川に沿って南下してゆく。4月には廃止になるので、沿線の随所でカメラを向ける人が多い。車内も鉄道ファンが殆どだろう
 電車は左右に揺れながら細道を飛ばす。スピードメーターは最高60km/hを指している。結構早い
<月潟>

 東関屋から40分程かかって月潟に到着。乗ってきたモハ18を撮影。月潟は元々交換可能駅だったが、1線剥がされ棒線駅になっていた
 モハ18はモハ10形一族8両のうちの1両だが、正式にはモハ10は11、12、14の3両で開業時に新製した同系車両の代替更新。モハ18はモハ18形モハ18が正式。現在の仙石線の前身、宮城電鉄の買収国電クハ6300を1956年に譲渡されたクハ38が母体。これを車体更新し電装化したのがモハ18である
 その他にモハ19形モハ19、20形20、24形などがあり改造種車が違うだけで晩年はみな同じ車体を架装されていた。このように調査するには楽しい鉄道だったが、電車に関してはみな同じ形なのでぎりぎりまで来訪せずに終わってしまった

 月潟から先、かつては燕までを結んでいた。1993年8月に月潟〜燕間が廃止された。これによって当線はJR線と接続しない鉄道になったが、そもそもが新潟寄りでJRで接続していない、新潟中心部に乗り入れていない、ことがこの鉄道を運命付けた
 6年も前に廃止された区間だが、やっと線路跡に重機が入って改修工事が始まったみたいだ

 ローカル私鉄っぽい感じ

 モハ18の車内。地元の人もたくさん乗っていた

  月潟→東関屋:モハ18 

 同じ電車でのんびり東関屋へ戻る
<東関屋>
 前倒しして、時間に余裕が出来たので東関屋の車庫を見物

 すでに運用は中止されていたが、同線一番の大型車、小田急2220も見える。主力電車はみんな同じ顔のモダンデザイン日車標準電車達だった
 中央のモハ11が現在月潟駅に保存されており、現在もその姿を見学することが出来る

 朝ラッシュ時の増結用クハ
 月潟〜燕間があった時代には朝ラッシュ時には20分間隔での高頻度運転が行われており、増結運用も多かった。月潟以南廃止時も運転頻度はさして変わりが無かったが、増結用クハはこのクハ46だけになっていた。最盛期はクハ45〜50の6両が在籍していたが、部分廃止時に47〜50が、その後直ぐに45も廃車となり最後まで残ったのはこの46だけだった。種車は元小田急のデハ1408

 1984年に小田急から導入したモハ2220。小田急時代の2229−2230をそのまま名乗った。ワンマン運転対応機器と路面区間用の排障器を付けた以外は塗装も小田急時代そのまま。1998年秋にモーター故障を起こし走行不能になっており、そのまま廃止まで動くことはなかった

 東関屋駅西一つ目の踏切で月潟行電車を撮影。15:35発の当初乗る予定だった電車。先ほど1往復したモハ18で、走行写真はこれ1枚きりしか撮影出来なかった。活きている新潟交通としては、最後の写真になった


<閑話休題:2015年の月潟>

 2015年4月。所用で新潟へ出掛けたおり、帰途で少し時間があったので月潟駅を再訪してみた。廃止後初めて、1999年1月15日以来15年ぶりの訪れであった

 駅舎はほぼそのまま、現役時代そのものだ

 駅舎内からホームを見る。保存車両が向こうに見える

 ちょうど桜が咲いていた。桜とモハ11

 保存車両はモハ11、デワ51、キ116の3両が並んでいる。保存線は現役時代のホーム
 左側のホームは交換可能駅だった時代の燕方面行ホームであるが、近年隣を流れる中之口川の護岸工事の為に堤防道路が拡張され少し内側に移設された

 新潟交通のアイドルだった電動貨車のモワ51。全長11mの愛らしい小型電車
 開業時に準備された電動貨車で、燕から乗り入れた国鉄貨車を牽引する機関車代用でも使用された。こんな小さな電車だが、最大で2軸貨車8両を牽引したそうだ
 現役時代には撮影できなった。走行写真を撮りたかったなぁ

 ラッセルヘッドのキ116。国鉄キ100を譲り受けたもので、同系が弘南鉄道、津軽鉄道で現役である

 デワの車内。貴重な資料の保存庫であるが、ただ倉庫として使っている節もあるなw

 デワの運転台。殆どが木製だ。スピードメーターは・・・・・・ないな?
 鉄道がなくなってしまったのは悲しい、寂しい。でも、この保存車たちが末永くここで生き永らえれば良いと思う


