〜かごめ歌〜


<キーワード>
・禁忌「カゴメカゴメ」(紅)
・シンデレラケージ 〜 Kagome-Kagome (永)


 かごめ歌。
 日本人ならほとんどの人がご存知かと思う。目隠しした鬼の周りを歌を歌いながら輪になって回り、歌の終わりと共に、鬼は自分の背後の人間を当てる。そんな子供遊びに使われる歌だ。
 かごめ歌の由来には諸説がある。ありすぎると言っても過言ではない。そのなかでも、今回は有力候補、また東西で対となる土地を探訪してきた。
 その発祥は定かではないが、最も古くに記録されたのが千葉県野田市地方だという。そこが広く発祥の地とされているが、京都の豊國廊説もあり東西の対比もあって面白い。そのほかにも、日光東照宮説、葦名説等もある。
 また、今回は本来「かごめ歌」と何の接点も無い「とおりゃんせ」も併せて考察してみようと思う。


「愛宕神社」

・千葉県野田市野田725-1

<アクセス>
・東武野田線愛宕駅徒歩5分


 駅前の通りを西向かって歩くこと5分。正光院というお寺に隣接して鎮座する。

 幹線道路の交差点脇にあるにも関わらず、境内は閑散とし静寂に包まれていた。

 愛宕神社のあらましはこちらで・・・・・・

 本殿には直接触れることが出来ない。かごめ歌発祥の地として、その根拠となった「籠の中の鳥」の彫刻があるのだが、良く見えなかったと言うオチで・・・
 いや、ほんと格子のスキマから覗いても全体像が把握しづらいというか
 本殿そのものが「籠」の中に匿われてしまっている状況なのだ。
 ゆえに、物的証拠をここでさらすことが出来ないのが残念でしかたない・・・

2007/12/12 訪問


「豊國神社」

京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530

<アクセス>
・京阪七条駅より東へ徒歩10分
・京都駅より市バスで三十三間堂前下車北へ300m
・京都駅から20分くらい歩けば行けないことも無い・・・実際、歩いていった

 東の発祥が愛宕神社なら西の発祥がこの豊國神社である。
 その根拠となっているのが、徳川の豊臣忌避説だと言われる。徳川家康の神格化に邪魔な秀吉を神としては亡き者にしようという魂胆だ。実際に、豊國神社の打ちこわしや、秀吉の柩を掘り返して、庶民並みの屈葬にして埋めなおすなどの事件が起こっている。
 その「後ろの正面」が豊國ということになる。江戸時代、京都の正面は方広寺大仏殿、その反対にあるのがこの豊國神社だと言われる。

