あんまり興奮していて、夢中になっていた。
まるで自分が打っているかのような感覚で、
ついうっかり手を伸ばした。
「ぁ…」
私が指した場所に、ヒカルは石を置いていた。
〜〜〜っ;
私は慌てて手を引っ込めたが、遅かった。
ヒカルは私を振り返った。
「ご、ごめんなさいっ、ヒカル!つ、ついっ」
私は慌てて弁解しようとした。
(佐為――――?!)
「はいっ」
え?あ…
あれ?ヒカルには私は見えない…
もちろん、扇子も、私の手も
じゃあ…
何故?
「ヒカル…?」
見え…て?
よく見ればヒカルは大きな目をぱちくりと開けて驚いた様子を見せていた。
しかし私の声には反応を示さずにまた碁盤に向かった。
ああ…そうか。
私がいるかと思っただけ。
少しでも私の気配が伝わったんでしょうか。
そうならいい。「進藤………」
伊角さんが困惑した表情を見せた。
?
私は座っていた位置を少しずらしてヒカルの顔を覗き込んだ。
「…ヒカル」
ヒカルは静かに泣いていた。
「………この打ち方…」
「アイツが打ってたんだ……こんな風に」
ヒカル…
(佐為がいた)
!
(どこにもいなかった佐為が。オレが向かう碁盤の上に、オレが打つその碁の中に、こっそり隠れてた)
!!
(おまえに会うただひとつの方法は、打つことだったんだ)
ヒカル………
(佐為、オレ―――打ってもいいのかな)
「……はい―――!」
もちろんですよ、ヒカル
「佐為…」
要が心配そうに私を覗き込んだ。
「大丈夫…、ただの…嬉し泣きです」
私は涙を拭いながら微笑んだ。
すると要もにっこりと微笑み返してくれた。
ヒカル、ヒカル、
ヒカル…
ありがとう―――
ヒカルは伊角さんと一局打ち切り、伊角さんと共にヒカルも再スタートを切った。
打ち終わって、一息もつかない内にヒカルは慌てて家を出た。
私にはヒカルがどこへ行くのか分かっていた。
だから慌ててヒカルについていこうとする要を引き止めた。
「行かないのか?」と聞く要ににっこりと笑いかけると、要はゆっくりと腰を下ろした。
「ヒカルは、大切な人に会いに行くんですよ。私達はもう行かなくても大丈夫」
「…恋人?」
要は首を傾げて言った。
私は驚いて、それから笑った。
「そうですね、ある意味での“恋人”ですね。ふふ」
もっと、もっと長い時間をヒカルと共に過ごせたら、
恋人も、もしかしたらヒカルの子供さえも見られたかもしれない。
叶わぬ夢を想像して、私は微笑んだ。
見れずともあるヒカルの未来に、もう嫉妬することもなかった。
「何だ、違うのか」
「違いますね」
私は笑って答えた。
「それにしても、さっきはびっくりしたなぁ」
要が目をくりくりさせて言った。
「ヒカル、いっきなり振り返るんだもん!俺、見えるようになっちゃったかと思ったぜ」
「ええ。私もつい弁解しようとしてしまいましたよ」
要は少し笑って言った。
「佐為の慌てっぷりったら、もう」
そこまで言って要はおかしそうに声を殺して笑った。
「…そんなにおかしかったですか」
「うん。って言うか…かわいかった」
かわいいって……
私は苦笑した。
私は碁盤に視線を送った。
先ほどまで碁石のあった世界だったが、今は何も置かれてはいなかった。
私はそっとその碁盤を撫でた。触れられはしないけれど。
「ありがとう」
今までヒカルと打ってきた碁盤
これからもヒカルを宜しくお願いしますね。
もうあなたが二度と埃などかぶりませんように―――
「さぁ、要、帰りましょう」
佐為が穏やかにそう言った。
俺を見て、真っ直ぐに、
笑ってた。
「帰ろう」
って。
帰る――――?
