適当にHTML化させていただいたのでまだ読みにくいです
しばらくお待ちください(管理人)
信憑性を疑われると悪いので少しお話を・・・
これまで、15年間、北の離散家族の救援をして来た。「北朝鮮への帰国日本妻の自由往来実現の会」がこけっちゃったので、
日本で一番古い団体となってしまった。
もちろん、日本人だ。「北の離散家族」といえば、韓国と北朝鮮、日本と韓国の間で引き裂かれた人々のことをいう。
救援とは、離散家族の救援(お金・物資を送ること)、母国(韓国・日本)への入国(帰国・帰還)をいう。
したがって、北朝鮮からは歓迎されない。かの「レインボウ・・・」団体のような<親朝団体>ではない。
また、北朝鮮難民救援基金、レンクとも関係がない。北朝鮮から中国に逃れて来た脱北者の救援もしない。
ただ、その脱北者が日本人であったり、韓国に親戚がいる場合には救援する。もちろん、朝鮮人であっても
日本から帰国した者も「離散家族」だから、救援する。ただし、日本人を除いて帰国先は原則として韓国だ。
このような救援をするには、北朝鮮に精通していなければできない。「離散家族」が何を必要としているか
(何が欲しいか、金か物資か)、韓国・日本の誰と連絡すればよいか。だから、北の事情に精通しているわけだ。
「離散家族」をどうやって探すか、大変だぞ。日本のように北の国内は自由に移動・旅行できないのだ。
もちろん、庶民の家に電話などあるわけない。
彼らの日本・韓国の家族の所在を探すのもこれまた大変だ。
北から脱出させる、日本・韓国に入国させるのはもっと大変だ。
日本の一般国民は他人事のようにマスコミの北朝鮮物に噛り付いていればよいが、こちらは離散家族の命が
かかっているのだ。情報一つが命とりだ。
確かに「這う者の上には,飛ぶ者がいる」かも知れないが・・・
おわかりいただけたかな?
>糞尿大国<
北朝鮮の地方の単独住宅(一戸建て)には、トイレはありません。
こちらも北朝鮮には数回訪問しましたが確認はできませんでした。
しかし、親しい在日朝鮮人に聞いたので間違いありません。
李氏朝鮮時代末期に朝鮮を旅行した外国人の旅行記にもこのことが
記されておりますが、驚くに当たりません。李氏朝鮮時代に戻っただけです。
パリのベルサイユ宮殿にトイレがなかったそうで、あの大きく広がった
ドレスは用足しを外から見えないようにするためのものだったと聞いた
ことがあります。それと香水もその匂いを消すために発達したものだ
ということです。
さて、話を北朝鮮に戻します。部落には共同便所がありますが、
だいたいは野糞が普通です。ところが、1995年前後から、あの将軍様の
命令で事情が一変しました。各家族に人糞を原則として1家族1月60kg
(家族構成によって違いがある)の供出が義務とされたからです。
家の外で野糞などしたら他人に持って行かれか供出の義務が果たせなくなる
からです。そうだからといって家の中にトイレを作るだけの余裕(金)は
ありません。庭に囲いをして野糞?と相成るわけです。
供出の義務が果たせないと総括集会でつるし上げを食いますから
必至です。子供も道で動物の糞を拾って歩くことが日常となりました。
なかには豚を飼うことができる人はその糞を人間の糞に混ぜて供出の
義務を果たすことにまりますが、豚を飼うことは大変で、子豚が
1匹6,000円(日本円)位で彼らの給料の3ヶ月分位です。
日本円で10,000円あれば、米が120kgは買えます。
なお、豚は必ず2匹飼わねばならず、これを60kg以上に育てた上で
1匹は政府へ1匹は自分が食べるという話がまことしやかに日本にも
伝わってきましたが、これは嘘です。
今では道に糞一つ落ちていない清潔な?北朝鮮です
風呂、これはある方が珍しく、日本からお金が送られている家にだけ
あります。部落には共同風呂はありますが、機能していません。
したがって、行水で済ませます。
>北朝鮮人の様子<
突然、お手紙を差し上げる失礼をお許しください。
私は・・・の妻の「 」です。今まで長々ご無沙汰しておりますが、先生様にはお変わり
ございませんか。
夫は1997年・・月・・日に突然亡くなりました。それから6年頑張って来ましたが、いくら頑張っても
生活は一向に好転しません。こうして、私の生活は今、手も足も出ないほど苦しくなっております。
