不安








あの人の帰りが遅い。
雨の日に、あの人の帰りが遅い。



いつもなら、私がこうして待っている日は、くたびれた顔をして、早々に帰って来るのに。
周りを困らせて、仕事を投げ出して来たのが分かる位。
陽が傾いたら帰って来るのに。


夕暮れに降り始めた雨は次第に強さを増し、辺りはもう水の中。
暗い水に塗り込められて、音も閉じ込められて。

見えるのは水中の闇、聞こえるのは雨垂れの音。
姿も声も、足音すらもなく。


用意した夕飯が冷めてしまうのは構わない。
眠るのが遅くなっても構わない。



ただ、早く        





バラバラと打ち付ける音は、時間を長く感じさせる。
あの人を待ち侘びて、見る時計の何と進まない事か。

いえ、進まぬ内に帰って来て。
仕事をしないと怒るのは、職場での事。

しなくて良い訳ではないけれど。

地面に溜まって行く雨の様に、どんどん累積されて行く想い。




何故、と。




一人で待つ心細さ。
潰されそうな沈黙は足元の小犬が消してくれるけれど。
その温もりが、僅かに安堵を与えてはくれるけれど。


あの人の帰りが遅い。


このまま、深い水の中に沈んでしまいそう。









「全く迷惑な話だ。」
憮然とした顔と声で、徐に玄関を開け、濡れたコートの雨の水滴を払いながらぼやく。





予定外のトラブル発生。
簡単な書類と手続きの擦れ違い。
たかがそれだけ、されどそれだけ。

有能な副官が居ないからこそ起こり得る、人的災害。

珍しくも定時に仕事を終らせてやろうと、意気込んだらこのザマ。
家には愛しい人が待っていると言うのに。
仕事も見事片付け、たまには見直されようと頑張ったのが、不運にも裏目に出た。

降り始めには帰る予定でいたのに、すっかり日は暮れ、外は暗く、雨も本降り。
無能、湿気たマッチと笑われても「水のある所には水素がある」と切り返せる腕もあるのに。
疲れ果てて帰路を急ぐ男の姿は情けなくて。





ドアを開けて、仁王立ちで出迎えるであろうと予測していた人の姿はない。
こんなに遅くなって、どんなに仕事をのろのろやっていたのかと怒っているのだろうか。

「たまには仕事を頑張ろうと思ったんだが……?」
内心臆しつつ室内のドアをこっそりと開ける。
我が家であるにもかかわらず、控え目な態度で。

開いた扉の向こうにも彼女の姿はない。
いつもなら、家人の帰りを歓迎し、大騒ぎする彼女の愛犬もなりを潜めている。


不審に思いながら、徐々に視線を上げて、かの人を探す。









目が合った瞬間、強い衝撃がロイの脳を見舞う。
腕の中に愛犬を抱き締めたまま、顔を上げたリザの目からは流れる涙。
帰宅したロイに驚いた様子すらなく、放心した様にこちらを見詰めたまま涙を流し続ける。
半開きの唇は言葉を発する事もせず。



「どうした…!?」

怒鳴る様に言いながら大股に歩み寄り、ソファの上の彼女の体を抱き締める。
行儀良く足元に座り尾を振り、主人を見守るブラックハヤテの賢さが意地らしい。
飼い主に良く似て、意地らしく、賢い小犬。

抱きすくめられて尚動かないままのリザにそのまま声をかける。

「何かあったのか、リザ?」

柔らかな金の髪を撫でて、問いかける。
浅い深呼吸の後、力一杯抱きつかれる。
抱きついた体が震えている。
震えは寒さの所為などではなく。
途切れ途切れの言葉が意味を解させる。

「…バカ…。何か、あったのかと…。雨も…降って…」

言葉と共に、一時は堪えたらしい涙が溢れる。
抱き締めたシャツに、温かく冷たい水が染みる。


愛おしさの温度。


「心配をかけた様だな。済まなかった。大丈夫、大丈夫だ。」
体を引き起こし、瞼に口付ける。
涙ごと。

瞼に口付け、閉ざした瞳から唇を滑らせその唇に口付ける。

止まらない涙と共に、縋りつく体を受け止め、口付けを深くする。
冷え切ってしまった彼女の身体に火をつけ熱が戻る頃、ようやく解放する。


「君の休みの日にこそ真面目に仕事を終らせようと、珍しく頑張ったらこのザマだ。」
こんな時に限って書類不備と手続きの不手際とは…。
慣れない事はするものではないと苦笑いして、もう一度キスをする。
頬から差し入れた手に髪を掴みながら。


返事は言葉にせず、ロイの胸に黙って頬を摺り寄せ、彼の体温を、鼓動を感じる。
彼の生きている証。

「…バカですか…。貴方は、もう…。雨の日は無能なんですか…。」


憎まれ口を叩きながら、目を閉じ彼の胸に身体を預けてくる。
その手が髪を撫で、頬を掠め、肩を抱き寄せる。
頬に感じるその呼吸に酔う。



彼に、酔う。



抱き締める腕の強さを知っているから。
彼を失う不安に流されそうな自分を叱咤する様に、身のうちを彼で満たす。








強く抱き締めて、必ず無事にいてと願う。













ガンガン10月号の涙を見て。
リザ→ロイじゃん!!と。
…いつの話だ!?って感じですね。
下書きしたのは、ちゃんとその時期だったんですが、
パソに入れたのがもう大分後でして。
で、入れたら入れたで、そのまま忘れてまして…。
それでようやく今に至ったのです。

駄目駄目です。


雨の日に弱いリザなの。
弱っちいリザちゃんですの。

たまにはこんなリザちゃんも良かろう!?と萌えた訳なのです。
あの涙には…。



050124







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