<閑話休題終わり本文に戻る>

 今度はゆっくり関屋に戻る

  関屋→新潟:115系? 16:12発 普通「新潟」

 一度、駅近くのビジネスホテルにチェックイン。すぐさま再出発。駅へと戻る

  新潟→豊栄:キハ52 16:55発 快速べにばな4号「米沢」

 蒲原鉄道省略により捻出された時間は新潟交通だけではなく、乗れない予定だった羽越線新発田〜新津間の乗車も可能にした。新発田方面に向かうが、羽越線列車との兼ね合いで途中で寄り道しながら進む
<豊栄>
 「とよさか」と読む。べにばなは最初の停車駅。新潟近郊のベッドタウンにある駅

  豊栄→新発田:115系 普通「村上」
  新発田→新津:キハ47 513 普通「新津」
  新津→東三条:115系  普通「長岡」

 この辺、あまり情報が残っていない。途中、保内でトワイライトエクスプレスとすれ違った

  東三条→吉田:115系 19:35発 248M 普通「吉田」
  吉田→弥彦:115系 19:57発 280M 普通「弥彦」

 弥彦行最終電車。殆ど乗客は居ない。2両連結のワンマン仕様
<弥彦>
 30分以上停車して折り返す。弥彦神社なぞへはいけない時間なので駅から一歩も出ずにすごす。運転手さんもホームの端で一服

  弥彦→吉田:115系 20:35発 251M 普通「東三条」

 折り返しも当然、最終電車。今はどうなっているのか調べたら、2018年現在は20:25発が最終で時間は10分も早くなっていた

  吉田→新潟:115系 20:48発 173M 普通「新潟」

 宿に戻って就寝。明日は6時起き


<1/16>
 
 今日も薄暗いうちからスタート。新潟駅に向かう。朝ソバでもと思ったが、蕎麦屋は営業準備中

  新潟→亀田:165系α編成 7:04発 9722M 快速スキーライナー上越「水上」

 上越国境を越えて水上まで行くらしい。165系のα編成。一応、写していたが早朝で露出不足のためまともに写っていなかった
 もともとディズニーランドへの輸送用にジョイフルトレイン化された「シャトル舞浜」が前身。1995年新潟に転出後、α編成としてリニューアルされた。リゾート向け改造がされているので、車内は横向き座席など一般使用には向かないつくりになっている。車両は2001年に廃車になった
 165系トップナンバー編成で組成された「K−1」編成を期待したが、このスキーライナー上越はα編成の専属だったようだ
 7:12着の亀田で下車

  亀田→荻川:115系 7:17発 普通「長岡」

 すぐに追いかけてくる普通列車で隣の荻川へ

  荻川→新津:キハ110 7:32発 普通

 どこ行だったかなぁ・・・・・・?隣のさつき野でさらに下車して、また乗りなおして、下車駅実績を稼ごうかとも思ったけども、寒いし馬鹿らしいので新津まで直行

  新津→新潟:583系 8:14発 3527M 快速「新潟」 4号車自由席喫煙車

 新津までは急行きたぐにとして運転されてきた列車。新津〜新潟間は新潟行のみ快速列車となる
 「優等列車」なので車内で喫煙が可能。しかし、きたぐにとしてはもう終着間近の末端部。新潟は余りに近かった
 本来向かうべきは北なのだが、583系に乗りたいが為だけに新津まで寄り道をした
<新潟>

 新潟に到着した583系きたぐに。3年ほど前に乗車したときはブルーのボディに青と緑の帯を巻いた塗装だったが、グレーを基調としたJR西日本のコーポレートカラー的なものになっていた
 月見ソバをかきこんで次の列車のホームへ

 乗り継いだ米沢行べにばな2号のキハ52 120

  新潟→中条:キハ52 120 8:43発 3822D 快速べにばな2号「米沢」

 キハ52も希少になってきているので、乗れるときに乗っておく
 坂町は以前に下車しているので、その手前、降りたことの無い中条まで行く
<中条>
 村上行までの列車の時間調整

 2006M新潟行いなほ6号サロ込みの485系9連。どんどん短編成化されていったが、酒田発のこの6号と折り返し13号は9両編成の運転だった。先頭は貫通路が付いた200番台