一人息子も心臓とか肝臓とかを壊してしまい、どうにもならなくなっております。
先生様には誠に申し訳ございませんが、こういう事情をご推察くださいまして、ご支援くだされば、
本当にありがたく存じます。
私の中には過ぎし日の先生様のご厚意に対する感謝の気持ちが潜んでおります。
当方の久し振りのお便りで再び先生様のご厚意に甘えることは恐縮の至りでございますが、
どうか、私のわがままをお許し願います。
主体92年・・月・・日
北朝鮮からこのような便りが今でもたくさん来るが、手紙が届くのは奇跡的だ。この1月元旦に届いた。
中国を通したり、北朝鮮を訪れる在日朝鮮人が持参することがほとんどだ。年号が「主体」というのは初めてだ。
この3年くらい、直接、北から手紙をもらったことがないので、年号が「主体」というのは初めてだ。
なお、この人からは1月6日にも手紙が来た。どうなっているのだろう。
中国にも脱出できずに北でうごめいている者も多い。
在日朝鮮人の人も手紙が来ること(行くことも)は珍しい。連絡も大変だと思う。
北朝鮮郵便事情(1)
北朝鮮に手紙を出して、相手に届くのに最低4ケ月かかります。したがって、季節の話はできません。今、日本では桜が満開です。という手紙を出しても、届くのが早くて、7月、遅ければ9月となるからです。
北朝鮮から日本には2ヶ月かかります。北朝鮮の地方からの手紙はまず、日本には届きません。北の人もこのことを良く知っていますから、「平壌」から手紙を出します。「平壌」に行く人に手紙を持って行ってもらうのです。
ところで、手紙が届くのは、1998年からは奇跡に近いのです。日本からも北朝鮮からも同じです。
かって、こちらも頭をひねって「書留郵便」で出すことにして、50通近くをそうしました。北の平壌国際郵便局からは、届けたという証明書が来たのですが、1通も届いていませんでした。とにかく、何でもありの国です。これは、我々が北に警戒されているからではありません。どなたもそのようです。
よくマスコミなどでは検閲されるのではないかと言っていますが、検閲されていないと考えております。少し、実験をしたことがありますが、季節の挨拶と簡単な消息を知らせた手紙が届かず、向うの生活の様子や日本の北に対する援助米などの情報を知らせた手紙が届いていたり、北からも生活の困窮と家の詳しい様子を知らせる手紙が届いたりしているからです。北では日本からの手紙を天井に向かって放り投げ、近くに落ちた手紙を配達し、遠くに飛んだ手紙は捨てるのではないかと、勝手な想像をしております。
したがって、1999年以降は「人便(人に持って行ってもらうこと)」で連絡しています。北の人たちも郵便局などとうの昔に信用していませんから同じく「人便」で連絡を取り合っております。
北朝鮮郵便事情(2)
北ではわかっていることなので、ここでお話ししますが、その「人便」の一つに、北の家族の元を
「萬景号」で訪ねる在日の方に届けてもらうことがあります。北のどんな片田舎でも在日の北の家族が
住んでいます。もちろん、「萬景号」が到着する「元山」では厳重な検査があり、在日の人が手紙を
持っていないかが調べられます。大概は見つかることはありません。秘密事項は記憶してもらいます。
頭の中までは調べることができませんからね! 最近、「萬景号」の往来を禁止しようとの運動が
ありますが、これがないと大変困ります.北の人との連絡だけでなく、情報も入らなくなります。
とても複雑な気持ちです。
中国からの「人便」もあります。その他、色々な方法があります。「上に政策あれば、下に対策あり」
です。
日本から電報を打ったことはありませんから、わかりませんが、北の国内では、1998年当時は、
4日かかりました。今では、列車が動くことがありますが、「平壌」からロシアに近い「清津」まで
7日間もかかりますから、おそらく、電報は全国津々浦々にまでは機能していないのではないかと
考えています。
「bogi」さん、親戚が北にいるというから、そこへ訪ねるか、電話して連絡するしかないのではないか。
北朝鮮電話事情(1)
北の一般庶民に電話などない。政府機関か、企業しかない。例外がある。
在日朝鮮人の親戚で、かつ、「平壌」に住んでいることだ。
もちろん、日本の親戚から膨大な寄付があることが条件である。