「帰るって…」
佐為は首を傾げた。
「もちろん、あの、死者の世界にですよ」
「か…える?」
俺が聞くと、佐為は笑って頷いた。
「え、だって…。いいのか?!」
「ええ」
「何でっ?」
だって、佐為はヒカルに会いたくて来たんじゃんか。
まだ、本当の意味では、会えてない。
「何故って…」
佐為は少し考えて困ったように笑った。
「ヒカルが打つところを見たら、帰ろうと決めていたから…。それに帰るのは要との約束じゃないですか」
「そうだけど…」
そうだけど…
佐為は笑ってた。
それは、とても穏やかで綺麗な笑顔だった。
思い残すこともないような、そんな笑顔だった。
でも、俺はしっくりこなかった。
長年の勘、って言うのかな。
このまま帰っても佐為は「彼方の青い世界」へ行けないような気がした。
幽霊歴は俺の方が長いから、わかるんだ。
佐為は今はヒカルが元気になったことで、本当に嬉しくて満足してる。
だからもう帰っても悔いは残らないと思ってる。
でも、違う。
「そうやって決めて帰るのはよくない」
「え…」
「ヒカルが打ったら帰るって決めたりしたらいけない」
佐為は俺をじっと見た。
「佐為はヒカルに会って何をしたかったの?ヒカルが打つ姿を見るってことじゃなかったろ?それはこっちに来てから、ヒカルに元気がなかったからそう決めただけだろ?はじめは、ヒカルに会って、何をするつもりだった?」
佐為は少し目を見開いて、考える様子を見せた。
満足するだけじゃダメなんだ。
佐為が、本当にしたいことを果たさなくっちゃ。
「私は…」
佐為は静かに口を開いた。
「だたヒカルに会いたくて…、何かをするなんて…」
佐為は困ったように言った。
「じゃあ聞き方を変えるよ。佐為はここに戻ってきてもう一度ヒカルと打とうと思った?」
佐為は静かに首を振って否定した。
「じゃあ、ヒカルが死ぬまで見届けようと思った?」
佐為は驚いた様子で俺を見た。
それからぶんぶんと首を振った。
「そんなこと、…しませんよ。要、帰るって約束だったじゃないですか…」
佐為は困惑して言った。
わかってるよ、佐為
「じゃあ、どうしたい?佐為はどうしたいんだ?」
「どうしたいって…」
どうしたい
私はどうしたいのでしょう。
要は怖いくらいに真剣な顔をして私を見つめていた。
「佐為、考えてみて」
だって、会えばわかると思っていた。
ヒカルと再開して言葉を交わして、それでいいと思った。
ただ会うだけで、よかったのに。
…それなら私はもうヒカルに会っている。
私は…
でも、だって、ヒカルに私は見えない。私はヒカルの中にはいない。
私から見えても意味がない。
ヒカルに私がいることを知って欲しい。
私に笑いかけて欲しい―――
「要…」
要は真剣な顔からふわりと微笑えんだ。
初めて会った時、要がヒカルに似ていると思った。
今も、ヒカルに似ていると感じたけれど、それは今のヒカルと言うより、
もっと成長したヒカルに会った様な、そんな気がした。
優しい笑顔。相手の気持ちを気遣った笑顔。
ヒカルもいつかそんな顔をする日が来るのだと、私に教えてくれたような気がした。
「要、私は…ヒカルに笑って欲しいんです。ただ笑うのではなくて…私に向かって笑って欲しい」
要はそれを聞くとにっこりと嬉しそうに笑った。
「うん、いいと思う。じゃ、それ目標に頑張ろうか」
「で、でもっ」
帰らなくていいんでしょうか…
それに私に向かってヒカルが笑うなんて、もう…
「いーの!このまま帰ってもきっとダメだろうし。俺は付き合うよ?な!」
「…ありがとう…要…」それから私と要は以前と同じようにヒカルの後をついて歩いた。
ヒカルが行くところには碁があったから、私は要に囲碁を教えて、要も碁を覚えて、
それから『力』を使う練習をした。
「ふっふ〜ん、ふふ〜♪」
「要…、楽しそうですね…」
要はヒカルの周りをうろうろしながら鼻歌を歌っていた。
「だって、また碁が見れるしさー。ヒカルの公式…なんたら?」
「公式手合いですよ」
今日はヒカルの復帰第一戦だった。
「楽しみだなぁ〜」
くすっ
要があんなに碁に夢中になるなんて
お互い生きていたらもっと沢山打ち合ったり出来ただろう。
それが出来なくて残念だと思った。
「お!ヒカルが行くって!佐為っ」
「わかっていますよ」
私も要同様わくわくしていた。
今日はどんな碁が見れるでしょう。「ここが棋院ってヤツねぇ〜、へぇ〜〜」
要は棋院に入るときょろきょろと辺りを見回した。
何だか私みたい。
ヒカルに憑いてすぐは物珍しいものばかりで、あれこれヒカルに聞いたものです。
「へぇ〜、へぇ〜〜」
要はきょろきょろと見回しながら対局場に入った。