 2001M青森行いなほ1号。こちらは6両編成。先頭は非貫通の300番台だが、クロハに改造されている

 新潟方面行の普通列車115系5連

  中条→村上:E127系 10:12発 927M 普通「村上」

 2両ワンマン。E127系は95年から運用開始された新潟地区ローカル用の3ドア、ステンレス製の通勤車。東北地区ローカル用の701系を直流化したもので、この後松本地区にも登場した。いずれも急行形165系、169系の置き換えようとして増備されている。特に面白味の無い電車だが、松本地区向けの100番台は一部がクロスシートで登場した
<村上>
 交直切替の駅。村上駅の先にデッドセクションがあり、村上を跨いで運転される普通列車はこの頃から現在に至るまでみな気動車での運転となっている。それまではEF81が50系客車を牽いて直通運転をしており、乗換えを要さなかったので、そうゆう意味では現在はサービス低下している
 東北地区用の701系は村上駅に入れないし、115系やE127系は村上から先へは運転できない。東日本は交直両用の普通列車用電車を昨今開発していないので、羽越線の通し運用は今後も気動車が担うであろう
 さて、乗り継ぎの列車はキハ40+48+40の40系列ばかり3連。到着時に眺めていたら、真ん中の48だけクロスシートだったのでそこを目指す

  村上→余目:キハ40 523 10:39発 825D 普通「酒田」

<今川>

 崖と海に挟まれた小さな駅、今川で交換待ち

 直ぐ向こうは荒波打ち付ける日本海

 交換の列車は5012M特急白鳥大阪行。青森を早朝6時に発って早5時間ほど。まだ中間にもたどり着かない。大阪到着は19時過ぎである
 97年3月に受け持ちが上沼垂からJR西日本の京都総合運転所、かつての向日町区に変更となっており、それ以後国鉄色が復活した。ボンネットタイプのクハ481が使用されることもあるが、この日はどちらも電気釜タイプであった

 列車は荒れる日本海を左に見ながら北上する。遠くに飛島が見える
 車内は終始閑散。比較的多い乗降があったのはあつみ温泉だけであった
<幕ノ内信号所>
 鶴岡を出て直ぐのたんぼのど真ん中で停止。信号所のようだ
 9分も停まり、2003M酒田行特急いなほ3号を退避し、2008Mいなほ8号と交換する。なぜ、鶴岡で退避、交換をしないのか・・・

  余目→新庄:キハ40 2026 13:18発 158D 普通「新庄」

 陸羽西線に乗り継ぎ。ホワイトにグリーン帯の東北地域本社色、キハ40×2
 庄内空港に降りるANAのB767−300を見ていると、隣の線路にEF81+DD51牽引のタキが入線。次位のDDは土崎出場の新潟か高崎への無動力回送であろう
 午後の帰宅時間帯通学の高校生で混雑
<狩川>
 2つ目の狩川で学生は殆ど下車し、車内は閑散と
 雪が深くなってくる
<古口>
 1分遅れて到着。交換の列車が遅れたため、5分遅れて発車
 交換列車もキハ40×2
<新庄>
 ここも学生でいっぱい。そして大雪。乗り継ぎが絶妙すぎて食事の確保もままならない

  新庄→小牛田:キハ40 2018 14:31発 1744D 普通「小牛田」

 ここからは陸羽東線。新庄を発車するとしばらくは奥羽本線に沿って走る。次の南新庄は奥羽本線に隣接しているものの、陸羽西線にしか駅は無い
<羽前向町>
 学生は大挙して下車。車内はガラガラに
<鳴子温泉>
 8分停車。プチ下車
 上下列車と、折り返しの待機列車で3本のホームがすべて埋まっている
 この後の鳴子始発の小牛田行きはキハ23が編成の中に入っていた。一本待ってもこちらに乗っておけば良かったな。結局、キハ23にはこの後乗れる機会は無かった。小牛田区のキハ23が引退したのは翌年2000年のことだった

 鳴子から先は列車密度があがり、夕方も近くなって頻繁に列車交換を行う

  小牛田→仙台:キハ28 2446 17:27発 3922D 快速南三陸4号「仙台」

 直ぐの連絡で仙台行の普通列車があるが、キハ58に乗りたいので快速を待つ。気仙沼からの快速南三陸にはキハ58が使用されているのだ
 やってきた南三陸4号はキハ58、28の3両連結だったが、先頭にもう1両増結して小牛田を発車。仙台までは35分ほど。仙台〜小牛田間は無停車で飛ばす

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