こういう人からもときどき電話がある。
国際電話、10年ほど前は、「咸興」、「清津」、「元山」などの
地方大都市からかけることができたが、今は「平壌」だけである。
こちらに連絡するには、「平壌」に行くしかない。日本のように
簡単に旅行ができるわけではない。勤務する企業所、地域(市、郡、
邑(ウムー町))から許可証をもらわなけれなならない。
特に「平壌」に行くのは大変だ。もちろん、サバサバ(賄賂―さっぱりする
という日本語が語源)が必要だ。
さらに、「平壌」に行く交通手段が大変だ。しかし、「平壌」は国家の首都、
まだ、列車は動いている。地方間の列車は運行がままならない。切符の手配には
もちろん、多額のサバサバが要る。
こうして、何日もかかって、「平壌」に行く。到着したら、電話局に直行だ。
これも申し込んでから、すぐに日本につかがるわけがない。朝、8時に申込でも、
色々な許可が要るから、日本と電話がつながるのは午後2時、午後5時に
つながった例もある。
かくして、日本と電話がつながり、頼みごとをしたら、家路につく。
しかし、列車の連絡など良いわけないから、木賃宿にノミと南京虫に攻められ
ながら眠りにつく。いや、つけない。
「咸興」からでも往復4日、「清津」からだと往復7日、途中の列車は、
泥棒(すり)の巣窟だ。一番たちの悪いのは、列車公安員だ。検査代を
せびられるから、心の休まることはない。
かくして、くたくたになって家に着く。
電話代、北朝鮮人に金などにから、当然、コレクトコールでこちら持ちだ。
お陰で、1ヶ月20万円もかかることがある。コレクトコールは高いんだ。
「bogi」さんの親戚も「平壌」に住んでいなければ、同じような苦労を
しているのではなかろうか。北に親戚を持つ者はつらい。
北朝鮮電話事情(2)
こちらからの電話、庶民の家に電話などないから、できるわけがない。
でも、党機関、幹部の家には電話はある。そこを利用させてもらっている。
もちろん、盗聴があるのは<先刻承知の輔>です。秘密のことは「人便」で
やる。
在日朝鮮人の皆さん、ありがとうございます。「萬景号」には大変お世話に
なっております。感謝しております。一時、「萬景号」が就航しないので、
大変困った。
中国から人を派遣する方法もある。北には「華僑」が多くおり、
大変力を持っている。華僑がいなければ、国は全く機能しない。
華僑の「人便」は少し金がかかる。
最近は「携帯電話」という手があるが、まだ、利用したことがない。
もちろん、一般庶民が持てるわけがない。やはり、中国との貿易を
やっている「華僑」が多く持っている。北の政府も黙認だ。
迅速に中国の物資が必要だからだ。これができれば、連絡も迅速に
取れるので、大変ありがたい。
この「携帯電話」が北の体制の命取りになると思う。
北では、悪い情報が放送・放映されないから、表には出て来ない。
でも「足のない噂が千里を行く」という諺のとおり、かなり正確な
情報が伝わっている。これに「携帯電話」によって伝えられた
外国の情報が加わる。「人の口には戸が立てられない」のだ。
>離散家族(1)<
日本では、「拉致家族」ということは知られているが、「離散家族」という言葉は耳慣れない。北朝鮮に渡った日本人妻などは、この「離散家族」だ。
朝鮮で、「離散家族」というと、韓国と北朝鮮との関係の中で離れ離れになった家族の
こと、をいう。
韓国と北朝鮮との「離散家族」は、次の形態に分類することができる。
1、 1945年前から、韓国にいて、朝鮮戦争(韓国動乱)のために、北に帰ることが
できなくなった者
2、1945年には、北にいたが、金 日成政権を嫌って南に南下(越南)したもの
3、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発以後に南に南下(越南)したもの
4、 朝鮮戦争に従軍し、北の捕虜となり、そのまま北に留まざるをえなかったもの
5、朝鮮戦争の際に、北に拉致されたもの
6、朝鮮戦争の後、現在までの間に、北に拉致されたもの
7、1945年から朝鮮戦争終結までの間に、進んで金 日成政権に同調して北に
渡ったもの
このような離散家族は、200万人とも、500万人ともいわれている。
>離散家族(2)<
