〜生きる意義〜


なんだかわからないけど、節目の時なんか特に、こういうこと考え込んじゃいませんか?

生きる意義なんて考えるのは、深刻に悩んでるか無駄に難しいことを考えてみたいかのどっちかのような気もするんですけど、まあ何にしろ今回はそんなことについて私的哲学を語りますです。

「生きる意義」なんて考える時に、まず前提として「生きてる」ということがあります。じゃあ今生きてるのはなんでかって言えば、「生まれた」からです。そもそも生まれるということは産まれるということであって受動態です。そんなら今生きているのも受動態なのかといえばそれは違って、少なくとも死なないでいようという自分の意志があるから生きているんだと思います。
で、生きているには食べ物や場所が必要で、それを手に入れるためにはお金が必要で、そのお金のためには仕事が必要で、仕事をするには能力が必要で、能力を身に付けるためには時間も必要で、その時間を過ごすためには生きていなくてはいけなくて、じゃあ食べ物が要って…。で、自分で働ける能力を身につけるまでは誰かに扶養してもらうことも必要で、産んだ者(両親)がその責任を負ったりして、働くようになるまでのコストを請け負ってくれる。
そしたらそれって、生きるために生きてる感じでなんだかよくわからない。生きるということそのものが目的なら、そもそも生きていなければ生きなくてもいいじゃないですか。堂堂巡りの考えの中、こんな否定的な考えに行き着いたりもします。

でもこれじゃなんか最後まで受動的で居心地悪い感じ。

最初は受動態で始まる命でも、生きて自分の意志を持ち始めたら、能動的な意味をもってくるはず。命をどう終わらせるかは、きっと自分の意志と生き方で変えられる。最後まで受動的では終わりたくない。自分はきっと今までたいした苦労もなくぬくぬくと生きてきた人間だからこんな甘ったれたこと考えるのかもしれないけど、死ぬ時には一人っきりで逝きたくない。それは誰か道連れを…って言うんじゃなくて(笑)、自分を見送ってくれる人・もう会えないって嘆いてくれる人・お疲れ様って言ってくれる人に囲まれて死にたいってことです。そんな環境を整えるまでは死ねないし、だからこそ交通事故なんかで偶然死・心臓麻痺で突然死、なんて突発的には逝きたくない。そんなこんなで安全とか健康とかに気を使いつつ、あれこれ頑張って生きてます。

結局こんなめちゃめちゃ自己中心的な意義のために、私は色んなことに必死になって生きてるんだなあ。
最後に一番言いたいことは…ほんとくじけてしまうようなこともたくさんあるんだけど、できる限り、諦めの視点ではなく積極的な視点で、「産まれ、生き、死ぬ」ということを捉えて生きていたいなあ、と。

     END




☆ テキストの感想を是非掲示板にお寄せ下さい ☆
♪ トップページへはこちら ♪

【運営会社「パラダイムシフト」サービス】

無料ホームページ   携帯ホームページ   無料ホームページ作成   レンタルサーバー   ブログ   ホテル   アンドロイド   旅行 口コミ   旅行情報   国際電話   ホテル比較