 実際はそんな政策の裏話を微塵も感じさせることがない、古都の静かな社の一つに過ぎない。

 愛宕神社以上にこちらは物的証拠は無い。そうゆう説があって、その土地に来ただけという・・・
 レポとしては弱いなぁ・・・・・・・

2007/11/3 訪問


「三芳野神社」

・埼玉県川越市郭町2-25-11

<アクセス>
・西武鉄道本川越駅から徒歩約30分
・JR川越線、東武東上線川越駅からも徒歩約30分
・市内循環バス利用で約20〜25分、「本丸御殿」から徒歩すぐ


 というわけで、三芳野神社は童謡「とおりゃんせ」の発祥の地である。
 かつては川越城址内にあり、その参拝が一般の人々には困難であったため、こんな歌が出来たそうだ。
 
 由来を・・・

 この参道がとおりゃんせの「細道」なんだろう。

 行きはよいよい、帰りは怖い・・・・・・・・・
 他の多くの神社と同様に、祭事でも無い限りここも、ひとつの小さな社にすぎない。

2007/12/12 訪問


考察:とおりゃんせ〜かごめかごめ〜

 「とおりゃんせ」と「かごめかごめ」。
 似てないか?そう感じたのが、この考察の発端である。最初のフレーズを口ずさんでみて欲しい。とおりゃんせなら、「細道じゃ」の辺りまで。かごめ歌なら「出やる」辺りまで。
 似てないだろうか?歌詞はもちろん、全然違うしメロディも違う。でも最初の繰り返しとか、なんども口ずさんでいると、不思議とメロディラインも似ている旋律が含まれているような気がする。
 もとろん、それぞれの歌に接点は無い。発祥とされる地にも、その言わんとするところにもだ。
 だからこそ、その符合が気になる。
 諸説ある発祥の地を東、関東にだけ絞って考えてみる。それは川越と野田を比較することにある。どちらも古くからの街で、この両者が歌われた時期、すなわち江戸時代にはそれなりの交流があったと推測できる。ちょうど東西に線を引くと、この両都市は直線上に当たる。大宮を介して物流があったことも推測できる。とうりゃんせのフレーズが、幾つかの河川を越えて、野田に伝来することは有り得ることではないのか?
 川越から野田に来る間に歌詞は変えられ、旋律も微妙に変化してゆく。そうして現在、個々に見たときには待ったくべつのものになってしまっているように感じるだけではないのか?
 では、「とおりゃんせ」から、「かごめ」に変わってしまった要因とはなんなのだろうか?かごめ歌が記録されたもっとも古い時期は昭和初期だという。そう、認知されるようになって、そんなに古い歌ではないのだ。もっとも、歌自体はもっと古くからあったのだろうが。記録されたのが昭和初期という話だけである。
 昭和初期とはどのような時代だったろうか?世は軍国主義の真っ只中、日清日露から日華事変にかけて、軍部がもっとも増長を続けていた時代。日本の政治を軍部が取り仕切っていた時代だ。それは太平洋戦争を経て、日本の軍国主義の終焉まで続く。そんな一見華やかそうに見えて、常に暗雲立ち込める明暗入り乱れた時代だった。
 そこに登場するのがこの「かごめ歌」である。
 その昭和初期と言う時代背景を鑑みて、あらためて歌詞の意味を紐解いてみようと思う。
 籠の中の鳥はすなわち帝=天皇である。軍部、軍政権という「籠」の中に入れられて身動きできなくなった帝であると言える。「いついつでやる」、政治の表舞台にはいつ出てくるだろうか?「後ろの正面だあれ」本当に日本を動かしているのは誰なのか??
 すでに、先行きの怪しくなっていた軍国主義の顛末を、世の子供達は見抜いていたんじゃないか?そんな気がしてくる。軍国主義に従順な半面で、こうした歌の中にその反発の意識を織り込んで唄った。日本をダメにする軍国主義への謀反だったのではないだろうか?そこに、とうりゃんせ、転じてかごめ歌は利用された。
 増長し突っ走る軍部から、天皇政治主体の古来から続く、政の姿への復古を願った歌だとしたら・・・・・・・。それが各地に広がった理由も納得できないだろうか?

 何れにせよ、この二つの歌には人ならざるものの力を物凄く感じる。これもまた、一種の言霊なのかもしれない。


ところで、かごめ歌って相反する事象が多く出てくるよね
「後ろの正面」
「夜明の晩」
「鶴と亀」(これはちょっと違うけど)
実は、かごめ歌は「竹取物語」と深い関係があるとも言われている
そう、東方的にもそれはある
竹取物語がベースの永夜抄で、シンデレラケージだから
籠の中の鳥は、輝夜その人であることは自明のこと
籠の中に囚われている意味からも解る
籠は永遠亭であり、もっと大きな「永遠」という時間そのものでもある
最初にいった「相反する事象」
ここに関しても同じ要素を輝夜は併せ持っている
「永遠と須臾」を操る
永遠と須臾は互いに相反する事象である
こうして考えると、
永夜抄も非常にピンポイントで明確なキーワードが提示されていると言えよう
輝夜とかごめ歌の関係は切り離すことの出来ない関係と言えるよね


・・・・・・明確じゃないか???

2008/1/31 加筆訂正

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