私たちは日本人だが、このような「離散家族」の消息を探すことを
15年間もやってきた。
最近では、韓国でも北との関係が改善され、韓国でも「離散家族再開
推進事業」が進展し、北にいる「離散家族」の消息が一部ではあれ、
わかるようになったが、それまでは全く消息を尋ねる術がなかった。
北に行くことも、電話することも、手紙を送ることも、全くできない
状態に置かれていた。
日本人であれば、それが可能だったのだ。しかし、日本人であれ
北朝鮮に旅行ができたとしても、自由に地方に行くことができるわけ
ではない。地理もわからないし、地方に行く列車もほとんど運行
されておらず、バスなどもない。
また、北朝鮮に住んでいる人も、自由に旅行することはできない。
旅行するには何枚もの「旅行許可証」が必要で、党の幹部でなければ、
それも不可能だった。簡単に人を探す環境にはなかったのである。
さらに、北にいる「離散家族」の消息を探すのに、大変だった
ことは、昔と今とでは行政区画が異なってしまっていたことにあった。
地名が変わってしまっているのだ。例えば、咸鏡南道の「永興」と
いうところは、「金野」という地名に変わっているし、
邑(ゆう-町)、面(村)、里(部落)、洞(市の街)は、ほとんど
変わっている。
もう一つ、大変だったのは、かって住んでいたところに家族が
住んでいるとは限らず、移動していることがとても多かったことだった。
お陰で、北の地図は完全に頭に入っている。細かい地名までわかるように
なった。
>離散家族(3)<
なぜ、こんなことをしているかについて、これまで、色々な人に尋ねられた。
韓国人などは、植民地支配の贖罪のためにやっていると勝手に解釈するものが多い。
こちらは、「植民地支配」などとは思っていないし、朝鮮人に大変良いことをしたー李氏朝鮮人時代の朝鮮人を奈落の底から救い出してやったと考えている。
日本人は「人権活動家」ですか、とこれまた、勝手に考えているものも多い。そんなことを考えたことは全くない。
理由をしいて挙げるならば「惰性」である。
きっかけは、大学に留学して来た韓国人を教えていて、その人の父親が北から逃げて来た人(帰順民・越南家族・失郷民―この言葉はこれから頻繁に登場するので記憶していただきたい)だった。韓国に行ったときにそのことを知ったのだったが、その方が、妹一人が北にいて住所がわかるが、連絡する術がない。と嘆いておられた。何の気なしに日本からでしたら連絡が取れるのではないでしょうか。やってみましょうと安請け合いした。これが今から15年前だ。手紙を送った。当時は手紙がまだ届いていたので、到着し、返事が来た。生活が困窮しているから、援助して欲しいというものだった。韓国の方は荷が重かったので、こちらで援助した。生活物資を入れた荷物を送ったのだ。最初は郵便局から送った。
>離散家族(4)<
荷物が着く。荷物にはこちらの住所、名前が書いてある。まず、日本から渡った朝鮮人がこれを見た。手紙を送って来て、親戚を探してくれという内容が全てだった。当時は全く事情を知らなかったので、日本にいる親戚を探して連絡した。帰って来る答えは「好きで帰ったのでしょう。いまさら面倒を見てくれなんて厚かましい」、「こちらも生活があるから面倒など見切れない」、「あんた、誰、日本人、おかしいのじゃないの、こんなこと止めなさい」、「とにかく、関係ない」、取り付くひまがなかった。当たり前だ。北に渡ってから30年が経とうとしているのにそれまで援助して来なかった親戚が援助するはずがない。援助しているなら遥か昔に援助していた。200人位からは手紙が来ただろうか。そのうち、「ありがとう」と言われたのは10人もいなかった。援助したのは3家族だけだった。朝鮮人は「血の社会」といわれ、家族の絆が深いと聴いていたが、日本人以下だった。親が息子(長男)の援助を拒絶した例もあった。衝撃を受けた。
北で援助を待っている朝鮮人に本当のことを伝えることができなかった。
その窮状を察した日本人が集まりだし、金を出し、品物を出してくれて、送った。朝鮮総連から送ると安いということで(東京からだと1個7500円(最初は6500円)、新潟からだと4500円)、朝鮮総連用のダンボール(1個500円)に詰めて送った。1000個は送っただろうか。ダンボール代・送料だけで数百万は使った。金も東京朝銀信用組合から送った。数千万円は使った。もちろん、私一人の金ではない。朝鮮人の会員は全くいない。全部日本人の金なのだ。