「ここが打つとこ?」
「そうですよ」
「すっげー数の碁盤だなぁ。皆ここで打つのか?」
「ええ」
ヒカルは自分の位置に座り、碁盤をじっと見つめていた。
要はと言うと、まだきょろきょろと周りを見ている。
「お。佐為、佐為、ヒカルくらいの歳のやつもいる」
要は搭矢アキラを指差した。
「ああ…。ヒカルのライバルですよ」
「ライバル。へぇ〜」
「さっきすっげー睨んでた。ヒカルより弱いやつなの?」
「いえ、搭矢はすごい打ち手ですよ」
「ふぅ〜ん…って、搭矢?」
要は首を傾げた。
「ええ。それが何か…?」
「…ヒカルが追ってたって言うやつだよな。ほら、伊角さん?が来たとき話題に出てて…」
「そうですね」
「それから、ほら、昨日!」
「ああ」
ヒカルに昨日、対局の組み合わせ表が届いた。
相手が、搭矢アキラだったのだ。
要はそれを言っていた。
要と話している間に人がどんどん集まってきた。
私達を通り抜けるものが多く、私も要も落ち着かないので外でヒカルのそばでじっとしていた。
対局が始まると私と要はヒカルの対局に見入った。
途中、要に解説を入れたりして、私達はヒカルの復帰戦を見守っていた。
「………負けました……」
「やったー」
ヒカルの相手が負けを認めると要は嬉しそうに声を上げた。
皆には聞こえないはずだけれど、私は慌てて要を注意した。
要も慌てて口を噤む。聞こえなくても礼儀ですから、ね、そう言って笑うと要も頷いた。
「進藤くん、ちょっと」
「じゃあこれからはちゃんと手合いに出てくるんだな」
「来ます来ます。もうしませんってば!」
「はは、ヒカルってば怒られてんの」
「もう、無断で休んだりするからですよ…」
「名人戦一次予選の組み合わせ表も届いたと思うが」
「あっ、昨日届きました」
「………搭矢三段だったな。キミの一回戦の相手は」
「はい」
くすっ
ヒカル、意気込んでますね。
対局が楽しみです。
「……搭矢くんの対局スケジュールが詰まっているから対局日はいつになるかわからないが…」
搭矢はどんどん上を目指してるんですね。
…早くヒカルとの対局が見たい。
「がんばるんだな。キミに期待してる人も少なからずいる」
「はいっ、ごめんなさいっ。さよーならっ」
ヒカルはお辞儀をすると慌てて部屋から出る。
私と要は顔を見合わせて笑うとヒカルを追って駆け出した。
ヒカルが夏休みに入り、家での碁の勉強が多くなると私達もそれを見ながら碁の勉強をすることが増えた。
それに伴って、力の練習は少し疎かになった。暫くしてから、私と要はこれからのことを話し合った。
いつまでも力に目覚めない私と、上達しない自分、
それに夏休みということも手伝っての練習不足に少し焦りを感じたようで、
「気合いを入れなおす!」と意気込んでのことだった。
力のことを中心に、最後にはヒカルとの別れの時のことまで。
ヒカルにどうやって私の存在を知らせて、尚且つ私の望みの“ヒカルの笑顔”を見るかということを。
要は私とヒカルが会うには直接は無理だろうと考えた。
それを聞いた私は落胆したが、それでは帰れない。どうしたらいいかと要に聞くと、
直接が無理ならあれだな!あれ♪
要、あれとは何です?
ふっふー、夢だよ、夢。
夢?
そ!俺聞いたことあるんだよ。相手の夢に入るんだって。そういう力があるんだって。
夢に…、そんなことが…
ほら、じーちゃんが夢に出てきたとか死んだ人が出たとかいろいろあるだろ。
はぁ
たぶん要領は葉っぱを浮かすのとか石を動かすのと同じことだよ
…私は出来ないんですが……
だーかーらー、練習すんの!どうにかなるって!
要はにっこりと笑った。
どこにも出来る根拠などなかったが、その笑顔は何でもやってのけそうな力強さが感じられて、頼もしいと私は感じた。
気合いは入れても焦らないで行こうよ、いつか出来るさ、そう言う要と一緒に私は力を使うために頑張った。
いくらたっても、何の手ごたえもないことに焦りを感じないわけではなかったけれど、
使えないと言う事が、ヒカルとの本当の別れを伸ばすと言う事だと感じてしまい、
焦りと共に、嬉しさに似た安堵を感じていた。
それだけでなくて、要に対する罪悪感も感じていたし、いつまでもここにいるわけにもいかないことは十分にわかってはいるのだけれど、どうしてもヒカルと少しでも長くいたいと思ってしまうことを止められなかった。
私の中で、力を使ってヒカルに私の存在を伝えたいと思う気持ちと、このまま力など使えずに長くヒカルの元にとどまりたいと思う気持ちが小さく小さく揺れていた。
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