>離散家族(5)<
それと平行して、北に住む「離散家族―肉親が韓国に逃亡した者」から、韓国の親・兄弟の消息を探して欲しいという依頼もたくさん舞い込んで来た。朝鮮では「足のない噂が千里を行く」という。こんなことをやっていると聞いて、北の全域から依頼が殺到した。
さらに今度は韓国からも北の家族を探してくれという依頼も殺到した。
朝鮮人は「物事を腹にしまっておけない」から、探してやると吹聴する。われわれは、これを<国民総放送局>と呼んだ。
ここでも、朝鮮人の<血の社会>の虚構を知った。探しても韓国人から「知らない」と言われたことも再三であった。気の毒で、荷物も金も送った。「南朝鮮にいる兄は手紙一つもくれないのに、日本人の先生はどうしてこんなに親切にしてくださるのですか」という手紙をたくさんもらった。
韓国の「赤十字」、「離散家族再開推進委員会」の総裁にも、これは韓国政府の問題で日本人の問題ではないと訴えて、引継ぎをお願いしたが、無しのつぶてだった。
日本人妻からも肉親の消息を尋ねる手紙が来た。消息を探した日本の親戚から冷たい返事が返って来たことはない。朝鮮人との落差を感じた。むしろ、朝鮮人の方が金を持っていたものが多かった。理由は未だにわからない。
今からでも止めたいと思っているが、北の困窮者を考えると・・・・・
なお、在日朝鮮人に対する<贖罪感>など全くない。
>離散家族(6)<
北に家族を持つ者はつらい。援助が限りがないからである。援助し、一度広がった生活は狭めることができないのである。一層死んでくれたらよい、という在日朝鮮人もいる。
これだけのことをやっていると、北の人たちが何を考え、何が欲しいかは手に取るようにわかる。「bogi」さんには悪いが、あなたは自分の親戚からしか情報が入らないだろう。こちらは数百家族の情報が入って来るのだ。これが日本一、北朝鮮の庶民生活を知っている理由だ。もちろん、北も訪問し、援助している北朝鮮人にも面談している。それと相手は朝鮮人だ。朝鮮・朝鮮人に関する勉強もさせていただいた。言葉はできてもそれだけでは理解できない。余談だが、日本人と朝鮮人は何一つ同じところがないというのだ、行き着いた結論だ。ただ、朝鮮人ではないので、理解の限界はある。<北朝鮮の庶民生活>としたのはその意味である。違っていた情報があるなら遠慮なく、指摘して欲しい。こちらも知識が増え、この仕事にも役に立つと考えている。韓国についても生半可な知識ではないと自負しているが、これは思い上がりかも知れない。
信じられないだろうが、こういう馬鹿な日本人たちもいる。「継続は力なり」という諺を切実に感じている。<惰性>というものは恐ろしいものだ。
>離散家族(7)<
今日、「北朝鮮難民救援基金」の会員が中国で身柄を拘束されたという。どうも、日本から渡った<在日朝鮮人>の救援の途中だったらしい。
こちらは、「日本から渡った在日朝鮮人」の救援はしない。理由は、日本統治時代に日本に渡来した朝鮮人たちが、参政権を寄こせ! 愛国教育反対! 靖国神社参拝反対! 新しい教科書を作る会の教科書に反対! 従軍慰安婦の賠償をせよ! 権利を尊重せよ! 挙句の果ては、日本の神社の伝統儀式にも文句をつけて行事をさめさせている。食えない朝鮮から救い出してやったのに<強制連行>などと騒ぎ立てる。
日本から渡った<在日朝鮮人>を日本に連れて来たら、北に送った保障をしろ!などと言い出しかねないからだ。日本から渡った<在日朝鮮人>、老齢者も多く、子弟は日本語が全くできない。彼らに生活保護をしてやらねばならない。こういう者に日本の税金を使うことは国益に反するからだ。
ただ、日本から渡った<在日朝鮮人>で日本にいる家族が生活の面倒を見て、日本に迷惑をかけないということが保証された場合にのみ、日本に入国させている。<反日朝鮮人>はお断りだ。
こういう者を韓国に入国させるお手伝いはする。韓国の憲法でも北朝鮮人は<自国民>と規定しているからだ。
こちらは、日本国民のみが会員で(ここが先の団体などと違うところだ)、その浄財で賄っている。韓国政府からも日本政府からも一銭も頂いていない。何をしようが、国益に反しない限り勝手だと考えるが。